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N.E.E.T  作者: 葉月瞬
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二 クズニート生活拠点を決める

この世の中は糞だらけ。

 遺言状を含む遺産はすぐに哲郎の元へと戻ってきた。自殺で間違いが無いだろうことがはっきりとしたからだ。警察は事務的な処理をするだけで、同情も何も無かった。数多くの死を目の当たりにしてきたからか、同情するという感情を押し殺しているようだった。


 哲郎の元に再びせんべい缶が戻ってきた。この中には全てが封じられている。


 哲郎にとって当面しなければならないことは、六法全書を紐解くことだった。法律に照らし合わせて、自分が置かれている立場をはっきりとしておきたい。家のローンがどうなるのか。そして、これから自分はどうしていけばいいのか。不安で堪らなかった。泣き出したかった。泣き出して逃げ去りたかった。もう、どうしていいか解らないのだ。長年、ニートをやっていたので、世の中の仕組みから取り残されていたのだ。


 法律というと、法律家に相談するのが手っ取り早いのだろうが、ニートである哲郎にそんな度胸もない。他人と顔を合わせるのが億劫で怖いのだ。唯一家族だけが自分との接点だった。だがそれも削がれてしまった。図らずも自分一人だけになってしまった。全て自分で考えて、自分でしなければいけない。これからの辛い人生を思うと、涙が止まらなかった。法治国家日本では、法律が個人を守る。自身で法律を勉強し、法律で自分の身を守らなければいけない。まず、頭に浮かんだのはネットで情報を拾うことだった。


 彼がまず行動を起こしたのは、銀行に行くことだった。銀行に行って、家族の溜め込んだ金を下ろす事が、今の自分を生存させ得る可能性だと思ったのだ。つまり、生活費が無くては何も出来ない。生命保険が降りるのは何かの調査の後だろうし、土地所有権も移るのは何かの調査の後だろう。今手っ取り早く現金を手に入れるためには、預金だけだった。


 家族が残した預金は、五百万円あった。五百万円を小口にし、体中のあちこちに隠した。そして、その現金を持って、ネットカフェに行ったのだ。まずは情報収集。それが必要だと、そしてそれが出来るのはネットしかないと、哲郎の頭の中にはそれしかなかった。


 哲郎が行ったネットカフェは自宅近所にあるネットカフェだ。最寄り駅は上永谷となっているようだが、上永谷から徒歩で行こうとしたら長く続く坂道を登りきったところでさらに道が真っ直ぐに進んでいて、遅くて二十分、早くて十五分ぐらいはするところだ。上永谷から行けるとはいえ、混雑したところにあり、ガストとローソンのある十字路を上永谷から見て右に曲がって暫くいったところにある。運動不足の哲郎にとって、そこへ向かうのも大仕事だった。自転車があればいくらか楽なのだろうが、それにしてもあの坂はしんどい。とはいえ、哲郎の自宅があった場所は上永谷近辺なので、それほど苦も無く辿り着くことが出来た。そしてネットカフェの一番のいいところは、他人と接するということが一人分で済むということだ。途中店内を行きかう客はいるが、哲郎に直接的に関わってくるのは店員だけだ。爽やかに笑う店員は吃音の多い哲郎を悪し様に扱わなかった。そのことに関して、哲郎は気分が良かった。


 煙草か何かの匂いとドリンクや食べ物の匂いの混ざったような独特の匂いと、スポットライトだけを点けただけの暗い店内を歩いてあてがわれたボックスに入る。クッションの敷かれたゆったりとした椅子に鎮座すると、すばやくキーボードを目の前に持ってきてマウスを繰る。目当てのサイトを見つけるのに、さほど時間は掛からなかった。


 哲郎に現在あるのはネットスキルのみだった。これで就職がきるのだろうか。二十五歳の哲郎に不安の波が押し寄せた。学校の授業は、家から出られなかったので受けられなかった。だから学校で教えられることは、自宅で勉強していた。が、それも不完全なまま。教科書に載っている以上のことは知らない。それも小学生の頃はやっていたが、中学に入るとぴたりと止めてしまった。だから小学校以上の知識はないのだ。あるものといえば、ネットワークを駆使する技術のみ。それと、ネットゲームの技術もだ。中学は不登校だったから卒業はしていない。苦肉の策として中退を余儀なくさせられた。高校は言わずもがなだ。こんな、こんな駄目な人間が人として生きていけるのだろうか。ううん、そんなことが気になるわけじゃない。問題は仕事だ。生きていくためには仕事をしないといけない。これは親父の口癖だった。しかし、仕事をするってどういうことだ? まず、そこから考えていかなければいけない。


 仕事に関する疑問が氷解しないまま、ネットで検索した結果、職業安定所、通称ハローワークと呼ばれるものがあるらしいことがわかった。ハローワークは自治体単位に有って、行政区ごとに分けられている。哲郎の行政区は横浜市港南区なので、関内にあるハローワークに行くべきだということが解った。


「関内か……」


 そんな遠い所まで行けるのだろうか。不安が頭を過ぎる。いまだかつて家から一度も出たことのない哲郎にとっては、冒険であった。しかも他人と接触しなくてはならなくなるだろう。今まで家族以外の他人と接触したことがない。そんな自分が他人と上手く話せるのだろうか。不安の種は尽きない。


