4.テランス
あのあと、いつもの夜番にイザベラのことを聞いた。
「たまにああいうことをしてるんだよ。なんても1年前に親を亡くして、その時から頭がおかしくなったらしくてさ。夜番は定期的に口止めされるからお前も言わないでくれ」
「そういうことは早く言ってくれ!」
「だってさ、出くわさなかったら言う必要ないだろ。他言無用ならこういうときにも言ってはいけないと思ってさ」
「だったら他の夜番に頼んでくれよ!」
俺はため息をついた。しかし途端に、これが緊急事態だと気付く。もう恋はしていないが、俺の大切な友人の1人だ。あんなことになっているとは全く思わなかった。俺、何かできることがあったんじゃないのか。今からでも間に合うのか。
「猊下、助かるのか?」
「さあな。最近の猊下の情報は徹底的に隠されていてさ、明るい話しか流れてこない。俺達には無理だろうね」
「そんな‥‥」
俺は図書館で必死にあの病気を調べた。呪いのたぐいではないのか。洗脳でもされているのか。瘴気でそんな作用があったか。俺は学はお世辞にもあるとは言えないが、必死に本を読んだ。教会にも頻繁に通ったが、イザベラの話ははぐらかされた。俺に夜番を頼んだ人を通して、これ以上詮索するなと上から叱られた旨を伝えられた。俺にできることは何もない。しかし俺は諦めきれなかった。
イザベラと会ってから半月後の図書館の帰りに、訃報を聞いた。イザベラは今朝、王都の街を流れる川に浮かんでいたらしい。自殺か、他殺か。公的には事故死と発表されたが、軍の資料には自殺とはっきり書いてあった。イザベラは苦しみから救われた。そうでも考えなければやっていけない。
なぜイザベラが苦しんでいるのに気付かなかったのか。イザベラが嫌がっていた3つの話題を追及すべきだったのではないか。俺なら助けられたのか。俺は何度も酒を飲んだ。やけくそになった。妻が俺のことを心配したが、酒で気の回らなくなっていた俺はそのまま妻を押し倒した。妻は全く抵抗しなかった。俺は調子に乗ってしまった。翌朝になって俺はようやく冷静になれた。後悔した。地面を叩いた。男は泣くなと軍に入ったばかりの頃に上官に言われて以降、初めて泣いた。
このまま王都にいると俺まで頭がおかしくなりそうだったから、妻を連れて俺の生まれた地、ホリア村へ戻った。丘にある100人くらいの小さい村は俺を慰めてくれた。俺の親が住んでいた家はすでに他の人がいたが、わざわざ俺に売ってくれた。俺は何度も遠慮したが、妻が代わりに買ってくれた。
妻が孕んだ。イザベラが死んだ当日にやったものが当たりだったらしい。あまりに不謹慎だ。あんな気持ちで子供を作ってしまって、妻には申し訳ないことをしたと何度も謝罪した。妻は笑って受け入れてくれた。できてしまったものは仕方ない。俺にはすでにジャックという男子がいたが、その弟か妹か。産んでみれば妹だった。俺はそいつにロゼールと名付けた。
「何であの晩、抵抗しなかったんだ? 俺、相当乱暴にやった覚えしか無いんだが‥‥怖かったか? 本当にごめんな」
「いいえ。私こそおかしかったんだと思います。あの時の私は、なぜか産まなければいけないという気持ちになっていて‥‥今考えれば、なぜ抵抗しなかったか分かりません」
赤ちゃんの頭を撫でながらする会話ではなかったが、とにかく生まれてしまったわけだ。「聖女猊下の生まれ変わりだと思って、幸せにしましょう」「ああ」そんな会話があった。
◇
本当に聖女の生まれ変わりだとは夢にも思わなかった。俺がそう確信したのは、ロゼールが8歳のときだった。
それ以前にも、ロゼールの仕草からイザベラの面影を感じ取ることはあった。笑う時に顎に平手を当てていたり、平民なのに村への来客に対して貴族らしくスカートを持ち上げて礼することがあったりした。もちろん礼の時にドレスを持ち上げるのは裾が汚れないようにするためで、スカートを持ち上げる必要などないのだが、それはあまりに慣れた手つきだった。俺が指摘してやると、そのあとも持ち上げることは何度かあったがすぐ収まった。
