渴の節・誕生 其之壱『饗宴は熟し』
まえがき
3人ほどさらわれてしまいました。
このまま工口どうじんのようになるのかならないのか。
渴の節 誕生
饗宴は熟し
Side Syuri
大鳥拓馬もろともに凰鵡達が連れ去られてから十分後…………
零子、朱璃、紫藤、そしてイルマの四人は事務所のソファに座り、テーブルに置いたノートPCを囲んでいた。
「顕醒、すまない……本当に……」
「いえ」
沈みきった紫藤に対して、ノートPCから返ってくる顕醒の声は軽さを感じさせるほどに短い。
朱璃は眉間に皺を寄せた。弟と恋人が消えたのに、まるで動じている様子がない。どんな表情をしているのだろう──どうせいつもと同じだろうが。
状況から、凰鵡達は攫われたと見て間違いない。雲のなかに逃げられ、警備員は半数以上が重傷。イルマの嗅覚もまだ再生していない。いまの支部に、彼らを追う余力はなかった。
(あなたさえ、いてくれたら……!)
身勝手と自覚しながら、朱璃は端末の向こうに怒りの念を送らずにいられない。
「顕醒さん、いまどちらに?」
零子が訊ねた。
イルマが最後に捉えた匂いの方角を頼りに、顕醒はずっと、ひとりで金花蛍を捜索していたはずだ。
「院州町です」
朱璃はハッとなる。
院州町……チャクラメイト創設者、三田衣代の出生地。
いままで不明だった彼女の所在が、ここへ来て浮上するのか。
「院州のどちらに?」
「観光ホテル跡が見える場所です」
その建物のことも朱璃は知っている。
数十年前に閉業。いまは町の外れで、もの言わぬ廃屋と化している。
先月、警視庁の捜査では何も問題がなかったはずだが。
「なにか異常はありますか?」
「駐車場に、かなりの数の車が駐まっています。トラックやバンが多いですね」
「……凰鵡くん達もそこに?」
「はい」
二人の問答に、朱璃は耳を疑った。紫藤とイルマも同じらしい。
零子が知っているのは分かる。さっき大鳥に対してサングラスを外した際に、眼の力でその場所を視たのだろう。
だが、顕醒はどうやってそこを突き止めたのだろう──それも、凰鵡達がいることまで。
「分かりました。顕醒さん、突入してください」
「……⁈」
支部長の指示に、朱璃は驚いて目を見開く。
「朱璃さん。医療班に、レベル3感染防備での出動を要請してください」
「え?」
「早く。事態は一刻を争います」
珍しく、刺すような零子の声。
朱璃は身を震わせ、即座に指示を実行に移した。
「顕醒さん。我々も急いで合流します。なんとしてもチャクラメイトの儀式を阻止してください」
儀式──⁈ 零子の言葉に、朱璃は戦慄する。
「了解しました。では──」
「待ってくれ、顕醒」
イルマが声を上げた。
「……いや、あとでいい。すまない」
「わかった」
それを最後に、顕醒は通話を閉じた。
「零子さん。医療班は、出動準備に入りました。詳細な作戦内容の説明を求めておられます」
「ありがとう朱璃さん。追って、私から直に話します。紫藤さん──え」
「あ……!」
立ち上がった零子がそれに気付き、遅れて朱璃も室内を見渡した。
いつの間にか、紫藤が姿を消していた。
「彼なら、たった今、静かに出てったよ」
イルマが何でもないかのように応えた。
「え、なんで……!」
と叫んで、朱璃は声を止めた。
どこへ行ったかなど決まっている。自分が彼でも、同じことをしただろう。それが分かっているから、イルマも黙っていたのだ。
「さきほど顕醒さんに声を掛けたのは、私達の注意を引くためですか?」
「上手く利用されただけさ。顕醒に確かめたいことがあるのは事実だからね」
「……分かりました。では、突入班の指揮はあなたにお任せします」
「そう来たか。みんな言うこと聞いてくれるといいけど……」
イルマの皮肉を無視して、零子は事務机に向かい、内線をかけた。
「麻霧です。対象はチャクラメイト。蟲に寄生された人が多数いると予想されます。…………ええ、対策は必要ですが、先方が積極的にこちらを寄生させてくる可能性は低いでしょう。今の彼らの、いえ天風鳴夜の狙いは────」
そして、支部長が放った言葉に、朱璃は愕然とした。
「──三田衣代に、強大な《クマントーン》を出産させることです」
Side Yui
気が付けば、磔にされていた。
手も足も、壁に塗り込められている。引き剥がそうとするが、ゴムのような弾力と堅さに、力が吸収されてしまう。
(コンクリートじゃない……?)
