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渇の節・誕生 其之四『神子は果つ』

まえがき


 この回をもって一応、事件は解決します。



 

   神子(みこ)()

     Side Ormu & Shou



 閃光とともに、凰鵡は倶利伽羅竜王を手にした。

 竜の顎が、一メートルはあろう刃を吐き出す。

 まだ足りない。あの恐るべき相手を討ち果たすだけの力が必要だ。

 違う──凰鵡はその考えを、即座に否定した。

 もとはといえば、あの妖種は生まれ得なかった子供達。鳴夜に、そして大人達に操られ、道具にされた無念の魂の結晶だ。

 それを、力でねじ伏せることなど、自分には出来ない。


(だから……ボクの願いは──‼)


 (おも)いを剣に伝える。その強さが、光の勢いを増す。


「すッげ……!」


 翔の視線が上がってゆく。

 ステージから天へと高く伸びた竜王の光は、三メートルにも達していた。


「翔、離れてて」


 その言葉にうなずいて、翔は手を放した。

 もう大丈夫という確信が互いにあった。

 凰鵡は倶利伽羅竜王を上段に構えたまま、両手でしっかりと握りしめる。

 だが、その先を許さぬ者がいた。


「──ッ⁈」


 舞台下から飛び込んできた人影──神室詠利賀だった。大鳥に吹き飛ばされたはずの頭は、ない。


「ちぃ!」


 すかさず大鳥が割り込み、左手の爪で神室を串刺しにする。

 だが、刺し口から湧き出した蟲の大群が、その腕を食い荒らしてゆく。


「親父!」

「大鳥さん⁈」


 凰鵡の気が逸れ、刃の勢いが衰える。


「姫はオレに構うな! 翔、オレの右手から──!」


 吼えるように大鳥が叫ぶ。


「凰鵡ッ!」


 翔が父へと走った。

 一瞬、視線が繋がり、凰鵡の迷いとともに切れる。


(大鳥さん……翔、信じてる! だから、ボクはボクのやるべきことを──!)


 剣がふたたび、光をみなぎらせる。

 さらに、さらに、凰鵡は念いを籠め続けた。


「右手から、銃を引っこ抜け!」


 父親の右側に回った瞬間、翔はハッとなった。

 大鳥はまだ、蛍の頭を抱えていた。右手と一体化した銃を使わなかったのは、このためなのか。


「引っこ抜くって──」

「引きゃいいんだよ!」

「──ンなろぅがぁッ!」


 やぶれかぶれに父の手首を掴んで、剣を鞘から抜くように引っ張る。


「うッ!」


 翔は吐き気をこらえた。

 本当に抜刀したかのように、異形化した手首がスッポリと抜けた。骨や肉だったものが一緒になっていて、ご丁寧にも銃把(グリップ)引金(トリガー)に変異している。人体で作った大型拳銃だ。


「さっさと撃て!」

「ッ──そがぁ‼」


 グロテスクな銃を神室へ向け、罵声とともに弾丸をばら撒いた。


「たあぁぁ──ッ‼」


 図らずも、それと同時に凰鵡の剣が振り下ろされた。刹那、光の刃はさらに伸び、十メートルを軽く超えて、妖胎児を直撃した。



(……えッ?)


 凰鵡の視界が、闇に包まれた。

 寒い──果てしなく虚ろで、孤独な世界だった。

 以前、朱璃を助けるために入った精神世界とは、まるで様相が違う。

 あのときと同じように、凰鵡は倶利伽羅竜王に、自分の心を妖胎児のなかに送るよう願った。

 奴の──否、彼らの魂を真に救うためには、その無念を解かなければならない。そう確信してのことだった。

 そしてそれは、今度も成功するはずだった。


 ざわ……ざわ…………

 暗闇が、凰鵡を刺す。


(痛い……! いやだ……痛い……寒いよ……!)


