渴の節・誕生 其之弐『供物は調い』
まえがき
今回のシーンのためにこの『受胎編』ができたと言っても過言ではありません。
供物は調い
Side Shou & Ormu
「……は?」
神室が何を言っているのか、翔には理解できない。
否、本当は分かっている。理解したくないのだ。
弾は二発──神室の指す「彼ら」も二人。苦しみから解放するとは、つまり、そういうことだ。
「やめろ天風ッ、お前の狙いはボクだろ! 翔は関係ない!」
「最終的にあなたを狙ってるのは正解。あとは不正解です」
凰鵡の叫びに、神室は謎かけのように応える。
「お前は、なんでこんなことを……⁈」
「さっきも同じことを訊かれた気がしますが……まぁ、余興と思っていただいて構いませんよ」
「……!」
凰鵡は絶句する。
前と同じだ。理解できない。何を考え、何をしようとしているのか、まるで解らない。解りたくもない。
じり……操り人形となった大鳥が、翔のほうへと歩き出した。
否、行き先は息子ではなかった。虚ろな目は、蛍を見ている。
(親父……? うそだろ、おい──)
麻痺したはずの心が悪寒で震え上がる。
父と蛍が何をさせられるのか、容易に想像がついてしまう。
「ゲーム・スタート。──ッ」
パン──小さな銃声が響き、神室の額に孔が空いた。
翔の放った一発だった。
が──
「なかなか肝が据わってますね、あなたは」
孔から小さな蟲が這い出て、傷口を塞いだ。
「この状況でルールを無視できる胆力は、敬服に値しますよ……本当にね。ですが違反は違反。ペナルティとして、この一発は没収です」
ふふ、と微笑みながら、神室は舌を出す。潰れてもいない弾頭がそこに乗っていた。
「……ッそぉ!」
悔しさを隠しもせず、翔は叫ぶ。
「これ以上、変な気を起こされても厄介です。私はいったん、退場させていただきますか」
そう言うと、神室はまるで水に沈むように、スッと床に姿を消した。
「待て、天風ぇ!」
凰鵡の声が虚しく響く。
「やめろ……! 止まれクソオヤジ!」
矛先を失った翔の怒りが、銃口とともに父親に向けられる。
仕方ない──自分にそう言い聞かせる。
本人の意志でないにせよ、許せるものではない──自分の父親が、恋人を犯すなど。まして、それを許してしまったら、自分は蛍にどう詫びればいいのだ。
それでも、一歩、また一歩と近づく大鳥に、翔は引金を絞れない。懊悩で手が震える。
夢のなかでは躊躇いなく撃てた。だが、これが現実だ。
「大鳥さん! 大鳥さん、目を醒ましてください!」
凰鵡が必死になって呼びかける。
同じように、蛍も翔に呼びかけていた。
「大鳥くん、私を……私を撃って。殺して……おねがい」
泣きながら、動くかぎり頭を差し出してくる。
「翔、撃たないで! あいつの言うことなんか聞いちゃダメ! 必ずッ、兄さんが助けに……来てくれる……だから……ッ!」
凰鵡も涙声になって、最後まで言い切れない。
こんなときでも兄頼みの自分が情けない。
体は動かせず、心のなかはグチャグチャで、気弾を生み出す力も湧いてこない。倶利伽羅竜王もない。
まただ……護ると誓いながら、自分では何も出来ない。
朱璃を助けたときの、あの力はいったい何処へいってしまったのだ。
(助けて……お願い……だれか……!)
(助けてくれ……頼む……だれか──!)
凰鵡と翔の心の悲鳴は、完全に一致していた。
だが、無情にも刻は進み、大鳥は蛍の目の前へと迫る。
(やめろ──!)
