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精霊姫の宝石箱  作者: 乙原 ゆん
第一章 はじまり
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6.禊

 早朝。

 太陽が昇り切る前の時間に、沙羅は神泉から流れ出る川へ(おもむ)く。


 庭の池に水を引くための小川とは異なり、神泉から自然に溢れ流れる川の幅は二間(約三.五m)程あり、夏の暑い時期、雨の降らない期間もいつも水は滔々と流れていた。この場所までの小道は、宮付きの人間がこまめに手入れをしているため、草は丁寧に刈られている。川は宮の敷地を横切り、宮の外へと流れていく。どこに繋がっているのかは、沙羅は知らない。


 川がゆるやかに湾曲している箇所の内側部分にて禊を行う。裸足だが、地面は砂と小砂利に覆われ痛くはない。ただ、水の冷たさと、膝まである川の水は案外流れが速いため、気を抜くと足を取られそうになるのに気を付けなくてはならなかった。


 身にまとう衣服を脱ぎ、水に入る。

 水に入っている時間はまちまちだ。

 誰かが良い、と言うわけではない。

 強いて言うなら、己が神に相対しても良い、と思えるくらいまで。

 水の流れに、穢れや、思い悩む事柄、持て余してしまう感情を全て(ゆだ)ね、真白になるまで身をひたす。

 ふと、昨夜のことが思い出される。

 命を助けた恩返しに、まさか青年が戻ってくるとは思わなかった。その場では冷静に対応したつもりだが、やはり動揺していたのだろう。何故宮に入れるのか聞きそびれた。

 この宮はもともと宮に張られていた結界に加え、今は水虎の結界が常時張られており、沙羅は問題ないが、帝を含む沙羅以外の人間は事前に約束がないと入れない。だから正規の手続きができない人間が来ようと思って来れる場所ではないのだ。なのにどうして彼は入ってこられたのか。しかも二度も。抜け穴など、水虎が許すはずはないのに。


 あの迅と言う青年は、またここへ来るだろうか。

 己に問うも、答えは明白な気がした。

 精霊石を投げつけてお帰り頂いたのだ。

 せっかく名を教えてもらったが、もう、来ないだろう。

 あのように時たま現れて話し相手になってくれるだけで良かったのに。

 それに、あのように精霊石を投げつけて使うなんて、精霊の方は気にしないかもしれないが、願いを聞いてくれる精霊に対して失礼だった。後で詫びをせねば。


 あえて迅のことを思い出さないようにしようと思うのに、思考はどうしてもそちらへ流れる。

 恩返しなどいらぬというのに、誘い方が秀逸だった。

 責任などなければ、まんまと口車に乗っていたかもしれない。

 外の世界だなんて。

 沙羅は帝のおわす御所からこの宮まで来る途中、牛車の隙間から見た景色くらいしか知らない。

 もし迅の言うことが本当なら、黒と白の熊は見てみたくはある。

 果たしてどんな形態なりをしているのだろう。まだらか、ぶちか。触ることができるほど大人しいだろうか。狂暴でも、そこは精霊にお願いしたらなんとかならないだろうか。

 けれど心惹かれるからこそ、沙羅を利用しようというたくらみがあるのではないかと疑ってしまう。

 昨夜は疑いなど覚えなかったが、一晩経つと冷静な部分も出てくる。


「考えても、無駄ね」


 水の冷たさに我に返り、呟きが漏れる。いくら考えても、過ぎてしまったことだ。

 それに、なにより、沙羅が迅について行けるわけがない。

 帝と沙羅しか知る人は居ないが、沙羅がこの宮にいるのは、精霊石のためだけではない。本来は帝がすべき祭祀の一部を沙羅が引き受け、この宮で取り行っている。


 先帝から帝への譲位が五年前に行われた。その際、帝となる従兄の年齢が二十二と若いことから、夢を見た者がいたらしい。宮に閉じこもる沙羅ですら、何度か謀反だとか下克上だとか危ない噂が流れていることを宮に仕える人間が噂をしているのを耳にしていた。

 そして、実際に、帝は呪殺されかけてしまった。譲位された翌年の御幸でのことで、まだ信頼できる人も揃わず、公募し集めた侍従と共に出かけたところだった。沙羅がその身を犠牲にしてなんとか命は救ったが、それ以降この宮でできるお役目は沙羅が受け持っている。


 視線を腕に落とすと、呪いが黒く凝り、右腕から肩口にかけて巻き付いているのが見える。呪殺されかけた帝の呪いを移し、精霊の力とこの宮に満ちる神力を借りて進行を押しとどめている。払おうにも、沙羅ひとりの力では払えなかった。水虎は力ある精霊のようなので、もしかしたら彼を頼ればよいのかもしれないが、友人を利用するようで、何も言っていない。帝にも知らせていないので、この呪いは沙羅だけの秘密だった。


 この呪いを見て、青年はどう思うだろうか。気味が悪いと距離を置かれてしまうだろうか。

 その可能性を考えるも、もう青年に会うこともないのだし益体やくたいのないことだと、考え自体を振り払う。


 既に体は川の水で冷え切っているが、今日はまだ禊を終えるのに時間がかかりそうだ。

 川の水のより深いところに進みながら、沙羅は己を空にすることだけに集中することにした。

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