イルマにもらった白衣は脱がされていた。
(ここは?)
暗くて広い……部屋、なのだろうか。調度品は何もない。
その一方で、維を捕らえている壁や床は、いやに生々しい。痩せた人間の肌に浮いている骨を思わせる。
「お早いお目覚めですね」
声がして、正面の壁が縦に裂けた。カーテンのように開いて、どこに繋がっているかも分からない暗闇が現れる。
その闇から、神室詠利賀が出てきた。
「……また偽物?」
奥歯を軋らせ、維は神室を──否、天風鳴夜を──睨む。
「いいえ本物です……今度も、今までのも」
謎めいた答えを投げ、神室は背後の壁を撫でる。
ピクンと震えて、裂け目は閉じた。
「ここはどこ? 凰鵡と翔は?」
「囚われの身で質問ばかり。知ってはいましたが、豪気な方ですね」
「ええ、質問攻めにしてやるから、さっさとコレ解きなさいよ」
ぐっ、と腕を動かしてみせる──やはり振りほどけない。
「あの二人は賓客ですので、手厚くお持てなしさせていただいておりますよ」
「あらヤダ。アタシだけ仲間はずれ?」
「不意の急患、といったところでしょうか。あなたに必要なのは、まず治療だと、当方では判断いたしました」
「あ? アタシのどこが悪いってのよ」
「御自身でも分かってらっしゃるはず……」
スッと、足音もなく神室が歩み寄って、維の下腹に触れた。
「予想外でしたよ。まさかあなたが、お子を持てない体とは」
維の眼が、さらに殺気を帯びる。
「……だから何?」
「治して差し上げましょう、と言ったら?」
「見返りに誰の子を孕んで欲しいわけ? 白浪?」
「顕醒」
維の息が、一瞬、詰まる。
「は?」
「魅力的な提案だと思いますが?」
「白浪をけしかけといて、よく言うわね」
「おや、子を産むことこそ女の幸せ、と三田さんも常々仰っていましたが、違うので?」
「少なくともアタシは違うわ。産めりゃ何の子でもいいと思ってんの? 馬鹿でしょ」
「へぇ、そういう意見もあるので。人間は複雑ですね。三田さんは神の子を産めると知って、嬉々としておられましたが」
「神の子……その三田会長様はどこよ?」
神室の指が、維の体をつたって動く。
やがて、四肢を閉じ込める壁に行きついた。
「……まさか」
「グレートマザー、なんて呼び方が相応しいと思いませんか?」
維は戦慄する。どうりで壁も床も生物的なわけだ。
ここが何処かは分からないが、この部屋全体が三田衣代だったものに覆われているのだ──あるいは、彼女自身の体内かもしれない。
「あんた、彼女に何をしたの?」
「三田さんが望むように、望む姿になるように、手助けをしただけです。今までも、これからも」
そう答えると、神室は口もとに手をやった。
唐突な投げキッス、と思いきや────
ずるり──指の動きに導かれるように、何本もの触手を生やした巨大な蟲が、口から這い出てきた。
「これは、三田さんと私からの祝福です。受け取ってくださいね」
そう言うなり、神室はその蟲を、維の腹に貼り付けた。
(うげ──!)
維は咄嗟に体を硬化する。
ずずず……と、蟲が維の顔に這い上がる。口全体を覆って、唇のあいだに潜り込もうとする。
「何故拒むんです? それを受け入れれば、あなたは愛しい彼の子を産める体に戻れるのに」
(だれが……ッ!)
口を塞がれ、維は声を出せない。
触手が鼻に突っ込まれる。息を止めて口を開けさせる気か。
「まぁ、強制はしませんが、一考する時間は必要でしょう。また、のちほど。色よい返事を期待してますよ」
神室が踵を返した。
「ん! んー!」
言葉にならない維の声を背に受けながら、神室は入ってきた時と同じように、裂けた壁の向こう側へと消えた。
(やばい……やばいよ、これ!)
体を硬化してしまえば、蟲の侵入を防ぐことは容易い。
だが、呼吸を止められてしまった以上、先に根を挙げるのは自分だ。酸欠で落ちるか、集中が切れるか。その瞬間、蟲は侵入してくる。
(嫌だ……絶対に、こんなので……!)