翔の指に力がこもる
「やめろ──!」
また、凰鵡が叫んだ。
「──犯すんなら、ボクを犯せ!」
翔は耳を疑った。
「狙いはボクだろ! その人にも、翔にも、もう酷いことをするな!」
すると、大鳥がくるりと向きを変えて、蛍から離れた。
じりじり……今度は凰鵡へと歩み寄る。
「凰鵡、やめろ!」
なおも父親に狙いを定めながら翔は叫ぶ。
「大丈夫、翔……」
震える声が応えた。
「何があっても、ボクはきみの……ダチだよ」
ギリィッ──翔の頭が叫んだ。今まで感じたことのない、意識が吹き飛びそうなほどの激痛。
──お前が何モンでも、オレはお前のダチだからな。
自分の声が聞こえる。息が詰まり、視野が収縮する。
────起きろ。
閃光が走った。
手足を縛られた鸞。その陰部を狙って、下劣な影が迫る。
そんな状況で、鸞はただ「逃げて!」と叫んだ。だが、その顔は恐怖に怯えて、今にも泣き出しそうだ。
(ふざッけんなぁぁああッ‼)
怒りがすべてを引き寄せ、痛みを押し流した。
爆発する意識とは裏腹に、翔はスゥッと静かに息を吸い、止める。
その眼が、無表情な父を(その向こうに見える、神室詠利賀の残忍な笑みを)を捉えた。
パンッ──乾いた銃声。血と脳漿が、壁と床を汚した。
「…………翔?」
凰鵡には、目の前で起きたことが信じられなかった。
見間違いようもなく、翔が大鳥拓馬を射殺したのだ。
「許せよ、クソオヤジ……ッ」
黙祷するように、翔は項垂れる。
「大鳥くん、どうして……」
「──どうして⁈」
消え入りそうな蛍の声をはじき飛ばして、凰鵡が責め立てる。
「なんで撃ったの、翔! お父さんを──!」
「こいつはもう親父じゃねぇ!」
翔の怒号が二人を沈黙させる。
「こんなのが……オレの親父なワケが、ねぇだろ!」
もう一度叫び、翔は拳銃を床に叩きつけた。
うつむき、黙ったまま肩を震わせる。
その姿に、凰鵡はなにも言えない。ただ心のなかで、悲劇を止められなかった自分の非力を恨み、嘆くしかない。
「ぅ……ぅあ……ッ!」
蛍が呻いた。
「金花ッ⁈」
翔の視線が、彼女の腹に注がれる。
はち切れそうな球形の肌が、ビクンビクンと波打ち、歪んでいた。
何かが、なかで動いている…………
「いや……ぁ、いやあああッ!」
「金花……ッ、金花ァ!」
「金花さぁん!」
体を拘束された翔と凰鵡には、ただ彼女の名を叫ぶしかない。
「大鳥くん、殺し……あぁ──ッ」
バツンッ──蛍の腹が、風船のように割れた。
赤い飛沫がステージに舞い、翔と凰鵡に降り注ぐ。
「かばな…………」
翔の声に、恋人はもう応えない。
光を失った目を虚空へと見開き、金花蛍は死んでいた。
嘘だと、信じたかった──これは悪夢だと。いつも自分が見ていた、肇や花脊の出てくる、夢の続きだと。
だが、すべて現実だ。
悪夢など、もうどこにもない。
肇も、こうして惨たらしく死んでいったのだ。
「ァァァァァァ──」
蛍の腹を突き破って現れたものが、産声を上げた。
何十本という管を身体から生やした赤子だ。その体は新生児の大きさをすでに超えて、一歳の域に達している。
その子の声が合図となったかのように、ホール全体が阿鼻叫喚に包まれた。
アアア──オオオオ──イヤァァ──……!
女達の悲鳴が、次々に破裂音に消える。
──ァァァァン──アアアアゥ──
そして、産声へと変わる。
応えるはずのない母親を求めているのか。
それとも、こんな形で世界に産み出されたことを嘆いているのか。
(やめろ……やめてくれ、もう……!)
翔は目をかたく閉じ、耳を塞ぐ。
だが、翔はまだマシだ。手を封じられている凰鵡には、啼き叫ぶ声が否応なく入り込んでくる。
(これが、お前の……なにを考えてるんだ、天風……ッ!)
見たくない。だが闘者としての使命感が、瞼を下ろすことを許さない。涙の止まらない眼に、凰鵡はこの惨状を焼き付ける。
女の死体、死体、死体……その腹から生える、歪められた赤ん坊、赤ん坊、赤ん坊…………
男達は役割を終えた機械のように立ち尽くしている。いや、なかには恐怖に顔を引きつらせて叫んでいる者や、へたりこんで震えている者もいる。
(え────?)
とつぜん、天井の闇から、スルリスルリと何本もの腕が伸びてきた。
「ァァ────」
赤ん坊の声が、母体といっしょに、次々に空へと連れ去られる。
蛍も例外ではなかった。
「金花ァ!」
翔の叫びに応えるかのように──クチャリ──闇のなかで、嫌な音がした。
それが何を意味するのか。とっさに浮かんだ想像を、凰鵡は拒否する。
無意味だった。
ゴッ──ステージに落ちてきたものが、ゴロリと転がって、偶然にも翔の足もとで止まった。
蛍の、首から上だった。
「あ……ああ……」
翔は彼女を拾い上げ、胸に抱きしめる。
「うああああ────ぁ!」
絶叫が天に昇った。
オオオオオン……オオオオオオン……!
