逆さ桶の雨
屋根に雨がふり始めると、祖母の家は声を持った。瓦を叩く粒の連打が、薄い畳の芯まで沁みて、床下の空洞でたゆたう。湿りは匂いとなって鼻に立ち上がり、私の名を呼ぶでもないのに、呼ばれている気がする──そんな家だった。
久しぶりの帰省は梅雨の盛りで、駅前のベンチに腰を下ろした途端、空の色が沈んだ。山間の集落では、雨は季節の挨拶のように唐突で、あらかじめ待たれてもいる。タクシーを降りると、祖母は軒下で小さく手を振った。背はさらに縮み、唇は生の柿のように渋く乾いていたが、目は変わらずよく笑った。
「……おか、えり」
祖母は私を見上げ、喉の奥でよく知っているはずの二音を探して、最後を少し濁した。「おかえり」と言うべき場所で、彼女の舌は他の語を器用に渡っても、固有のものだけを迂回する。野菜の名前は出る。時候の挨拶も、昔話の地名も滑らかだ。けれど、私の名は霧の向こうに置かれたままのように遠い。
「雨だねえ。……桶、さかにして」
祖母は玄関脇の棚から古い手拭いを取り、庭の方を顎で示した。言い終える前に、屋根の端から太い水筋が落ちはじめる。庭の隅、苔むした石垣の切れ目に、丸い井戸口がある。その上には、いつものように木桶が伏せられていた。木肌は雨を待っていたかのように一息に濡れ、にかわの匂いが立ちのぼる。
桶は、昔からひっくり返しておくのが決まりだった。祖母は理由を尋ねると、決まっておかしな言い方をした。「桶は、舌だからね」と。私が幼いころ、井戸の中に顔を近づけて覗こうとすると、祖母は慌てて私の頭を引き離し、桶を両手で押さえた。「雨の舌は、音を舐めるの。持ち上げると、しゃべっちゃう」
しゃべるのはだれか。井戸か、雨か。あるいは、家のほうか。問い返すたび、祖母は笑って、具体には踏み込まなかった。大人になった今なら、子どもを怖がらせないための作り話だと受け流せるのに、雨の初めの匂いは、簡単に理性を滑らせる。私は庭石に滑らないよう気をつけながら、桶の縁に手を置いた。濡れた木はぬるりと温かく、薄く弾力がある。耳を澄ますと、伏せられた空洞の中から、気密の破れる手前のような、柔い息の音がする。
祖母は土間の横、古いラジオのダイヤルに手を伸ばしていた。電源はとうに死んでいるはずのそれは、雨の日だけ、腹の底からざあざあと音を吐く。スイッチは入らないのに、細い針はわずかに揺れて、どこにも合わない局の空白を撫で続ける。祖母はその雑音に耳を傾け、まるで天気予報を読むような顔で頷いた。
「今日は、名が上がる日だよ」
名。祖母はその言葉を、よく使った。近所の犬の名はすらすら出るのに、親戚の誰それになると、音節ごと崩れてしまう。医者には、年齢相応の症状だと説明された。けれど祖母は、名だけは「雨に預けてあるの」と言った。私の名も、その預け先に含まれるのだろうか。胸に小さな錘のような不安が落ちる。
家の裏の物置には、もうひとつ桶がある。今の桶が割れたときのために置いてある替えだ、と祖母は言っていた。夕方、少し雨脚が弱まったとき、私はその物置を開けた。空気は土の甘い匂いで飽和しており、濡れた木材が柔らかく鳴っている。棚の下段に、釘の刺さった古い桶があった。円周に沿って、太い鉄釘が何本も打ち付けられ、蓋のような板が固定されている。子どもの手で、ふさがれた口。
指で釘の頭をなぞると、冷たい。ふと、指先にざらりとした塩の粉がついた。こんな内陸の井戸に、塩が? 舌で確かめることはしなかったが、記憶だけが先に味を作った。塩辛い、というより、言葉の縁を乾かすような味だ。
夜、祖母は仏間の座卓に古い段ボール箱を置いた。中にはカセットテープが数本、白いラベルの紙が湿って波打っている。「これ、覚えてるかね」と祖母が言った。ラベルの字は祖母の手で、震える線が「運動会」「三歳」「おはなしい」といった題を作っている。その一本に、ラベルの端が剥がれているものがあり、そこだけ紙が新しい。
「昔、ここへ来る前の家で録ったんだよ。雨の日に、あんた、よく呼んでた」
よく呼んでいた? 誰を、と聞くと、祖母は視線を宙に投げて、答えなかった。代わりにカセットデッキの蓋を開け、テープを差し込む。再生ボタンを押すと、ラジオの雑音と同じようなざざざ、が流れ、間もなく細い声が、水の膜を通して届くように滲み出た。
『おーい』
