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訪問聖女と黄金の杖  作者: KMY
第1節 悪夢の終わり
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1.ロゼール

私――ロゼールには、自分が生まれる前に送っていたもうひとつの人生、すなわち前世、そして前々世の記憶がある。


   ◇


前々世の私は、セレナという名前だった。ハーゼブラというどこにでもあるような農村に住む何の変哲もない女の子だった。

このクローレン王国では、10歳になると近所の教会へ行って、自分の魔力を知り祝福を与えられるならわしとなっている。私も例外なく教会へ行った。そこで、私は聖魔法が使えるということがわかった。このようなことは初めてらしく、教会は大騒ぎになった。王都にも早馬がとんで、戻って、とんで、戻ってを繰り返した。そのあと、私は聖女として王城へ連れて行かれることになった。


聖魔法を使うことで怪我を治療することもできるが、瘴気を取り払うこともできる。私は後者だった。聖魔法が使える人はたいへん貴重で国に2~3人いるかいないかであり、聖女と呼ばれもてはやされる。その中でも私のように、特に瘴気を祓える人は国に1人いるかいないかほどの存在であった。瘴気による病気で苦しむひとたちを助けられるのは、国の中でも私一人なのだ。


聖女の生活は、平民と比べると遥かに快適だった。ふりふりのドレスは寒くも暑くもない。ベッドは柔らかいし、食事もできたての柔らかいものが出てくる。トイレもきれい。なにか欲しいものがあれば、人に言えば持ってきてくれる。まるで夢のようだった。

でも私はあくまで平民の出。パーティーに聖女として出席すると、必ずドレスにワインがかかった。廊下を歩いていると冷たい目で見られたし、少しでも近づくとすぐ罵声を浴びせられた。そんな中でも聖職者や使用人たちは私の味方だった。つらいことがあったら話を聞いてくれて、おいしい料理を作ってくれた。それが嬉しかった。


でも叶わない願いもあった。家族に会えない‥‥もともと病弱で、私が村を出発したすぐ後に亡くなってたから身寄りもないんだけど。旅行も行けず、ずっと王城に閉じこもらなければいけない。一番つらかったのは恋愛までできないことだった。私から声がかかった男は全員見せしめに公開処刑され、私にはお咎め無しだった。そんなことが続くとさすがの私も無気力になる。

使用人たちが励ましてくれたのでなんとか精神を繋ぐことができた。でも使用人もしょせんは職業だった。数年おきに人が代わることもあった。ずっと私に付き添ってくれる人なんていなかった。ベッドの上は常に一人で、会食でなければ私と一緒に食事する人もいないし、自分のことのように相談に乗ってくれる人もいなかった。多数の優しい使用人や聖職者に囲まれながら、私は常に孤独だった。人知れず涙を流したこともあった。

豊かだけどさみしい。そんな生活、私に必要だったのかな。私はそれと戦いながら73歳でやっと死んだ。


   ◇


前世の私は、イザベラという名前だった。クローレン王国のある公爵の令嬢として生まれた。当然、身分は他より高かった。

聖女になると二度と親や外の人と会えないことは前々世で経験済でその記憶もあったので、私は聖女になりたくなかった。父は気さくで面白い人で、常に私や妹が成長したときのことを考えていた。いつも頭を撫でられていた。その手は、前々世の食事と比べると遥かに暖かかった。私は幸せだった。


イザベラの人生でも10歳になった。私は優しい父に頼み込んで、私の検査だけは教会から秘密裏に人を呼んで私室でおこなってもらった。なぜなら8歳の時、前々世の記憶を頼りに聖魔法を試し打ちしたときに使えてしまったからだ。案の定、検査で聖魔法が使えると分かった。私が父に涙目を見せると、父は検査官に金を渡してくれた。


しかし私が14歳の時、私のいる王都で疫病が広まった。なんてもこの疫病は瘴気によるものらしかった。瘴気による病気は、普通の薬では治せず、聖女が必要になる。

そこで私は知った。クローレン王国にいる聖女は私より遥かに力が弱い。一人ひとりを順番に治すことはできても、ひとつの都市全体を一気に治すことはできない。このままでは王都の人たちがみんな死んでしまう。そんなとき、今の私は貴族という事実が頭をよぎった。

前世の私が不自由だったのは、私が平民だったからかもしれない。今の私は、貴族の中でも上位にいる公爵の娘ではないか。すでに婚約者もいる。彼らがいれば、私はいつでもこの屋敷に戻ってこられるし、父に会える。今回は公爵令嬢だから大丈夫。私は父に相談もせず、家の前の道で死体を運ぶ兵士たちに名乗り出た。


私は前々世で聖女本人だったからと下調べをしていなかったことを悔やんだ。嫌がらせされないこと以外は、前々世と全く同じだった。聖女の権限に身分など関係なかった。婚約は無論破談となった。

貴族ならではの交友は確かにあった。友人も確かに作ることはできた。しかし、聖女はどんな人にも公平でなければいけない。まして感情の乗る家族など論外である。私は公爵の権力をちらつかせても家族と会うことを許されなかった。私は精霊魔法を使って無理にでも王城を脱出することはできるが、勝手に家族に会いに行ったら今度は家族が処刑されかねない。恋人すら処刑するような国だ。家族の安全のためには正攻法でいくしかない。

