第2話 権能
異常だ。
だが、この場でそれを理解しているのは、自分だけだった。
「待て、どこに行くつもりじゃ」
近付こうとしたが、リーネとゴンドが進路を塞ぐ。
肉塊から伸びる小さい手が、母親を求めてもがいた。
「……これが怖くないのか?」
リーネは何を言っているのかわからないといった表情で、肉塊の手を取る。
「なぜ、我が子を怖がる必要があるのですか? 大丈夫ですよ。この子、少し甘えん坊なだけで……ほら、あなたにも手を伸ばしています」
力なく、床を這ってこっちに向かってくる肉塊。
何も答えない。ただ、事実のみを伝える。
「それは、もう人の意識を持っていない」
静かに、断言する。
リーネはきょとんと、目を瞬かせた。
「何を言っているんですか? こんなにも可愛いのに」
肉塊を撫でると、「まま……まま……」と繰り返した。
「人の形状を維持していない。組織は崩壊し、再編されている。発声はただの反射。意思疎通は不可能だ。それを人と呼ぶことはできない」
だが2人には意味が届いていない。
ゴンドが眉をひそめた。
「難しいことを言うな。見ればわかるだろう。この子は、リーネちゃんの子だ」
リーネも頷く。
「ええ。こんなにも元気じゃないですか。ほら、ママって呼んでくれているでしょう?」
肉塊が、どくりと膨らむ。
新しい腕が、ずるりと外へ押し出される。
それでもリーネは、微笑んだままだった。
異常な光景に、目を細める。
「2人の……否、この世界の認識が歪んでいる」
一歩、踏み出す。
だがゴンドが、杖を強く打ち鳴らした。
「それ以上近付くな」
「断る」
止まらず、また踏み出す。
「それは増殖している。既にこの部屋の床材を侵食している。次は壁、天井、外部へと拡張するだろう」
まだ理解していないのか、リーネは穏やかに首を傾げる。
「何を言っているの? この子は、ここにいるだけですよ」
「そう認識しているだけだ。現実は異なる」
更に一歩、距離が詰まる。
「このままでは家が……いや、村が侵食され、滅ぶ」
順然たる事実に、2人が押し黙った。
が、ゴンドが舌打ちをし、吐き捨てるように呟いた。
「馬鹿げたことを。脅しのつもりか」
「……今まで、数多くの滅んだ村を見てきた。事実だ、受け入れろ」
肉塊が、再び脈打つ。
「まま」という声が、僅かに増えた。
一つではない。いくつも重なっている。
それを一瞥し、また2人に視線を戻す。
「お前たちに理解は期待していない。認識が修正される見込みもない」
足を止めず、右腕の袖を捲った。
腕には無数の傷があり、2人の視線を釘付けにした。
「まだ間に合う。ここで排除する」
リーネが僅かに眉を寄せ、喉を鳴らした。
「排除って……何を?」
「それだ」
肉塊を指さすこともなく、ただ、言葉だけで示す。
「退け。退かない場合、障害として処理する」
これは脅しではない。手順の説明だ。
「いやっ、やめて!」
リーネが肉塊に抱き着く。
ゴンドも、杖を構えて力強く睨みつけてきた。
「この子を殺すつもりかッ、下衆め……!」
「殺すつもりはない。ただ、人として終わらせる」
「一緒ではないか!」
「違う」
押し問答をしている間も、肉塊は一回り大きく膨れた。
脈打つ血管のようなものが、床から壁に伸びる。
思ったよりも、侵食が速い。
「……お前たちは、子供の想いを聞いたことがあるか?」
問いかけに、2人は口を噤んだ。
「こんな形になってまで、生きたいと言ったか? 意識を捨て、人の形を捨て、いつかは村を滅ぼして……そこまでして生きていたいと、本気で言ったのか?」
「……わからない……わからない、わからない、わからない! あなたの言っていること、全然わからない!!」
リーネが涙をこぼす。
子を想う母の涙に、少し言葉が詰まった。
「……なら、聞いてみろ。これの……この子の、本当の想いを」
指先が白く光り、肉塊を指さす。
次の瞬間。肉塊も同じ白色の光を纏い、部屋を淡く照らした。
「まま……ま……あ……わ、た……し……」
肉塊の目に、少しだけ光が戻る。
「ルーマ……!」
すぐさまリーネが肉塊に近付き、目に涙を浮かべて抱き締めた。
「ルーマ、お母さんよ。わかる?」
「ぁ……ぁ……ぅ……」
「あぁ、ルーマ……愛しい我が子。本当に……“愛しているわ”」
彼女の言葉に、肉塊が震えた。
「ぁぁ……ぁあ……あああああああああああああああああああああッ!!」
肉が膨れ上がり、小さい腕が増え、リーネの体を掴む。
見る見るうちに、肉塊が彼女の体を飲み込んで行った。
「えっ。あ、いや……!」
「ひっ……!?」
ゴンドが腰を抜かし、その場で転んだ。
「少しだけ意識を戻した。その結果、『母を抱き締めたい』『愛している』という願いが異常増殖してるんだ。……が、悪いが、これ以上は黙って見ていられない」
今もなお増え続ける肉塊に近付き、手を触れる。
反射で反応しているのか、肉塊が男すら取り込もうと蠢く。
熱を持った肉塊が、男の体を焼く。
しかし、こんなものは日常茶飯事だ。大したことではない。
直後――男の持つ権能が、発動した。
「目を覚ませ、ルーマ」
手から眩い光りが迸り、肉塊を包む。
世界から音が消え、色が消え、動きが無くなった。
同時に、異常増殖していた肉が動きを止める。
床、壁、天井にまで伸びていた肉の塊が震え、瞬く間に一ヶ所へ集まっていった。
埋もれていた母親の姿が見えてくる。
肌は爛れ、傷つき、血が流れている。
それでも肉塊を離さず、力強く抱き締めていた。
肉塊は更に小さくなり、徐々に人の形になる。
そうして……痩せこけ、今にも息絶えそうな子供の姿に戻った。
「……ま……ま……」
「あ……ルーマ……ルーマっ……!」
大粒の涙が、少女の頬に落ちる。
ルーマは弱弱しく母の頬に手を伸ばし、力なくほにゃっと笑った。
「まま……だいすき……だよ……」
「ええ……ええっ。ママも、世界で一番大好きよ……!」
ルーマの目が、こっちに向けられる。
さっきまでの狂った目ではない。少女の、優しい微笑みだった。
「おに……ちゃ……あり、がとう……わたしを……おわらせて、くれ……て……」
少女の目から、光りが消える。
母の腕の中で、体の力がゆっくりと抜けていった。
ルーマを抱き締め、リーネが慟哭する。
焼き爛れた腕を押さえ、母娘に背を向ける。
家を出ようとしたその時、ゴンドが話しかけてきた。
「な……何者なんじゃ、お主は……?」
立ち止まり、静かに振り返る。
「……レクス。腐った祈りを終わらせる、ただの旅人だ」
焼き爛れた腕は、既に完治していた。
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