22.ロゼール
フローラが私に正体を明かした時、そこにはジャックが居合わせていた。
食卓で父がフローラを殿下と呼んでいたので、フローラはすでに父に話している。
父‥‥テランスには私の秘密を話していいだろう。そして、これから私がどうすべきかも。
私――ロゼールは、おじいさんの手伝いを終わらせて夕方になったあと、神妙な足取りで自分の家のドアをノックした。
「ただいま、お父さん‥‥ってえっ、フローラ、どうしているの?」
昨夜と同じく、フローラが食卓の椅子に座っていた。テーブルの上には、黄土色の古ぼけた袋が丁寧に畳まれて置かれていた。
「おじゃましております。忘れ物を届けに参りました」
「あ、ありがとう」
「本日も食事にお邪魔させていただきますね」
その笑顔が一皮むけたようにかわいらしくて‥‥フローラの笑顔はいつも見ているはずなのに、私はなぜか恥ずかしくなって顔をそらした。
‥‥そうだ、本人がいるならフローラの聖魔法についても説明したほうがいいかな。私は自分の席の椅子だけ掴んで、そっとフローラにささやく。
「あのね、今日お父さんに説明しようと思うの。私の前世のこと、魔法のことと‥‥フローラの魔法についても相談したいんだけど、いい?」
「はい、もちろんです」
その屈託ない笑顔が、どうにも、いつもとは違う色を放っていた。椅子に座った私は思わず目玉をそらしつつ、小声で尋ねる。
「‥‥ねえ、今日何かいいことあった?」
「わたくしはロゼールとお会いできるだけで幸せです」
「そ、そう‥‥?」
「おーいロゼール、手伝えー!」
父から声がかかったので私は「はーい」と椅子を立った。フローラの光から逃げるように、流し台のほうへ走っていった。
◇
「‥‥そうか」
食卓の上にあるものをどけて1つのテーブルに向かい合った私、そして隣に座るフローラは、横に座るジャックの顔を見つつ、向かいの父に顛末を説明した。
私が聖魔法を使えること。
それを使って、これまでメル市で病人を助けてきたこと。
ホリア村でも、北の森の瘴気を祓ったのが自分であること。
私がイザベラの生まれ変わりであること。
聖女は外面とは裏腹に、とても寂しく孤独な職業であること。
聖女にはなりたくないこと。
王都はおろか、メル市とホリア村以外全部が瘴気に塗りつぶされていること。
瘴気におかされた人々を助けられるのは私しかいないこと。
人類が滅亡するか存続するかが私の手にかかっていること。
フローラの父が王都でまだ生きているかもしれないこと。
フローラもつい最近の短い間、聖魔法が使えたこと。
フローラが父を助けに行こうとしていたこと。
そして、私が王都に行って新しい聖女となるべきか迷っていること。
「‥‥イザベラの記憶があるんだったら、俺のことも覚えてるだろうな」
「うん。今まで黙っててごめんなさい」
「いや、気にしてないさ」
私は前世でテランスに恋をしていたけど、それは話さなかった。今のテランスは、私にとってとても大切な父親だと思っている。テランスの子として生まれることができて幸せだ。
「‥‥それで、聖女になりたくないという話なんだが」
「うん」
「なりたくなければ、なるな」
「‥‥それでいいの? このホリア村やメル市は私が守りたいけど、聖女の力を隠しながらならいずれ限界も‥‥」
私の身が震える。‥‥でも父は、言葉を続けた。
「俺は世界が壊れてても絶対に、ロゼールが嫌なことをさせない。なぜなら前世のイザベラは自殺したからだ」
「‥‥えっ? そ、それ、どういうこと?」
「やっぱりか。表向きは事故死ということになってるが軍が調べたところ、イザベラはみずから川に近づいて落ちたという複数の目撃証言があったんだ。さっきの話しぶりからすると、本当に覚えていないんだな」
そんな‥‥そうか。私、聖女のことがそんなに嫌いだったんだ。だから現世でも、過呼吸を起こしてまで体が聖女を拒絶していたんだ。
前世の私が死ぬ時、冷たい水に体を包まれながらも幸せな気持ちだったのを覚えている。イザベラ、ごめんなさい。今の私の体は大切にする。そっと横からフローラが、ハンカチを私の目に当ててくれた。
「母さんには話したか?」
「まだ」
「そうか‥‥」
父はそれだけ確認すると、深呼吸をひとつ入れた。
「なあ、知ってるか。この村のやつらはみんなお前が好きだ」
「うん、知ってる」
「メル市のやつらも、お前が好きだ」
「うん、そう思う」
「だから、いざというときはロゼールを守ってくれる。どうだ、メル市の小さい聖女になってみないか?」
それは、このクローレン王国全体ではなく、メル市まわりの狭い範囲だけで活動するという意味?
