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全体会議が終わり、みんなが会議室を出ていく。俺も事務所に戻ろうと通路を歩いていた時、中山さんが声を掛けてきた。
「小津君と小野さん。この後、2人に社内を案内したいんだけどいいかな。大きなオフィスじゃないからすぐ終わるんだけど」
「はい、大丈夫です」
俺と小野さんの返事が重なる。
「じゃあまず事務所の方からね。えーと、どこから教えようかな・・・」
そう言いながら事務所内に入って行く中山さんは、辺りをキョロキョロ見回した。「端っこからでいっか」と、入口のドアに隠れるように置かれていた四角い機械の前に立った。
「まずこれがシュレッダーです。制作会社はいろんな機密情報を扱うのでシュレッダーは欠かせません。オンエア前のCMの資料とか、企画段階の資料とか。普通に燃えるゴミとしてゴミ箱に捨ててもいいんだけど、誰かが持ち出して他社に情報を流すとか、ネットに晒すなんて可能性もゼロとは言い切れないから、外部に見られてはいけない書類は全部このシュレッダーを使って破棄します」
試しにと自分のデスクから1枚の紙を取ってきた中山さんは、挿入口にそれを入れた。
ギュイーン、クシャクシャクシャクシャ。
小型の冷蔵庫くらいあるシュレッダーにA4の紙が吸い込まれていった。
「A4用紙で20枚まで一度に入れられるけど、量が多いと中で詰まっちゃうから気持ち少なめで入れてください。もし詰まっちゃったら」
中山さんがしゃがみこんでシュレッダーの前面部分を開けた。
「ここが開くようになってるから、この中から詰まった紙を取り出してください。危険だからその時は必ず電源を切ること。あと今は量が少ないけど、中のゴミがいっぱいになっていても止まっちゃうから、ゴミは気がついた人が捨ててください。ゴミはエントランス横の非常階段の前に置いておけば、ビルの清掃の人が朝回収してくれます。ちなみに社内の床掃除と、社内のゴミ箱のゴミは全部清掃の人たちが、みんなの出社前にやってくれるので基本はおまかせで大丈夫です」
シュレッダーの中にはダンボールのような箱が入っていて、その箱には透明のビニール袋がセットされていた。捨てる時はその袋ごと取り出し、シュレッダーの横に置かれている新しい袋をセットするという流れらしい。
「このゴミ袋はシュレッダー専用なんだけど、無くなりそうだったら私に言ってください。社内の備品関係は全部私が発注しているので、ゴミ袋以外にも気になったものがあれば遠慮なく言ってね。大体のものは発注から1日で届くんだけど、無くなってからというよりは無くなりそうだなと思ったタイミングで言ってくれるといいかな」
その後、中山さんは事務所内を反時計回りに備品・設備について説明してくれた。共有用文具の置き場所、コーヒーの作り方とお客さんへの提供方法、タイムカードの書き方、予定表の書き方と略語、事務所の施錠方法などなど。
「こんなところかな。まあ多分まだ説明し忘れてることもあると思うし、仕事をしていく中でわからないことも出てくると思うから、その都度聞いてください」
「はい、わかりました」
小野さんも返事をする。
「じゃあ今度は向こう行きましょうか」と、会議室がある部屋の方を指差して歩いていく。
「ここは編集室。動画の編集はちゃんとしたスタジオに入ってすることがほとんどなんだけど、自分たちでできる簡単な編集とか、予算が少ない小さい案件なんかは外部のエディターさんを呼んでここで作業をします」
ぐるっと周りを収納棚に囲まれたその部屋には、長机と椅子の他にモニターが2つと、モニター横の棚にはたくさんのハードディスクとビデオデッキのような機械が3つ積まれていた。
「ここの収納棚には過去の作品が保管されているので、資料集めとかで使うこともあると思います」
中山さんが棚の扉を開けて見せてくれた。中には背表紙に小さな文字が書かれたグレーのビデオケースらしきものが綺麗に収納されていた。世間一般ではDVDが主流の今でも、映像業界ではビデオテープが当たり前のように使われているとは知らなかった。
「機械のことは私じゃわからないから、作業する時に誰かが教えてくれると思う。特に社内で一番機械に詳しいのは須藤さんだから、須藤さんに聞けば間違いないと覚えといて。確か須藤さんは小野さんの教育係にもなってたんじゃないかな?」
「あ、そうなんですね!後でちゃんと挨拶しておきます」
小野さんが嬉しそうに答えた。社内一機械に詳しい人が教育係とは羨ましい。俺の担当はどんな人なんだろう。
編集室の次に案内されたのは小会議室。編集室の隣の部屋で、広さは編集室と同じだった。長机と椅子も同じで、テレビが1つ移動式の台に乗っている。左側の壁が本棚になっていて、様々なジャンルの雑誌や写真集などが大量に並んでいた。
「ここは打ち合わせで使ったり、資料用の本が保管されてるからみんなで調べ物をする時に使ったりしてます。あと、社内でオーディションもすることがあるんだけど、その時に更衣室になったり、編集作業がバッティングした時はここにパソコンを持ち込んで編集室代わりにもするからいろんなことに使われる部屋です」
そしてさらに小会議室の隣にあるのが倉庫だった。ここだけドアが閉まっている。中山さんがドアを開けて電気を点けた瞬間、目の前に飛び込んできたのは天井近くまで積まれた透明の衣装ケースだった。思わず「うわっ」と声が出てしまった。左右に置かれた棚の中も衣装ケースとダンボールが隙間なく詰め込まれているようだった。ドアを開けた中山さんの足元にはカゴや保冷バッグのようなカバンも散乱している。奥に細長いこの空間には、人一人分くらいの足の踏み場しかなかった。
「ここは撮影道具とか撮影で使った衣装とかが保管されています。撮影関係の物は定期的に処分しないと増える一方だからみんなが暇な時期に大掃除をするんだけど、こんな風にすぐ汚くなるんだよね。使った物はちゃんと元の場所に戻せばいいのにさあ」
心底不満そうに言う中山さんの言葉につい納得してしまった。ほぼ床が見えなくなってしまっているこの状態で、もし奥にある物を取り出そうとしたら手前にある物たちを踏みつけながらかき分けて進むしかない。むしろよくここまで放置できたものだ。
俺と小野さんが順番に倉庫の中を覗き終えると、中山さんは手早く電気を消してドアを閉め、さっきまで全体会議をしていた大会議室に入った。
「ここが大会議室。今日みたいに毎週月曜日は10時からここで全体会議があって、各案件の進捗を報告したり、完成した作品を試写したりします。代理店の人とかクライアントの人が来て打ち合わせをする時もこの部屋を使います」
この部屋だけ大きな机と黒革の椅子が並んでいて、道路側の一面が全て窓になっているため唯一解放感がある。窓から外を見てみると、道路の反対側にあるオフィスビルの中で、仕事をしているスーツ姿の人たちが見えた。また下を見ると、6車線の大きな道路をトラックやタクシーが往来し、歩道には小さく歩く人も見える。
自分が都会のど真ん中にいることを思い出した。空は小さく、山は無い。家も無い。鳥や虫の鳴き声もしない。このコンクリートジャングルで、社会人として働いていく実感がこの時はまだ微塵も湧いていなかった。