渴の節・誕生 其之参『希人は挫き』
まえがき
ちょっとキャラが入り乱れてややこしいかもしれません。
小説の持ち味を殺したかなぁという気もしますが、これ以上の展開を思いつきませんでした。
稀人は挫き
Side Ormu & Shou
「兄……さん……?」
凰鵡はとまどう。
心の底から願っていた救援──それも、世界でもっとも頼りにしている兄の参上だ。
だが、そのことに、素直に喜べない。
なにかが、いつもの兄と違う。
──アアア──
妖胎児が、その進路を顕醒に変えて、動き出した。
──ぁああ──やっと──たすけて──
それから逃れようと、異形化した男達が穴に殺到する。
が、彼らはことごとく血肉の欠片と化した──妖胎児ではなく、顕醒の手によって。
(うそ……)
目の前で起こったことが、凰鵡には信じられない。
顕醒は、その強さの代名詞とも言うべき《気弾》も、《内破》も使わなかった。
ただ自分の拳と脚で、男達をバラバラにしたのだ。
──ひ、人殺し──ちくしょぉぉオオ──ぶっ殺せェェェ──
ヒトの姿を保っていた者達も、いっせいに蟲人間と化した。巨大な胎児の化け物よりは倒せるだろうと踏んだか、それとも、それが彼らにとって生き延びるための最後の希望であるのか、出口を塞ぐ邪魔者へと全員で襲い掛かる。
そして、楽観も希望も、砕け散った。
血の雨が降り、肉の嵐が吹いた。
向かってくる異形の群れを、顕醒は眉ひとつ動かさず、淡々と、だが容赦なく叩き潰し、斬り捨て、引き裂いていった。
「兄さん、なんで⁈ その人達はまだ……きっと……ッ!」
問い詰めようとして、凰鵡は逆に言葉を詰まらせる。
いま生き残っている者達は、まだ精神が侵されきっていないはずだ。蟲を切除すれば助けられるかもしれない。
だが、それを強く言い切れない。
こいつらは共犯だ。自業自縛だ。兄に殺されてしまえ──彼らを許せない気持ちが、助けたいという思いに勝っていた。
その一方で、彼らを助けられない自分自身のことをも、凰鵡は許せなくなる。
ぐしゃぐしゃになる心はやがて、捌け口を求めるように、視線の先で繰り広げられる兄の殺戮に集中してゆく。
だが注視すればするほど、なにも言葉が出てこなくなる。
(兄さん……なんで……)
恐ろしかった。兄がたまらなく怖かった。武骨だが優しい、顕醒という人間の面影はどこにもなかった。慣れていたはずの無表情さが、いまは冷酷さの現れに見える。
「ふ……ふふ……」
神室詠利賀が嗤っていた。
それに気付いたとき、凰鵡の哀しみと苦しみは、怒りとなって、すべての元凶に向けられた。
「お前……! 兄さんに何をした⁈」
蟲で他者を支配する妖種と、様子のおかしい兄。凰鵡が疑うのも無理はない。
だが────
「なにも」
あっさりと否定された。
「嘘だ!」
「ほんとうに、そう思いますか?」
にやり……天使のような貌に邪悪な笑みを浮かべて、神室は顕醒を指差す。
奇しくもその瞬間、萎縮する弟にトドメを刺すかのように、顕醒は最後の蟲人間の頭を踏み砕いた。
死屍累々。チャクラメイトのメンバーは消え去り、狂宴の会場に、一瞬の静寂が訪れる。
と、妖胎児の手が、いっせいに顕醒へと襲いかかった。
そして顕醒もまた、その群れのなかに、みずから突撃した。次々に伸びてくる幽魂のような腕を拳で叩き潰してゆく。巻き付かれれば力任せに引きちぎる。そこに、凰鵡の知っている兄の荘厳さは欠片もない。
その姿はまるで野獣か、悪鬼。
鬼不動──兄のふたつ名が心に浮かぶ。圧倒的な強さゆえに付いた渾名だとばかり思っていた。だが、そうではなかったとしたら……髪を振り乱し、殺意と闘争心をみなぎらせ、相手を力でねじ伏せるあの姿こそが、本来の兄だとしたら…………
「私も予想外でしたが、弟さんのあなたも知らなかったようで」
神室の言葉に、凰鵡はもう反論できない。間違いなく兄は鳴夜の目的を妨害している──つまり、兄自身の意志で動いている。
認めるしかない。あれは顕醒という男の、自分のまったく知らなかった一面なのだ。
──アアアア──
