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精霊姫の宝石箱  作者: 乙原 ゆん
第一章 はじまり
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5.再会の夜

 月の大きな夜だった。

 夏の十五夜に、煌々と照らされる庭は普段に増して神秘的だった。


「今日は怪我をしていないのね」


 露台で涼む沙羅は、木陰の闇に紛れる存在に気がつき声をかけた。沙羅の側に篝火が焚かれているので、男が隠れている場所の闇は濃い。


「そう毎回怪我はしないさ」


 闇から浮かび上がるように姿を現した男は、言葉通り壮健なようだ。今日は覆面もしていない。

 沙羅は無意識のうちに男に怪我をした様子がないことを確認していた。以前治癒を行った際にはそれどころではなく記憶にも残っていなかったが、目を走らせて男の年齢が思った以上に若いのに気が付く。三十を超えているかと思っていたが、声の張りと口調がそうでもない、まだ青年のようにも感じさせる。そして髪の色が若干薄いようだ。篝火のもと正確な色味はわからないが、火に照らされる色は赤く、言葉の発音からも、目の前の青年が異国の人間だと主張していた。沙羅の住む瑞東国のほとんどの住人は黒髪で、沙羅もまた、髪は黒い。


「こんな辺鄙な処まで何しにいらしたの」

「恩返し、って言ったら姫は信じる?」

「信じるも何も、あなたがそう言われるならば事実でしょう」


 顔には出さないが、姫、と呼ばれたことに沙羅は驚く。先日は名乗る間もなく青年は気絶してしまったし、特にそのようなことを話した記憶もない。顔を隠していた青年に何を告げるつもりもなかったのもある。

 それなのに青年が沙羅のことを姫というからには、ある程度の事情を調べてきたのだろうか。調べようと思って調べられるものなのかはわからないが、青年はどうにも沙羅の事情を把握しているようだった。

 沙羅は青年のことを何も知らない。覆面に怪我をして現れるくらいなのだから、日夜にちや、世の後ろ暗いことに手を染めているだろうことも想像がつく。そう気付いていても、目の前の飄々とした態度をとる男を警戒する気にはならなかった。

 わざと沙羅に気が付かせるように現れるのだから、話がしたいのだろう。

 命を取るならば、沙羅が気づかぬうちに済ませているだろうし。

 沙羅の落ち着いた声音に、青年の声色は柔らかさを増した。


「信じてくれるのは嬉しいけど、俺は悪い人間かもよ?」

「例えそうだとしても、言葉に悪意が感じられませんので。ところで、本日はどのようなご用件でしょう。怪我はなされていないようですが」


 沙羅の問いに、青年は参ったなぁとつぶやくも、その声は喜色を増している。

 にやけているのかと思えば、気配が急に改まり、その場にひざまずいた。


「先日は命危うきところを助けて頂き、誠にありがとうございました。姫に救われましたこの命、今後は姫のために役立てたいと思い、本日は参上致しました」

「命を助けることができたのは、精霊の力添えあってのこと。わたくしに恩を感じる必要はありません」

「まさか。姫君の嘆願がなければ、この命、ついえていたことでしょう。もちろん、精霊には感謝を捧げております。しかし、あの場で、不審者でしかないわたしの命を救うと決められたのは、あなたです」


 青年は真摯に沙羅の返答を待っている。


「わかりました。感謝の言葉は受け取りましょう。しかし、だからといってあなたをわたくしに縛るつもりはありません。せっかく命を拾うことができたのです。ご自分の思うがままに使われてはいかがでしょう」

