死んだ世界で穏やかに
脳から絞り出したもの。
薄っぺらい話です。
男は当てもなく船を漕ぎ続けます。
海に流されてから幾数日が経ったのでしょうか。
港に繋がれた船で寝ていたはずなのですが目を覚ますと船は海を漂っていたのです。
最初は見渡す限りの地平線に焦りを覚え死を覚悟していました。
しかし不思議と飢えや渇きを感じることはなく次第に恐怖も薄れて消えていきました。
そんな船を漕ぐ以外にやることもない毎日を過ごす男の眼に見慣れない物が映ります。
遠く地平線に浮かぶ大きな塊。
あれはもしや島なのではと寂れた心が躍ります。
男は島を目指し船を漕ぎ始めました。
近づくほど島は形を見せぼんやりと人工物のような姿も見えてきます。
それを見た体は火が灯り自然と船を漕ぐ腕に力が入りました。
そして数日が経ち、やがて男は島の目と鼻の先まで辿り着きました。
それは自然物とも人工物とも言い難い印象をうける島でした。
起伏のない白い台地にビルのような白い岩が幾つも立ち島全体を巡るように植物が生えています。
人が生活をしていたようにも見えず熱が冷めていくのを感じます。
しかし辿り着いたものは仕方ないので上陸してみることにしました。
船を泊め久しぶりの大地を踏みしめます。
その感触は土でも岩でもなく白く滑らかで少し弾力があります。
驚きつつもビル岩の方に足を進めると幾つもの人影が見えました。
人がいることにまた驚きを受け足並みは早くなります。
ただその先にいた存在は男の想像する人とは少し姿かけ離れた姿をしていたのです。
背には白い羽をもち、頭の上に光の環が浮いています。
髪形や装飾品に個性がありつつも同じ白いワンピースを着た子供です。
物語に知る天使のような恰好をした子供たちは皆バラバラに何かをして遊んでいます。
男は呆気にとられ立ち尽くしてしまいました。
もしやここは天国で自分は既に死んでしまったのだと考えます。
それならば飢えや渇きもない理由も腑に落ちるのです。
現状を受け入れるために思考を整理していると背中から声をかけられました。
「やぁ。姿も変えるとは凝ってるねぇ旅行者役さん。それなら案内役が必要じゃないかい」
男が振り向くと腰まである長い金髪に丸いサングラスが特徴の天使が笑顔で立っています。
自らを案内役と自称する天使の参上にありがたく質問します。
「とても助かります。まずお聞きしたいのですがここは天国ですか」
天使は半笑いで肩をすくませて答えました。
「変な質問だね。ここはずっと現世じゃないか」
そんな答えに男は面食らい質問を続けます。
「それなら私は死んでいないのですか」
面白い冗談を聞いたとばかりに今度はクツクツと笑いながら天使は答えます。
「君が死んでるなら私だって死んでるさ。人間の旅行者役ってことなのかい」
「いえ気づいたら海に流されていてあっちから渡ってきたのです」
「設定も細かいんだね。そこまでの役者っぷりは初めて見るよ」
どこか話が噛み合いませんが男は質問を続けます。
それに対し笑顔で答えていた天使が、ふと何か違和感に気づきます。
「あれ、何か君って天使って感じがしなくない」
サングラスを頭にかけ目を細め男を観察します。
「え、えっ。もしかしてのもしかして本物の人間なのかい」
先ほどの笑みは消え驚いた顔に変わりました。
「いや驚いたよ。まさか本当に人間だなんてね」
「よく分かりませんが誤解が解けたのなら良かったです」
どうやら天使は男を変装していた他の天使だと思っていたみたいです。
「しかしよく生き延びたね。人間というか生き物は絶滅したと思っていたさ」
「そんな、生き物の絶滅とは。この世界で一体何があったのですか」
「まぁ私達も全部分かってるわけじゃないけど順を追って説明してあげようじゃないか」
オホンと咳き込む仕草をした天使は語ります。
「まず神様がね、なんでか死んじゃってさ現世に落っこちちゃったんだよね」