自分の声だとすぐにわかった。幼い喉の、空気が軽い感じ。その次に何を呼んだのか、録音は掠れて聞こえない。ノイズの裏で、遠くに水滴の落ちる音が滑る。ぽと、ぽと、と、同じ間隔で、同じ高さ。呼びかけは繰り返され、応えのない空に投げられている。
祖母は私の肩に手を置いた。その手はいつもより冷たく、指の腹に、濡れた手拭いの感触が移ってくる。「雨の名は、ゆっくり上がるのよ」と祖母が言った。「急がせると、こちらが滑る」
夜半、屋根を打つ音が一段強くなった。家の中の空気が一枚厚くなったように感じる。床の間の掛け軸の下で、紙垂のような埃がわずかに揺れる。私は座布団に座って、雨を聞いていた。どれだけ聞いても飽きないのは、そこに音階のない音楽があるせいだろう。祖母は所在なく立ち上がり、土間に置いたラジオの前に立った。針はやはり居場所を見つけず、ただ雨の薄い皮膚を撫で続ける。
やがて、井戸の方から音がした。桶の縁が、控えめに歯の間で鳴るように、ちい、と音を立てた。私はふいに腰を上げ、戸口に向かった。祖母はそれに気づくと、低い声で私の背を呼び止めた。呼び名のない呼び止め。私は廊下で一度立ち止まり、それでも足は庭へ降りた。
桶は濡れて重く、しかし、内側からわずかに持ち上げられている気配があった。雨は言葉を持つ、と祖母は言った。もしも本当に持つなら、その言葉は誰の言葉だろう。私は両手で桶の縁を掴んだ。指先に食い込む木の感触。腕の筋が、幼いときに縄跳びを握ったときの記憶を呼び起こす。
そのとき、土間から祖母の足音がして、背後で手拭いの水が一滴、床に落ちた。「だめだよ」と祖母が言った。静かな声だった。静かさの厚みが、雨の音の層をひとつ余計に重ねた。「今夜は、舌が機嫌を損ねてる」
私は手を離した。桶は舌。舌は音を舐める。舐められた音は、元の口に戻るのか。私は振り返り、祖母の顔を見た。祖母は微笑み、名を言わずに、「あんた」と言った。雨は、夜通し降り続いた。
六月二十七日。雨。記録をつける。誰に見せるでもないが、文字にしていると、湿りが言葉を忘れずにいてくれる。日付を書きながら、指の関節が水を含んで重くなるのが分かる。祖母の家の畳は、吸った分だけ膨らみ、座布団の端は、軽い舟のように波打つ。
祖母は朝から言葉が軽かった。軽いのは、他のすべての名詞と動詞で、固有名は依然として遠い。けれど、私の顔を見ると微笑んで、「……あ」と喉が震えた。雨は小休止に入り、屋根から滴が一粒ずつ落ちる。その間に、祖母は仏壇の前に座り、線香を立て、目を閉じた。まぶたの薄さを透かして、朝の光が灰の上にさざめく。
昼過ぎ、私は物置に入って、釘の桶をもう一度見た。鉄の酸味が鼻を刺す。釘の一本が、昨日よりも浮いているように見える。古い木は湿りを吸って膨らみ、釘穴を押し広げているのだろう。私は無意識にその頭を指で摘み、ほんの少し回した。錆がざらりと指先に移り、指紋の線が黒くなった。釘は浅く、意外なほど簡単に回った。
薄暗い物置の壁に、古いカレンダーが貼ってある。昭和の女優が雨の街を歩いている写真。日付は、祖父が亡くなった年で止まっていた。祖父の筆致で、いくつかの日に印がついている。七月の最初の一週に、赤い丸が重ねられている。雨。水。名。
夕方、祖母は包丁を持って、庭のほうに立っていた。青じそを摘む手つきは慣れていて、切り口から湿った緑の匂いが立った。「今夜は、早く寝なさい」と祖母が言った。「夜が重いから」
夜が重い、という言い方が好きだ。重い夜は、音が底に沈む。底に沈んだ音は、いつか浮かんでくる。祖母の言う「名が上がる」という感覚は、そういうものなのだろう。上がるとき、舌に触れる。舌は桶だ。桶は井戸の口を覆うふたであり、同時に、こちら側と向こう側の境界に置かれた感覚器官だ。
夜。雨は昨夜よりも細く、しかし途切れずに降る。私は畳に横になり、枕元にカセットデッキを置いた。祖母が貸してくれたテープは、昨夜と同じもの。再生ボタンの上に指を置き、押さずにいる。耳の内側で、ざあ、という音が生まれ、現実の雨に近づいたり離れたりする。私は深く息をして、自分の呼吸が天井に触れるのを想像する。触れた呼吸は、天井で水滴に変わり、落ちる。
どこかで、水が一滴落ちた。台所か、土間か、井戸か。区別のつかない落下の音は、家全体の体内で生じたもののように聞こえる。私は起き上がり、裸足で廊下に出た。ガラス戸に触れると、指先に冷たい膜が貼りつく。外は濃い墨汁のような闇で、雨の糸だけが幾重にも見える。