「欲のない方だ。しかし、…いや、そうおっしゃるのならば、姫君の仰せのとおりにいたしましょう」


 青年が一瞬黙り込んだのが少し気にはなったが、問い詰めるようなことでもないと、沙羅は気に留めることはなかった。


「それがよろしいかと。さぁ、お立ちになってください。それに、口調も。元に戻してくださる?」


 青年は、立ち上がりながら笑い声をもらした。


「わかった。これでいいか?」

「はい」

「さっきのようなのは嫌いだった?」

「そういうわけでは。でも、あなたはわたくしよりも年長でしょう? 理由もなくかしこまった口調をされては、変な感じが致します」

「名は、迅だ。それに、二十四だから、そんなに年寄り扱いしないでくれ」


 困ったように言う青年改め迅に、沙羅は自然と口の端が上がる。迅が年齢を気にする様子に、三十を超えているのかと思っていたなど、告げるのはやめておこう。


「わたくしより十、年上ですのね。これからは気を付けますわ。わたくしは、沙羅と申します」

「沙羅姫、と呼んでも良いのか?」

「ええ」


 一瞬見つめあう二人の間に沈黙が落ちる。

 沈黙を破ったのは、迅だった。


「沙羅姫は、ここを出て行こうと思ったことはないのか?」

「考えたこともありませんわ。ここを出たところで、わたくしに生きていく術はありませんもの」

「それは俺が教えるから、覚えれば良い」


 遠回しに外の世界に誘う迅に、沙羅は困惑しつつも告げる。


「そうまでして、行きたいところなど思い付きませんし」

「そんなの簡単だ。とにかく色々見て回ればいい」


 迅の言葉に、沙羅はこの宮を出ての旅や暮らしを想像しようとした。だが、生まれてこの方、後宮やこの宮で隠されるように暮らしてきたため外のことを想像すらできない。それなのに、迅は何でもないことのようにいう。


「この国よりずっと北にある国には、冬になると夜がない日が来る。ずっと続く薄明かりの中、みんなで冬至を祝うんだ。そんなに遠くまでいかなくとも、少し東に海を渡れば島国がある。そこには黒と白の二色の熊がいるそうだ。姫が興味を持つならどこだっていい。一緒に行こうぜ」

「それらを全部見てきたのですか?」

「いいや。これは俺が沙羅姫と行ってみたいと思っている場所さ」


 まるで口説かれているようだ。

 不思議と、それを無礼だと切り捨てることも、行きたくない、と言うこともしたくなかった。

 けれど、沙羅がこの宮で担う務めを考えると、行きたい、と言うことはできない。

 代わりに、別の言葉が口から零れる。


「わたくしには、この場所で果たすべき責任があります」

「姫の価値は俺だって知ってる。でもだからって、ずっと閉じ込められておく必要はないだろ」


 沙羅が何を望み、躊躇うのか、まるで心を読んでいるかのように言う。迅はどこまで沙羅のことを知っているのだろう。名前と年しか知らない、目の前の青年を信じてもよいものか、沙羅には判断はつかない。信じて旅に出た途端、売り飛ばされる可能性もあるのだ。冷静に考えるならば、戯言だと切り捨て、帰ってもらう方が良い。それでも、迅と旅に出る、その想像は酷く心惹かれた。沙羅は、答えを知る問いを、それでも恐る恐る問いかける。


「それが、あなたの恩返しですか?」

「沙羅姫にはいらないって言われたけどな。だからこれは、どっちかっていうと俺の自己満足。姫が背負っているしがらみは、本来背負わなくてもいいものだろう? 俺は姫の立場を理解しきれていないのかもしれない。でもだからこそ、恩人がここで緩やかに朽ちて行くのを見ていられない。もし、俺についてくるのが不安なら、俺の名にかけて誓う。どうか俺に付いてきてくれないか?」


 青年の瞳は真摯な色を宿しており、声色は切実だ。

 沙羅の予測を上回る申し出に、でもだからこそ頷くことはできなかった。


「非常に嬉しいお申し出ですが、わたくしは共に参るわけにはいきません」

「なんでだ!? 姫はここでひっそりと朽ちていきたいのか? そんなのわけないよな?」


 沙羅がついてくると疑っていなかったのか戸惑いの声をあげる迅に、沙羅は静かに首を振る。


「望む、望まないという気持ちの問題ではないのです」

「だったら、理由を言え。言えないんなら、俺はあんたが嫌がっても連れて行く」

「残念です」


 迅はまだ何か言いたげにしていたが、言葉を遮り、懐の結晶を握りしめる。これ以上話を聞いていたら、揺らいでしまいそうだった。その強い眼差しに、その強い声音に、思った以上に惹かれているのを自分でも感じていた。沙羅が心を閉ざしたのを感じたのだろう。迅は口調を荒げて訴える。


「行きたいならそう言えばいいだろ。嫌だなんて、一度も言ってないぞ? そんなんじゃ諦めきれねぇよ。諦めてほしかったら、きっぱりさっぱり断ってくれ」


 身勝手を言う青年の口を閉じさせる代わりに、精霊石を投げつけた。


「お帰りください」


 精霊の燐光が男を包み結晶と共に消えていく。


「そんなんじゃ、俺は諦めないからな」

「お断り致します」


 静けさを取り戻した闇に背を向け、もやもやと残る感情を飲み下し沙羅も寝殿へと戻ることにした。

 来るときは月光で明るかった道も、今は叢雲が月を覆い夜を深くしていた。

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