「メル市周辺以外はもう手遅れなんだろ。だったら、今あるところだけでも守ってみるのがいいんじゃないか。いっそ新しい国を作るのもありかもしれないな。そうすればロゼールが法律だ。聖女の仕事ももっと自由にできるだろうし」
「で、でもそうしたら陛下が死んじゃう‥!」
「ロゼール。聖女になるかもしれないと思っただけで過呼吸起こすんだろ? そんな体で王都に行けると思ってんのか?」
「それは‥‥」
「ロゼールの力は確かにすごいかもしれんが、自分の限界はわきまえろ」
‥‥私はフローラの顔を見られなかった。隣にフローラがいると思うと、頭がうつむいたまま動かせない。
「‥‥どっちみちメル市で活動するなら、母さんにも話したほうがいいな。メル市は母さんのほうが詳しい。ほら、メル市の郊外にもテントがたくさんあるんだろう」
「‥‥うん」
テントの話を聞いてからメル市には1回訪問聖女として行ったけど、やっぱり目を背けてしまったようで、テントのところにはよらなかった。そうでなくてもテントが多すぎて、一度首を突っ込むと翌日の朝や昼になっても終わらなさそうだったので手をふれていない。それがものすごくもどかしかった。
「私、お母さんに会いたいから手紙書く」
「ああ、俺からも書いておくよ。ロゼールが聖魔法を使えることを、聖という言葉を使わずに伝えることができる。たとえ検閲があっても俺の書き方なら問題ない」
「それは会ってから伝えてもいいんじゃないの?」
「いや、先に伝えておかないと会ってくれないだろう」
「えっ、どうして?」
私の質問を無視するかのように父は大きなあくびをひとつかまして、腕を高く伸ばした。
「今日はすっかり遅くなったからここまでにしようか」
「‥‥うん」
私はフローラにぼそりと「‥‥ごめんね」と言ったが、フローラは「気にしておりません、わたくしにも父を見捨てた科がございます」と優しく返してくれた。
そもそもフローラは王族だ。そんな王族の眼の前で、王国の土地を勝手に使って新しい国を作るという話をして本当によかったのだろうか‥‥。
◇
私と父、そしてフローラも一緒に、朝早く起きて手紙を書いてくれた。ホリア村には文字を読める人はあまりいないが、前世の記憶がある私、王族として教育を受けていたフローラ、騎士だった父は文字を心得ている。母も店で働いているし、最悪でも母のパン屋の店主であるシルベーヌがカレンダーに来客の名前を書いていると言っていたし大丈夫だろう。
手紙を書いている途中、フローラは私1人で少し外を散歩するよう言ってきた。父と2人だけで話をしたいらしい。フローラの話で私がのけものにされるのは寂しいけど‥‥でも大丈夫だよね。家に帰ると父は頭を抱えて何か悩んでいる様子で、フローラは私を見るとにこにこ笑っていた。
その朝、3通の手紙を、いつもの乗合馬車に託した。その馬車が姿を消すまで、私とフローラは2人でじっと眺めていた。
その返事は日曜日の朝に来た。『訪問活動も含め、当面メル市には来ないように』という文言とともに。