翔に共鳴するかのように、低い唸り声が降り注ぎ、ホール全体が震える。
そして、天の闇から垂れ下がるように、それが姿を現した。
いくつもの手と口を備えた、巨大な──あまりにも巨大な──肉の塊だった。
ゆっくりと、ホールの中央へと降下してくる。体の先端で膨れ上がったその頭は、かろうじて人のように見えた。
見覚えがある……だが…………
「そんな……」
「なにが〝そんな〟なんですか?」
そばの壁から、神室詠利賀が現れた。
「あれは……彼女は、まさか──」
「そう。我らがチャクラメイトの会長、三田衣代氏です」
凰鵡は戦慄する。
聞きたくはなかった。信じたくもない。
三田衣代は間違いなく人間だった。いったい何をすれば、あのような姿になるのだ。
「三田さんに何をした⁈ 天風‼」
「まるで私を悪者のように仰る。私はただ、あれを護ってきただけですよ」
「護る……? 嘘だ、お前が彼女に、何かを植え憑けたんだろ!」
「あいにくと、約束は破っても嘘はつかない主義でして。たしかに、彼女達をあそこまで成長させる力添えはしました。ですが、彼女があれを孕んだことに、わたくしは無関係ですよ。無論、あれを育て、産むために何をすべきか、それを決めたのも三田さん自身」
「あれ? あれって、なんのことだ……⁈」
そのとき、三田の腕がまた一斉に伸びた。
こんどは男達が、御手に捕まってゆく。
クチャ……クチャリ…………
今度は凰鵡にもハッキリと見えた。
肉塊が男達を喰っていた。ひとつひとつの口がクジラのように大きく開き、掴んだ者を無造作に放り込んで、噛み砕く。
──うわあ──いやだ──たすけ──
何人か、悲鳴を上げて逃げようとする者もいたが、虚しく捕らわれてゆく。
「なんで……? みんな、お前が操ってたんじゃないのか⁈ 大鳥さんみたいに!」
「ミスター大鳥は特別ですよ。ほとんどの人達は、私が手を下すまでもありませんでした」
「蟲を植え付けたのは、お前だろ!」
「最初の、ほんの数人に」
「どういうこと……」
「あとは彼ら自身が育み、広めてくれました。頼んでもいないのに、ひとりひとりが伝道師になってね」
神室の言葉を、凰鵡は受け止められない。いま喰われている彼らが、自身の意志で、この惨状に加担したというのか。
「……嘘だ」
「前言どおり、嘘は申しません。妊娠の責任と恐怖からも、体力の限界からも開放されて、ただ快楽だけを追い求める。そんなことが出来ると吹聴するだけで、何十人、何千人と吊れましたよ。まぁ、秘密を守らせるのに、少し細工はしましたが」
「う……く……」
神室の言葉に、凰鵡は奥歯を噛む。
「それでも……お前はみんなを騙した! こんな事になるって分かっていたら、誰も……!」
「会長に食べられるのは予想外だったでしょうねぇ。けれど、相応しい結末では? 未来はともかく、彼らは自分達が今、何をしているかは知っていた。分かっていて、それについて何も考えなかった」
凰鵡は絶句する。
鳴夜の傀儡だったならまだしも、彼らは自分達の身体が異形となりはて、あげく何人もの子供を犠牲にしていることを承知で、なおも快楽を貪っていたのか。
そして今度は、気付かぬうちに仕えていた三田によって、その身体が貪られてゆく。
肉塊の食事ペースは落ちている。後回しにされた者ほど、恐怖を長く感じることになる。
この体が自由だったら、彼らを助けただろうか……息詰まる自分の胸に問う。
と、肉塊の手が止まった。
オアッ、オアッ、アオオオアアア────
咆吼を上げて、三田はすべての腕を床につけた。
ブツンッ──上から、何かが引きちぎれるような大きな音がした。
天井と繋がっていた部位が切れたのだ。
どぉん、と肉塊の長い体が床に横たわる。とぐろを巻くその姿が、凰鵡には両生類の卵嚢に思えた。
「始まりましたね」
神室がほくそ笑む。
アアアオオオアアアオオオ──
三田は吼え続ける。
体の一部がまるく膨れだし、ぼこぼこと蠢きながらその大きさを増してゆく。
逆に、それ以外の部位はだんだんと縮んでゆく。
イイイアアアオオオアアア────!
まるで、膨らみだけが別の生き物になって、本体であるはずの三田衣代を取り込もうとしているようだ。
「なにが起こって……」
「クマントーンをご存知ですか?」
独り言のような凰鵡の問いを拾って、神室が問い返す。
凰鵡には答えられない。
「タイに伝わる、胎児の遺体を用いた呪物です。生まれたくとも生まれえなかった魂を封じているために、純粋な製法で作られたものには、莫大な霊力が秘められています」
「胎児の呪物……!」
「そう、赤ん坊はいい。ヒトのも、妖種のも」
ぞくり……鳴夜の言葉が凰鵡の心を凍らせる。
「活き活きとしていて、生存本能の塊です。それだけに、生きたいという欲求を断たれたときの、その怨み、つらみは計り知れない」
「まさか……それが三田さんの、お腹に……」
凰鵡は声の震えを抑えられない。
「ええ……ことのはじめから、ずっとね。言ったでしょう──私はただ、|あれ(、、)を護っていただけ、と」
アアア──!