何とか腕を自由に、と藻掻くが、いまだに壁はビクともしない。
その間にも全身が酸素を消耗し、脳が正常な思考を失い始める。
神室の言葉は事実だった。
零子によれば、子宮に霊力が通わなくなっているそうだ。
もし、この体を、もとに戻せるのなら──欲望が心を蝕み、集中を見出す。
そのときだった。
維を捕らえていた壁が、弾け飛んだ。
背後から伸びてきた手が、口から蟲を引き剥がした。
ぐしゃり──力任せに握りつぶし、光のなかに灼き消す。
「うぁ……ハァ……!」
維は四つん這いになって、欠けた酸素を懸命に取り返す。
その背中に大きな衣が掛けられた。生地についた体臭に、維は心で歓声を上げた。
差し出すように伸びてきた指が、維の額に触れる。
「……異常ない」
ようやく呼吸の整った維は、立ち上がって顕醒の顔を正面から見る。
「顕醒?」
どこか、様子がおかしかった。眼も合わせようとしない。
今の蟲の殺しかたも、らしくない。
「あんた──」
「動けるか?」
話を逸らされた。
まぁいいわ、と維は疑問を呑み込む。
「ええ。あのクソ蟲オカマ、ぶっ殺してやる」
もらった道着を引き裂き、サラシと褌のようにして身体に巻き付けた。
「凰鵡達は?」
「二人とも一階のホールにいる。手を出せ」
「はい?」
眉根を顰めつつも、維は言われたとおりにする。
そこに顕醒が自分の掌を重ねる。
光が維の手を包んだ。
「え、これ……」
そのとき、ズゥン、と建物全体が震えた。
Side Shou & Ormu
──翔……お前、俺を撃つのか?
責めるような肇の顔に向けて、翔は引金を絞った。
友を撃つ自分の姿を、翔は背後から眺めていた。
と、銃を持った自分がくるりと振り返った。
傷だらけの頬、泣き腫らした目。わずかに硝煙の残る銃口が、見ている翔自身の視線と交錯する。
切れて、血のにじんだ唇が動く。声が聞こえない。それでも何かを伝えようと、懸命に繰り返している。
やがて唇の動きで、翔はその言葉をハッキリと捉えた。
────起きろ。
銃口から閃光が走った。
「──!」
翔は目を醒ました。
視界が、青と黒で染まっている。
「大丈夫、翔⁈」
隣では凰鵡が壁に手足を埋められていた。
そして、自分も同じ状態だった。
「ああ、うん……ここは?」
細長い部屋だ。青いのは、上から降り注ぐライトのせいだ。
光のせいで天井はよく見えないが、舞台照明のようだ。体育館のステージ──小学校の学芸会を思い出す。
なら今は、目の前に緞帳が下りているのだろうか。
「ボクも、いま目が醒めたところで……ステージみたいだけど」
凰鵡も同じ考えだったことに、妙な安心感を覚える。
だが舞台にしても、この妙に生々しい壁と床はなんだ。舞台袖への道もない。
「こちらも、ちょうどお目覚めのようで」
と、翔達から見て左、上手にあたる奥の壁が裂けて、なかから神室が姿を現した。
「お前は……!」
凰鵡が息を呑む。
「存じていただいており光栄です。そちらのお兄さんとは、お初にお目にかかります」
凰鵡達の前に静かに歩み寄り、神室はうやうやしく礼をした。
「チャクラメイトのセラピストチーフ、神室詠利賀と申します」
「お前が……!」
カァッと、翔の頭が熱くなる。
「親父になにした⁈ 金花は──金花はどこだ⁈」
全身に力を込めるが、抜け出せるわけもない。
「焦らずに。いま会わせて差し上げますよ」
そう答えた神室の背後で、ずずず……と、壁がせり上がる。やはり緞帳だったのだ。
床と幕の隙間から、外の音が入り込んでくる。
「……ッ⁈」
その音に、凰鵡と翔は心を搔きむしられた。
何十人、何百人ぶんという、女達の艶めいた声。
(なにが……)
思考が追いつかない二人の目の前に、おぞましい現実が姿をあらわした。
「う……ぁ……」
凰鵡は目を閉じて顔を逸らし、翔は吐き気を覚えながらも、その光景に釘付けになる。
披露宴に使われそうな大ホールに並べられた女達。
そのなかに彼女を見つけた瞬間、翔の希望はひとつ、砕け散った。
(か、ばな……?)
