お天道様は見てる レジ待ちウォッチング
いつものショッピングセンター、普段通りの買い物、いつものレジ。
手際よくにこやかに処理してくれるいつものチェッカーさん。
私の前には初老の夫婦二人が籠一杯のお買い物で会計中。
ご主人と思しき人はチェックの終わった品を投入する赤い籠をのぞき込んでいる。
そろそろ終わるな、最後の2-3品となったところだった。
その男性がおもむろに赤いかごから 何かを手に取って、チェッカーさんに言葉を掛けた。
「×××!!」
? ん?なんだって?
唐突に彼が発したぶっきら棒な物言いに、次に並んで待つわたしも思わず彼の顔と手元に目が行った。レジ係の人も処理の手を停め「は?」という顔だ。
「スプーン!!」
明らかにチェッカーさんを非難するような不機嫌な表情、怒りを含んだ強い口調で彼はもう一度、その言葉を繰り返した。
手元に見えたのは R-〇かなんか、白と赤のヨーグルト容器が1つ入ったポリ袋だった。その口を両手で広げて「さっさとここへスプーン入れろ!気がきかん奴だ!!」
と言わんばかりに、その袋をレジの方へ ぐいと突き出した。
「(あっ、はい…)」
チェッカーさんは彼の言わんとしてる事を察し、一瞬戸惑いの表情を浮かべた。そして即座に会計を中断してレジスターの下段から紙スプーンをひとつ取り出して、ポリ袋に入れた。
すると男性は「ありがとう」でもなく、怒ったような顔のまま無言でさっさとレジを離れてサッカー台の方へと進んだ。
奥さんらしき方は、それらに対して何の反応も見せず、残りの品の処理を待ってこれまた無言で支払いを済ませた。
「ありがとうございました」
二人のそんな態度にもチェッカーさんはいつも通り丁寧にお辞儀をして送りだし、次の客私の方へと向き直った。
「いらっしゃいませ (*´ω`)」
「スプーン、ください」「~して貰えますか」
人にものを頼む時の言い方くらい、ちっさなちっさな子供だって知ってるだろうに‥‥‥と、横で見ながら彼らの不遜な態度に凄いモヤモヤして不快な気分になっていたけど、彼女はいつも通り にこやかだった。
「当店のポイントカードはお持ちでしょうか?」
「あっはい、おねがいします」
こちらはなんだか、いつものやりとりでも普段以上に丁寧に、お願いの言葉が口を突いて出た。
タイヘンなお仕事だなぁと毎度頭が下がる。感謝と尊敬の想いで一杯になった。
単に虫の居所が悪かったのか、何か心的な問題、傷病等を抱えているのかわからないが。あの人はいつもあんな風に他人を見下したような不遜な態度なのかなー?
奥さんのほうも「すいません」でも「ありがとう」でもなかったしなあ。家でもあんな感じなのかな‥‥‥どんな日常をすごしているんだろうか。
偶々出くわしただけで全く余計な世話だけど、見てる方もちょっと悲しくなる一幕だった。
レジでの短いやりとり。日常のありふれた風景だからこそ、構えない・よそ行きじゃない普段のその人が浮き彫りになって見える瞬間があって、そういうのはとても興味深い。
なぜあの人は、あの時あの言動をしたのか?少ないながらも知り得た五感情報からあれこれ思いを巡らし、最後には第六感も動員して疑問に思った行動と心理の紐づけ・整理をしてみたくなる。
これは昔からの癖で、連想ゲームのようなものかもしれない 笑。
ただ、自分自身も外からはそういう風に、自分が想ってるのと全然違う尺度や角度で見られ測られているんだってことは、やっぱり忘れちゃいけないなと思う。
けどそれを意識しすぎると毎日がとても窮屈になっちゃうから、まあ、臨機応変・ほどほどを心がけつつ。
「人の振り見て我が振り直せ」もあるが、最近見ているドラマで幾度か耳にした言葉がスッと心に沁みた。
「お天道様は見てるよ」だ。
良し悪しを断じたり優劣付けたりは無いのに、どこまでもポジティブで存在や良心に対して肯定的であり、反対に厳しい戒めともなる。
人としての在り方を自身にいつも問いかける主観と客観の双方を含んだ、大きくていい言葉だなぁと改めて思うようになった。
せっかくなので、これをいつも頭の片隅に。
お守りのように置いておきたいなと思っている。