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訪問聖女と黄金の杖  作者: KMY
第2節 不労の代価
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8.ロゼール

「‥‥あっ」


瘴気のもとへさらに近づいたところで、ずしーん、ずしーんという大きな足音がする。


「おい、あんな大きい足音のする動物ってこの森にいたか?」

「ジャックさんもご存知ないのですか」


シリルも慌てていたのだが、4人の中で一番森に入っているジャックですら知らないらしい。


「‥‥言い忘れていたけど、瘴気が強すぎる場合、瘴気そのものが魔物になることもあるの」


ごめん。私が申し訳無さそうに手を合わせると、ジャックは「何だ、そんなことか」と、腕を組む手を震わせながら返事した。黒いもやで見えない前方にいる生き物を、フローラは目を凝らしながら見つめている。


「イザベラ猊下のとき、その魔物と対峙した経験はございますか?」

「あるけど、あまりなかった」

「どのように倒したかは覚えておられますか?」

「熟練の騎士が戦って力を弱めてから、強い聖魔法をぶつけてやっと倒せた」

「今、わたくしたち3人で倒せると思いますか?」

「無理だね」


どうしよう。近くの森だからと油断してたけど、こんなに瘴気が強かったなんて。いや、何年も何年も放置していないとここまで強くならないはず。


「おそらく5年前この森に入った騎士たちは、裂け目を物理的に塞ぐだけですましたんだよ。一時的な解決にはなるけど、何かのきっかけで詰め物が壊れて瘴気が一気に吹き出すの」

「そのようなやり方は認められているのですか?」

「次の聖女が現れるまでの一時しのぎだったんじゃないかな。騎士たちは悪くないよ、それしかできないから」


そして、例えば私が聖女として名乗り出た時、ここに連れてこられることになっていたんだと思う。多分このような場所は、王国の中で他にもある。巨大な時限爆弾がたくさん。


「まず裂け目に近づかなければいけませんが、わたくしたち3人でどのようにあの魔物を突破しますか?」

「イザベラの時もセレナの時もやってなかったけど、試したいことがある」


後ろの方で「セレナって誰だ?」「間違っていなければ、イサベラ猊下の前任です」「おいおい、聖女って2人続けて同じ人だったのかよ」というジャックとシリルの会話が聞こえる。私、口を滑らせたらしい。でも今は眼前の問題に集中する。

聖女だった時は、魔物と戦うのは騎士の役目で、聖女はその様子を見て治療したり、最後のとどめだけを刺したりと、あくまで戦いの主役ではなかった。毎回そうだったんだけど、でも私には思いついた戦い方があるのを今頃思い出した。


「どのようなものですか?」


ああ、そういえばフローラにも見せたことなかったね。魔物と戦うのも初めてだった。


「離れてて」


聖魔法と精霊の2つが同時に必要だ。まず、私の中にある魔力から聖を帯びたものだけを抜き出し、凝縮する。聖をさらに足す。凝縮する。固める。固める。小さく。もっと小さく。

閉じている目の先が白く光った。私の周りをくるくる回るように、強い風が吹き荒れる。私の上着だけでなくズボンすら激しく揺れているのが分かる。私は長い呪文を唱える。本気でやるなら詠唱に1時間かかるけど、そういうわけにはいかないからね。10分くらいの短縮版でどうだろう。


「‥‥あっ、光で魔物が気付きました!」

「ちっ、フローラの魔法で何とかならんのか?」

「やってみます!」


フローラとジャックの会話が耳に入ったが、私は詠唱に集中する。フローラの詠唱する声がかすかに耳に入る。戦っているんだ。私も早く呪文を完成させないと。

私は目を閉じているから、周りの様子が分からない。足音が、衝撃音が鳴り響く。それがどんどん近づいてくる。何かがぶっ刺される音も聞こえる。さすがに心臓が高鳴り、発音が裏返る。「自分のペースで大丈夫です!」という、フローラのはっきり大きい声が聞こえる。大丈夫。大丈夫。フローラがなんとかしてくれる。呪文の継ぎ目に、私は深呼吸を一回入れた。

