7.ロゼール
私――ロゼール、そしてフローラはいつも通り変装した。といっても今回ばかりは髪の毛の色だけでばれちゃうから気休めだけど。
今回はメル市ではなく、いつもいるホリア村での行動だ。勝手が違う。いつもなじみのある村人たちの家があちこちにある。このうち1人にでも姿を見られたら終わりかもしれない。幸い、今夜はどの家も明かりが消えている。いつもなら明かりのある家がぽつぽつあってもおかしくないのに、今夜は不気味なくらい静かだった。
「どの家も明かりがないね」
「瘴気の話が広がって、みんな怖がってるのかもしれません」
フローラの推測はもっともだと思った。私たちは人目に最新の注意を払って、窓があれば背を低くして、建物の陰を見つけるたびにいちいち覗き込んでから進んだりして、ようやく集会所まで着いた。集会所はこの村の一番南、丘の下にあるのだ。ここから北の森までは、一度行った道を戻って村全体を通り過ぎなければいけない。やっぱり森に行くときには浮遊魔法を使おう。
「フローラ、ミルクは用意できた?」
「できませんでした」
行くと決めて相談を終えたのが午後のいい時間だったので、その時にはもう村のミルクは全部売り切れていた。
「集会所の台所にあるかな」
「きっとあると思います」
「悪いけど、もしあったら使おう」
「はい」
今回は空を飛んでいるわけではないけど、窓から入る時によじ登る代わりに浮遊魔法を使えばいいかな。いつも通り精霊魔法で窓の鍵を開けて、浮遊魔法を使って中に入る。中は真っ暗で、病人が2人、急造のシーツの上に寝かされているだけだった。
「誰も看ていないのかな」
「それぞれの家庭に事情があるんでしょう」
「なるほど‥」
そう小声で話して、「ミルクを探しましょう」というフローラとともに台所へ直行した。台所にある箱を調べようとする前に、箱の上にミルクの入った袋が乗せられているのに気づいた。
「運がいいね」
「はい。コップも見つけました」
ミルクの入ったコップを1つずつ、それぞれの病人の横に置いてから、私たちは1人ずつ小声で祈りを捧げる。聖魔法は怪我に対しても使えるのだが、瘴気に対して使う場合は祈りを捧げて精霊たちの協力を得たほうが効率よく治せる。
「コップのミルクを差し上げます。精霊さん、どうかこの人を瘴気から解放してください」
黒いもやが体から出て霧散するのを確認する。それを2人分繰り返して、2人が目を覚まさないうちにさっさと窓から逃げる。時間がないのでコップは放置しておく。
窓を閉めたところで2人が起き上がって喜び合っているのが見えた。
◇
浮遊魔法で丘の上につくと、一本木には打ち合わせ通りジャックとシリルが待っていた。
「終わったよ、お兄さん」
「じゃあ、次は森か。それより俺達、瘴気と戦ったことないぞ」
「うん、私たちも瘴気と戦ったことないから、もしもの時に逃げる手伝いをしてくれればいいから」
「分かってる」
そんな2人とも、農耕で使う鍬、そして長い棍棒を持っている。心強い。
「3人に瘴気避けの魔法をかけるね」
瘴気は人を蝕む。瘴気のある森に入っただけで瘴気にやられることも少なくないのだから、こうして現場に入る時は聖女が同伴者全員に魔法をかけるのが常識だ。
ちなみに瘴気は聖女以外には見えない。だから私が頑張らないといけない。
森の中に入ると、だんだん瘴気の黒いもやが増えているのが分かる。この森には何度か入ったことがある。私が8歳の時、村の友達に治癒魔法を使ったこともある。あの時は本当に聖女にされるかと思って発作を起こして死にそうなくらい苦しんだけど、実際はそんなことはなかった。なぜだろう。村のみんなにとって治癒魔法と聖女は結びついていないのかな。
私の瘴気避けの魔法がきいているのか、3人とも平気そうだった。私は定期的に3人の顔色を一通り確認する。前世であれば瘴気にやられそうになった同伴の聖職者がみずから名乗り出るものだが、初めての人にとっては疲れたのか瘴気のせいなのか区別が難しかったりするので経験者である私のチェックが必要になる。
「お兄さん、この森に夜行性の動物っていたっけ?」
「そんなにいないと思う」