妖胎児の苦悶の声が上がった。
その額に、顕醒の両手が押し当てられていた。隙を突いて懐に飛び込んだのだ。
親指と人差し指で組まれた円形の印から電流のような光が走り、妖胎児を包み込んだ。
──アアーアアアア──
無数の手が縮み、哭き叫ぶ口へと舞い戻ってゆく。
「ほんとうに読めない人だ。翔さんと凰鵡さんのためにこれだけ用意した舞台を、飛び入りで台無しにしてくれる」
そう言うなり、神室は顕醒に向けて腕を投げた──文字通り、自分の片腕を引きちぎって、投げつけたのだ。
腕は無数の蟲に分裂し、顕醒へと取り憑く。
バチン、バチン──いくつもの火花が散り、蟲が灼かれてゆく。さながら電撃殺虫機だ。
だが蟲の爪が、牙が、針が突き立てられるたびに、妖胎児を包む光の網が揺らぐ。
凰鵡は理解した。兄は妖胎児の動きを封じている──そして、封じるので精一杯なのだ。
(兄さんでも……だめなんですか……⁈)
初めて感じる兄の限界に、凰鵡は絶望すらおぼえる。
「耐えますか。なら、アプローチを変えてみましょう──」
神室は残った腕で、髪をかきあげる。
そして振り向き、いまだ動かない翔に狙いを定めた。
「やめろ──ぉ‼」
ダンッ──凰鵡の叫び声に、銃声が重なった。
神室の頭が吹き飛び、体が舞台の下に落ちた。
その光景が、凰鵡には一分にも、一時間にも感じられた。
「……親父?」
翔の視線の先を追う。
突き出された右腕──その手首から先は異形化して、翔の捨てた拳銃と同化している。
赤黒い血で、半分染められた顔。
だが、それは間違いなく、息子に撃たれたはずの大鳥拓馬だった。
「──クソが……ッ! あああクソッタレがッ!」
神室の姿が消えるや、大鳥は口汚く叫びながら、歪んだ右手でガンガンと頭を叩いた。打ち付けられるたび、額の銃痕から血飛沫が散る。
「大鳥さん、もとに……⁈」
「……よう、姫さん」
疲れきった笑みで、大鳥は軽く手を上げた。
「親父、ほんとに──」
「動くな」
息子の言葉を遮ると、大鳥は地面に向かって左腕を振り回した。
その腕が巨大な爪に変わり、床をえぐる。
「なん──ッ⁈」
驚く翔の足が、自由を取り戻す。
大鳥はその爪で壁を切り裂いて、凰鵡も解放する。
「──つッ!」
と、銃になった右手で頭を押さえた。
「親父、どうなってんだ。大丈夫なのかよ⁈」
「……ンなわきゃねぇだろが。蟲が憑いてるトコだけ上手に吹っ飛ばしやがって……おかげでクソ痛ぇ」
「知るかよ! こっちだって……必死だったンだよ」
「しかも体はほとんどバケモンで、素っ裸ッて、どんだけ恥かかすンだ。いっそ殺してくれよヘタクソが!」
「上手かヘタかどっちだ! オレだって殺したと思ったわ、クソ!」
死んでなかったことを喜ぶどころか、ヤケクソぎみの親子喧嘩に発展する。
凰鵡は目を円くする。親子して口調がそっくりで、並んで喋られると不思議な気持ちになる。
だが、感傷に浸っている場合ではない。
「兄さん!」
顕醒はいまだ、妖胎児の動きを封じながら蟲の侵蝕に耐えていた。
そして、あやうかった均衡は(凰鵡達から見えないところで)ついに破られた。
一匹の蟲が、顕醒の頭から毛髪を一本、噛み切ることに成功したのだ。
そして、長い黒髪を牙に咥えたまま、その蟲は妖胎児の口へと飛び込んだ。
どくん──心臓が跳ねるように、巨体が震える。
──ワアアアウウウワアアアア──
妖胎児の絶叫が、いま一度、ホールを満たす。
「ぁう──ッ⁈」
凰鵡は反射的に、腕で顔をガードした。
今度こそ、爆風のような威圧感が押し寄せてきた。
天井を向いていた妖胎児の股が、ゆっくりと左右に裂けてゆく。
双葉が開くように、みぞおちまでがバックリと割れた。
その内側から現れたのは、血でも肉でもなかった。
光る靄だった。
それは火山の煙のように噴き上がり、拡がり……飛び散り、したたり……まるで…………
(世界を食べてる──⁈)
凰鵡の直感が警報を鳴らす。
事実、靄の付着した蟲人間の遺体が、またたくまに光に包まれて、融けてゆく。
今すぐ止めないと。だが、どうやって?
