號の節・幕間
まえがき
エピローグ編です。
號の章 幕間
Side Shou & Others
山間部の小さな町、院州。その片隅に立つ観光ホテル跡は、夜の帳のなかで、一見、いつもと変わらないひっそりとした陰を闇に浮かべている。
だが、猫のように眼のいい者や、勘の鋭い者には、暗闇のなかで音もなく動き回る何人もの人影が見えるだろう。
衆の処理班だ。チャクラメイト会員達の車輛が大量に残されているため、彼らにとって、今回はかなり手間のかかる案件となる。
イルマが率いて突入するはずだった実働班は、事態がすでに終息していたため、付近を調査したり、規制線を張るための少数を残して解散していた。
三田衣代以下、儀式参加者全員の死亡が確認されたこともあって、医療班もほとんどが遺体を持ち帰るだけで終わった。いまは民間救急車そっくりの医療用車輛が二台、残っているだけだ。
その片方の車内では、班員用のサイドシートに座って項垂れた翔に、凰鵡と朱璃が寄り添っていた。
朱璃は本来、零子の検視に同行する予定だったものの、死骸や肉片の飛び散る惨状とあって、今回ばかりはと凰鵡達の付き添いに回されてしまった次第である。早い話が待機だ。不服ではあるが、また吐いてしまったら今度は現場保存の原則にも障る。翔達が心配なのも事実なので、命令に従うことにした。
翔の身をもっとも案じていたはずの紫藤の姿はない。ホテル内の調査に加わっているのだが、いちばんの理由は、その翔との確執のせいだ。
(翔、叔父さんのこと嫌いになっちゃったかな……)
さきほどのふたりの遣り取りが、凰鵡を不安にさせる。
大鳥が撃たれたあと、紫藤は呆然とする翔の横にならんで、義兄の遺体に目を伏せた。
「なんで、おじさん……なんで……?」
問い詰める翔の声は震えていた。
「こんなことを、お前がやる必要はない」
「違う! オレがやるべきだった!」
「分かった口を聞くな!」
翔も、凰鵡もたじろいだ。
それまでずっと穏やかだった紫藤の、はじめての怒号だった。
「すまない。あってはいけないんだ……親が子に、自分を殺させるなんて」
「……遅いよ」
「なに?」
「オレはもう、一回やっちまったんだ! 親父の頭を撃った──一回殺したんだ!」
翔は銃を床に叩きつけ、両手で叔父の襟を掴んだ。
そして胸板に額をぶつけて、大声で泣いた。
あれから、翔は叔父に、ひと言も口を聞いていない。
「凰鵡」
「え? うんッ」
不意に名を呼ばれて、反応に遅れた。
「さっき、言いそびれたンだけどよ……」
無理して絞り出したような、かすれた声。
「今回は、最初から〝凰鵡〟って名乗ってくれて、ありがとな」
不意打ちだった。
(ずるいや……)
ぐッ、と凰鵡の眼に熱いものが押し寄せ、こらえる間もなく、溢れ出した。
「うん……うん、ボクも、翔がボクのこと思い出してくれて嬉しい」
しと、しと、と雨粒のように顎から涙が滴る。
この任務のあいだ、心の底でずっと願っていたことが起こったのだ。
「ホントはずっと、ずっと思い出して欲しかった。駄目だけど、翔にまた逢えて、嬉しくて……だから」
涙腺と一緒に決壊した心の堤防が、言葉の洪水を起こす。たちまち頭の中で濁流になって、うやむやのまま、翔の肩に縋りついた。
今度は、凰鵡が泣く番だった。
「前も泣いてたな。お前、ホント泣き虫だな」
凰鵡の背中を撫でる翔の眼も、車内の小さな光をかすかに揺らしている。
「朱璃ちゃん」
「え?」
ふたりを見守っていた朱璃も、まさか呼ばれるとは思わず、一瞬唖然とする(しかも〝ちゃん〟付けだ)。
「オレ、衆に入る。おじさん過保護だから反対されそうだけど、絶対に諦めないつもり」