けたたましい音が、地響きとなって私に襲いかかる。でもフローラの声はない。大丈夫。私はフローラを信じる。


『リュミエール・サント』


私を中心に、真っ白な光の円が現れる。まばゆい光を放ち、一気に大きく拡がる。森の8分の1とまではいかなくても、周辺一帯を包む白く巨大な光の円が、木の根っこ周辺を横切り、真っ黒な岩や川を横切っていく。

それが一斉に爆発したかのような轟音が響く。強烈な風を感じる。多分これ、風じゃなくて衝撃波だ。立っているのがやっとだ。でも大丈夫。私は瘴気と戦う。戦える。


轟音が一通り過ぎ去った。ようやく全てが終わった。私はぱちりと目を開けた。周りは真っ暗だが、これは瘴気ではない。月の光だ。真っ黒だと思っていた木は、今ではやわらかい青色をしていた。私は森にあまり来ないからわからないけど、これが本来の夜だったんだ。

そして、目の前の魔物は‥‥消えている。魔法は成功だね。


「っと、みんな、大丈夫‥‥?」


私はおそるおそる振り向いた‥‥そして足がすくんだ。フローラが目を閉じて、仰向けに倒れていた。腹が大きく割かれていた。ぴくとも動いていない。

瘴気が解けた今だから分かる。真っ黒に光る血が広がっていた。


えっ‥フローラ、生きてるの? 間に合った? さっき大丈夫って言ったでしょ。フローラ、大丈夫だよね。嘘だよね。もしかして自分を犠牲にして私を‥‥。5年もずっと私と一緒にいてくれたよね、フローラ。これからもずっと一緒にいてくれるんだよね。違うの? 嫌だ。嫌だ。嫌だ。こんなの嘘だ。


「落ち着け、まだ息はあるぞ」


私の背後の草むらから姿を現したのは、ジャックだった。「ほら、早く治せ」と、地面にへたりこんだ私の尻を蹴った。そして、私の左腕をシリルが掴み上げた。


「急ぎましょう、ロゼールさん」

「‥‥い‥いや‥」


気が気でなかった。シリルに引っ張られて歩こうとしたら転びそうになる。「仕方ねえな」と、ジャックが右腕を掴んだ。


「ほら、歩けるか?」


私は黙って頷いた。近づくにつれて、フローラの様態がよく見える。私の心臓は高鳴る。腹からこれまで見たことのない量の血を流して‥‥大きな傷口の中から、表面のでこぼこした何かが顔を出して‥‥


「見るな!」


ジャックが私の目を塞いだ。


「深呼吸しろ」


私の手首を掴んで、胸に押し当てた。私の胸じゃない。ジャックの胸だ。落ち着いているのが分かる。そう、ゆっくり。ゆっくり。シリルが後ろからマスクを外してくれた。私は懸命に、大きく息を吸った。ジャックの鼓動にあわせて、大きく吸って。吐いて。吸って。吐いて。大丈夫。


「いいか、顔だけ見ろ」

「うん」


手が解かれると私はゆっくり目を開けた。フローラの青白い顔が見える。目から血が‥‥「おい」大丈夫。私ならできる。私は深呼吸を入れてからもう一度、両手を合わせた。白い魔力を手の中に集める。短い呪文を三度唱える。白い光が膨らんで、膨らんで、そして爆発してフローラの体に降り注ぐように集まる。

フローラの体が真っ白になったかと思うと、光がうすれて、ゆっくり消えていく。残りは月光だけになる。‥‥腹の傷はまだ完全には塞がっていないけど、これくらいならもう私1人だけで治せる。しゃがんで、そこに直接手を触れて魔法をかける。


「フローラ」


おそるおそる声を掛けると‥‥「うん‥」という小さい声が聞こえる。


「フローラ?」

「‥‥ろ、ぜーる?」

「フローラ!」


私がフローラの上半身を抱き上げようとすると「痛いっ」という声がする。「ごめんね」ともう一回寝かして、フローラの体にひたすら魔法をかけ続ける。表面から見えないところを治すイメージで。‥‥思い出すだけでぞっと体が震えるけど、そのたびに深呼吸を入れた。