メル市の妻のところへ遊びに行くときにも、教会の近くへ行くのを嫌っていた。教会近くの噴水にできたばかりのイザベラの銅像を見て「あれが私‥」と言いながらわんわん泣いていたので衆目のなか慌てて引き離した事件もあった。
正直、イザベラに何か関係あるという予感はしていた。だが俺はそのことに目を背け続けてきた。
確信に変わったのは、ある事件がきっかけだった。俺視点で話そう。ある日の昼、緑髪の男の子と一緒に外出していたはずのロゼールが血相を変えて家に走り込んできた。何事かと思ったら、すぐ寝室に引き籠もった。
「おいロゼール、ただいまは? 何があったんだ」
寝室のドアを開けて俺がそう声をかけても、ベッドに横からしかみついたロゼールはうわごとのように繰り返していた。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!」
あまりに様子がおかしい。俺が背中をさすって「何があった、怒らないから教えてくれ」と言ってもロゼールは返事してくれない。壊れた魔道具のように「嫌だ」を繰り返すだけだった。
「嫌だ、嫌だ、あっ、あ、ああ、はぁ、はー、はーっ、はーっ、はーっ」
呼吸が荒くなる。息苦しそうにぜーぜーと音を立てている。過呼吸か。軍でも経験があるから覚えはある。俺は袋をロゼールの口に当てて、「大丈夫だ、大丈夫」と言った。しかし発作は止まらない。一体何があったんだ、恐ろしいものでも見たのか。
夜になっても続いている。翌日になっても続いている。こんなにしぶとい過呼吸は初めて見た。そろそろいい加減医者に出したほうがいいんじゃないのか。
介抱も俺一人だと限界がある。俺がジャックに過呼吸の説明をしているところで、来客があった。俺はロゼールをジャックに放り投げて、客に会った。何が起きたかようやく分かると思ったからだ。
「どうかしましたか」
「お礼を伝えに参りました。昨日は私の子を助けてくださってありがとうございます。ロゼールさんがいなければこの子は死ぬところでした。ありがとうございました」
「いやいや‥‥俺の子が一体何か悪いことをしでかしたのでしょうか? 俺こそ申し訳ありません、でも遠回しに言われても分かりませんから、遠慮なく何でも言ってください」
汗だらけの顔で俺が答えると、母親も子供も困惑した顔つきでお互いを見合っていた。
「いえ、ロゼールさんは、この子が崖から落ちて大怪我して死にそうだったところを魔法で助けてくださったのです。おかげで事故の翌日だというのにもうこんなに元気になって‥‥」
俺は頭の中をくるくる回した。そして気づいた。この世界に魔法はある。平民が魔法を使うこともさほど珍しくはない。教育はないので貴族のように高度な魔法は使えないが。
だが魔法にも種類がある。その中でもとりわけ、人の怪我を治す魔法は聖魔法に分類される。聖魔法を使える人は、この世界でも数人くらいに限られている。そして、そのような人は聖女と呼ばれる。
ロゼールが時折見せるイザベラのような笑い方。イザベラが死ぬ直前の1年間の様子。イザベラの死と交代するように生まれてきた事実。今のロゼールのあの常軌を逸した狼狽ぶり。これらが結びついてしまう。俺は嫌な予感がした。
「少し待ってください!」
俺は寝室に戻って、ロゼールに声をかけた。ロゼールは過呼吸の波で少し落ち着きかけたところで、荒い呼吸ではなく言葉をうわごとのように繰り返していた。
「嫌だ、なりたくない、嫌だ、なりたくない、なりたくない、助けて、父上、助けて‥‥」
ジャックが「これ、どうしたらいい?」と困惑気味に尋ねてくるが、俺は返事できなかった。ロゼールはいつも俺のことをお父さんと呼ぶが、『父上』と言ったことはない‥‥俺の頭に、父が死んでからイザベラの頭がおかしくなったという話がよぎった。
聖女は信仰の対象であり、嫌な話など流れるはずがない。それでもあのように激しく動揺するのは、あらかじめ『知っている』からだろう。
認めるしかない。ロゼールは、イザベラの生まれ変わりだ。俺はひとつ深呼吸してから、来客のほうへ戻った。
「この話、すでにどなたかにされましたか?」
「え、村中の人達に話してしまいましたけど」