「翔くん……」
「入れても、オレは凰鵡とかと違って、なんも経験ないから、しばらくは迷惑掛けると思う。ごめんなさいって、今のうちに謝っとくわ」
「もう」
血は争えないな、と朱璃は思った。
飄々としていて、懐が深くて、自嘲的。ちょっと図々しいところも、本当に、よく似ている。
「翔なら、大丈夫だよ」
グシャグシャに濡れた顔で、凰鵡が後押しした。
「ボクと一緒に、もうふたつも、事件をくぐり抜けたもん」
「その最初の事件の話、私知らないんだけど。あとで詳しく聴かせてもらっていい?」
「うん!」
凰鵡は誇らしげにうなずき、翔はどこか照れくさそうに溜め息をついた。
「じゃぁオレ、おじさんとこ行ってくるわ」
「いま忙しいんじゃない? あとにしたら?」
「善は急げ。とくに意思表明は先手必勝」
そう言うと、リアドアを開けて行ってしまった──ちゃっかり車内から懐中電灯を拝借して。
ドアのガラス窓から、朱璃はそっと外をうかがう。翔の点した電灯が、ホテルの中へと入ってゆく。
(大鳥翔くん、か)
その名を思い浮かべるたびに、モヤモヤとした想いが、朱璃の心を苛む。
「朱璃さん」
凰鵡の声に振り向く。
「翔、大丈夫かな」
ついさっき本人に言ったことと真逆のように聞こえるが、違った。
「その……無理してるみたいで」
「うん、そうね……私も、ちょっと心配」
自分達が支えになれればいいが……と、朱璃は心のなかで付け加える。
その思いに偽りはない。
けれども、翔という人間を好きになりきれない自分もいる。
それが、凰鵡を巡る嫉妬から来るものだというのは、認めざるを得なかった。
「あんた最近、人使い荒いわよ。零子さんに似た?」
別の医療用車輛なかでは、維がぼやいていた。
ストレッチャーに腰掛け、両腕を前に出している。
向かいのサイドシートには顕醒が座り、眼を瞑って維の手に触れていた。内功による治癒だ。
表面からは見えないが、凝縮された顕醒の気を宿した影響で、維の両腕はボロボロになっていた。
「まぁ、それでもあんたがいちばん荒く使うのって、いつも自分なんだけどさ」
無表情に隠された疲労が維には見える。強大な呪物と化した妖種を長時間抑え込んだのだ。いくら気そのものが意思の産物で、無尽蔵に近かったとしても、それを練り続けるための集中力や精神力は、体力と同じように有限である。
そして、その精神力も、体力も、顕醒は大きく消耗させていた。
「あの子にも見せちゃったしさ……鬼不動を」
鬼──凰鵡を困惑させた、あの悪鬼のような闘い方こそ、顕醒がそう渾名される由縁だった。
殺気、憤怒、憎悪……害意を剥き出しにして敵にぶつける闇の念法。そして、凰鵡を拾ってからのこの十数年間、顕醒が封印してきた姿でもあった。
妖胎児の注意を引くためとはいえ、それをあえて甦らせた顕醒の心中は、維にも簡単には見通せない。
ただ分かるのは、今回の一件で、顕醒はまた凰鵡に新たな力をつけさせようとしたことだ。
げんに、凰鵡は倶利伽羅竜王を空間転移させて呼び寄せることに成功した。
最初に聞いたときは信じられなかった。
それは、顕醒にすら出来ない技なのだ。
「それにしたって、賭けが過ぎるわよ。もっと自分を大事にしなさいよバカタレ」
凰鵡を導く一方で、顕醒はその試練のために、多くの者を利用した。
少なくとも自分と、イルマと、天風鳴夜……それに妖胎児。そして恐らく(助けられない、と踏んだ時点で)大鳥拓馬をも…………
そのことで顕醒を責めようとは思わない。白浪の件では振り回してしまったし、凰鵡に関しては自分も分かっていて協力しているところがある。