父も私に会おうとしていたことを友人つてに聞いたが、全くダメだった。友人を通して手紙のやり取りをするしか方法はなかった。それでも私のことを気遣ってくれる父の存在が、本当に嬉しかった。


でもその父も、私が30歳の時に亡くなった。葬式に出ることはかなわなかった。その訃報を聞いて、何をしていたかは覚えていない。私を見る使用人の目が、驚きやおそれ、そして次第に憐れみに変わっていくのが分かった。友人と会う約束をとりつけようとしても、必ず使用人が止めてきた。以前は家族でさえなければ気軽に会えたのに、こうなった理由は全くわからなかった。

覚えていることといえば、夜道で後ろから声をかけられる夢を見たり、スープを床に落としてしまったり、教会に入らずぼんやりと空を見て過ごしたりした日があったことだ。今日は教会に来ないでくださいと聖職者に言われることもあった。そして、何度も何度も王都の外の野原や森の中、きれいな湖のところまで連れ出され、一日中座らされながらぼーっと遠くを眺める無為な時を過ごした。頻繁に口の下を布でこすられた。


イザベラの私がいつどのように死んだかはよく覚えていない。ただ覚えているのは、冷たい水に体を包まれながら、上の方でうっすら光る水面をぼんやり眺めている記憶だった。あまりにぼんやりしていたので、ただの夢だったかもしれない。でも夢にしては異様に苦しくて、頭が真っ暗になって、そして気持ちがとても楽だったこと、とても嬉しかったことは生々しく脳裏に焼き付いている。


   ◇


私――ロゼールは、やっぱり同じクローレン王国の西の国境沿いにあるホリア村で生まれた。なだらかな丘の斜面にできた小さい村だ。

父と兄、そしてメル市へ出稼ぎに行ってよく不在にする母がいる。父は私の前世イザベラと面識があるが、私が生まれ変わったことには気づいていないようだ。なんてことのない、普通に幸せな家族だ。


2つ分の人生の記憶によって、聖女は地獄であると私の心に深く刻まれた。確かに聖女は、民衆からは信仰の対象となっており、国にとっても様々な災害の根源となる瘴気を振り払うために必要不可欠な存在である。瘴気に満ちた世界では、人は生きていけない。私は、私にしか助けられない人をほうっておくのは嫌だ。でも、私の人生を捨ててまで人を助けられる精神は、持ち合わせていない。

私は4歳のときにこのことを思い出した。そして聖魔法を試し打ちしたら使えてしまった。その時に強く固く誓った。今回こそは絶対聖女にならない。結婚して家庭を作って、みんなに囲まれて幸せに暮らしたい。普通の人として生きて、普通の人として死にたい。


だから、私は9歳の時に数え切れないほど多くの人間を見殺しにした。きっかけはホリア村のすぐ北にある森に瘴気が出たことだった。土を固めて作った小さい自宅の前を何人もの村人が走り回っているのを眺めていると、後ろにいた母が「危ないからあの森に入っちゃダメだよ」と言っていたのを覚えている。

王都から大勢の騎士が来て、森の中に入ったらしい。北の森はここから丘の頂上を挟んだ先にあり、頂上には兵営があった。


1週間後、確かに森の瘴気は取り払われた。しかしそれと引き換えに、数え切れないほどの兵士が動けなくなっていた。私は無意識に兵営のテント郡の向こう側を覗き込んだことがある。大勢の騎士が横たわっていて、うめき声をあげていた。明らかに瘴気が体を蝕んでいた。

私だったら助けられる。私でないと助からない。あれを助けられるのは私だけ。ほうっておくと死んでしまう。でも、私が聖魔法を使っているところを見つかったら聖女にされてしまう。些細な失敗をしただけで人生が終わる。そうでなくても、相手は王都から派遣された騎士だから、王に報告がいくはずだ。すると王国からこの村や私を徹底的に調査される。このクローレン王国のあちこちで瘴気が増えているという話は聞いていたから、現職の聖女は機能していないだろうし、王国は『本物の聖女』を渇望しているのだろう。

前世で誰かが言っていたけど、人類は聖女なしには生きていけない。私が見逃されることは絶対にない。そして、たとえ公爵の権力があっても何もできない。


嫌だ。嫌だ。嫌だ。

絶対嫌だ。

聖女なんて嫌だ。

なりたくない。


私はずっと寝室にこもっていた。昼明るかったのに外に出ることもなかった。友達が遊びに来ても全く返事しなかった。食事は父が寝室に持ってきてくれた。父や兄は私を咎めることもなかった。何度も私の頭を撫でて慰めていた。父が「お前は絶対に守る」と言っていた。普段は私のことを名前で呼ぶのだから、その時の父は私の扱いに困っていたと思う。


そして騎士たちが兵営を取り払い村を去ったあと父と一緒にふらふらと道を歩いていると、あの騎士たちのほとんどが死んだことを村人たちの噂で聞いた。私は気がつくと、丘の上の一本木で泣きわめいていた。草を掴みながら「ごめんなさい! ごめんなさい!」とひたすら繰り返していたことを覚えている。

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