Hide from V.I.P!
『休憩2時間5000円』
『新台入荷しました!』
『焼き鳥とビール、仕事終わりにいかが?』
再開発された千鳥町のにぎやかな歓楽街を歩いていると、ネオンと電飾に彩られた前時代的な商店街と、気前のいい言葉の踊るスタンド看板や袖看板が目に付いてくる。
閑静な住宅街として作られた久が原と違い、煌びやかな歓楽街として開発された池上の煽りを受け、千鳥町も東急池上線の千鳥駅を基点に周囲にホテルや居酒屋、風俗などの歓楽街としての施設が開発され、21世紀のヒト桁台の年代の清閑とした簡素な住宅街といった様とは打って変わって、賑やかな、仕事終わりのサラリーマンの楽園と化していた。
そこから、一歩南久が原に入ると、先ほどまでの喧騒が嘘のように遠ざかって、暗い、静かな住宅街に変わる。
アリシアが、一人暮らしをしているマンションに向かって歩を進めると、後ろからひたひたと、静かな、ともすれば雑踏の中で消え去ってしまうような小さな足音が聞こえてくる。
ちょっと立ち止まれば聞こえなくなり、歩き出せばまた聞こえてくる。
ひたひた、ひたひたひたと、ぴったりと一定の間隔を保ちながら、その足音はアリシアを追いかけてくる。
その、辺り一帯が静かでなければ聞こえないほどに消した足音は近づきもせず、遠ざかりもしない。訓練されているような足音の消し方と、つかず離れずの状況に得体のしれぬ恐怖を感じる。背後を振り向きたいが、振り向いた瞬間に殺されるか、暴行を加えられる恐怖で首が回ってくれない。
代わりに、歩く速さを速めてみるが、相手も歩く速さを上げて付いてくる。その執念に、改めて標的となっているのは自分だと自覚し、背中を冷汗が伝い、一人で歩いている静かなこの暗い夜道が逃げ場のない袋小路のように思えて気分が悪くなってくる。
(こ、これは、ストーカーというものなのでしょうか? 捕まれば、暴力されてしまうとか……)
カリーナのマニュアルに書いてあった一人暮らしの脅威というものを思い出す。そこに書いてあった、ストーカーという項目を思い出すが、そこには最も注意せよというものと、対処法が乗っていた。
それを思い出しながら、アリシアは久が原の街路を大回りして、一路池上の歓楽街へと向かう。
(これで、撒くことができればよいのですが……)
× × ×
「……ファントム01、目標が人ごみの中に入った」
久が原のとある一軒家にある作戦司令所(ファントム大隊3名の活動拠点)との専用回線に改造スマートフォンで繋ぐ。
「目標が、見えずらい。このままだと見失う危険がある」
急に目標が人ごみの多い池上に向かったことを不審に思いながらも、前から来るサラリーマンの波に抗いながら辛うじて、10メートル先を同じく人ごみにもまれながら歩く目標の特徴的な髪を追う。
『ファントム01了解、ドローンの監視映像から指示する』
「……了解」
携帯電話を右耳に当てていると、ひしめき合う通行人に右ひじが当たり、髪の禿げ散らかったサラリーマンが眉をひそめてこちらを睨みながら通り過ぎていく。
それを尻目に、携帯電話を学生服の左内ポケットにしまう。
『目標は左の路地を直進、その先の信号を左折したわ』
左耳に付けたイヤフォンから、無線通信が入る。その指示の通りに池上の街路を進む。すると、人気の多い居酒屋通りから外れて、静かな住宅街に入る。
『ちょっ、マイク! 次は私のターンでしょ!』
「っ……?」
池上線の高架下に入った時、イヤフォンからアデル・ラングレー曹長の怒鳴り声が聞こえ、次にマイクのものと思われる声が聞こえ、机が倒れる音や物が落ちる音が聞こえてくる。
「ファントム01、応答せよ、ファントム01!」
急いで携帯電話を取り出して問い合わせるが、がたがたという物音がするだけで、応答がない。
「トランプでもしているのか?……いや、任務中のはずだ。そんなわけもないか」
何か緊急事態が起きたのではないかと思い、任務の優先順位を付ける。
目標の尾行か、何かしらの事件、ロシアの諜報員との戦闘が起きている可能性がある司令部に行くか。
『あー、ファントム03、聞いてる?』
「ファントム01、どうした。敵か?」
通信の戻ったと同時に、急いで確認を取る。が、向こうの女性士官は焦った様子はなく、どちらかというと呆れたような口調をする。
『なんでもない、こっちの話よ。で、話があんだけど……』
「?どうした、ファントム01」
なにかうしろめたさ含んでいる声色に、頭の中を疑問符が飛ぶ。仮にも任務中であり、余計な疑問は即座に解消しておかねばならない。
何かしら、重要な話があるのだろうと電話越しに身を正して構えていると、こちらの機嫌を取る様に底なしに明るい声が返ってくる。
『ごっめーん、今のでお姫様見失っちゃった。こっからはセルフで捜してくれる?』
「……、ファントム03……了解」
『ごめんねー』
何か釈然としないものを感じたが、仕事であり、任務であり、上官の命令である以上従わざるを得ない。
そこは軍人としての矜持がある。割り切って考えることにした。
一つため息をつきながら、携帯電話をしまう。
「ッ⁉」
その瞬間、背後から何者かに組み付かれ、道路に張り倒されてアスファルトが右ほおを打つ。
「……動かないでください」
背後からする少女の声は震えている。拳銃の銃口をこちらの背中に付きつけながら、緊張に固まっているように見える。
「手を、上げてください」
「……仰せのままに、姫様」
「……ッ⁉」
アリシア姫が驚きで息をのむが、唯々諾々と先方の要求に従って手を頭の横に持ってくる。
「あ、天城さんっ⁉」
そして、こちらの顔を覗き込んできた彼女が、さらに驚愕して目を見開く。
「はい、自分は天城イオリ軍曹です」
その表情に特段の感情も抱かず、淡々と自分の正体を伝える。その一言ずつに、彼女の影が薄く、揺らいでいくように見える。
「アリシア姫、あなたの護衛です」