17.フローラ
お父様が、生きているかもしれない。
今行けば、まだ間に合うかもしれない。
わたくし――フローラは最近、理由は分かりませんが聖女の力に目覚めました。わたくしが王都へ行けば助けられるかもしれません。
わたくしが王都から逃げたのは、お父様が嫌いだからではありません。
わたくしは小さい頃から利発と言われてきました。1人の兄、2人の姉と違って、読み書きも計算もすぐ覚えました。大人の貴族たちは、すぐわたくしのところに集まりました。わたくしはちやほやされ続けました。
しかし、みなさんはわたくしが好きだったわけではないのです。跡継ぎがわたくしになると思って、縁を作ろうとしていたのです。貴族は権力争いの塊です。
その証拠に、わたくしは偶然、兄と仲のいい貴族の話を聞いてしまったのです。「殿下の即位にはディアナ殿下が邪魔だ」「どうする」「次の誕生パーティーの時に殺してやるか」その声が、兄の寝室の中からはっきり聞こえたのです。
わたくしは8歳になるのが嫌でした。その日が迫るにつれ、顔が青白くなっていくのが自分でも分かりました。
そんなわたくしに初めて声をかけたのは、シリルという少年でした。わたくしより2つほど年上の平民出身で、もとはとある男爵の使用人でしたが、素行の良さと物覚えの早さを買われ、王城に入っていました。シリルは王城に来たばかりで、貴族のしがらみにまだ捕まっていないように見えました。わたくしは1人で白く美しいベランダで茶を飲むと称して、シリルにことの仔細を伝えました。「逃げましょう。私は平民出身ですので、僻地の生活に覚えがございます」その返事が頼もしかったのです。
きらびやかな生活がなくなるのは悲しいですが、命には代えられません。誕生日パーティーの前日、わたくしは平民の男の服を着て、帽子を被って、他の使用人たちに紛れて王城を脱出しました。
わたくしたちは、シリルの実家とは反対側の、国の西側に向かいました。様々な地方都市を平民として入って平民として抜けて、ようやく国境沿いにあるメル市という僻地まで到着しました。ここまで来ればお父様にも見つけられないでしょう。‥‥ですが不思議と、さらに西へ行きたくなっていました。
シリルは「村の生活はお世辞にもよくありません、殿下が耐えられるとは思いません」と反対しましたが、わたくしの顔は西から離れません。起きて寝てもずっと西のことばかり。ここから西に行っても小さい村しかないというのに、なぜか、どうしても西に行きたくてたまらないのです。そこにわたくしの求めるものがあるような気がして。
メル市に1週間ほど滞在して、ようやくシリルは折れました。乗り合い馬車に乗って、遠く、遠く、もっと遠く。そしてたどり着いたのが約束の地、ホリア村でした。なだらかな丘の斜面に形成されている、100人ほどの小さな村でした。
村はメル市より不衛生です。慣れません。ですが優しい村人たちが手伝ってくださいました。ここまで親交ができたのも、平民同士の付き合いでどこまで求めていいか、どこを我慢すべきか、シリルに確認してきたからです。シリルがいなければ、わたくしは貴族の生活を求めてしまっていたかもしれません。全てシリルのおかげです。シリルは「私の提案を全て聞いてくださる殿下のほうが遥かにすごいのです」と謙遜しておりましたが。
そんなおり、ロゼールという少女が聖魔法を使ったという噂を聞きつけました。聖魔法が使える人は貴重です。いま、クローレン王国には2人の聖女がいますがどちらも力は弱く、人を治すことはできても、瘴気の源である森や湖を浄化する能力はありません。そればかりか傲慢になっていて贅沢三昧、聖女として機能していないという話を聞いたことがございます。
あの2人が駄目でも、ロゼールなら。わたくしは王族として、ロゼールを王都へ連れて行く義務がございます。それだけではございません。もしロゼールがイザベラ猊下に並ぶ大聖女であれば、それを発見したわたくしは間違いなく王位継承者に指名され、兄や姉は領土へ封じられておつきの貴族もそれについて王都を去ります。後継ぎとして、ある程度の任命権や内政の権限を即座に与えられることになります。わたくしの身は安全になります。ロゼールさえいれば、わたくしは王都に戻れます。
でも同時に、ロゼールの父で元騎士であったテランスの話も聞きました。ロゼールは前聖女イザベラ猊下の生まれ変わりと思われる面影がいくつもあるようです。聖女は生まれ変わるという話は初耳ですが、大聖女ほどの高位で神に近い存在であればありえない話ではありません。でしたらますます聖女にしなければいけないではありませんか。‥‥しかし、聖魔法を使うのを見られただけでひどい過呼吸になったという話が気になりました。イザベラ猊下が自殺なさったというのは初耳でした。話を聞いた結果、とにかくテランスがロゼールを王都に連れていきたくないという強い気持ちは分かりました。
わたくしは王都のことがあきらめきれません。ひたすらロゼールに近づきました。元の生活に戻りたい。その一心でロゼールの肚を探りました。空を飛べるのは高位である証拠なので、ロゼールは大聖女と確信しました。訪問聖女としての活動に同行するため、みずからの髪の毛も平気で切りました。
でも王都へ戻るための作り物の友情は、訪問聖女としての活動を重ねて、弱っている人たちを次々助けていくロゼールを見るたびにいつしか本物の友情になって。ロゼールはわたくしにとって憧れであり、かけかえのない人になりました。
わたくしと違って力を持っているロゼールがうらやましい。葛藤しながらも他人のために勇気を振り絞る姿は、誰にも真似できません。
だからこそ、わたくしはロゼールを守りたいのです。
自分に聖魔法が使えると分かった以上、事情は変わりました。
ロゼールが聖女になりたくないのなら、わたくしが代わりになります。
ロゼールが人類最後の希望というのでしたら、わたくしが身代わりになりましょう。
わたくしがお父様を助けに行けば、わたくしは間違いなく聖女になるでしょう。王族であろうと例外なく、人類を災厄から守らなければいけないのです。わたくしが精霊魔法を使える高位の聖女であれば、この状況であれば、なおさらです。
もう1つあります。わたくしは国王であるお父様の子です。お父様は、6年間行方不明になっていたわたくしを間違いなく捕まえるでしょう。王都から出そうとしないでしょう。そうすれば、お父様が亡くなるまで数十年間、ロゼールに会えないかもしれません。
‥‥ロゼールと離れたくないのは、わたくしの本心です。
わたくしは今まで、ロゼールを聖女にすることで元の生活を取り戻すという当初の目的から目を背けてきました。
王都の話をすると過呼吸になるから? いいえ、ロゼールの嫌な顔を見たくなかったからです。
そして、ロゼールにとって信頼できる、そばにいれば落ち着くような仲間でありたかったからです。
でも、もういいのです。
王族たるもの、今こそ身を粉にしてでも我が国のために尽くすべきなのです。
国民が苦しむのを見殺しにする王族などいりません。
わたくしも王族を名乗るのであれば、今こそ戻らなければいけません。
聖女になりたくないロゼールを王都に連れて行くことはできません。
ですので、わたくしが王都へ行くことは、ロゼールとの別れを意味します。
ロゼールはこの村の生まれです。わたくしがいなくてもジャックがいます。テランスがいます。村の人達が味方してくれます。
ロゼールはわたくしを恋慕しているようですが、他の人が何とかしてくださるでしょう。
ロゼールは1人ではありません。
大丈夫です。