 その針が、徐々に、意識の奥深くへと食い込んでくる。

 自分が、食い尽くされてゆく。


(やだ……いやだ、死にたくない……誰か……)


 痛みと寒さのなかで、凰鵡はハッとなった。

 これが、彼らの心なのだ。

 鳴夜の言葉に反して、妖胎児のなかにあったのは、怨みでも憎しみでもなかった。

 彼らにあったのは、純然な「生きたい」という渇望だった。

 なにも知らぬ赤子に、他者を呪うことなど出来るはずもなかった。怨念も、憎悪も、彼らを呪物にしたてた者達が植え憑けた寄生虫でしかない。


(ごめん……ごめんなさい……)


 肉体を持たない心で、凰鵡は泣く。

 つらかった──彼らが生きられなかったことも、自分のおこがましさも、何もかもが。

 この何百、何千という生への飢えを救おうなどと思った己の傲慢を呪った。

 自分もまた、実の親に捨てられた身だ。だから彼らの気持ちは解ると、安易にそう思ってしまった。


 だが自分には、顕醒がいる。兄であり、父であり、師であり……そして、この苦しい胸を(さら)け出して身を任せたいと願う、愛しい人。


(つらい……よ……)


 そのつらさは、ここにいる彼らからすれば、なんと贅沢な悩みだろう。

 恵まれた自分が、何も得られなかった彼らに、一体なにができる。

 せめて……せめて彼らに、あげられるものがあるとすれば、この心を、魂を、想い出を差し出して──彼らとひとつになって──わずかばかりの生の実感を別け与えることしか────


「鸞──‼」

(──翔‼)


 激しい波が、凰鵡を吸い込むように闇から分離した。

 針の抜けた意識に、束の間だが、楽しかった翔との記憶がよみがえる。

 そしてまた、朱璃と心を繋げたこと、維からもらった優しさ、顕醒への秘めた想い……零子、大鳥、タヌキ先生……みんなとの想い出と、これからも一緒にいたいという気持ちが次々に湧いてくる。


(ごめん……ボクは……)


 存在しない両手に、念を籠める。

 拳のなかに倶利伽羅竜王が現れた。


(みんなと一緒には、なれない。けれど────!)


 竜の顎が、閃光を放った。



「あ……ッ」


 小さく喘いで、凰鵡は膝を突いた。

 身体じゅうから汗が噴き出る。何分間も息を塞がれていたような気分だ。

 前にも、朱璃を救うために妖種の精神に入ったことがあるが、あの時とは目覚め方がまるで違う。向こうの精神に取り込まれかけた、その影響だろうか。


「……ん……! 凰鵡……! 大丈夫かッ⁈」


 濃霧のような無音の彼方から、翔の声が駆け寄ってくる。


「うん。え、翔……?」


 ハッと意識が覚醒し、困惑する。

 一瞬、こっちでも「鸞」と呼ばれたように錯覚した。


 ──アアアゥゥゥゥゥワァアアアアアア──


 心を搔きむしるような叫びがホールに満ちた。

 妖胎児の姿が歪んでいた。

 体から出した怪光に吸い込まれていた。

 そして、本体が消えてゆくに連れて、光もまた弱まってゆく。


「どうなって……?」


 なにひとつ理解できないうちに、事態は終わりを告げた。

 妖胎児も、その悲鳴も、光も、すべてが一点に収束して、虚無へと消えた。


「異界への門に、みずから落ちた」


 驚いて横を見ると、いつの間にか兄と維がそこにいた。


「異界の門……」


 以前、翔を巻き込んでしまった事件を思い出す。


「前に、オレを狙った奴みたいなのですか?」


 凰鵡の呼吸が止まった。

 眼球一面に『信じられない!』と書いたような大きな目で、友の顔を見上げる。

 維も驚いた顔をしてフュゥッと下手な口笛を吹いた。


「翔……記憶が……⁈」

「おかげさまで」


 口もとだけで皮肉っぽく笑い、翔は自分の頭をグリグリと揉む。


「きみが関わった妖種とは別種のものだ」


 顕醒が話をもとに戻した。


「創造された限定的な空間ではなく、ここと同じような、だが異なる世界だ。あの呪物化した胎児を媒介にして、そこへの扉を開くことが、天風の目的だったらしい」

「──ッ! 天風は⁈」


 大鳥父子が食い止めてくれた首無し神室のことを思い出して、凰鵡はあたりを見渡す。


「ここだ」


 ステージ下からの声に、身を乗り出して覗き込む。壇に背を預けて、大鳥が座り込んでいた。


「親父、体……大丈夫か?」


 翔が舞台から降り、父親の前に片膝を突く。


「そう見えるかよ」

「ぜんぜん」


 頭には銃創。首から下はほぼ異形化。蛍を抱えた右腕の手首から先は、今も床に転がっている。左腕はさらにひどく、肘まで蟲に食われてボロボロだ。

 じつのところ、神室にとどめを刺したのは大鳥親子ではなく、凰鵡が妖胎児を斬った瞬間に飛んできた顕醒の気弾だった。そうでなければ、腕のみならず、首までやられていただろう。


