14.ロゼール
灰色のフートローブで自慢の赤髪を隠し、朝出発の馬車の定期便に夕方まで揺られて着く場所はメル市。浮遊魔法なら1時間だが、普通は丸1日かかるものだ。
私――ロゼールは、浮遊魔法以外ではメル市にめったに来ない。村にいるだけで十分楽しいし、それに赤髪を見せると私が聖魔法を使えるとばれてしまうおそれがあったからだ。でも今日ばかりは、なんとなく村にいたい気分ではなかった。
実は寝ぼけてフローラに告白してしまった気まずさがまだ残っているので、しばらくフローラから離れて頭を冷やしたかった。訪問聖女の活動があるので日曜日までには戻らなければいけない。今日は水曜日だから、3日はメル市に滞在できる。その間、私の母のいるところへ厄介になろう。連絡はしてないけど、多分大丈夫だよね?
家を出発する時、お父さんは寝ていたから代わりにジャックお兄さんに伝言を残している。
空が薄暗くなっている。私は急いで、手紙にあったくだんのパン屋を探す。メル市は全体が2本の大通りで十字に区切られており、南西と南東部分に一般住民が多い。私が訪問聖女で行っているのも、北西と南西が中心だね。たまに東側に行くこともあるけど。髪の毛は隠してるけど、顔立ちだけでばれないか少しひやひやする。
あれ、何年か前に母が送ってきたこの手紙にはこのあたりって確かに書いてるけど‥‥具体的な場所書いてなくない? 店の名前しか分からない。人に聞くしかないかな。
「すみません‥」
近くを歩くおじさんに声をかけて‥‥そして、その顔が見たことのあるものだと気づいて、私は慌ててくるっと身を翻して逃げた。後ろから「どうしましたか?」という声が聞こえるが、振り切る。いけない、あの人、この前の日曜日に会った人だ。私の赤い髪の毛は隠しているけど、すごくどきどきする。
どうしよう、今まで会ったことのない人に会いたい‥‥どこ? だてに5年も活動しているわけではない。あの顔もこの顔も知ってる。あそこの子供なんか、2年前と1年前と先月の3回会ってる。知らない顔が見当たらない。めったに来ないから分からなかったけど、メル市の人口ってこんなに少なかったっけ。どうしよう。誰に聞けばいいの。自分の口を手で覆いながら、しばらく街灯の近くで立ち尽くしていた。心做しか、周りの人たちが立ち止まって、私を遠巻きに見ているような気がした。自分の髪の毛はフートで隠しているから大丈夫だと思ったのに‥‥いつもは変装してるから大丈夫だと思ったのに‥‥ちょっと歩いただけなのに、もうばれてる? 怖い。怖い。怖い。
「こんなところで何やってるの、あんた!」
突然、聞き慣れた女性の声に呼び止められる。振り向くと‥‥いた。私の母、サラ。私の赤髪は父親譲りだけど、母親はひかえめな茶色の髪の毛で、三つ編みのおさげを肩から胸に垂らしている。
母は年に数回しか村に戻らない。最後に会ったのは3ヶ月前だ。なつかしい。私は思わず両腕を広げる。
「お母さん‥‥」
「早く行くわよ!」
母は私の顔を自分の胸に押し付けて、抱きかかえるように後退りする。そして周りの人たちに「うちの村の子がすみませんねえ」と謝っていた。「あなたの娘ですか?」と街の人が尋ねた時の「さあね! こんな子、知らないよ」という母の返事の意味が全く分からない。手紙では私を気遣う文章ばかりだったけど、何でそんな返事をするの?
