霧の中の鳥・1
村長宅での夕食中の出来事だった。
夕食のメニューは無発酵の平パン、根菜と果物というものだった。
昼に血みどろの事件に巻き込まれたベアダの子供達にとって、
肉料理がなかったことは幸いと言えたがゆじゅには不満の様だ。
「泊めてもろうて我儘なのじゃがお肉はないのかえ?」
そう村長に尋ねる。
うっとベアダ組の子供達は胃が収縮する感覚に襲われ、
村長もその表情に気づいたが聞かれたのなら答えるしかない。
「それが事情がありまして、ここの北に湖がありその周りに森があります、
我々はその森で狩りをして食肉を得ていたのですが、
近頃その辺りが霧に覆われまして、霧の中に謎の生き物が出没し始めたのです、
鬣の生えた鳥の様な生き物で大きさは奉公人のプロイェーチェほど、
足はそれほど早くなく飛ぶこともしないのですが凶暴でして、
狩りをしようとするとその生き物が気配もなく襲ってくるのです、
その鳥にかすり傷でも負わされると、
その人物は理性を全く失ってしまい凶暴化して他の者を襲います、
凶暴化した者に傷を負わされた者もまた凶暴化してしまうのです、
身内を攻撃するわけにもいかず退散したのですが、
凶暴化した者達は一様に数日ほどで理性を取り戻し森から帰ってくるのです、
何度か討伐隊を送って切り倒したのですが倒すと死体は霧散してしまいます、
そして次の狩りの時には何事もなかったかのように生き返って襲ってくるのです、
また、霧自体も不思議な作用がありまして方向感覚を見失ってしまいます、
そのような事が幾度かあり今では狩りを行うことが全くできない始末でして、
行商人が持ってくる干し肉がこの村で唯一の食肉取得手段ですが、
行商人がやってくるのはこの村の収穫時期に集中していますので、
今の期間は肉が全く手に入らない状況となってしまっているのですよ、
そんな訳でしておもてなしをするのにも肉を出せなかったのです、
しかもその霧が段々と南下してきていまして、
あと数十年もすればこの村も飲み込まれてしまう可能性があり頭が痛いです」
「生き返ったってどういう事じゃ? 何匹もいるだけではないのかえ?」
「その生き物には特徴があるのです、右目が古傷を負っており潰れているのです、
皆の話を総合すると同一個体としか考えられないという結論になりました」
「ふうむ、切り倒しても生き返るのかえ…」
ゆじゅがその事について思案しようとした時にミルカが話し出す。
「あのお…、思い当たる節があるのですがあ…、
それって精霊神ではないでしょうかあ?
精霊神は物理攻撃が効きませんし、
その迷う霧というのは精霊神の小さな世界なのでは~?」
「なるほどのお、確かに妾が体験した小さな世界に話が似ておるのお、
ミルカさんは精霊神と二度会っておるのじゃっけか、
二度目の時も閉じ込められたのかえ?」
「二度目の時は精霊神の意思で意図的に部屋を閉ざされましたがあ、
閉ざす閉ざさないは精霊神が操れるようでしたあ、
もしかして最初に出会ったアンテアーテル様は、
技術が未熟で自分の小さな世界を操れなかったのかもしれませんよう」
「では若い精霊神だったのやもしれぬのお」
などと二人で話していたが周りの者には話がさっぱり分からなかった。
特にエルディー組以外は『小さな世界』という単語すら初めて聞いた。
「精霊神という可能性については分かりましたが小さな世界とは何ですか?」
村長が二人に尋ねる。
「私続けて精霊神と会うことになったのでえ、
その後にベアダの町の図書館で調べてみたんですう、
小さな世界とは精霊神が周りに張る別空間の呼び名だそうですう、
その世界の中はこの世界とは別な法則に支配されていましてえ、
不思議な事が起こると本に書かれていましたあ、
最初に出会った精霊神が人を閉じ込めるという小さな世界だったのでえ、
私は小さな世界はそう言うものだと思っていたのですがあ、
小さな世界の法則は精霊神毎に違うとのことですう、
霧の中で方向感覚を見失うとおっしゃいましたがあ、
私にはそれが小さな世界の法則だとはちょっと思えないですう、
小さな世界というのはもっともっと強力な力なはずですよお、
世界の法則を書き換える力なのですからあ」
そう説明したミルカに今度はウエイが尋ねる。
「なあミルカさんや、もしその森の相手が精霊神だとして、
精霊神を撃退する方法はあるのかな?
