三ノ宮 流樹 & 七瀬 蓑 └Side Luki
「いっでぇぇぇぇぇぇ・・・・!!」
おそらく廊下まで響き渡っているであろう音量でおもいっきり彼は叫んだ。
「ちょ、ホケンイ沁みる!痛いって、ちょ!」
大きな目に涙を溜めながら訴える小さな彼はここのところ保健室の常連だった。
「あまり暴れないでください、なんでこんなに毎日怪我しますかね…。ほら、ちゃんと小さな砂粒も取らないとそのまま傷口閉じちゃいますよ」
一体どうやったらこんなに派手に膝をすりむくのか。陸上部の小さなエースと呼ばれている彼だが、エースならエースなりに脚を気遣うものではないのだろうか。
「勢いつきすぎて躓いただけだし…って、いってぇぇぇぇぇ」
大げさではなく、たしかに沁みて痛いとは思う。
しかし…毎度毎度怪我をして、学習能力というものはないのかと問いたくなる。
「はいはい。いいかげん気をつけないと、走れなくなりますよ…」
手際よくガーゼを当て、テープで止めてからサポーターを取り出す。
「あぁ、昨日の傷も消毒しておきましょう。その方が直りが早いはずですから」
そう言うと、いや、いらないって!と想像通りの答えが返ってくる。
「いいよ、沁みるし痛いし!ほっときゃ治るって!」
「それでも早く治ったほうが良いでしょう」
「いや、まじで簡便して!」
昨日擦りむいたという左肘をかばうように隠すと涙目で訴える彼。
あまりにも予想通りで思わずクスリと笑みがこぼれる。
「じゃぁ、そこのノートに書いておいてください。君の名前でいっぱいですがね…」
決まりだから仕方が無い。
保健室の利用者を書き留めるノートには、1年B組 七瀬 蓑 の文字が多く見える。
彼が始めて来たのは…入学式の時だった。
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「ホケンイ、バンソウコちょうだい!」
すごい足音で廊下を爆走してきたかとおもうと保健室の扉がバタンと開き、何の前置きも無く聞こえたその声に驚いて流樹は振り返った。
高校生にしては小さめの体に大きな瞳。
あれだけ爆走してきただろうに、息をきらしていない。
見たことの無い顔…ということは、新入生だろう。
「ちょ、ホケンイ バンソウコ!」
片言の外国人のような焦った言葉に噴出しそうになる。
「あ、えぇと、怪我したんですか?」
思わず観察してしまったことを悟られないように、絆創膏等をしまってある棚へと向かう。
「あ、オレじゃなくて。もうすぐ来る らみあって奴」
自分の怪我じゃないのに爆走してきたのですか、この子は…。
「では、そのらみあ…君が来たら怪我の様子をまず見ないとですね」
不思議な響きの名前に、本当にそういう名前だろうかと疑問を感じつつも もうすぐ来ると言われた相手を待つ。
数分もしないうちに二人の学生が保健室へ顔をだした。
正直、その一人の姿をみて驚いた。
少し長めの黒髪、きつめの瞳。
すらりとしていて線が細く、白い肌。
ここが男子校という前提あってこそ男性だとわかったものの、違っていたら女性だと思ったことだろう。
彼は無愛想なもう一人の学生に引かれるように入ってきた。
「あなたが怪我をしたらみあ君ですね」
椅子に腰掛けるように勧め、怪我とやらを聞く。
左手の甲が赤く腫れていて、右腕に何かに引っ掛けたような切り傷。
「どうしましたか?」
消毒液を出して処置しながら聞くと、しばらくの沈黙の後に らみあは悪くないもん、と呟いた。
「びっくりしたぜ、でっかいやつのしてんだもん…あれ、2年の奴じゃね?」
「悪くないもん」
ぷくっと膨れて問題のらみあ君はそっぽを向くのを、付き添いの一人が心配そうに見つめている。
「左手を貸してください、湿布はっておきましょう」
おそらく左手で思わず殴った、というところだろう。
とっさに拳を作るとき慣れていないと親指を握りこむことがある。そのまま人を殴れば自身の親指を痛めることがあるのだが大丈夫そうだ。血がついていたからガーゼで拭いたが傷口はない。おそらく相手のだろう。殴った衝撃か、違うところへぶつけたかすこし腫れているところに湿布をあてる。
「入学早々大変でしたね。問題あるようでしたらその生徒のことと詳細を伺って私が報告しておきますが…」
ぷくっと膨れたままのらみあの代わりに付き添いの子が 今日のところはこちらで様子を見ておきます、と答えた。
手際よく処置をして終わらせると、自分の手元をじっと小さいのが見つめているのに気づいた。
「センセの指きれーだなー」
「消毒液とかで荒れることもありますからきれいじゃないですよ」
苦笑して戯言に答えると、ぷくっとふくれていたらみあ君まで きれいだよね、と言い出す。
意識して自分の指など見たことも無ければ人のと比べたことも無い。
「ほんと、綺麗なセンセでよかった~」
らみあ君の言葉に思わず苦笑を返すと、彼は立ち上がった。
「ありがと、センセ。ちょっと…むかついたこと言われちゃってさ。入学早々問題起こすつもりなかったんだけど。このこと、ナイショね?あ、またセンセに会いに来ていい?」
手の処置をした直後の瞬時の出来事だった。
彼はすっと手をあげると流樹の眼鏡を難なく外した。
「! やっぱり~。センセ眼鏡ないほうがかっこいいじゃん~」
まさかそのような行動に出られるとは予想してもいなく、防ぎようがなかった。