 ちゃんと、ちゃんと声が出せるのだろうか。


 不安を抱えつつも、とりあえず行動に移そうと鈍い動きで関内に向かった。


 関内の横浜公共職業安定所には二階にニート専門の相談所があるということが解った。まず、そこへ向かう。自分はニートだ。その自覚はあったから。


 二階に上がったそこはきれいなフロアーだ。床に絨毯が敷かれていて、清掃が行き届いているイメージがある。椅子がいくつも並んでいる。それを取り囲むようにして受付の窓口が個別にいくつかある。番号札を取って、とりあえず席に座って待つ。待つ時間がもどかしい。何をするでもなく、どこを見るでもなく待っていると、次第に自分の順番が近付いてきた。番号が繰り上がるたびに、胸が高鳴った。さて、自分の順番になったとき、席を立って受付の窓口に向かった。


「スキルはあるの?」


 窓口の担当になった職員は開口一番そう言った。


 哲郎が無いと首を横に振ると、窓口担当は今度は書類を持ち出してきた。


「これに記入して」


 それはアンケート用紙のようなものだった。自分がニートであるということを改めて自覚させられるものだ。


「……こ、これに書くんですか?」


 哲郎の声はあまりにも小さくて、相手に伝わっているのかどうかさえも怪しい。


「ええ、これに書いてください。書ける所だけでいいですよ」


 どうやら伝わったようである。伝わった、という安心感が先走って肝心の何をどう書けばいいのかとの説明が右から左へと抜けていった。


「す、すいませ……もう一度……せつめ……」


 他人と接するのが苦手な哲郎は、言葉を発するのも苦手である。コンビニは自分でしゃべることも少なく、相手からのアプローチも無い。つまり、孤独の中買い物に行ける、ということだ。だからコンビニでは大丈夫だった哲郎も、当然のごとく話しかけてくる女――窓口の女にしどろもどろなのだ。自分自身に自信が持てない。それが今の哲郎を作っているパーソナリティだった。


「説明ですね」


 対応してくれている女性の笑顔が輝いて見える。哲郎にとっては救世主のようにも、聖女のようにも見えたのだ。


 薄い紙にパソコンで作ったような四角と文字列しかない紙を手渡された。それは最上の所に「アンケート」と銘打ってあった。アンケートを見ると、ニートである人間の統計を取って、それを元に作ってあるのがすぐに解った。まず最初にスキルの有無があった。これは趣味、特技なども入るという。スキル? スキルってなんだろう。自分の好きなこと、特技ってなんだろう。さして特技らしきものも習得してこなかった哲郎にとっては、その設問は無視すべきものだった。


(つ、次)


 次の設問は家族構成についてだった。生憎、哲郎はたった数時間前に家族全員を亡くしている。この設問も唾棄すべきものだ。


 次の設問は希望職種だった。これは何にするべきだろう。最近流行のITとか? でもプログラム技術が必要のようだし、学校もろくすっぽ行っていないニートがIT業界なんかに入れるだろうか。否、プログラムはこれから勉強すればいいし、とにかく仕事していて楽しい職種がいいなぁ、と考えていたところに先程のお姉さんのにこやかな笑顔が目に飛び込んできた。


(よし。IT系にしよう。ネットなら得意だし)


 かっこよさだけで判断してしまった。後に後悔する事になる。


「IT系ですか。何かスキルは持っているのですか? 例えばプログラミングとか。SEの資格とか」


 哲郎はにこやかに首を横に振った。否の意味合いだった。窓口のお姉さんは失望したような表情になる。それを見て哲郎も心が挫折した感覚を味わった。


「ど、どうすれば……身に付けられるのですか?」


 そこまで一気に言って、自分の中の勇気に自信を持った。


 自分はこれから何をすればいいのか。何を勉強すれば良いのか。不安が波のように押し寄せる。それに、本当にかっこいいというだけでIT系の企業に就職してしまっていいのだろうか。自分にはもっと可能性があるのではないだろうか。いや、それ以前に、ITって、なんだろう。その疑問が先にたってしまう自分では、たぶん役に立たないと思う。そりゃ、プログラミングを集中的に勉強してきたとかなら、ITでも通用するかもしれない。でも、自分にある技術力といったら……ネットゲームで死なない、金を稼ぐスキルのみだ。そんなものが果たしてITに活かせるのか。


「あの…………プログラミングとか、SEって、何ですか?」


 哲郎にとっては当然の疑問を口に乗せただけなのに、受付の女の子は呆然としていた。言外にそんなことも知らないのか。という事を言いたいのがわかる。でも相手は大人だ。大人らしい接客をしてくる。


「プログラミングというのは、いうなればパソコンなどのソフトを動かす、その元になるものを作る仕事です。SEというのはシステムエンジニアといって、そのプログラミングの仕事を統括する仕事です」


 窓口のお姉さんは笑顔を崩さずに、哲郎のつまらない質問に淡々と答えていった。これがカウンセリングの一環なんだろうと、哲郎は虚ろながら納得した。


「あの、ど、どうすれば……勉強できるんですか?」


「本を買って勉強したり、ハローワークで講座なども用意しています」


 笑顔を崩すことなく、当たり前の説明をしてくれた。だが、今の哲郎にその講座に通えるだけの度胸があるだろうか。複数の人間に会うのにもおどおどしているのだ。実際、中学を卒業してから今まで、人間に会うのが怖かった。怖いという感覚よりも、人間に会わないという行動が生活の一部になっていた。


(本を買って、勉強するか……)


 それが、最終的に哲郎が下した決断だった。


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