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訪問聖女と黄金の杖  作者: KMY
第2節 不労の代価
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6.フローラ

メル市で瘴気騒ぎがあってから2週間がたちました。わたくしとロゼールは先々週も先週も、そして今日も朝帰りになってしまいました。珍しい朝帰りが3回も続いてしまいましたが、来週からはましになっているかもしれません。

わたくし――フローラはいつも通り、月曜日の昼前に起床します。


「おはようございます、フローラ様」

「シリル、おはようございます」


シリルははじめわたくしのことを本当の名前に「王女殿下」をつけて呼んでいましたが、頑張って矯正させました。今はきちんとフローラと呼んでくださいます。

シリルの用意してくれた遅い朝食は、固いパンと具の少ないスープでした。以前の食事と比べるととても粗末なものですが、わたくしも慣れたものです。シリルが平民で本当に助かりました。シリルがいなければ、わたくしはいつまでもあの薄汚い権力争いの中に閉じ込められていたでしょう。もっとも、この村でロゼールと出会ったことで、逃避以外にもここにいる目的ができてしまいましたが‥‥。


食い扶持を繋ぐ仕事はたいていシリルがやってくださいます。ふだんはメイドがやる家事も、わたくしはすっかり慣れました。自分の手で皿洗いをします。粗末な食事に、粗末な服、化粧されていない少し汚れた顔、そしてみずから水で濡らした手。この光景を見れば、いま王城でクローレン国王として政務をとっておられるお父様はきっと卒倒なさることでしょう。でもわたくしは、今の生活が気に入っています。


わたくしの正体、そして本当の名前を知るのは、わたくしとシリルの2人だけです。わたくしがこの村に引っ越してきたのは今から6年前でした。わたくしの立ち振舞から村人たちは当然のように貴族ではないかと噂していたようですが‥‥その2週間後くらいに起きたある事件によって、話題は全部そちらへさらわれてしまいました。当人ロゼールには不謹慎ですが、ひそかに感謝しております。そして、あの騒動によってロゼールはイザベラ猊下げいかの生まれ変わりの聖女である、という話が村中に広まりました。

わたくしはロゼールを王都に連れていきたい気持ちはないと言ったら嘘になりますが‥‥ロゼールの話はまた今度にいたしましょう。ノックの音が聞こえます。


わたくしが自ら玄関先に立って応対します。貴族であればいったん部屋に入れてお茶を飲ませるところですが、玄関先で話すのが平民のスタイルのようですし、お茶がもったいないとシリルにも注意されていますからね。


「どうかしましたか?」

「ああ、差し入れだよ、昨日というか、いつもありがとうな」


送り主は裏の家の青年でした。わたくしは「ありがとうございます」と言って、穀物の入った袋を受け取ります。


「同じ袋が他に2つあるんだ」

「今回はいつもより多いですね」

「メル市のやつが最近多めに持ってきてくれるんだ。ちょっと多すぎるから俺の家に置いて、少しずつ渡すから」

「はい、ありがとうございます」

「ああ、分かってると思うが、このことはロゼールに内緒にしてくれ。ロゼール1人だけならともかく、お前にもいつも渡しているとなれば分かっちゃうかもしれないからな」

「はい。気をつけます」


これだけもらってしまうと、ロゼールとわたくしでまた格差ができてしまいます。余った分は他の村人にあげて、その村人の持っているものをロゼールに渡してもらいましょう。市からの贈り物をロゼールに直接渡すとばれるかもしれませんが、村の生産物のお裾分けという形なら分からないでしょう。ロゼールは村に対して何もしてないのですからね。

そのような会話をして丁寧に別れを告げ、わたくしはロゼールがいらっしゃるのを待ちます。なぜか毎週月曜日の昼はほぼ必ずと言っていいほど会いに来てくれるのですよね。ついさっき会ったばかりですのに、わたくしの心がしんしんと暖かくなるのを感じます。