母は私に「悪いけど、話を合わせてくれ」と耳打ちすることも忘れなかった。
◇
母の勤めているパン屋は、もう営業を終えたあとだったらしい。持ち帰り販売がメインだけど、買ったパンを店の中で食べることもできる。簡易的なカフェを併設するタイプだ。母は周りを何度も確認してから、私をまるで盗品か何かみたいにこそこそと店の中に入れて、ぱたんとドアを閉めた。鍵をかけたあとも念入りにドアを回して確認し、カーテンを閉める。
「そこに座って」
「‥‥お母さん、私のこと嫌いなの? 他の人に顔を見せたくないくらい‥‥」
「別に。かわいい娘を商売のタネにしたくないだけだよ。ロゼールはかわいいからね」
納得はできない。でも、母は私のフートを外して赤髪をあらわにしてから、もう一回抱きついた。
「ロゼール、私のかわいいロゼール、よく来たね」
「お母さん、かわいい娘のロゼールが来たよ!」
「次からは来る前に連絡してくれ」
「そうする」
絶対そうしたほうがよさそうな空気だった。後で理由を‥‥いや、母のこだわりかもしれない。
「どうしたんだい?」
母より少しくらい年上と思われる女の声とともに、スタッフオンリーと書かれたドアが開きかけ‥‥「少し待って」と、母はそのドアの向こうへ一気に飛び込んだ。中から見知らぬ女性の話し声が聞こえる。「ええっ!?」「え、本当?」「えーっ」「でも」「そんな」「そこをなんとか」「はー、分かったわ」「もちろん、いいわよ」と、驚きと興奮のあと落胆に変わっていった。声のトーンが分かりやすい。
中から母と一緒に出てきたのは、メガネをかけている、白髪交じりの茶髪の女性だった。思いっきり会ったことがある。なんなら私が本人を1回、息子を2回治療したから、あわせて3回会ったことがある。で、でも髪型変えてるしわからないよね?
「えっと‥」
「はじめまして」
私が焦りから声を出してしまうと、女性が先に挨拶した。よかった、私とは気付かれなかった。私はほっとして椅子から立ち上がる。
「私のご主人のシルベーヌよ」
「サラの娘のロゼールです。おじゃまします」
「まあ、ご丁寧にありがとうございます」
母に紹介されたシルベーヌは、優しそうな初老だった。
「サラとは仲良くしていてね、以前から娘に興味があったの。そこにおかけになって、パンを持ってくるわよ。今日はここにお泊まり?」
「はい、できれば」
「もちろん、いいわよ。売れ残りで悪いけど。パンは焼くのに時間がかかるからね」
「いえいえ、こちらこそ突然押しかけて」
シルベーヌが「とんでもない」と笑って姿を消してしまうと、母も「飲み物をとってくるわ、待ってて」と言って奥に消えてしまった。
母はともかく、シルベーヌは妙に浮足立っていた。来客がそんなに嬉しいのだろうか。
‥‥さて。メル市ってめったに来ないから分からなかったけど、知ってる顔が多すぎる。これは言い換えれば瘴気にかかったことのない世帯がないということだ。
瘴気にかかるのって市の外へ用事ができるような一部の人だけだと思ってたけど、実際はけっこうな割合で浸透しているということになる。それって聖女の視点で見ると危険なサインだ。瘴気が市のすぐそこまで、なんなら市の一部がすでに瘴気におかされている可能性が高い。
私が正体を明かせばちまちま個別の家に訪問せず効率よく瘴気を祓える手段がある。でも、正体を明かしたら最後、私の人生の楽しい時間はそこで全部終わり。聖女になれないのがもどかしい。私は天井を仰いで、ため息をついた。それに今までのやり方でも、ちょっと大変だけど、市を維持することはできる。
でもそれでいいの? 限界があるんじゃないの? いつまでも今のままじゃ無理なことも多いし、後悔するかもしれないんじゃ? メル市はよくても、隣の町は全滅するよね? メル市とホリア村がこの国で最後の土地になったらどうするの? 私はすっかりカーテンに覆われて外の全く見えない窓を見た。カーテンに描かれている花の模様が、いっそう不気味だった。
