2
派出所も当時のまんまだった。蔦が生い茂る外装も紫外線に焼かれ、今では立派に黄ばんでいた。
「ごめんください」
擦りガラスの向こうは人気に乏しく、僕は用心深くスライドを引いた。案の定、なかには誰もいなく、カウンターにぽつねんとひとつ固定電話が置かれ、その手前に「本官はパトロール中です。御用の方はこちらをどうぞ。御浜警察署に通じます」とのラミネート加工された説明書きがあった。記憶を呼び起こすと、僕がまだこの町の住人だったころ、この町に事件らしい事件は起こったことはなく、お巡りさん(昔は長谷川さんと言う人だった)は毎日手持無沙汰に警邏という散歩を満喫していた。
「お巡りさん、留守みたいだね」
手を繋ぐユウちゃんも、二人で道を歩いているうちに機嫌を取り戻してくれて、空いている方の人差し指を唇にあて「うー、留守だね」と言った。道中、海の魚の話をしていたと思ったいきなり星空の話になったりと、ユウちゃんは奔放な性格のようだった。そこは優と同じだな、なんてちょっと微笑ましかった。そうだ、ユウちゃんのことがひと段落したら、優に会いに行くのもいいかもしれないな。
突然、おなかの虫がなった。僕のじゃない、隣から聞こえた。ぐぅという気の抜けるような音源は僕を見上げる。
「スグルちゃんスグルちゃん」どうでもいいことだけど、ユウちゃんは初対面の僕を臆することなくなぜか「ちゃん」付けで呼ぶ「あたし、おなか減った」
十一歳(これも交番に行くにあたり聞いておいた)にたかられるくたびれたサラリーマンの図が、ここに成立していた。
そういえば僕も昨日から何も食べていなかった。強いて言えば、ネット喫茶で栄養剤を胃に流し込んだぐらいだ。だから僕自身も久方ぶりに何か小腹に入れたい気分になった。派出所の近くには確か、駄菓子屋があったと思うけど。
「三屋、行く?」
「行く!」
元気な答えに引きずられるように僕らは駅前を通る県道沿いにあるお店に向かった。そういえば、何気に三屋っていっちゃったけど、まだ残ってるんだな。なんだか、とても不思議な気がした。
しばらく行くと、汚い字で「3屋」と書かれた看板が見えてきた。いま気がついたけど、「3屋」って「万屋」のことだったんだね。「万」の書き順を間違えて、しかも汚く書き散らすと「3」に見えるって話は聞いたことあるけど、ほんとだったんだ……。
ユウちゃんにずいずいと引っ張られて着いた三屋は、ここも昔のままだった。「氷」の字が踊る南向きの店先に、麦わら帽をかぶったランニングシャツ姿のおじいさんが腰かけていた。ちょっと老けたけど、まだおじいさんが健在なことになぜか少し感動を覚えて「おじいさん、僕、覚えてますか?」なんて口走っていた。
「あー、うん? いんや、見おぼえねぇ」
「僕ですよ、スグルです。十五年前、おじいさんのお店でよくフ菓子を買ってた」
数瞬、間があった。
「あー、あー! スグル、スグルくんネ、いンやまぁ、大きくなっちゃって、どうしたネ、今日は」麦わらの庇の下でおじいさんは目を剥いた。ひどく濁った眼が僕を捉えていた。
今日は、と聞かれても僕は正直どうこたえたものかと固まってしまった。おじいさんに会えたのはうれしいけど、けれどこんな当然の答えが返ってくることなんて少しも考えてなかった。
どうして、だろう。
改めて最近のことを思い直してみる。会社での重大なプロジェクトの責任からのプレッシャー。茉莉花との六年にわたる同棲と今後の進退。その他にも人口過密地にありがちなあれやこれや。なんだか偏頭痛がひどくなってきて、体調もすぐれなくなってきた。辛かったので医者にかかったら、精神科系の病院への紹介状を渡された。
あまり思い出したくないことばかりだ。
「えーまあ、なんか急に、ね」と言葉を濁しながら話題を変えてみる「そういえばおじいさん、この子について何か知りませんか」
僕は、手を握りながら色とりどりのお菓子に目移りしてる小学生のほうを目で示し、聞いてみた。
「知るも何も、あの子はユウちゃんでねぇか」
「ええ、でもなんだか迷子みたいで。ここら辺の子どもみたいなんですけど、ユウちゃん自身、住所とかわからないみたいで。どこに住んでるとか知りませんかね」
「いンや、おレよりもお前さんのほうが詳しくないでネか」
「え?」
老人は虚無の目で応えた。
「いつもお前さん、ユウちゃんといっしょでネか」
ユウ? どのユウ?
「うぅン、そういえばお前さん、誰だァ?」
おじいさんは濁った目に疑いの色を浮かべた。すると、軒先での騒ぎを聞きつけて店の奥から小顔ローラーを転がすおばちゃんが出てきた。
あんれおじいちゃん、また勝手に外に出て、今日は暑いから家ん中にいなさいって言ったでしょう。
「うぅン、お前さん、誰だァ?」
「はいはい、あんたさんの娘の顔を忘れるでないよ」
そういっておじいさんを店の中に引きずっていた。僕たちは完全に取り残された。左手のユウちゃんは飴玉を手一杯につかんだまま、事の次第を見守っていた。
「あ、お勘定」
僕は、奥さん、代金置いときますね、と声を上げて千円札をレジスターの近くにおいて三屋を辞した。お釣りの計算とか、なんだかどうでもよいいように思えていた。
おじいさんはおとなしく店舗兼自宅の奥に行ってしまった。なんだか、とてもさみしくなった。
鼻歌紛れに飴玉を頬張るユウちゃんに手を引かれながら僕は三屋を離れる。引かれる大人の手に力が無いのを感じ取ったのか、
「スグルちゃん?」
どうしたの、と背のちっちゃな女の子は気遣わしげな声をかけてくれた。
「ん? どうもしないよ」と明るい声を作ってみるが、なんだか不自然なものになってしまった。みると、ユウちゃんは手元をがさごそとする。
「元気、だして」
そういって、ユウちゃんは包装をはがした飴玉を一つ僕の方へ差し出してくれた。受け取り、陽気とかで表面が溶けかけてる青い飴玉を僕は口に含んだ。ソーダ味の飴玉は、不思議と苦い味がした。