やはりワシ達のせいで村民が亡くなってしまったことは気が引けるんだ、
敵を撃退してくれたのもこの村の方々だからな、
少しでも恩を返したいのだがなんとかならんかね?」
「そうじゃの、妾も同意見じゃ」とゆじゅも賛同する。
「う~ん、難しいですねえ、
ゆじゅちゃんには前に言いましたけど精霊神は倒すことができないんですう、
封印するか説得するか他の土地に移動してもらうか、
その三種類しか私は知りません~、でも三つとも欠点がありますう、
封印をしたとしても小さな世界が消えるとは限りません、
これはゆじゅちゃんとアンテアーテルの時に経験して分かってますう、
説得は近づくと無差別に襲ってくるとの話ですから無理かなあ、
他の土地に追い立てるのも無理ですねえ、
基本的に土地神様なのであらゆる地に精霊神が住んでいます、
なので移動先の精霊神をどうにかする必要が出てくるので労力は一緒ですう」
その説明にゆじゅが少し疑問に思った。
「精霊神は本当に倒せないのかえ?
村長さんは相手の右目が潰れておると言うておったよの?
そうだとしたら精霊神ではないのではないかえ?」
「どうなんでしょうねえ、私の専門は人間、亜人、獣人なので、
精霊や精霊神についてはよく分からないんですよお」
一番博識と思われるミルカがそう言うのならば、
対処法はないのかと思い諦めようとしたゆじゅ。
それに対して口を出したのはパトリだった。
「へへ、私わかるよん♪
精神体の精霊に効く攻撃は普通は一つだけだよ、
精神魔法の反縛転魂って言う呪いの魔法だね、
心の悪い部分だけ残して善の部分が霧散しちゃう魔法なんだ、
目が潰れているって言うのならそこに魔法の芯核が打ち込まれてるね、
それを引っこ抜いちゃえば暴走は止まるかもね、
ただ~、元から悪い精霊神だったら保証はしないよ?」
「パトリはよくそんな事知っておるのお、ずっと寝ておったんじゃろ?」
「えへ、これでも第一世代だからね!
元々リディル様から直接情報を埋め込まれているんだよん」
「興味深いですう!
やっぱり第一世代は設定を詰め込まれて作られているんですねえ!」
ミルカが横から言葉を挟んだ。
「そだよん♪」と軽く返事をするパトリ。
「ふむ、では怪我をしないパトリが捕らえてそれを抜けばよいのじゃな、
ミルカさんは魔力を探知する魔道具を持っておったじゃろ、
明日にでもそれを持って現場に行ってみるのはどうじゃ?」
「ゆじゅ、まさかあんたも行く気じゃないでしょうね?」
嫌な予感がしたチマがゆじゅに問い詰めた。
「勿論行くぞよ?」
「あんた自分の身分を考えなさいよ!
自分から危険に飛び込む王族がどこにいるのよ!」
「嫌じゃも~ん妾は行くのじゃも~ん」
「殿下、俺も反対ですよ、殿下はいつも何にでも首を…んぐ!」
ゆじゅが料理の芋を掴み、
喋るズキに向かってポイッと投げ見事に口に入れる。
矢を避けるための舞風の魔法を器用に使って芋を投げ込んだのだ。
芋が喉につっかえて悶えるズキ。
「冗談はここまでにしておいて、
オルジフ村長や、旅を共にすると言うのならば実力をこの目で見たいぞよ、
でき得ることならば魔物などを相手に連携の調整等もしたいのじゃ、
なので旅に行く十名を揃え従うが良い、エブロ達はこの家で休んでおれ、
傷を負うと凶暴化すると言うのならばパトリも連れていきたいぞよ、
あとはこの村ならば安全だと思うのじゃが、
念のためにマルゴーサが子供達の護衛として残るのじゃ、
勿論ロダも置いていくぞよ」
「ぐぬぬ…」正論で攻めたゆじゅにやり込められたチマだった。
ゆじゅが密かにほくそ笑むのをパトリが見たが、
面白いことになりそうなので黙っている事にした。
「プロイェーチェ、集会所に向かってくれ、
集会所には皆さんに同行する者達が旅の準備をしているはず、
今の内容を彼らに伝え明日九時に村の北口に集まるよう伝えてくれないか、
姫殿下、提案謹んで拝命させて頂きます」
この世界で時間は生活魔法を使って誰もが簡単に知ることができる。
魔法を封じられていた時代のズキはそれすら使えず苦労したのだが。
翌朝ゆじゅは気が高ぶって夜明けからすぐに目が覚めた。
他の者達はまだまだ起きる時間ではなかったので手持ち無沙汰になり、
村を散策でもしようと静かに家を出た。
建物が密集している作りの村なので散策と言うほどでもなく一周してしまう。
さてどうしたものかと思案していた時に少し遠くで剣戟の音が聞こえた。
敵がいるのかと思い咄嗟に音に向かって走り出したが、
