6 じいさん
「ここって…」
翔一が、喧嘩をして怪我をしたときに来ている外科医院だ。ケガと言えば、物心ついた時からここにきている。
郁美も昔から世話になっているらしく、郁美が院長のことを「じいさん」と呼ぶから翔一も院長のことを「じいさん」と呼ぶようになったのだ。
「ああ、いつもの病院だ」
「でも、ここでいいのか?」
外科に来たって翔一の症状を治せる気がしない。性転換手術でもやるのだろうか。
ここでそんな手術をしているなんて聞いたことがないが…
「じいさんが、翔一に何かあったら来いって言うからさ。あのじいさんの力でお前が治るとは正直思わないんだけどな…」
「って言うか、俺が女になったことをじいさんに話すのか?姉貴だからやっと話したようなもんなのに…」
「はぁ?姉貴だからって…」
「なーに外でしゃべくっとるんじゃ!はよぉ入って来い!」
いきなり、病院のドアが開いて中から「じいさん」が出てきた。
「久々じゃのぉ、郁美ちゃん。一段と美人になりお…って隣のかわいい子は誰じゃ?」
メチャメチャ古風な、アニメに出てくるわざとらしい「お爺さん」みたいな喋り方。
だけど、嫌いじゃない。まぁ、好きでもないが。
「うるせぇ!込み入った話があるから、中に入れてくれ」
郁美がキレた。じいさんに対しては、いっつもこんなきつい口調なのだ。じいさんだから許されるが、普通の医者だったら診察してくれないんじゃないか…って思うこともある。
だが、郁美の容姿に弱いのか知らないが、文句1つ言わず翔一たちを診てくれる。
「そうか。まぁ、中に入れ」
じいさんの後ろから、2人は病院の中に入った。
土曜の昼過ぎ…今週の診察が終わり一休みしていたのだろう。病院内には、気の緩んだ看護婦がカルテの整理をしていた。
今は、病人怪我人、誰もいない。
じいさんが看護婦に話をして、そのまま診察室に通された。
「さて、郁美ちゃんと…かわい子ちゃん?名前聞いとらんかったな。なんて言うんじゃ?」
「……」
男の頃の翔一とは態度が全然違う。
前に来たときは「まーたきおった」とか言われたが…
こんな態度を取ったのがじいさんじゃなかったら、翔一も帰っていただろう。と言うか、本気で病院を変えようかと思ったが、病院を変えるのが面倒だったからあの時はそのまま診てもらったのだが…
今の翔一は、呆れて何も言えなかった。
黙り込んだ翔一の代わりに、郁美が喋りだす。
「じいさんだから喋るぞ?こいつは翔一。私の弟の翔一だ」
「ほ?」
じいさんの顔が固まった。目すら動かない。呼吸も止まったんじゃないか…?
「朝起きたら女になってたんだと」
「翔一の馬鹿が…こんなかわいい子を騙しおって…」
「いや、マジで本物。雰囲気とか喋り方とか翔一だったから」
「今捕まえてくるからな、待っとるんじゃぞ」
そういって、じいさんは翔一の頭を撫でて診察室を出て行こうとした。
(姉貴と同じ止め方をしなきゃいけないのかよ…)
と、本気で思いかけたところ、郁美が動いた。
「人の話を信じろ!」
そういって、じいさんに足払いをかける。見事にじいさんは背中を打った。
「あああああ!痛いじゃろ!!何するんじゃ!!!」
「じゃあ、翔一の技を受けてみるか?多分じいさん死ぬぜ?」
「……」
じいさんが立ち上がり、翔一の顔を見つめる。
「……マジ?」
「姉貴と同じ聞き方をするな、気持ち悪いだろ」
小さな声で、だが威圧しながら喋りかけた。
「おぉ…怖いのぉ…じじいの心臓止まっちゃう」
「「止めろ!くそじじい!!!」」
2人がじいさんに怒鳴りつける。その態度を見て、じいさんも信じてくれたようだ。
うんうんとうなずきながら、イスに座った。
「ほぉ…こんなことがありえるんじゃのう…」
じいさんが医者の顔になった。ここに来て、唯一この瞬間だけ、じいさんがカッコよく見える。
「上が出て、下がない。生物学的にも女になったんか?」