そうでもしなければ、顕醒という強大すぎる父のもとで、凰鵡はいつまで経っても羽ばたけない雛になってしまう。それが維には、たまらなく怖いのだ。
「前にアタシ、凰鵡が昔のあんたにダブるって言ったっけ。撤回するわ」
あいづちひとつ帰ってこないが、維は話し続けた。
「あの子が似てるのは、むしろ今のあんたね。優しすぎて、たくさんの人を助けようとするけど、肝心の自分のことを忘れちゃう」
維の手が、顕醒の手を握る。
「自分みたいにならないか、心配なんでしょ。大丈夫よ。昔のあんたの隣にアタシはいなかったけど、あの子の隣には、あの子を好きになってくれるいい子達が集まってるわ。モテすぎないか、ちょっと心配だけどね」
そう言って維は身を乗り出し、モアイ像のように動かない顕醒にキスをした。
ぎゅっ、と腹の奥がうずく。
食欲もだが、肉欲が激しく燃えあがっている。
無性に生を感じたい。多くの死を目の当たりにしたあとは、よくこうなる。
それでも、自分の胎は、命をはぐくめない。
八つ当たりのように、顕醒の胸に額を押しつけた。
「蟲を呑まされそうになったとき……アタシ、正直、迷ったわ。呑めば、子供が産める体に戻れるって言われて」
レスポンスはない。維はそのまま続けた。
「子供……欲しいわ。もちろんあんたのね。アタシが母親なんて、何もかもおかしすぎて笑っちゃうけど。けどね……理屈じゃないのよね」
そのとき、リアドアが外から開けられた。
イルマだった。
「……ごめん。時をあらためよう」
「かまわん」
車に入ってから、初めて顕醒が発した言葉だった。
「あ、そう。チャクラメイトの本部以来、訊きたかったことがある……」
維から送られてくる中指サインを黙殺しつつ、イルマは続ける。
「まず、あいつからは何の匂いも感じなかった。素体にされていた女の子の匂いもだ。言い訳みたいだけど、まともに待ち伏せを受けた理由がこれ」
顕醒がうなずく。
「ふたつめ。金花蛍さんの頭から生きた蟲が採取できたから、ボクの作った殺妖蟲剤を試してみた。結果は、効果無し」
「はぁ?」
維が頓狂な声を上げた。そのアロマで鳴夜がぐずぐずに融けてゆくのは、たしかに確認している。
「つまり、あれから耐性が付いたか、あれ自体が彼の演技だった可能性すらある」
「んな……⁈」
「擬死能力を持ってる種もいるけど、あいつのは死んだふりなんてレベルじゃない。それに僕の観点から言えば、匂いがしないというのは存在しないのと同じだ」
ふぅ、とイルマは甘い香りの漂ってくる溜息を吐いた。
「みっつめ。調べろって言ってたこの町の駐在さんだけど、行方が分からない。町の人が言うには、今日の昼から駐在所を留守にしてるらしい」
維が苦い顔で舌打ちした。
「顕醒、できればイェスかノーで、きみの見解を聴きたい」
イルマが身を乗り出してくる。
「──天風鳴夜はヒトじゃないだろう。けど本当に、妖種なのかい?」
維も驚いた顔で顕醒を見つめる。
だが、ふたりが期待した答えは、返ってこなかった。
「現時点では、判らない」
*
終業のチャイムが鳴った。
校舎から、バラバラと生徒達が吐き出されてゆく。
「大鳥ーぃ、オレらシャンゼ行くけど、お前もどう?」
グループを作っていた男子生徒達が、通りがかった翔に、寄り道の誘いを掛ける。
「わりぃ、先約があってな」
「なんだよぉ、女?」
「おいッ」
別のひとりが、友人の失言を諫める。
ふと、翔が目を泳がせて、顔色を変えた。
「あ、すまん」
「気にすんな。じゃぁ、またな」
すんなりと受け流して、翔は学友達に背を向けた。