それならば戦っている者が大声で人を呼ぶのではないかと気づき、
走るのをやめて歩いて音の方へ向かった。
音の出所は今日集合予定の北門だった。
二人の青年が剣を合わせているが村人が訓練しているのだとすぐに分かった。
二人の顔がそっくり、双子だったからだ。
ゆじゅは暇つぶしに見物しようと門の下の置き石に座り眺め始めた。
ズキが他の近衛兵と修練している所を何度も見たことがあるゆじゅだが、
二人の動きはそれとは全く異質のように見えた。
しかもその動きは通常では認識できない速さだったので、
ゆじゅはアクセルの魔法を自分に掛けて観察をしてみた。
一方が剣を振るう前にもう一人が既に回避行動を始めそのまま反撃に移る。
それを交互に繰り返す様はまるで台本のある剣舞を見ている様に感じた。
稀に回避が遅れて避けきれない時だけ剣で対応するが、
それは台本の動きではなく即興で戦っていることの証であった。
しかも相手のバランスを崩そうと剣を止めるのではなく受け流し、
見事に自分のターンに体勢を持ち直し攻撃に繋げる。
剣のことなど全く知らないゆじゅでもズキとは次元の違う強さだと思った。
暫く見学を続けていると二人が同時に動きを止め深呼吸をした。
その内の一人が悔しそうに呟く。
「しまったな~、受け損ねて刃こぼれしちゃったよ、
兄さん刺抜き持ってきているかい? こぼれた刃が額に刺さっちゃって」
「おう、手鏡も持ってるぞ、小さくて見えないから自分で抜いて欲しいじゃん」
兄さんと呼ばれた方の青年が刺抜きセットを渡すとゆじゅの方を向き歩いてきた。
ゆじゅは咄嗟に立ち上がり軽く会釈をした。
「村長のお客人だね、訓練に熱中してしまって挨拶が遅れてごめんな、
幾人かの村人が君達と旅を共にするという話は聞きいたかい?
僕達兄弟も旅に同行する予定なんだ」
そう言うと兄の方が礼をしたので弟の方も棘を抜くのをやめ慌てて礼をする。
「そうじゃったのか、妾はエルフを率いている代表のゆじゅと申す、
魔法を使わぬと見えもせぬ二人の剣さばきは見事であったぞよ」
こんな小さな子供が旅の代表と聞いて驚いた二人だったが、
エルフは長命で年齢不詳なんだなと勘違いをした。
「僕達は見ての通り双子で僕が兄のアガフォン、
こっちが弟のマトヴェイと言いうんだ、今後はよろしくお願いするじゃん」
(丁寧な動作の挨拶にしては口調が…)
「妾も人の事は言えぬが語尾が変ではないかえ? 無理があるぞよ…」
「はは、キャラ作りだよ、知っての通り僕らは寿命が短いから、
少しでも印象を強くして多くの人に覚えて貰いたいんだ」
「僕は兄さんほど生死感には固執はしてないけどね、
兄さんの気持ちは分かるよ」
そう言う兄弟の話を聞いてもあまりピンとこないゆじゅ。
幼い頃にソノの死を見てそれを基準に考えてしまっているからだ。
「ふうむ、長命のエルフには分からぬ問題じゃのお」
生死感が普通の人と違うことは知っているのでぼやかして答えたゆじゅ。
「それにしてもお主らの剣の腕は凄いのお、
妾の近衛の者も強いのじゃが動きは目で追えるのじゃ、
しかしお主らの動きは強化魔法を使わねば追えなかったぞえ、
人というものは鍛え続けるとあそこまで速く動けるのじゃのお、
見ていて感心したぞえ」とゆじゅは続けた。
アガフォンとマトヴェイは近衛という言葉でゆじゅが王族だと気づく。
そして魔法を使えば自分達の動きも追えたということに驚いた。
「失礼ですが王族の方ですか?」途端に言葉遣いが丁寧になるアガフォン。
「妾はエルフとドラゴンによる合議国の第一王女じゃ」
「これは失礼しました」とアガフォンがゆじゅに謝罪する。
「あ~、兄さん不敬罪で死刑だな!」弟のマトヴェイが茶化した。
「そんな小さなことで処刑なぞしていたら革命起こされて死ぬわい…、
近衛のチマちゃんなぞビタンビタンとビンタしてくるしのお、
しかし、待ち合わせの時間までまだ三時間くらいあるが来るのが早くないかえ?」
「今日の予定とは別で、ここで早朝に鍛錬するのは私達の日課なんです、
朝食を取りに一旦戻りますが姫様もお早いですね、
あ、口調は一応気をつけます…」
「妾も早く目が覚めたのでお散歩していただけじゃ、
まあ、そろそろ皆も起き始める時間じゃろうし今日はよろしく頼むぞい」
「霧の中の鳥は気配無く襲ってくると聞きましたので、
正直不安もありますが頑張りますね」
とアガフォンが控え目に言う。
そうして三人は軽く手を振り一度別れるのだった。