第1話 神は死んだ
最初に腐ったのは、【祈り】だった。
「……あれ?」
少女は、ただ両手を組んでいただけだ。
いつもと同じように、いつもと同じ言葉を、神に捧げていただけなのに。
胸の奥に灯るはずの温もりが、ない。
代わりに広がっていくのは、ぬるりとした違和感だった。
まるで、何かが内側から滲み出してくるような。
指先が、黒ずむ。
爪の隙間から、じわりと濁った色が滲み、皮膚の下で何かが蠢く。
痛みはない。ただ、理解が追いつかない。
「……え、なに、これ……?」
声が震える。
だが、それを聞いた仲間の顔が、次の瞬間に歪んだ。
少女の足元から、腐臭が立ち上る。
花が枯れる。
石が崩れる。
祝福されたはずの聖域が、音もなく死んでいく。
そして気づく。
自分が、中心だと。
「やだ……やだ、やめて……!」
祈りは、誰かを救うためのものだったはずだ。
それなのに今、彼女の祈りは、触れるすべてを腐らせていく。
止め方は分からない。逃げ場もない。
ただ一つ、はっきりしていることがある。
これは、奇跡なんかじゃない。
──少女が祈った、願いの成れの果てだ。
◆✕✕✕✕年後◆
この村から、腐敗の臭いがする。
小高い丘の上。男は鼻を鳴らし、風に混じる腐敗臭に目を細めた。
村全体を見渡す。
畑では男と女がひたいに汗を流し、子供たちも小さな仕事を手伝っていた。
豊かでのどかな光景が、妙に気味が悪い。
誰も、この臭いを気にしていなかった。
そっと息を吐き、丘から村へ降りていく。
近づくに連れて強まる臭いに、顔をしかめる。
村に入ると、近くを通りかかった老人が顔を上げた。
「おや、見ない顔だね。旅人さんかい?」
「……似たようなものだ」
「そうかい。遠路遥々、お疲れじゃろうて。ゆっくりしていきなさい」
「いや、用事が済んだら直ぐに発つ。……この村に、化け物はいないか?」
急に吹いた突風が、砂埃を巻き上げた。
老人の被っていた麦わら帽子が風で飛ばされる。
だが気にしていないのか、張り付けたような笑みを崩さなかった。
「ばけもの……いいや、この村でそんなものは見ていないのぅ」
「……そうか」
ひっそりと、奥歯を噛み締める。
やはり、認識の外か。
「……では、ここ最近で聖女を名乗る女が訪ねて来なかったか?」
「おおっ、聖女様。ええ、ひと月ほど前に。病に侵された村の子供を、奇跡で救ってくれたのじゃ。本当、素晴らしいお人じゃよ」
「子供……案内してほしい」
「うむ、こっちじゃ」
老人に連れられて、村の中を進む。
子供たちがチャンバラをし、主婦たちが穀物を仕分けている。
どこにでもある、平穏な村。
だが……この臭いは、どうしても慣れない。
老人が、一軒の家の前で止まる。
他の家と変わらない、小さい家だ。
「おーい。リーネちゃん、いるかーい?」
老人の声に、中から女性の返事が聞こえた。
戸が開くと、疲れなのか少しやつれた女性が出て来た。
あの臭いも強くなる。ここで間違いない。
「こんにちは、ゴンドさん。……そちらの方は?」
「旅人だそうだ。どうやら、聖女様の奇跡を見たいとのことでな。ルーマちゃん、今大丈夫かの?」
「まあ、そうでしたか。どうぞ。ルーマも喜ぶと思います」
余程嬉しいのか、華やかな笑顔で招き入れた。
老人に続いて中に入る。
食事の準備をしていたのか、キッチンには捌かれた動物が横たわり、死んだ目がこっちを見ていた。
母親がリビングと奥の部屋を隔てる扉を開く。
――同時に、ぬめっとした空気が、床を這って漏れ出した。
「ルーマ、お客様よ。大丈夫?」
優しい声色で、子供に話しかけた。
男も戸を潜ると、空気が淀んでいた。
湿り気を帯びた暗がりが、肺の奥に纏わりつく。
窓は閉ざされ、光は細く裂けた隙間から僅かに射し込むだけだった。
床板がぬかるんでいる。
踏み込んだ足裏に、じわりと嫌な感触が返った。
水でははい。もっと粘り気のある、温度を薄内キレていないもの。
その先、部屋の中央にそれはあった。
肉だった。
ただの肉塊。
だが、無造作に積み重なった赤黒い塊の中から、小さな腕が何本も突き出ている。
指は幼く、爪は薄く、まだ成長しきっていないそれが、無秩序に宙を掻いていた。
まだ、生きている。
「……まま……」
潰れた声が、肉の奥からにじみ出る。
「……まま……まま……」
繰り返される音は、言葉と呼ぶには余りにも歪で。
それでも確かに、意味だけは残していた。
「ええ、ママよ。ママはここにいるからね」
リーネは床に膝をつき、聖母のような微笑みで肉塊を抱き締めた。
ゴンドも目に涙を浮かべ、肉塊を撫でている。
「この子は不治の病に侵されておってなぁ。命の炎も尽きかけていた。しかし聖女様が、この子の為に祈りを捧げてくださったのじゃ。するとどうじゃッ!」
突然バッと顔を上げ、興奮気味に声を張り上げた。
「病は消え、こうして生きている……まさにっ、奇跡じゃ……!!」
リーネも目尻に涙を浮かべ、頬を紅潮させて笑った。
「あぁ、聖女様……感謝してもしきれませんわ。こうして、子供と楽しく生活できるのですから……!」
――狂っている。
2人の様子に、男は小さく嘆息した。
(やはり……この人たちもか)
もう何人も、こうして奇跡を妄信している人に会ってきた。
いや……妄信ではない。
神が死んで、幾星霜。
この奇跡が、この世界にとっての当たり前なのだ。
「2人は、これが生きていると、本気で思っているのか?」
問いかけに、2人が黙ってこっちを凝視してきた。
「人の姿を保っていないこれは、本当に人か?」
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