「ああ、私が確認した」
翔一の代わりに郁美が返事をする。
「じゃあ、中身は?子供が産める準備も出来とるんかの?」
「さぁ…そこまでは…」
「どれ翔一、服脱いでみ?」
「ったく…」
そういって、翔一は服を脱ぎだしたが…
「じょ、冗談じゃよ!!そんなことしたらわしが犯罪者になるじゃろうが!!」
「は?服脱げって言ったらいつもじいさん強引に脱がせるだろうが…」
どうやら、翔一はまだ、自分が女だと言う自覚がないらしい。
「…ま、脱がなくていいなら脱がないけど…」
翔一は、脱ぎかけた服を着なおした。
途端にじいさんがしまった…と言う顔をした。
「…じいさん、次に脱がそうとしたら私が許さないからね」
「は…はひぃ…」
黙って様子を見ていた郁美が、じいさんに脅しかける。
じいさんは怯えていたが、それも一瞬のこと。再び医者の顔に戻った。
「それで?何か思い当たる節はあるかの?」
「寝たら女になった。夢の中で知らない女が居て、お互い裸。体が合わさって1つになったと思ったら目が覚めて、鏡を見たら女だった」
簡単ではあるが、流れとしてはこんな感じだ。
「体が合わさったって…1つになったって…」
じいさんが興奮しているのを見て、姉弟が立ち上がる。
「もういい!もういいわい!!真面目にやるから許しておくれ!!」
「次やったらマジで殺す…」
「仏の顔も3度までだからな…」
2人が座ると、また医者の顔。コロコロ顔を変えて、じいさんも大変だな…
「うーん…難しいのぉ…原因が夢か…」
やっぱり、このじいさんに相談するだけ無駄だったのではないだろうか、そんな気がしてきたが…
「夢が原因…なのかのぉ…」
「いや、夢が原因かはわからないよ?翔一には妙な特殊能力があったわけだし…今はないけど」
特殊能力の話はじいさんにも話したことがある。
(そういえば、じいさんって外科以外にも心理学を勉強してたとか何とか…だったら、縁はありそうだな)
ボーっと翔一は考えてみた。じいさんが心理学を勉強していたのをすっかり忘れていた。
「特殊能力って言ってものぉ…それ自体が本当に『特殊』な能力だしのぉ…」
「能力といえば、町で同じ能力を持った奴が居たよな?」
「居た居た。近くまで行ったんだけどねぇ…」
そう、さっき町で聞こえてきた声。翔一の能力と全く同じだった。
「ほぉ…同じ能力…か。もしかしたらそいつは重要な人物かも知れんぞ?」
「俺の能力を受け継いだ奴…って事か?確かに、どうしよう…とか助けて…とか何か慌ててたみたいだし…」
「助けて、とまで言っとったんか?だったらかなり怪しいぞ?」
「やっぱり、もう1回街に出て探してみる。今だったらまだ近くに居るかも…」
郁美が立ち上がる。翔一も立ち上がった。
「まぁ待て。怪しいといっても確定したわけじゃないぞ?それに、向こうも動転してるようじゃし、下手に会っても向こうが混乱するだけじゃ」
「だって…!そいつが街から逃げたら…」
「逃げるとも限らんじゃろ。助けてとか言いながら街を彷徨ってたんなら、頼る相手を探していたということ。頼れる相手がいないことに気がついたときがチャンスじゃ。そのときに声をかければ、相手も受け入れてくれる可能性がありそうじゃ」
「でも…」
まだ納得いかない郁美に、翔一が助け船を出す。
「じいさん、だったら尾行するぐらいいいだろ?声をかけるタイミングはじいさんの言うとおりにするから、俺たちはそいつを見つけ出して尾行する」
「…言うことを聞かないのは昔っから変わらんのぉ…もう止めん、行って来い」
じいさんの許可が出た。2人は再び立ち上がる。
「声をかけるのは、向こうが本当に落胆してるときじゃ。知らない人間の話なんぞ、普通は聞かんからな」
「了解」「わかった」
2人がそれぞれ返事をしたのを聞いて、じいさんはうなずく。
2人は病院を飛び出した。