「でぇりぃゃぁぁあああ──!」
突然、天井から一条の光が妖胎児の上に落ちた。
隕石が直撃したような衝撃に、建物が揺れる。
光の爆発が、光をかき消す。
その閃光のなかから人影がひとつ飛び出して、ステージに降り立った。
「いぅっちッ」
顔をしかめて、維は手首を振った。
「維さん! 無事だったんですね!」
姐貴分との再会に、凰鵡の胸が熱くなる。
「あったりまえっしょ」
顕醒に助けられた事実はどこ吹く風で、維はいつもの不敵な笑みを返す。
だが翔に抱えられた生首と、変わり果てた大鳥に、その表情はたちまち翳った。
「……凰鵡、倶利伽羅竜王を呼ぶのよ」
「え──」
「顕醒からの伝言。あの妖種を、あんたが討つの。今のあいつには抑え込むので精一杯だから」
「そんな……!」
当たって欲しくない予想が当たってしまった。
それに、自分が討てという言葉も信じられない。
兄でさえ止めるので精一杯な相手を、自分がどうこうできるのか。
「竜王はどこに⁈」
「知んない。けど、どこからでも呼べる、あんたなら出来るって言ってた」
「兄さんが⁈」
「うん、顕醒が」
たしかに、自分は以前、どこに飛ばされたか判らない宝剣を、念を繋げることで呼び寄せた。目視の有無は関係ない。
だが本当にそうか? あのときは、ほんの数メートル先にあった。今度は、何キロ隔たれているかも分からない。
だが、悩んでいる暇はない。維に吹き飛ばされた光の靄が、ふたたび妖胎児のなかから湧き始めている。
「アタシは時間を稼ぐ。けど、長くは保たないから、頼りにしてるわよ────オッサン、二人を頼むわ!」
捨て科白のように叫んで、維は舞台から跳んだ。
まず顕醒の背後に立ち、両手を胸前に構える。
「顕醒いくわよ! せーのでハイッ!」
恋人の背中に、思いっきり諸手突きを撃つ。
ドッと光が爆ぜ、蟲の群れが焼き尽くされた。
「ダーリンごめんねぇー!」
今度は顕醒の肩を踏み台にしてジャンプしながら、気を籠めた拳を突き上げて、妖胎児の怪光を散らす。
その拳に籠められたのは、先刻、顕醒から預けられた気である。維でも操れるよう気紋を合わせて練られているのだが、本人に練気が出来ない以上、使える量には限りがある。
(凰鵡、自信持って……あんたなら出来る!)
弟分の力を信じて、維は世界を喰らおうとする怪光と戦い続けた。
(竜王……どこに……?)
