甲 .【 静寂 】
スタジアムを支配していたのは、
数万人の殺意という名の濁流だった。
しかし、その喧騒がある一点、
運命の閾値を越えた瞬間、
世界から一切の音が剥ぎ取られた。
それは耳が聞こえなくなったのではない。
空間そのものが、
巨大な神殿の奥底のように
「無」へと塗り潰されたのだ。
数万人の群衆は、
振り上げた拳やハンマーを宙に止めたまま、
呼吸の仕方を忘れたかのように凝固した。
彼らの瞳からは、
先ほどまでの濁った熱情が消え、
代わりに底知れない「神聖な恐怖」が宿っている。
本能が告げていた。
今、目の前で「人界の理」が終わり、
四百年の闇がその姿を現そうとしているのだと。
血の海と化したステージの端。
悠然と歩み寄る狐面の男、
コトシロの足取りには、塵ひとつ舞わない。
一歩、また一歩と蓮の残骸へ近づくその所作は、
舞台の上で舞を舞う演者のように静謐でありながら、
同時に抗いようのない重力のような威圧感を放っていた。
「……お前、は……何だ……」
石化した蓮の喉から漏れたのは、
言葉というよりは、砕けた岩石が擦れ合うような
絶望の軋みだった。
唯一露出した左目が、
自身の消滅を目前にして、
最後の問いをコトシロに投げかける___。