彼女の腹は、ひとめでそうと判るほどに、大きく、膨らんでいた。
「金花ァ!」
翔の叫びで、向こうも気付いた。
恍惚にとろけていたその顔が、一瞬で色を失った。
「あ、ぁぅ……うぅぁぁぁあああ!」
魂を引き裂くような慟哭が上がった。
「大鳥くん、みないで……! お願い……いやぁァァァ‼」
「クッソォ! テメェ殺す! ぶっ殺してやる!」
鎖につながれた猛犬のように、翔は神室に向かって吠える。
「酷すぎる……あんまりだ! お前は何のためにこんなことを⁈」
凰鵡も神室に叫ぶ。赤く腫らした眼からは、涙が溢れ出ている。
「それも、すぐに分かりますよ。まぁ、百聞は一見にしかず、ということで……」
神室がかがみこんで、舞台の床を撫でた。
すると、蛍を捕らえていた壁がぐにゃりと歪んで、その姿を呑み込んだ。
「金花ァ──!」
「御安心を。食べてはいませんよ」
神室が翔をなだめている間にも、舞台の床が裂け、奈落仕掛けのように蛍が現れた。
あられもない姿で、手足を繋がれたままだ。
「金花……!」
「ごめん、大鳥くん……ごめんなさい……」
あらためて間近に突き付けられた恋人の有り様が(とくに膨れた腹が)、翔の心をぐちゃぐちゃに掻き回す。
ぶんぶんと首を横に振る。なぜこうなったかは分からない。けれど、蛍は絶対に悪くない。
そう信じながらも、さっきまでの悦楽に浸りきった顔が、頭から離れない。
ひょっとしたら自分は最初から謀られていたのではないか。
両親の文句を言いながら、そのじつ、蛍もチャクラメイトの一員だったのではないか。
(金花……好きだ……好きだ。こんなことをした奴らは、絶対に許さない!)
心でそう叫んでも、猜疑は消えない。
無論、それは誤解でしかないし、話し合えば瞬く間に氷解したかもしれない。
だが、狂宴の主催者は、二人にその時間を与えなかった。
「では、もうひとかたも、お呼びしましょうか」
パチン。今度は指を鳴らす。
すると、神室が来たときと同じように、上手の壁が裂けた。
その漆黒の舞台裏から、大鳥拓馬が登場した。
全裸だった──化けたはずの右手はもとに戻っている。
その姿を見ても、翔は驚かなかった。地獄のような状況で、感情が麻痺しはじめていた。
「ッ⁈」
不意に、翔は舞台に倒れこんでいた。壁が動いて、拘束が解けたのだ。
すぐさま立ち上がって恋人へと走る。何が起こったかは分からないが、立ち止まってはいられない
「う……⁈」
が、蛍まであと二メートルというところで、また両足が床に埋まった。
泥沼に嵌まったかのように膝まで沈んで、そして固まった。
「翔!」「大鳥くん!」
凰鵡と蛍の叫びが重なる。
「はい、そこがあなたの、新しい定位置です」
神室が嘲るように見下ろしてくる。
「クッソオオオ──!」
翔の絶叫がステージを包む。蛍は目と鼻の先だ。このうえ、何を見せようというのだ。
「では、ルールを説明しますね」
唐突に、神室がローブの内側から銃を取りだした。支部で翔に突き付けられた小型のリボルバーだ。それが本来、このホテルの調査に来た駐在のものであるとは、凰鵡も翔も知るよしもない。
白魚のような指が弾倉を開く。中の弾丸を取り出して、もとに閉じた。
「二発、残しております」
そう言うなり、銃身のほうを握って、翔に差し出した。
突然のことに、翔は素直に受け取れない。
凰鵡でさえ、神室の意図を理解できなかった。
「ご承知でしょうが、あなたのお父様はすでに、私の操り人形。恋人のほうは、心の痛みと、あなたへの罪の意識で気も狂わんばかり。可哀相だと思いませんか?」
「誰の──!」
「こうなった以上、仕方ありません。なので、翔さん──」
言葉を切り、神室は翔の手を取る。
そして拳銃を握らせた。
「これで彼らを、苦しみから解き放ってあげてください」