母親は何事もなかったかのように答えた。俺の顔は真っ白になった。緊急事態だ。このままではロゼールが死ぬ。俺はそう直感した。
その日のうちに村長に頼み込んで、あわててジャックとロゼールを除く村人全員を集会所に集めた。俺はまず、ロゼールを聖女として突き出さないよう深くお願いした。
「俺たちの生活のためには聖女が必要なんだ! 現に近くの森でも瘴気が増えているし、取引先でもこれから瘴気が増えて人口が減るだろうし、こうやって聖女を隠すと生活が苦しくなるだけだぞ」
こんなことを言ってくる人がいた。心無いと言えばそこまでかもしれないが、なにしろ聖女は1人か2人いるかいないかくらいの非常に稀有な存在なのだ。心無いとか言う人は、実際に瘴気に会ってから同じことを言えばいいと俺は思う。
俺は長考のすえ、ロゼールがイザベラの生まれ変わりかもしれないという話を伝えた。
ロゼールとイザベラには仕草の共通点があること、教会を嫌がっていたことを伝えた。
イザベラは事故死とあるが、俺が盗み見した軍の資料では自殺と書いてあったと伝えた。
ロゼールは前世で聖女が嫌で自殺したから、現世で聖女になったら間違いなくまた自殺すると強調した。
ロゼールの自殺と引き換えに生活が良くなって何が楽しいのかと伝えた。
権力とかコネとか言う人には、イザベラがもとは公爵令嬢だったと伝えた。
相手が納得してくれるまで、俺は何でも話した。必死に話した。誰か1人でも裏切り者がいれば、その瞬間にロゼールは聖女になってしまうのだ。ロゼールにはこの上ないほど悪いことをしたが、許して欲しい。
生まれ変わりなどあるはずないと言われたらどうしようかと思ったが、不思議とそのような質問はなかった。聖女は稀有な存在であり信仰の対象でもあるので、そのようなことがあってもおかしくないと受け止められたのかは分からない。代わりに手厳しいことを言っていた村人がピンポイントで2人くらい、気分を悪くして途中で少し休憩していた。
村人たちが俺の長話を誠実に聞いてくれたのが幸運だった。村人みんな家族のようなものだと言ってもらえたのが心強かった。村人全員がまんぺんなく納得する頃には、すでに朝日の光が差し掛かっていた。
その日、事件から3日目の昼にロゼールの過呼吸はようやくおさまった。村人たちには、ロゼールがまた過呼吸を起こすかもしれないから昨夜話したことは気付かれないようにしてほしいと念を押してある。それでもやっぱりロゼールをじろじろ見る人は現れた。過呼吸が収まったあともロゼールの顔はしばらく青白く足取りもおぼつかなかったから心配されているとロゼールにそれとなく伝えた。本人も納得していた。
後でジャックにも同じ話をした。俺が手を回した結果、ロゼールの秘密は家族どころか村人全員の知るところになってしまったのだ。それに気づいていないのは、ロゼールただ一人だけ。非常に申し訳ないことをした。
その1年後の騎士事件をきっかけに、ロゼールが『訪問聖女』というものを始めることにしたとジャックから教えてもらった。俺や村人たちは気づいていないふりをすればいいのだな。日曜日の夜だな? 村人とも協力して、村ぐるみで夜ふかししないようにしておこう。
ああ、メル市の人が国に通報するかもしれないから、メル市である程度騒ぎになったタイミングで村人有志で説明に行って何人かに協力してもらったほうがいいかもしれない。俺の妻もメル市に縁があるから、いつ誰に会えばいいかは分かるだろう。全く、そう考えればロゼールは危なっかしいな。俺達が何もしなければメル市周辺やここを重点的に探されるに決まってんだろうか。
ロゼールが訪問聖女を始めてから早くも5年。今日は月曜日の朝だが、寝室にロゼールの姿がない。ここ最近、メル市の近くの森で瘴気騒ぎがあったから予感はしていたが、さそ大変だっただろうな。
メル市よりひどい都市は王国の中にいくらでもある。なんならメル市以外全部だ。王都の教会まで行かないと解決できないというのは、素人の俺でも感づいている。それでも俺はロゼールを絶対に聖女にさせない。父親として、そしてかつて惚れてしまった者として、俺が絶対にロゼールを守る。