「この子……」


 小脇に抱えっぱなしの少女を息子に返す。

 翔はなにも言わず、蛍の生首を受け取った。


「お前が彼女つくってたとは恐れ入ったが……すまねぇな、俺には、なにもしてやれなかった」


 父の謝罪に、翔は首を横に振る。

 同じだった。蛍には、自分からも謝りたいことだらけだ。


「弔ってやりてぇだろうが、この子にも蟲が憑いてる。いずれ化け物になるかもしれん。衆の研究対象になるのは、分かってやってくれ」


 ぎ……と奥歯を噛みしめて、翔はうなずく。


「じゃ、アタシがいったん預からせてもらっていいかしら? 蟲には耐性があるみたいだし、何かあっても対処しやすいから」

「……うん、頼む」


 差し出された両手に、蛍を委ねる。

 名前しか知らない少女の頭を、維は大事そうに(まるで、赤ん坊にそうするように)胸の前で抱えた。


「兄さん、医療班は……衆の応援は?」


 顕醒のほうを見ずに、凰鵡は訊ねた。


「こちらに向かっている」

「そうですか。ひとまず、終わったんですね」


 凰鵡は舞台の縁に座り込んだ。虚脱感が体を包んでいた。

 前回の事件のような達成感は、微塵もない。

 金花蛍は助けられなかった。見たことのないくらい、たくさんの人が死んだ。妖胎児の無念も救えなかった。

 狂気すら感じた兄の姿。大鳥の変貌。そして鳴夜の──人々が望んでこの惨事に加担したという──言葉。

 世界は決して優しくはない。それは知っているつもりだった。

 だが自分の周りだけは、という思いが崩れつつあるのを、凰鵡は認めたくなかった。


 ただ、翔が記憶を取り戻したのは、唯一の嬉しい誤算だった。衆の記憶消去は催眠術に近く、消された者が自力で回復するのは困難を極める。

 やはり、翔はなにか特別なのだろうか。

 それとも、いつか「また逢いたい」と願った自分の心が通じたのだろうか。


(でも…………)


 やはり、また消されてしまうのだろう。それが、翔に課せられた宿命なのだ。


(朱璃さん……)


 自分のもとに唯一、残ってくれている友達。いまは、ひたすら彼女に逢いたいと思った。彼女だけは変わらないはずだと、信じたかった。


「まだだ」


 物思いにふける凰鵡の、束の間の平穏を、大鳥が破った。


「あの蟲野郎は、まだ死んじゃいねえ」


 場に緊張が甦った。顕醒以外の三人は揃って辺りを見回す。


「……そんな」


 凰鵡は身を震わせた。漠然とだが、倒した、と思っていたのだ。


「ここにはいねえが、生きてるのが、俺にはわかる。この町の駐在を調べろ。拳銃の出どころはたぶんそこだ」

「オッサン、あんた……」


 維がまっさきに何かを察した。


「二年前、三田は旦那とその両親から虐待されてた。何人も流産したあげく、最後には、誰も気づかない間に、死んだ子供が胎のなかに留まっちまった。奴はそれを嗅ぎつけて、この儀式を計画したんだ」


 凰鵡は鳴夜に言われたことを思い出した──ことのはじめから、あれは三田のなかにいた。

 母親のなかで赤子が呪物化する。そんなことがあるのだろうか。嘘だと思いたかった。


「心を病んだ三田を支えるフリをしながら、腹にいる子は神の子だと信じさせ、健康セミナーの皮を被った一種のカルト教団を創らせた。金じゃなく、赤ん坊を搾取するやつをな。儀式の途中までは三田会長もご存じだったよ。天風が三田を利用していただけでなく、三田も自分の子供のために大勢を食い物にしてたってわけさ」


 そこまで言うと、大鳥は後頭部をガンガンと壇に打ち付ける。


「親父⁈ おい、なにして……」


 不安がる息子を無視して、大鳥は言葉を繋ぐ。


「邪願塔……たぶん、あれも最終的には、蓄えた呪力で今度と同じことをするつもりだったんだろう。信じられんが、その最中にも、神室詠利賀としての奴の活動に穴はなかった」