「そんで神様めっちゃ大きいからさ、海に落ちたせいで海面が上っちゃって一夜で世界水没的な感じ」
淡々と話された真実はあまりにスケールが大きく実感が湧きません。
「私達天使も最初は大慌てでさ、急いで現世に降りたんだけど何も出来ることなくてさ」
やれやれとジェスチャーをとる天使。
「世界が終わるまで死ねないからさ人間の真似ごっこして遊んでるってわけなのよね」
「それは何とも、まぁ。」
何と答えてよいか言葉に詰まる男。
「ちなみにここは神様の死体の上だよ」
言葉を無くす男。
「気にしなくいていいよ。もう蘇らないみたいだしさ。」
「そう言われましても、いや、もうどう言葉にしたらいいんでしょうね」
「それに便利なんだよ神様の死体。私達くらいの力でも干渉して操作すればね」
天使が地面に手をかざすと一塊の死肉が浮かび上がり形を変えていきます。
ゆっくりと固まり色が変化しリンゴになりました。
「ほらリンゴ。植物とか岩なら何でも作れるよ。動物は無理だけどね」
手渡されたそれは形や色や匂いも確かにリンゴだった。
「人間ってお腹が減るんだろ。それほぼ確実にリンゴだから食べなよ」
「ありがとうございます。しかし何故か食欲がわかないのです」
ここに来るまでに飢えや渇きが無くなった事を伝えます。
「へぇなんだろうね。神様が死んだのに君は生きてるからルールが変わっちゃったのかな」
「分かりません。しかし私はもう人間じゃないのでしょうか」
「さぁね。なんであれ君は君だろ。それでいいじゃないか」
そんな話をしていると白いヒゲをつけた癖毛で緑髪の天使が近寄ってきました。
「そのリンゴ食べないなら頂いてもよろしいかね」
唐突な申し出に困惑しながら手渡すと癖毛の天使はその場で一口齧ります。
「おぉこのリンゴはなんと素晴らしい味か。すごく素晴らしくて素晴らしい味がするぞ」
少ない語彙でリンゴの味を褒め始めました。
「彼女は料理評論家役をしている天使だね」
「そんなに美味しいリンゴだったのでしょうか」
「いや私達は味は分かっても美味しいかどうかはわからないよ」
「では彼女は何を褒めているのですか」
「さぁね。雰囲気で語ってるだけだよ。そこらの草を食べても同じ反応をするさ」
見ていると今度は石ころをなめ転がし評論をしています。
「とても自由なごっこ遊びなんですね」
「真似っこは出来るけど本質は分かんないよ。理解出来ないし理解しようともしない」
少し物憂げな顔をして天使は微笑みます。
「それでも私達は楽しいからそれでいいのさ」
「本当に行くのかい」
日は沈み始め空は茜色に染まります。
二人の歩いた先には主人のいない船が揺れています。
「何もない海よりここで一緒に暮らすほうがいいんじゃないかい」
男は答えました。
「私は海で彷徨う人間ごっこをしようと思うのです」
天使は呆気にとられ目を丸くします。
「へぇどうしてそんなことをしようと思ったんだい」
「わかりません。ただなんとなく海を漂っていたいからですかね」
次第に天使はクツクツと笑い始め陸から飛び出し船に乗り込みました。
「それなら案内役も必要でしょ。案内できる場所なんてないけどね」
「はい。きっとそうですね」
ロープを緩め船は陸を離れます。
男は船を漕ぎ、天使は見知らぬ案内を語ります。
やがて神の死体は見えなくなりました。
風は死に波も静かに。
死んだ世界でも日は落ち夜また夜と世界はまわり続けます。
そして見渡す限り地平線の海でも船が進みます。
「さて、気分も良いし一曲引きますかね」
どこからか持ってきた麦わら帽子をかぶりウクレレを持つ天使。
「ら、ら、らーーーー。へいへい。いぇーい」
チャンクチャンカと旋律もなく気持ちの良い音だけを鳴らしています。
意味を持たない唄も歌います。
いつか唐突に世界の崩壊が訪れるかもしれません。
それでも今はただこの歌を聞いていたいのです。