凰鵡は目を瞑り、何処にあるとも知れない倶利伽羅竜王に呼びかけていた。
念を拡げ、ホールの内から建物全体、そして敷地内をくまなく探す。
違う──これではいけない、と首を振る。
兄は前に言っていた。念を飛ばすのではなく、繋げれば、自分と相手との距離は関係ない。
なら、今この瞬間も、繋がっているのではないか。そんなはずはない、と思ってしまうのは、目に見える距離に意識が囚われているからだ。
(来て……お願いッ)
来ない。念が乱れているのが、自分でも分かる。
──アア、アアアウゥヮアア──
妖胎児の哭き声が……その怪光を撃つ維の衝撃が……兄から放たれる圧が、凰鵡の意識をこの場所に繋ぎ止める。
「──ンゥッ!」
駄目だ──自分への叱咤が唸り声になって漏れる。もう一度、ぶんぶんと首を振る。
(凰鵡……)
そんな凰鵡を、翔は見守るしかない。
と、その頭が、小突かれた。
「ぃてッ」
横にしゃがみ込んだ父親の肘だった。
なにすんだ──と言おうとした息子に、大鳥は無精髭と血にまみれた顎で、凰鵡を示す。
そして、息子に抱えられた少女の生首を見て、変わり果てた両腕をそっと差し出した。
父親の意図を、翔は察した。
蛍の頭を両手に持ち、正面から見つめ合う。
恐怖、哀しみ、そして恨めしさを孕んだその眼を、心に焼き付ける。
(金花、ごめんな……)
助けることの出来なかった恋人の額にキスをした。
父親に彼女を委ね、立ち上がった。
(竜王……竜王……ッ)
凰鵡は焦っていた。顕醒、維、ふたりが必死になっているのを思えば思うほど、心が柔軟さを失う。
すると、不意に手を握られた。
「翔?」
思いがけない出来事に、眼を円くする。
「いきなりで、わりぃ」
照れくさそうに翔が笑う。
「大丈夫。お前なら出来るって、維さんも言ってたろ。オレもそう思う……オレには、お前らみたいな力ないけど、凰鵡には出来るって、わかる。オレの勘は当たるから」
時が止まったように、凰鵡は友の言葉を聴いていた。
かつて、ふたりで窮地をくぐり抜けたときのことが、さまざまと脳裏によみがえる。あのときも危うかったが、不思議と「大丈夫だ」という確信があった。
今にして思えば、あれは兄が付いていてくれたからではなく、翔が隣にいたからなのかもしれない。
(そう……きみの勘は、するどい)
勘など、客観的に見れば根拠のない断定でしかない。
だが翔のそれには、凰鵡の背中を押せる力がある。
すぅ……、と深く息を吸って、吐く。
瞼を、ゆっくりと瞑って、開く。もう焦りと恐れはない。
「うん。ボクなら、出来る」
力強くうなずく。
「ありがとう、翔。このまま、握ってていい?」
翔もうなずいた。
凰鵡は左手を天にかざす。
右手に翔を感じる──ここに自分がいると、強く自覚できる。
その自分から、顕醒、維、そのほかの多くと繋がっている、大きな流れが視える。
(──倶利伽羅竜王──)
「──え?」
揺れるワゴン車のなかで、朱璃は声を上げた。
祈りを込めるように両手で握っていた宝剣・倶利伽羅竜王がとつぜん、淡い光に包まれたのだ。
「なにが……?」
隣に座る零子も、驚いて言葉が出ない。
その直後、一瞬の閃光が車内を満たす。運転手がハンドルを誤らなかったのは、胆力のたまものだ。
「え、え……?」
もういちど、朱璃は声を上げた。
手のなかの宝剣は、跡形もなく消え去っていた。
「消失──いえ、移動した?」
サングラスを外した零子には、何かが視えているらしい。
「物体転移? 顕醒かい?」
助手席から身を乗り出していたイルマも、宝剣が消える様子を目撃していた。
「いえ…………」
イルマの問いに、零子の言葉が淀む。
「空間転移させてまで、というのは、顕醒さんにも出来ないはずです」
「……凰鵡くん」
空になった両手に視線を落としながら、朱璃が呟いた。
「朱璃さん?」
「そんな気がするんです。うまく、言えませんけど」
朱璃のなかに、凰鵡と心を触れあわせた思い出がよぎる。
倶利伽羅竜王が光った瞬間、手のひらを通して、あの時のぬくもりを感じた気がしたのだ。