ましてや…彼の手の動きの早さに驚いた。
「って、これ伊達眼鏡?センセもったいないよ、こんなんつけてるの~」
悪戯っぽく笑って らみあは眼鏡を覗いている。
言葉を失っていると、いい加減にしてくださいと付き添いの子が一言。
「なんでこんなダサい眼鏡してるの?」
小悪魔のような笑みを浮かべて差し出される眼鏡を仕方なく受け取る。
答えは期待していないようだ。
その横顔をじいっと小さいのが見つめていた。
「じゃ、センセありがとね。また会いに来るからv」
にこにこして立ち去るらみあ君に ここは怪我しているか具合の悪い人じゃないと入れませんよ、と伝えると でもまた来るねv と言って連れの子を従えて去ってしまった。
「君も帰らなくていいのですか?」
何かぼーっと見つめている小さいのに一言声をかける。
下校の時間は過ぎている。
入学式の後だから、寮でもなにかとあるはずだ。
「あ…うん。あ、あのさ。オレも怪我したらホケンイ治してくれる?」
「保健医 保健医って…ホケンイって言葉自体が本来存在してませんよ」
「え?まじ?んじゃなに?」
「学校医です」
「へ~。でも、ホケンイだっていいじゃん」
理解してもらえてないようだが、これ以上言っても拉致があかないようなきがする為 流樹は早く帰りなさい、と追い出すように彼を廊下へと出した。
「またね!ホケンイ!」
にっこりと笑って本来走ってはいけない廊下を駆けて行く後姿を見送る。
まぁ、当分の間は健康な学生だろうし会うこともないと思っていたのだが。
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「あ、オレ今週皆勤賞狙えそうじゃね?」
器用に指でペンをくるくるまわしながら ノートを見つめている。
明らかに校内で一番ここに来ているのは彼だろう。
たまにらみあもやって来るが…彼なりに気をつかってか人気の無いときを見計らったかのように顔をだす。
あの容姿故に校内でアイドル化し、常に見つめられている生活は気疲れするのだろうと それを休めるのも診療のうちということにして彼がここへ来るのは容認せざるをえなかった。
正直…誰にでも開かれている保健室ではあるのだが、着任直後 一時期押し寄せるように生徒がやってきては手紙を渡されたり付き合ってくれといわれたり。
男子校故のそれはある程度覚悟していたものの、見え透いた仮病でやってくる生徒のために本当に具合の悪い子や怪我人を手当てできないのでは校医として失格だ。
よって、一切の『申し込み』を拒否し、挙句にはいもしない『心に決めている人がいる』という言葉を使って本来あるべき保健室の姿を取り戻したのだ。
「こう、毎度毎度来ると料金も取りたくなりますね」
「えー、ホケンイだろ、そーゆーこと言わない!」
「どれだけ消毒液が君のために使われたか…」
学校一ここへやってくる彼は、律儀に毎度どこかしら怪我をしてやってくる。
「バンソウコだけでいいってのに、ホケンイが勝手に使うんだろ!」
「まぁ、それが私の仕事ですから」
「オレが痛がるの楽しんでるときあるだろ!」
…否定はできない。
まぁ、消毒をしておいたほうが傷の治りが早いという大義名分はあるのだが。
いつからだろう。
彼の大きな目が自分を見ているのに気づいた。
保健室の中だけではなく、どこかでふと視線を感じると彼がいる。
今日は来ないのかな、とふと考える自分がいる。
ふと外を見て、校庭を走っている陸上部の小さなエースの姿を見入っているときがある。
このあどけない笑顔に癒されている自分がいる。
無垢な笑顔。
この笑顔を独り占めできたなら。
「ホケンイ どうかした?何固まってるん?」
はっとして、手に持った消毒液を棚へと戻す。
「いや…次はもっと沁みる消毒液を用意しておこうかと…」
「普通逆だろー!沁みないの用意してくれよ~。ってか、消毒のいらないバンソウコとか…」
彼が自分の要求を言い終わる前に保健室の戸が開き、彼を呼ぶ声がした。
「蓑!おまえまたここかよ!」
「あ、こぐま~。オレ次無理だよ?こんなんでプールなんてぜってぇ入らないからここにいる!」
「んな事言ってサボるなっての。お前この前もそやって言って出てないんだから今回出ないとやばいぞ」
「でも入りたくないっ!」
「こんだけ大げさにしてあんだから先生も入れとは言わないだろ、だから見学でも授業に出ないと!」
呆れた風にため息をついて、こぐまと呼ばれた生徒が彼を引きずるようにつれてゆく。
「ホケンイ、またくるね~」
にこやかな笑顔で戸を閉める彼に、馬鹿かお前は!と迎えに来た子の声が響く。
去る間際、ちらりとこちらを見た こぐまと呼ばれた子の瞳。
少しにらみつけられるような、きっとした視線。
彼は何かを言いたかったのだろうか。
二人が去って静かになった保健室で、一人机に向かい座る。
窓の外へ目をむければ、同じ一年生だろう。校庭を走っている姿を見る。
他の子を見てもなんとも思うことはなかった。
今まで多々、よりどりみどりといえる様々な生徒に押しかけられていても、どうとも思うことはなかった。
学園のアイドルとなったらみあを見て、かわいいとは思うが、だから?という程度でしかない。
なのに。
また、来るといいな。
蓑へ対してはそう思ってしまう。
そんな自分に困惑する。
「まいったな…」
怪我をしない彼に会えるのはいつの日になるだろうか。