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 僕は学校の部活に入る代わりに、週に三回、地元のソフトテニスクラブに通っている。放課後、学校から直接バスに乗って運動施設まで向かう。緩い活動だが小学生の頃から通っているおかげで知り合いも多く、中学入学時もここを辞めて部活に移るという気にならなかった。

 クラブでは練習熱心で地味な学生として通っていた。

「なーくん、どした。楽しいことでもあったか?」

 そんな僕がクラブのおじさんにそんな声を掛けられるようになったのも、椎名と友だちになってからだ。慌ててラケットを握る手に力をこめる僕を、おじさんは微笑ましそうに見守っている。なんてこった。

 クラブが終わり帰りのバスで座席についた僕は、手のひらサイズのMP3プレイヤーから伸びるイヤホンを耳に突っ込んだ。二週間後には、ピリオドの新しいシングルCDが発売される。疲れた身体を揺さぶられながら、今日の休み時間にも椎名とその話をしたことを思い出した。

 頬が緩みかけ、慌てて両手で抑え込んだ。これはあれだ。好きなバンドの曲が心に染みた笑顔なんだ。僕は頭の中でそう言い訳しつつ、降車ボタンを押した。


 そんなテニスクラブも、六月いっぱいで一度辞めることとなった。流石に受験勉強に身を入れないとまずい。進学後に再開するか否かはその時決めることとして、七月からは一気に自由時間が増えた。まあ、その時間を勉強に宛てる必要があるんだけど。

「そういえば、津守、テニスは行かないんだよね。真っ直ぐ帰るの」

 七月一日の放課後の教室で、肩に鞄を掛けた椎名が僕に話しかけた。

「まあね」

「なら、一緒に帰ろう」

 僕はぽかんとして、椎名を見返す。確かに彼女の家と僕の家は、同じ方角だ。

「いや、流石に……」

「どうして?」

 中三にもなって女子と二人きりで下校するなんて。恋人同士なら当然だけど、友人同士でなんて、僕は想像していなかった。

 しかし、どうしてと尋ねられた僕は言い澱む。「そりゃ、まあ」煮え切らない僕の顔を覗き込み、椎名は不思議そうな表情を見せる。

「噂とか立てられるかもしれないし……」

「うわさ?」訝しそうに眉を寄せた彼女は、声をあげて笑った。「そんなの気にしてんの」

「そんなのってなんだよ」

「そしたら、違うって言えばいいじゃん。だって、ただの友だちでしょ。契約のこと忘れた?」

「忘れてなんかないけど」

 彼女の呆れた声音に、自分が硬派過ぎるのかと不安になる。一方で、契約書を思い出して少し安心する気持ちもある。僕らはどう転んでも、ただの友だちだ。そしてどこかに転がるつもりは、僕らのどちらにもない。俊輔みたいな奴は、背中をどついてやればいい。

 そして僕らは並んで通学路を歩いた。

 いや、やっぱり恥ずかしい。同級生の脇を通り抜ける時、僕は咄嗟に俯いてしまう。こりゃ、絶対誰かに何か言われるぞ。そんな僕の心配などどこ吹く風で、椎名は別れ道までずっと平気な顔をしていた。

 家に帰ってから、僕は明日クラスメイトに茶化される想像をして、憂鬱な気分だった。別に椎名のことは嫌いじゃないし、話していると楽しい。ピリオドについて語れる貴重な友だちだ。

 悶々と考え、僕は一つの答えに辿り着いた。そうだ、もやもやするのは、彼女に振り回されているからだ。契約書の段階から椎名のペースに巻き込まれ、なんだかんだでそれを良しとしてしまっている。もっと自分を主張しなければいけない。そして、友だちだといっても、もう少し距離を置くべきかもしれない。ちょっと寂しい気もするけれど。

 宿題に全く手をつけず、机の前で意思を固めていると、横のベッドに放っていたスマホが鳴った。メールの通知音だ。伸ばした手にスマホを取り、メールの送信元を見て心臓が跳ねる。五月の末に抽選を申し込んだチケットの販売会社からだった。

 突っ立ったまま、目当てのメールをそっとタップする。時間を置けば、不安に潰れて結果が見られない気がした。

 ――厳正なる抽選を行いました結果、チケットが「当選」いたしました。

 一斉送信の味気ない文面には、そんな文言がぶら下がっていた。

 一分前の葛藤を忘れた僕がまずしたことは、椎名に連絡を入れることだった。


「いやー、マジで感謝!」

 チケットの抽選に落選した椎名は、もう何度目になるかわからない台詞を放課後にも口にした。校門を出て歩きながら、「よくやった!」などと言って僕の肩をぽんぽんと叩く。やめろよなんて言いながら、僕もまんざらでもない気分になる。

 僕らは各々二枚ずつチケットを申し込んでいた。これは五月の申し込みの時点で、椎名と話し合って決めたことだった。当選の際は二枚同時に当選する。二人で二枚ずつ申し込んで、片方が外れても片方が当たれば、余りを譲ってもらえばいい。その戦略が功を奏した。勿論、僕は余った一枚を椎名に譲る。

 初夏の空気はカラッと乾いて、雲一つない青空が眩しい。

「椎名は、夏休みどっか行くの」

 もうすぐ夏休みだ。少々浮つく僕の質問に、彼女は答えた。

「別に、何も考えてないよ。今年ぐらい勉強しなきゃ」

 思わず「うっ」と僕は呻く。苦い表情を見て、椎名がけらけらと笑った。

「勉強しないと、高校行けないよ?」

 彼女が目標にしている高校は、県下で一、二を争う進学校だった。今の成績を維持できれば、十分に射程圏内らしい。それを聞いたとき、僕は素直に感心した。僕もそれなりに頑張ってはいるが、目指すのはそれよりワンランク下の高校だったからだ。現状ならば狙えるが、これから周りも部活を引退し成績を上げにかかる。油断して怠けるなよと、先日の面談で担任からは釘をさされたばかりだった。危機感の薄さを見抜かれていて、僕は素直にはいと言うしかなかった。

「なら、私がコーチングしてあげよう」

「コーチング?」

 胸を張って両腕を組み、椎名はうんうんと頷く。

「津守はきっとサボるから、私が管理してあげる」

 うへえと僕は口をへの字に曲げた。

「やだよ、監視されるなんて」

「監視じゃない、管理。コーチング」

 その場で早速、今日の夜八時にオンラインで勉強会をすることが決定した。強く出られたら嫌と言えない僕に、椎名はスマホでも使える便利な通話アプリを教える。ついでに、彼女のアカウントも。

「じゃ、帰ったらよろしく」

 別れ道でひらひら手を振って、彼女は颯爽と去っていった。椎名と距離を置くどころか、むしろ日毎に縮まっている。「全く……」なんて言いつつも、僕は少しわくわくしながら帰路を急ぐのだった。

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