「じゃあ、大丈夫かな」
私がそう返した矢先、早速木が揺れる。葉が落ちる。そして、ばさばさっと翼を動かして、コウモリが2匹ほど前に立ちはたかった。コウモリから黒いもやが出ているので、魔物だ。魔物は前世でも私の同伴者が戦っているのを見たことがあるが、私自身が魔法を放ったことはなかったと思う。「3人とも下がってて」と言ってから、私は精霊にお願いする。
《私たちを助けて》
すぐに精霊から念話が来て、コウモリの翼が根っこから切り落とされる。胴体がぽとりと地面に落ちて、ぴくぴく動いている。グロいけど、この光景はセレナやイザベラのときに慣れている。シリルが棍棒でコウモリたちを突き殺してくれた。「ありがとう」「いいえ、当然のことをしたまでです」シリルはいつもの調子で微笑んだ。
◇
魔物のもとになった動物の習性のせいか、特に強い魔物には出会わなかった。私たちは瘴気の強い方にどんどん進んでいきながら、こまめに3人の顔色を確認する。
「フローラ、大丈夫? 息苦しかったらいつでも言って」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
うん、大丈夫だと思う。‥‥しばらく歩いていると、ふとジャックが尋ねた。
「あの魔物、寝てるよな」
「うん、寝てる」
「今殺しておかないのか? そうしないと浄化が終わってもしばらく魔物が人を襲うぞ」
「大丈夫。聖女の仕事は浄化するだけじゃないから。機密事項も多いから一般には知られてないけど、浄化のあとに今まで放出された瘴気を吸い込む儀式もするんだよ」
その言葉で、一瞬だけ空気が止まる。あれ?
「‥‥聖女の仕事に詳しいんだな」
「うっ、うん、まあね」
そこから私の話し相手はすぐフローラにバドンタッチする。
「以前から気になっていたのですが‥‥ロゼールはもしや、イザベラ猊下の生まれ変わりでしょうか?」
私の心臓が一瞬ドキッと大きく動いたけど‥‥大丈夫。この3人なら大丈夫だよね。ずっと私の秘密を守ってくれたし。というか今ので私は立ち止まって心臓の音を3人に聞かせてしまったから、これはもう肯定してるのと一緒かな。
「‥‥うん、そうだよ。だから聖女の仕事は分かっている」
「そうでしたか‥」
「生まれ変わりって信じてもらえないと思ってたから黙ってたの、ごめん。いつから気づいてたの?」
「‥‥うすうすとは。イザベラ猊下はわたくしの父と面識があるようで、父からお話を聞かせてもらっていました。性格や行動が似ているかなと」
「そうだったんだ」
あれ、前世の私と面識がある人ってあまり多くないのでは。国王はもちろん、各地の貴族、教会の聖職者、見回りの騎士‥‥うん、多いね。でもそのほとんどが貴族なので、フローラはやっぱり貴族と何らかの関係が必ずあると思う。私たち親友だから、フローラが自分で話してくれるのを待とうか。
「私、経験者だから安心して任せて!」
と親指を立てたものの‥‥。
「‥‥えっと、お兄さんとシリルは生まれ変わりって信じるの?」
「お前がそう言うんならそうだろうな」
「僕は信じます」
後ろの2人もあっさり信じてくれた。ここはひとつ昔話でもしちゃおうか。
「お兄さん、実はイザベラだった時にお父さんに会ったことがあるんだよ。王城の中庭でね」
「それは知ってる。聞いた」
「今でもたまにお父さんじゃなくてテランスさんって呼びそうになる時があって‥‥我慢してるんだけど、いつかうっかり呼んちゃいそう」
「おいおい、そんなことまで俺がごまかすのかよ」
「あはは‥」
ジャックは面倒そうにそっぽを向いた。それから腕を後ろ頭に組んで、聞いてきた。
「なあ、答えられたらでいいけどさ‥‥聖女になりたくないのって理由があんのか?」
「‥‥あっ」
私は急に声が出せなくなった。ひたすら無言で、静寂な森の中で立ち止まってしまった。フローラが慌てて止める。
「ジャックさん、今ここで重い話はしないでください」
「あっ‥‥すまん、余計なことを聞いた」
「‥‥ありがとう。でも今は言えない」
背中をさすってもらったフローラにもお礼を言って、私たちはまた歩き始めた。