「そうまでして──」


 顕醒が言った。


「奴が異界門を開こうとする理由は?」

「……わからん。俺にコピーされた奴の記憶は断片的なものだ。計画を止めた俺らへの、ご褒美のつもりなんだろ……ッたく。タバコあるか?」


 誰も持っていない。

 はぁ、と大鳥は弱々しい溜め息を吐く。


「気をつけろ。奴は自分で言ってるほど気分屋の愉快犯じゃない。一年半の間、俺らみたいな連中にバレないよう密かに足場を固めて、この半年……いや三日で、一気に勝負をかけてきやがった」

「親父、もういいだろ、休めよ。すぐに医者が来るって。それからでも」

「無駄だ……」


 息子の希望を遮るように、大鳥は声を振り絞る。


「どういう──」

「謎解きは終わりだ……あとは、お姫様が直接聞いてるか、零子か顕醒あたりが察してるだろう。翔……」

「あ?」

「それを取れ」


 足下に転がっている骨と肉の銃を、アゴで示す。


「これを、どうすんだ?」


 翔はしぶしぶ銃を拾う──とくに考えず、銃把(グリップ)を握って。


「……うぐッ!」


 大鳥が呻いた。ちぎれた左肘の先から、触手のような長い五本指が生えた。


「おいッ、何し──て⁈」


 驚く翔の右手が、その触手に掴まれた。

 そして、握った銃の先端は、父親の眉間に当てられていた。


「俺を殺せ」


 翔は絶句する。

 凰鵡も息を忘れて目を(みは)った。


「オッサン、なにも自分の子供に──!」


 維が前に出ようとしたが、顕醒がその肩を掴んで止めた。


「……なんで……」


 翔が震える声で問う。


「あ? さっき思いっきりドタマぶち抜いたろが。あれと同じだ」

「もとに戻ったんじゃねぇのかよ⁈」

「ンな簡単にいくか。あれで前哨基地破壊。いままた俺の脳ミソに鋭意再侵攻中だよ。ぶっちゃけ……あとちょっとで、おれはもとの操り人形だ」

「そんな──」


 凰鵡が悲痛な声を上げる。


「兄さん! 兄さんの内功で、なんとか出来ないんですか⁈」


 だが、顕醒は黙って首を横に振るだけだった。


「……ッなら……ボクが、せめて!」


 息を詰まらせながら、凰鵡は倶利伽羅竜王を握る。


「姫、こいつにやらせてくれ。頼む」

「でも翔は──」

「翔の記憶はもう消せねぇ」

「え?」

「こいつ、自力で破りやがった。こうなったらもう効き目がねぇし、志歩も諦めるしかねえな。あの世で怒鳴られても、言い訳がつく」


 志歩──翔にとっては、久しぶりに父の口から聞く母の名だ。息子には衆と関わりのない人生を送って欲しいという彼女の遺言に、自分は前回も抗った。そして、記憶消去の術に敗れた。

 そう、自分は衆に入ることを望んだ。それも、凰鵡と一緒にいたいという、笑えないほど浮ついた動機で。

 だとしたら、これは、そんな甘い考えを吹き飛ばすための…………


「入団テストのつもりかよ」

「イェス」


 ほくそ笑む大鳥の目は、半分以上閉じてしまっている。意識が蝕まれているのだろう。

 それでも、もとからよく回る口で、なんとか言葉を紡いでいる。


「綺麗事なんか……ねぇと思えよ。ここにいる奴らも……お前が見えてるよりずっと、ズタボロんなって、生きてきたんだ」


 はぁ、と大きな溜め息を吐く。


「そろそろやばい。とッとと楽にしろ、このバカ息子」


 目に見えて声量が下がっている。

 もの言わぬ人形になるそのときが近づいているのが、翔にも分かる。


「言い残すことは?」


 少し、沈黙があった。


「…………いろいろ、すまん。愛してるぞ」


 それが大鳥拓馬の、精一杯振り絞った最期の声だった。


「オーケー、クソ……オヤジッ」


 翔は息を詰まらせ、瞳を震わせ、右手に力を込める────


「ッ⁈」


 大鳥の額が四散した。

 遅れて、銃声が背後から聞こえた。

 全員の視線がホールの奥に──顕醒の開けた壁に──集中する。


「…………おじさん?」


 硝煙の立ちのぼる拳銃を握って、紫藤がそこにいた。



 

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