17.廃墟
月明かりに廃墟が青白く照らされていた。
もとは泉が湧いていたのだろう。
大きな窪地の周りを囲むように廃屋が立ち並び、その家々を囲むように、固い地面から乾き果てた幹だけが伸びている。
沙羅は廃墟の入口に立っている。
意識はだいぶはっきりとしてきていた。
遠目から見るだけでは気が付かなかったが、ここはもともと広い村だったようだ。
村の中の道は入り組んでいる。
しかも似たような建物が並び、すべてが砂と風で風化しており、目印となるものがないため、不用意に立ち入ると迷いそうだ。
沙羅の前に、ほんの微かな、蛍火のような光が現れて、誘う様に揺れた。
その光に着いて行くかどうか迷ったけれど、ひとまずは従うことにした。
廃墟に立ち入らず逃げることも考えたが、沙羅は砂漠を渡る手段をもっていない。どちらにせよこの廃墟に足を踏み入れるしかないのだ。
それに目の前の光は、桜火が小さきものと呼ぶあまり力をもたない精霊だと思われる。
それなのに力を使って沙羅の前に現われるということは、彼らにとって何か重要なことがあるのだろう。
沙羅とて助けを必要としているが、今まで彼らに力を貸してもらってきている。
何ができるかはわからないが、彼らが沙羅の助けを必要とするならばついていこうと心を決めた。
光の後に続き、廃墟となった村の最奥へと進んでいくと、枯れた泉のふちへと出た。
もとは水際だったであろう段差の境目をしばらく進むと、大きな岩が見えてくる。
光はその岩のところでふっと消えてしまった。用心しながら近づき、岩の下にかがみこむと、そこには沙羅の両手に乗るほどの亀が落ちていた。
清月や桜火と同じように精霊が実体を持った姿に見えるのだが、ひどく弱っているようだった。
「あなたが、呼んだの?」
亀は甲羅に首と手足をひっこめたままで、返事はない。
ただ、風が優しくそよいでいた。
少し迷った後、沙羅は亀を抱え上げ、魔力を注ぎだす。
精霊石は作ることができなくなっていたが、魔力自体が消えたわけではないので、直接手で触れたものに魔力を注ぐことはできた。
しばらくそうして魔力を注ぐ。
前にもこんなことがあったなと、莱紅国でのことを思い出す。
しかし今はあの時と違い、そばで助けてくれる清月はいない。
そういえば、あの時は魔力を注ぎ過ぎて立てなくなったのだった。
今回は注意しないと思った途端に、眩暈が襲った。
気がつくのが遅かったかもしれない。そう思う間もなく力が抜け、そのまま意識を失った。
* * *
気がつくと岩のそばに横たわっていた。
手の中にいたはずの亀はいなくなっている。
「こんなところに、いらしたのですか」
星藍の声が聞こえ、薄く目を開ける。
魔力の使い過ぎで気持ちが悪く、体を動かすことができなかった。
立って沙羅を見下ろす星藍の向こうに、明け方に白く染まる空が見えた。
「精霊に、好かれすぎるというのも、考えものですね」
星藍の息が乱れている。
それでも沙羅を咎めることはせず、星藍はそのまま沙羅を抱き上げた。
「ですが、それでこそ。あなたは我が国の光となるでしょう」
星藍はそのまま沙羅を抱いたまま、歩き出した。
結局逃げることはできなかった。
星藍の腕の中、沙羅は再び意識を失った。
次に気が付いた時、腕の枷には元通り鎖が通されていた。
星藍たちも駱駝をむやみに急かすようなことはしていないが、日中に移動する時間が長くなり、先を急いでいるようだった。
半月後、砂漠を抜けた。
* * *
荷車の振動が変わったのを、迅は寝転がったまま感じていた。
車輪に砂が絡みつくような重さが消え、硬い大地を走っていく。
砂漠で、荷車に詰め込まれていた半数近くが亡くなった。
男たちも西国の言葉に変わり、言葉がわからないと暴行がひどくなる。
皆、短い単語だけだが、返事が出来る様になっていた。
砂漠を抜けた荷車は、真っ直ぐ進んでいる。
荷台の隙間から見えるのは、所々緑が見えるが、大体は乾いた大地だ。
時々、緑のある場所に家が建っている。
代わり映えしない景色のまま幾日か過ぎて、ようなく馬車が止まったのは、そうした家の一軒だった。
「今度奴隷が入ったら欲しいと言ってたろ」
迅を含む体格の良い五名ほどを表に引き出し、男が家主と交渉している。
立っているだけで精一杯で、ぼんやりとそれを聞いていた。
「こいつとこいつはいくらだ?」
家主は迅ともう一人に興味があるようだ。
「こいつは金貨四枚、こっちは金貨五枚」
「金貨五枚だと? 傷だらけのこいつが? 騙そうとしてるんじゃないんだろうな」
「こいつは魔力が多い。最近精霊様のお力が落ちてるだろ。代わりに役に立つと思うぞ。
いらんならこのまま市場に連れてって売るだけだ」
「ふむ。金貨三枚と大銀貨五枚」
「安すぎる。ここまで運んできたんだ。
金貨四枚と大銀貨五枚」
「こいつを使うにしても怪我の手当てに余計な出費がかさむ。金貨四枚だ。これ以上はだせん」
「わかった。それでいい」
迅はその男に売られることになった。