三田の腕が一本、藁にも縋ろうかとばかりに、ステージへ伸びてきた。
いちばん近くにいるのは、蛍の頭を抱えて呆然とする翔だ。
「翔あぶな──!」
言い切らぬうちに、きらめく糸束が三田の腕をズタズタに斬り裂いた。
「手癖が悪いですよ、三田さん。それとも往生際のほうでしょうか?」
神室だった。
「あなたの役目は終わりました。神子を産んだ聖母には、ご退場願いましょうか」
アー!
鳴夜の言葉を理解したのか、三田はいっそう悲痛な声を上げ、それを最後に、膨らみの中へと呑み込まれた。
直系五メートルほどの、いびつな肉団子が出来上がる。
だが、それはやがて、ある形を取り始めた。
受精卵が変態してゆくように、大きな頭、小さな腹に、水かきのある手が出来上がってゆく。
母親の体内にいるかのような、逆さまの巨大な胎児──にもかかわらず、そいつは瞼を開いた。
闇を詰め込んだような眼だった。
「あ……ぅ……!」
凰鵡は震えた。
威圧感ではなく、虚無感だった。
魂を吸い取られそうだった。寒い。指先から体の芯まで、すべてが寒い。
それは断じて、誕生を祝福されるべきものではなかった。
クマントーン──生まれえなかった恨みの依り代。幾百幾千という子供達の、怨念の集合体であり化身だった。
ずず……逆さまのまま、妖胎児はゆっくりと動く。髪の毛があるべき場所から、何十本という襞状の脚が生えているのだ。
三田が食べ残した男達には目もくれず、ステージへと近づいてくる。
「思った通り、餌に引かれましたね」
餌──自分のことか──凰鵡はまた奥歯を噛みしめる。
「あなただけじゃ、ありませんよ」
心を読んだかのように、鳴夜がクスクスと嗤う。
「あれは今、生まれたてでお腹ペコペコではあるんですが、なにぶん寂しがり屋さんでしてね。強い霊力を持った餌よりまず、怨みの念を欲しがるんですよ」
「怨み……?」
「そう、類は友を欲するといいますか……怨念は怨念と繋がりたがるもの。おあつらえ向きに、あなたに不足している強い怨みと哀しみを補ってくれそうな人がいますね。肉親と恋人をいっぺんに失ったような」
「翔ーッ‼」
凰鵡が呼びかけても翔は反応しない。茫然自失としたまま、胸に抱いた蛍の頭を撫でている。
妖胎児が口を開けた。
その奥から、闇で編まれたような長い手が幾本も吐き出され、翔へと伸びてくる。
「翔! くそッ、ボクだけで充分だ。お前らが憎い! ボクは、お前らを……ぶっ殺してやりたいんだぞ。このクソッタレが!」
維や翔や、漫画で読んだ科白を真似て、精一杯の悪態をつく。
「キャラに合わないことをしても無駄ですよ」
見透かしたように鳴夜が諭す。
「あなたは優しい人です。今でさえ、あれを救いたいと思っている」
図星だった。こんな状況でさえ、凰鵡は妖胎児を敵として認めきれない。
あれ……否、あの子達もまた、鳴夜の策略によって産み出された被害者なのだ。
だが、その同情が枷となり、翔に伸びる触手を止められずにいる。
非情になれ、と何度も自分に命じる。凰鵡達が用いる念の初歩は自己暗示。なら、強く念じることで、己の性格を変えることも出来るはずだ。
「なに……?」
ふと、神室が意外そうな声を上げる。
翔に触れようかというところで、妖胎児の手が止まっていた。
(やった!)
凰鵡は成功を確信した。
が、違った。
手が一斉に、明後日の方向を向いた。
舞台とは反対側の、部屋の隅───捕食を免れた男達が、寄りかかって震えている。
その壁が爆発した。
──アアアア──
巻き込まれた男達が、悲鳴を上げて床をのたうち回る。あるものは半身を失い、あるものは腹に大穴を開けていた。
が、それらの欠損部から次々に、蟲のような頭や手足が生える。
立ち上がった男達は、ヒトと蟲をいびつに合体させた異形と成り果てていた。
ヒトが蟲の体を得たのか、それとも蟲がヒトを乗っ取ったのかは分からない。
そして蟲人間達が見つめるなか、壁の穴から、顕醒が姿を現した。