ノックがします。いらしましたか‥‥と思ったのですが、ノックの仕方がいつもと違います。ここから3つ隣の家の奥様でした。


「村長から伝言をもらって、ちょっと相談したいことが‥‥」

「はい、お入りください」

「失礼します」


玄関では済まなさそうな話題でしたので、家に入れました。わたくしは自分でお茶を淹れて、来客の女性にお出しします。四角い木のテーブルの向かいに座って、話を聞きます。


「北の森でまた瘴気があらわれたのです」

「まあ‥」

「その森に、この村の人が2人ほど、うっかり行ってしまったみたいです」

「その人達は大丈夫ですか?」

「瘴気にやられて、集会所で寝ています。それで、その、森の瘴気を払うために王国の騎士を呼ぶかもしれないという話になって‥‥」

「‥‥‥‥」

「ご存知と思いますけど、5年前のときは騎士のほとんどが亡くなりました。そのときのようにあの子がまた気を病むことがないかとみな心配しているのです」

「分かりました。わたくしからロゼールに話してみます。後でわたくしのほうからご相談に伺います」

「よろしくお願いします」

「あと、これが噂話としてロゼールの耳に入るようにしてもらえませんか? そうすればわたくしもスムーズに話せると思います」

「すでに村長がそのような指示を出しています」

「分かりました」


女性はぺこりと頭を下げて、お茶を一滴も飲まずに出ていきました。ロゼールと一緒に活動しているわたくしの物を取るわけにはいかないとお考えになったのか、それとも平民には出されたものを飲まないと失礼になるという考え自体がないのかもしれません。以前シリルに聞いたところ「おそらく両方でしょう」と言われました。わたくしは女性に出したお茶を自分で飲みながら考えます。

ロゼールとわたくしが定期的に救いに行く対象はあくまでメル市であり、このホリア村ではありません。ですので、周りから隠れつつこの村を救うための方法が確立していないのです。村人全員に正体がばれているので実は方法も何もないですが、それをロゼール本人には隠し通すというのが村人たちの共通の方針のようです。


わたくしはお茶を飲み終わると、「はぁ‥‥」とため息をつきます。まるでわたくしがロゼールを自分の望みのために利用しているような気持ちになるのです。さっきの件だけではありません。ずっと前から。5年前の最初の日から、ロゼールの顔を思い出すたびに罪悪感にとらわれるのです。


ドアのノックが聞こえてきました。今度こそロゼールですね。「お入りください」と、わたくしはみずからドアを開けます。

テーブルの椅子に座ったロゼールは、わたくしのお出ししたお茶を飲み「おいしいね、いつも用意してくれてありがとう」と言います。「ありがとうございます」こんな会話をするたびにわたくしは言うのをくっと我慢していることがあります。今飲んでいるそれはメル市から送られてきた茶葉です。こちらから要求してないのに自主的に送ってきたメル市の人々の気持ち、受け取ってくださいね。しかもはじめのころは調整をお願いしなければいけないくらい多すぎたんですよね。これでも少ない方です。


「ねえ、さっき村の人達が話してるのを聞いたんだけど」


例の話ですね。ロゼールのほうから話を振ってくださいました。


「6年前と同じ北の森で瘴気が出たという話ですか? わたくしも先程耳にいたしました」

「やっぱり本当だったんだね! それで‥王国から騎士を呼ぶかもしれなくて、でも私、騎士には嫌な思い出があって‥‥」

「騎士を治療することはできないのでしたね」

「うん。そんなことをすると確実に王国へ報告されちゃう。だからできるだけそういうことはしたくなくて‥‥」

「それなら、代わりにロゼールが森を浄化いたしますか?」

「‥‥うん、できればそうしたい」


瘴気は一般に地割れや湖の底から出現するもので、その周囲には凶暴化した野生動物‥‥一般に魔物と呼ばれるものが出ることが多いのです。ですからそこへ近づくためには、まず魔物と戦える騎士が必要です。


「ロゼールは、攻撃魔法は使えますか?」

「普通の攻撃魔法は使ったことないけど、精霊にお願いして使ったことがある。威力はそんなに高くなかったかな。危険だと思うけど、他に方法もないから」


5年間一緒に活動していて分かったのですが、ロゼールは、困っている人を放っておけないタイプの人です。助けが必要な人がいれば、危険を冒してでも必ず助けます。そんなロゼールが聖女になることをあれだけ嫌がる事情をお聞きした時は絶句したものですが‥‥話がそれました。