「あら、どうしたの、たそがれちゃって」
シルベーヌがパンの詰まったパケットを持ってきた。母がスープと飲み物を運んでくる。
「硬いからスープによくつけてね。まかないだからこんなので悪いけど」
「いいえ、おいしそうなものをありがとうございます」
シルベーヌは陽気な人だ。さっきまで考えていたことを忘れるくらいだった。
パンは本当に硬かった。スープに浸してから口に入れる。その夜は3人で話して過ごした。特に私の話がほとんどだった。シルベーヌはよっぽと店員の娘に興味があったらしい。
「そうだ、そうだ、ちょっと待ってね」
そう言っていたシルベーヌが事務室からカレンダーとペンを持って戻ってきた。
「来客がある時は相手の名前をカレンダーに書き込むものだけど、今日の来客は予定してなかったからこれから書かなきゃいけないの。でもせっかくだからロゼールが自分の名前をここに書いてくれるかしら?」
「ちょっと、店主さん!」
母はなぜか苛立っているように見えたけど、シルベーヌが「許して、これくらい」と申し訳無さそうに眉毛を寄せて笑ったので、ため息をついていた。
「じゃあ、書きますね!」
2人の様子は気になったけど私は笑顔で、カレンダーの今日の日付のところにロゼールと書いた。
◇
この店の2階は、店員用の宿泊スペースがある。空き部屋はあったけど、私は母と同じ部屋を選んだ。
「お母さん、ここに住んでるんだね」
「そうよ」
「ちゃんと窓もあるんだね」
「私の部屋を何だと思ってんの‥‥ああっ!?」
外の景色はどうだろうと私が窓に近づくと、母は慌てて先回りしてカーテンを閉める。
「どうしたの? 窓の外見ていい?」
「だめよ、夜も遅いし変な虫がひっついたら困るでしょ」
「そ、そう‥‥?」
そういうものなのか。でも確かにこのメル市は知ってる顔ばかりだったので、ばれるのが怖いかもしれない。
「で、いつ帰るの? 明日の朝?」
「ええ、私ここに来たばかりだよ、少し観光したいよ」
「‥‥ロゼール、バカって言われたことない?」
「ないよ、ひどいよお母さん」
母は長いため息をついた。私、そこまでまずいこと言ったっけ? ‥‥私の変装が見破られるようなことは、ないと思う。多分。ほら3回会ったことのあるシルベーヌですら私とは気付かなかったし。大丈夫だよね。
「とにかく、明日の朝帰りなさい」
「ええっ、いきなりすぎるよ。ゆっくりさせてよ」
「だーめ。私は忙しいんだから」
「私一人で観光するよ」
「‥‥ロゼールが過呼吸になったら危ないから、誰か付き添いが必要よ。連れてこなかったの?」
「あ、そういえば‥‥」
私は今更それを思い出した。いつもならお出かけは親友フローラと一緒だ。でも今はフローラと離れたい気持ちでここに来たわけだし‥‥。確かに母の言う通りだ。
「じゃあ、お店を手伝うのは‥‥」
「ロゼールはかわいすぎるからダメ。娘を見世物にしたくないわよ」
そこまで言われるなら仕方ない。「‥‥分かった」と、私は肩を落とした。でも私、顔立ちはいいと思ってるけどそこまで極端にかわいいと思ったことはないんだけどな‥‥。
◇
‥‥なんだか肌寒い。体もなにか固いものを押し付けられている。
母の部屋のベッドで寝ているつもりだったけど、ベッドってこんな寒かったっけ?
夜中に私はぱちりと目を覚ました。そして、その目を大きく見開いた。
ここは確かに母の部屋だった。
でも私の体は、誰かの肩に担かれていた。開いた窓から風が吹き込む。
「行くぜ」
「おう」
知らない男の声が聞こえる。
えっ、これ誘拐‥‥? 私の頭にその単語が出る頃には、すでに私を抱いた男たちはどんと、2階から裏通りの地面へ着地していた。