「大丈夫?」

「はい、大丈夫です。あとは右目もお願いします」

「‥大丈夫じゃないじゃん」

「ごめんなさい。でも、わたくしはロゼールを信じておりました」

「私もお兄さんがいなければ治せなかったよ。無茶しないでよ」

「ごめんなさい」


フローラは話せるようになっていた。そして、私の顔を見て微笑みを浮かべていた。

魔物と戦っている時に「大丈夫」と言ってきてくれたあと、フローラの声は聞こえなかった。おそらく、私に詠唱に集中させるため、とどめを刺されても悲鳴をこらえていたと思う。執念がすごい。つらい。何で私のためにそこまでするの。‥‥あっ、また呼吸が。だめ。フローラが助かってよかった。大丈夫。大丈夫。


「どのような魔法をお使いになりましたか?」

「周辺一帯の瘴気を一掃する魔法かな。だから瘴気だけでできた魔物は消える。聖女だった時は騎士の仕事がなくなると言われて使ってなかったけど」

「ふふっ‥」


フローラが笑っているのを見ると、私の頬も自然と緩む。よかった。フローラが治ってくれて本当によかった。私はフローラを抱いた。私の気持ちが目から溢れてくる。本当に悲しい。嬉しい。いろいろな感情がごちゃまぜになる。

立ち上がった後のフローラに、シリルが小声で「無茶しないでください」と言っていた。フローラはシリルにも謝っていた。


   ◇


私の呼吸が落ち着くまで休憩を入れた。少しだけのつもりだったが、30分はかかっていたかもしれない。フローラは私の頭を撫でてくれた。生きているフローラを実感した。

そのあと、私たちはまた歩き出した。


「先程の魔法でこの森全体を浄化しませんか?」


シリルが尋ねてきた。


「確かにその方法もあるんだけど、地面の裂け目を見つけられないとまた再発するよ。そして瘴気を全部消しちゃうと、裂け目がどこにあるのか分からなくなっちゃう。‥‥でもさっきみたいな危ないのはもう嫌だな‥‥」

「わたくしは大丈夫でございます」

「そういうわけにはいかないよ。次やったら怒るよ」


フローラは黙ってしまった。私はため息をついてから、口をまたマスクで覆い隠した。この状況で変装するメリットは全く無いけど、フローラがマスクをしたままだったので私もおそろいでいたくなっただけだった。


「向こうに魔物が見えますね。先程の魔法の効果範囲はここまでみたいです。また戦わないと‥」

「‥‥大丈夫だよ。裂け目はここから少し戻ったところにあると思う」


私は立ち止まって、後ろを振り返った。


「どうして分かるのでしょうか?」

「あっちの瘴気は、さっき戦ったばかりの場所の瘴気よりちょっと強いくらいだったよ。この距離で強さがこれだけしか変わらないんだったら、おそらくその途中に裂け目があるってこと。あっちとこっちの強さから逆算して、このあたりか‥‥茂みの中に入るよ。魔物はいないはず」

「このあたりですね」

「でも裂け目の周りまで浄化しちゃったら、聖女の力で見つけるのは難しいかな。地道な作業になるけど‥‥」


そこまで説明して、私は耳に手を当てた。どこからか声が聞こえてくる気がする。目を閉じて、耳に意識を集中して。ここだよ。ここだよ。ぼそりと小さい声が聞こえる。私は歩き出す。「お、おい」とジャックの大声が聞こえるが、すぐにそれは聞こえなくなり、代わりに3人分の足音が聞こえてきた。


もっと前。少し戻って。右。そう、この草の下。


《精霊さん、ありがとう。後でミルクをあげるね》


私はそう念じたあと、風の精霊に語りかけて足元の草をどかす。ぶちぶちという音が聞こえない。最初から地面に生えていない、どこかから持ち込まれた草。おそらく5年前に軍が裂け目に入れた詰め物。

草をどかすと、次は大量の小石が姿を現した。それも風の精霊さんに運んでもらう。


「裂け目が思ったより大きいみたい、ちょっと離れて」


思ったとおり、そこには地面の裂け目があった。中からは瘴気を感じる。そんなに強くはないが、さっきの魔法が効いているだけだろう。時間がたてば次第に強くなるはずだ。


「裂け目を浄化するけど時間がかかるから、少し離れて見てて」

「分かった」


ここに来るまで長かったけど、終わりまでは短い。3人を後ろに下げて‥‥フローラの「頑張ってください」という声援をもらって、私は呪文を詠唱した。

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