「もしもの場合に備えて、シリルやジャックさんもお連れしては?」

「ええ、でもお兄さんには、私がいないことをお父さんに誤魔化してもらってるからなあ‥‥」

「一晩くらいなら大丈夫です。今までもばれませんでしたから、今回もきっとばれません」

「そういうものなのかな」


首を傾げるロゼールを見てくすっと吹き出しそうになりますが、こらえます。にこにこ笑顔で誤魔化します。


「今まで不要かと思いお伝えしておりませんでしたが、わたくしには攻撃魔法の心得がございます」

「わあ、それは心強いね」

「ですが魔物と戦ったことはございません。気休め程度に思っていただければ。でもシリルやジャックさんが攻撃を受けそうになったら、わたくしも戦います」

「‥‥うん、分かった。そんなことにならないよう、私も頑張る」


王都だけでなくこの村でも、10歳になったら国民の義務である魔力検査を受けますが、平民の場合は特に田舎では3年分まとめてやることも多く、人によって1年や2年くらい遅れます。わたくしの場合、12歳の時に通常はこちらから教会へ赴くところ、教会から特別に司祭がこの村へ直接いらしました。わたくしはその時に、自分が扱える魔法の範囲を把握しております。

ちなみに司祭がいらしたのは、メル市ですっかり有名になった赤髪のロゼールと金髪のわたくしが揃って顔を出さないようにするための配慮でしょうけど、ロゼールは当然のごとく集会所に姿を現しませんでした。司祭も「会いたかった」と残念がっていましたが最初から来ないと思っていたようですし、ロゼールも誰にも叱られなかったようです。そういうことがあってわたくしは自分の魔法の話をしておりませんでしたので、今初めてお伝えしました。


「ところで、2人の村人が瘴気で苦しんでいますが、あちらはどうなさいますか?」

「もちろん、助ける。どこにいるの?」

「集会所だそうです」

「集会所か‥‥遅くまで明かりがついていることもあるんだよね‥‥」

「一応見に行ってから考えましょう」

「うん、そうする」

「いつやりますか?」

「今夜にしよう。今朝行ったばかりだからちょっとハードだけど。まずあの2人を助けてから、森を浄化したい」

「分かりました」


そのあとも相談して、細部を詰めていきます。


   ◇


ロゼールと別れたあと、わたくしはその足で集会所へ直行します。集会所に入ってすぐのところにある広間は、100人いる村人全員がかろうじて収容できる程度の、狭くも広くもない空間です。木に囲まれた四角形の空間の東と西の壁に窓が取り付けられています。案の定、そこには病人だけでなく村長も含め何人かいらっしゃいました。


「フローラです、ロゼールと話してまいりました」

「どうだった?」


この白いあごひげを生やしている初老の男が村長です。まだ体は衰えておらず、背筋は伸びています。


「今夜参ります。明かりがあることを気にしていたので、全部消してください。それからミルクはこちらで用意できないかもしれないので、台所に袋を置いてください」

「分かった。他には?」


ほかの村人たちが「今夜だって」「よかったな」とまだ意識のある病人に声をかけています。王国騎士は森の瘴気と戦い地割れを物理的に塞ぐしかできませんから、ロゼールが何もしなければあの2人は助からないところでした。ほほえましいです。

村長や村人たちと細部を打ち合わせします。まるで私がスパイをしているようで申し訳ない気持ちがありますが、これはロゼールのためになると信じております。

と、村人の誰かが唐突にこんなことを言い出しました。


「なあ、そろそろ正体を知ってることを伝えてもいいんじゃないのか? そうすれば俺達もロゼールを手伝えるし‥‥」

「ばか、楽しんでやってんだよ、言わせんな」


その会話で、瘴気に侵された2人のいる集会所の雰囲気が明るくなります。確かにはじめは村の子供を治療したばかりで混乱しているロゼールに配慮したものでしたが、黙っているうちに村人の一部がこの状況に楽しさを見出してしまったようです。非効率といえばそれまでですが、みなさんがロゼールを好きだという気持ちは伝わってきます。もちろん、人命がかかわる状況になれば伝えることはやぶさかではありませんが。


「‥‥俺、ロゼールには勇気があると思うんだ」

「勇気?」

「3日も過呼吸になるほど聖女が嫌なのに、それでも友達を聖魔法で助けたんだ。さすがに騎士は無理みたいだったけどさ、めけずに訪問聖女を始めたのはなかなか根性あると思うよ」


村人みんなに尋ねても、同じことを言います。みんな、そしてわたくしもロゼールのことを心から尊敬しているのです。

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