「……しょうがないけど、あいつ、雰囲気変わったな。付き合い悪いっていうか、人と距離取るようになったっていうか」
「周りも取るようになっちまったの、あるよな。花脊はともかく、あいつに近いやつ、一年で三人も死んだし」
「え、肇と金花と、だれ?」
「お父さんも亡くなったらしい。金花ンとこの、例の集団自殺に巻き込まれて。潜入捜査の最中だったとか」
「まじかよ。そりゃ、死神扱いしてる奴も出るわな」
翔への噂話が熱を帯びてゆく。
校舎の外壁にもたれかかってそれを聞いていた凰鵡は、ムッと顔をしかめて、翔の背を追った。
塀を跳び越えて、門を出たばかりの翔の隣に並ぶ。その姿は誰にも見えていない──ただひとりを除いて。
「待ち伏せすんなよ……ビビったじゃねぇか」
「へへ、ごめん」
囁き声で言葉を交わす。視線も、前を向いたままだ。
「昨日から任務じゃなかったのかよ?」
「今朝には終わったよ。大きな問題はなかった。だから今日は翔のお迎え」
ヒュゥ、と翔が口笛を吹く。
「闘者さま直々にお迎えなんて、VIP待遇だなオレ」
「いいの。ボクが好きでやってるの。このまま行っちゃう?」
「や、さすがに一回帰らせてくれ」
そのまま、ふたりで家路を辿る。
残暑はようやくやわらぎ、せっかちな木の葉は色を変えはじめている。
(秋だ……)
一年前、今のように並んで、この道を逆に辿った日のことを、どちらともなく思い出す。
あのときは、季節のことなど気にも留めなかった。
「鞄とか置くだけだから、すぐ戻る」
玄関先で凰鵡を待たせる。
多くの犠牲者を出したチャクラメイト事件から一ヶ月……翔は今も、もとの家で暮らしていた。後見人となった叔父が、財産の管理をしてくれている。
それでも、生まれ育ったこの場所と別れる日が近づいているのを、翔は理解していた。そのときのために荷物整理も進めている。自室からも、少しずつ物が減っていた。
(じゃ、行ってくるわ)
勉強机に置いた蛍の写真に、心でそっと呟く。結局、彼女の頭は調査対象として扱われたすえに、焼却された。骨も残らなかった。金花家の墓には、家族三人揃って名前しか入れられていない。
「おまたせ」
「うん。それじゃ、行こっか」
「ん、おう……」
家の軒先で、凰鵡が翔を抱きかかえた。
そして、軽々と跳びあがった。
支部直行の〝お迎え〟である。
事件が処理されたのち、翔は訓練生として衆への参入を認められた。今ではバイトを辞めた代わりに、毎日のように支部でトレーニングを受けている。
翔の参入について、案の定、紫藤は難色を示した。だが、甥が自力で記憶を取り戻したことを知らされるや、覚悟を決めたように、指南役を名乗り出た。
ふたりは叔父と甥であると同時に、師弟にもなったのだ。
「──ぅわっ!」
ビルの屋上からの落下に、翔は思わず声を上げる。
凰鵡を信じてないわけではないが、さすがにまだ怖い。
「えー、まだ慣れないの?」
凰鵡がからかう。|わざと(、、、)だったらしい。
「先輩ヅラしやがって! 今に見てろよ!」
参入してまだ一ヶ月弱。もともと一般人同然だった翔には、闘者の基礎とされる駿足の術《雲脚》すら修得できていない。凰鵡や叔父がお迎えに来られない日は電車通いだ。
「だってボクのほうが先輩だもの」
「凰鵡先輩!」
「うわなんかムズムズする! その呼び方なしで!」
凰鵡と一緒にいられるのは嬉しい。
だが、こうして護られるように抱きかかえられている状況は別だ。
正直、悔しいし、恥ずかしい。
凰鵡と並んで走る──それが、今の翔の目標なのだ。
最後までお読みくださり、まことにありがとうございます。
また、いずれかの話でお遭いしましょう(^_^)ノシ




