13.ガストン
クローレン王国は、この大陸の中央やや上に位置する、大陸で一番大きな国である。領土も広く、それらの維持管理は欠かせない。しかしあろうことか、その領土のほとんどは瘴気に覆われていた。
儂――ガストンは、このクローレン王国の国王である。口の上、あごに生える金色のヒゲも、王冠も、装飾をこらしたこの赤い衣装が放つ威厳も、国民がいなければ意味はない。クローレン王国は今、滅亡秒読みの段階にあった。
時は前聖女イザベラ猊下のときに遡る。イザベラ猊下は晩年に精神をおかしくしたため、まともな仕事にならなかった。その期間、そして猊下がご遷化なさったあとの14年。あわせて15年間。これほど長い間大聖女があらわれないのは、国家にとって初めてだった。最長はイザベラ猊下のときの14年間だったが、それすら超えている。
これまでは大聖女がご遷化なさっても、10年すればどこかの魔力検査で次の聖女が見つかる。が、どうにも見つからないのである。
セレナ猊下からイザベラ猊下までの間に起き、そしてまさに今の状況もあわせて鑑みることで明らかになったことがある。瘴気は、前猊下がご遷化なさってから10年間は案外そこまでひどくはない。大聖女でない普通の聖女も、この維持に役に立つのだ。しかし10年を超えると、爆発したかのように広まり始める。被害は加速度的に増え始める。今やこの王都を含め、クローレン王国全体はとても人間の住める状態にない。街中に瘴気が溢れ、人々は苦しみ、死を待つしかできない。
森や湖のような自然の多い場所は瘴気がたまりやすく、市街地はたまりにくい。なので、市街地にいる人のほうが瘴気の進行は遅い。そのためこの王都でも多くの民が生きながらえることはできたが、それももう限界だ。この王都もあと2,3年すればすでに無人の街となっているだろう。
この王城にいるものも含め、ほぼ全員が瘴気に体を蝕まれている。儂の子供は4人いるが、うち1人は行方不明、残りの3人は全員病状に伏せている。特に長女は明日をも知れぬ命だ。きっとこの国にある全ての都市も農村もそうであろう。なぜなら教会にあった黄金の壇が、真っ黒になっていたのだから。
教会の壇とは金の板を掘って作ったこのクローレン王国の地図であり、瘴気に蝕まれた場所が黒ずむ。大聖女はこの黒ずみを指さし、強力な聖魔法をかけることで、その地の瘴気を大きく軽減させることができる。この金色の地図は、まさに国の命運そのものといって過言ではない。それが真っ黒になっているのだ。全土がまんぺんなく瘴気に蝕まれていることを意味する。
‥‥いや、ある地点だけまだ金色が見えるという報告はあったな。メル市とその少し西の方だ。ここにいる人たちは今も日常生活を送れているのだろうか。いや、そこすらもうすぐ真っ黒になるだろう。あのあたりは運がよかっただけだ。
国境近くだから隣の国の聖女がおこぼれで浄化してくれているのか? いや、ここの隣とは仲が悪い。それに聖女は各国でも一度に1人2人しか見つからないたいへん貴重なものであり、特に大聖女と呼ばれる高位の存在は長い歴史の中でわがクローレン王国以外で発見されたことがない。万が一にもありえない。
儂は無人の大広間の玉座に座る。普通なら宰相、衛兵などを立たせているが、調子の悪いものは来なくていいと言っている。全員が調子を崩しているし、もちろん儂も重度の風邪のように体が重い。しかし儂は国王として、ここにいなければいけない。この国が滅ぶその時まで、ここにいなければいけない。
心残りがあるとすれば、6年前に平民の使用人に拉致されて行方不明になった儂の三女ディアナの顔を見られなかったことか‥‥。
「陛下、陛下」
宰相が定例報告に来た。すでに宰相も瘴気におかされており、杖をつきながらかろうじて立っている有り様だ。
「おう、来たか。手短でよい」
儂の声も細くなっているのを感じる。儂が部屋からこの玉座まで移動できる日も、あとどれくらいだろうか。
「‥‥わ、私のメイドが辞めると言ってまいりました」
「なんだ、雑談か。いいぞいいぞ、楽にしろ」
「いえ、そうではございません。はぁっ、はぁっ‥‥そのメイドに話を聞いたところ、母から手紙が来たらしいのです」
「そうか、そうか」
「その手紙に、メル市に来れば聖女が病気を治してくれる、と書いてあったそうです」
「‥‥なに!?」
そういえばメル市周辺は、教会の壇で真っ黒になっていなかった唯一の部分だ。普通の聖女なら瘴気におかされた人を治療するだけで精一杯で、土地から瘴気を祓うのは難しいはずだ。それだけでは壇の黒ずみは無くならない。まさか、まさか。
大聖女でなくてもいい。土地を祓えるレベルでもいい。そうすれば少しでも多くの人を助けられる。儂のこの速鳴りする心臓は、決して瘴気のせいではないはずだ。
「し、至急、て、手配しろ!」
「はっ、すぐ騎士団を向かわせます‥」
「違う、儂が行く!」
「‥‥は?」
「聖女をここに呼びつけるのは失礼だ。儂が自ら行き、頭を下げる。そして、王都へ行く道をともにする。それくらいしないと、この国は滅ぶ! 聖女は全てに優先する。分かったら急ぐのだ!」
「は、はっ!」
しんと静まり返っていた王城は、途端に慌ただしく動き始めた。