井戸の上の桶が、かすかに鳴った。ひい、と歯の先のような音。私は戸を開け、縁側を降りた。足の裏が板の湿りを吸って、ひと呼吸ごとに冷たさが増す。桶に近づくにつれ、内側から押し上げるような気圧の差が肌に触れた。空気がうすい。私は両手を伸ばし、桶の縁に指を掛けた。今度は、持ち上げる。すこしだけ、ほんの少し。
上がる前に、声が上がった。
『おーい』
あの録音の声と同じ、高さと、空気の軽さ。だがそれはテープからではなく、井戸の底から、地面の呼吸孔から、まっすぐに私の喉へ向かって飛んできた。幼い私の声が、今の私の名前を呼ぶ。呼んだ。私の名前は、雨に濡れると発音が滑って、母音が長く尾を引く。井戸の下では、その尾が水に絡んで揺れていた。
私は桶を落とした。木が石に当たり、鈍い音が庭に響く。すぐに、土間から祖母の足音。祖母は私の肩を押しのけ、両手で桶を押さえつけた。押さえつけながら、彼女の喉が震えた。
「──」
声にならない声。呼び名の手前まで来て、引っかかった音。祖母の両腕は細いのに、押さえる力は想像以上で、桶は二度と鳴らなかった。私の耳の奥では、なおも水が一滴ずつ落ち続けていた。ぽと、ぽと、と、一定の間隔で。私は膝をつき、額を桶の側面に押し当てた。木肌は生き物の腹のようにぬるく、内側の空気の動きが皮膚に伝わった。
祖母は私の背を撫で、今度ははっきりと言った。「だめ」
それだけを言い、あとは黙った。二人で雨を聞いた。夜は確かに重かった。重さは、少しずつ私たちの肩から落ちて、井戸の口に集まり、そこからどこかへ抜けた。
朝、雨はやんでいた。庭石は濡れた鱗のように鈍く光り、空気は洗い立ての布の匂いがした。祖母は仏間に座り、私の顔を見た。目の皺の間に、夜の名残がわずかに光っていた。祖母は唇を湿らせ、言った。
「——」
私の名が、きちんとした形で、祖母の口から出た。二音目の母音は長くなく、でも優しかった。呼ばれた音は、胸の内側でほどけ、ゆっくりと沈んだ。沈みながら、その音は、かつて井戸に落としたものを連れて上がってきたのだと分かった。
その日、物置の釘の桶を見た。釘の頭に、微かな傷が増えていた。昨夜、私が指で回した痕かもしれない。祖母は何も言わなかった。かわりに、井戸の桶に新しい手拭いをかけ、縁を丁寧に拭った。手拭いは冷たかった。冷たさの奥に、舌の温度があった。
夜になっても、もう声は上がらなかった。上がらないことが、あるべき静けさなのだと知る。私は寝床で目を閉じ、天井に呼吸が触れるのを聞いた。触れた呼吸は、もう水滴にはならず、そのまま空気に溶けた。祖母が台所で立てる小さな音──湯呑を返す音、箸を揃える音──が、家の骨組みに吸い込まれていく。
翌朝、駅へ向かう私に、祖母は門口で手を振った。雨は降っていない。けれど、別れの挨拶の前に、祖母は空を見上げる癖を持っている。空を見上げ、呼吸を一つ整え、それから私を見た。
「気をつけて、——」
その後に、私の名が続いた。私は頷き、歩き出した。振り返ったとき、祖母はまだ手を振っていた。手首の動きは、雨の糸のようにしなやかだった。私は、もう一度だけ庭の方を見た。井戸の桶は、きちんと伏せてあり、舌は静かに口の中で休んでいる。
家を離れても、雨の降るたび、私は舌のことを思い出す。舌は音を舐める。名は、舐められてから戻る。戻ってきた名を呼ぶとき、口の中の水は甘い。あの夜、井戸の底から上がってきた声は、私のもので、私ではないものだ。幼い私が落とし、祖母が押さえ、雨が育て、そして今、ようやく私が受け取り直した。
雨の季節は、今年も続く。舌は沈黙を守り、名は口の中にとどまる。私は時々、古いラジオの雑音を思い出す。合わない局の空白を撫で続ける針。その揺れの細さが、なぜか心を落ち着かせる。合わないままで、聞き続けること。名乗らないまま、そばにいること。雨は、その練習を私に教えたのだ。
水:夏ホラー2025:逆さ桶の雨
2025年08月10日 11時50分掲載
水:夏ホラー2025:濡れ仏
2025年08月12日 11時50分掲載
水:夏ホラー2025井戸覗き
2025年08月14日 11時50分掲載
水:夏ホラー2025:袋砂の名前
2025年08月16日 20時00分掲載