11.ロゼール
私がイザベラだったころ、王城見回りの騎士にテランスという名前の男がいた。赤髪が印象的な、好青年という感じだった。顔は美男子というほど整っていなかったが、まっすぐ前を見つめる真剣さを感じた。それを裏付けるように、筋肉質の体には年齢不相応の苦労が刻まれている。それでいて、中庭の噴水のへりに座っていた私を気遣ってくれた。もしあの時の私がセレナだったら、間違いなく恋人にしてしまっていた。
4回目に出会った時、テランスが婚約者と結婚したという話を聞かされて、私はテランスに恋をしていたと気づいた。自分が聖女であることが恨めしかった。自分の運命を呪った。でも、どうしようもなかった。
私は無意識に、足が中庭の方に向いていた。気がつけばテランスと会っていた。顔を見ることができて嬉しかった。話すのは楽しかった。家族と会えない寂しさに苦しむ私にとって、数少ない癒やしの1つだった。このようなときが永遠に続いて欲しいと願った。
父が亡くなった頃から、私は友人と会えなくなった。王城を自由に出歩くことを許されなくなった。どうしてと聞いても、聖職者や使用人は理由を教えてくれなかった。ただ憐れみを持った目を私に向けていた。友人に慰めてもらいたい、ただそれだけなのに許されないというの。聖女は不自由だ。王城に閉じ込められて、まるで囚人だ。終身刑だ。聖魔法という特別な力を持っただけで、刑罰を受ける。聖職者の返事はいつもこうだった。「聖女というものは何色にもいっさい染まらず、常にすべての人に平等に‥‥」違う。聞きたいのはそんな言葉じゃない。返して。私の友人を返して。私のテランスを返して。
せめて、テランスにだけは会えなくなったことを伝えたい。でも、ここで男の名前を出したら、恋愛関係を疑われる。出すに出せなかった。他の友人には会えなくなったことを伝えてもらったけど、テランスだけには万が一のことはあってほしくなかった。
テランスに会いたい。いつもの中庭に行けば会えるかしら。中庭に誰もいない。テランスはどこ。そこにいるの。そこに隠れているの。かくれんぼなんかしちゃって。お茶目ね。ほら、そこにいるでしょ。中庭でテランスを探していたら、見知らぬ男から声をかけられた。その男は私を教会まで連れ戻した。返して。私のテランスを返して。
もし許されるなら、私は生まれ変わったらテランスの家族になりたい。どんな形でもいい。テランスと一緒にいたい。聖女という刑から、テランスに守ってほしい。私のことを抱きしめて欲しい。
◇
誰かに抱かれている感触がした。
ぎゅうっと抱かれていた。
ここはいつもの寝室のベッドの上‥‥だよね。
相手の体はやわらかい。女、だよね。
そして、私と同じくらいの身長。ばっさり切られた後の短い金髪の毛先は、もう5年前のような一直線ではなくなっている。ピンク色のワンピースを着ている。
「‥‥フローラ?」
「あら」
私が声を出すと、フローラは抱いたまま私の背中を撫で始めた。
「魘されていました。大丈夫ですか?」
「‥‥うん、イザベラの時のことを思い出しちゃって‥‥」
「大丈夫ですよ。今のあなたはロゼールです」
優しく撫でてくる手が、心地良い。
フローラの体温が、私の体にぴったりくっついてくる。それだけで全身の力が抜ける。
暖かいものに包まれている。
平民の中でもこの村にいるような人は香水など使わないはずなのに、いいにおいがする。
全身がむすむすするような気がする。
私はその華奢で、柔らかい体をぎゅっと抱きしめる。
「フローラ、好き。友達としてではなく、恋人として‥‥」
5年間ずっと私のそばにはずっとフローラがいた。ゆうべ森に行ったときも、身を張って私を助けてくれた。
フローラなしの人生は考えられない。
テランスとは結ばれなかった。でも、フローラだけは絶対。絶対に。
「‥‥‥‥ん?」
いま、フローラは『魘されていました』と言ってなかった?
私、夢で魘されていた。今までの私は夢を見ていた。今の私は夢を見ていない。つまり、今は現実。
私は慌てて身を起こした。ベッドの後ろの壁に激突する。同時に、どざっと重いものが床に落ちる音。フローラを突き飛ばしてしまった。
「ご、ごめん、大丈夫?」
「大丈夫でございます」
シーツを持ち上げて立ち上がったフローラの頬が赤く見えた。そのせいで私は慌てた。
「あ、さ、さっきのは違って、その、寝ぼけてたの! 違うの! ごめんなさい!」
自分でも何を言っているか分からなかった。とにかく声を張り上げた。苦しい。息が苦しい。胸が痛い。頭がしびれる。おかしくなる。また眠くなってくる。
「落ち着いてください。ほら、わたくしの隣りに座ってください。袋です」
フローラが袋を私の口に当てると、私はその手を払って、袋を自分で掴んだ。「大丈夫です」と背中を撫でてくれた。
‥‥私、さっきフローラに寝ぼけて告白してた? 女同士の恋愛って、フローラには気持ち悪くない? 『今までわたくしのことをそんな目で見ていたのですか?』という声が脳裏で響いている。『気持ち悪いです』『もうかかわらないでください』『メル市へは1人で行ってください』そんな声がどこからか聞こえる。耳の中に、はっきり入ってくる。
仲間だったのに。イザベラのときもセレナのときもついに作れなかった、やっとの思いでできた仲間だったのに。
「大丈夫ですか?」
「あ、あ、あのっ! はぁっ、はぁっ、あ、あの!」
「大丈夫です、大丈夫ですよ」
背中をさすってくれたが、その大丈夫がどういう意味か全く分からなかった。目を合わせられない。私は言わずにはいられなかった。
「あ、あのね‥‥」
また呼吸が荒くなる。でも言わなくちゃいけない。これだけは言わなくちゃいけない。無理に深呼吸を入れて、袋から口を離した。
「さっきは寝ぼけてて、思ってもないことを言っちゃって‥‥私、フローラのことは何とも思ってないから!」
「‥‥何をおっしゃっていたのですか? わたくし、聞き取れなくて‥‥」
フローラがきょとんとした顔で首を傾げる。揺れる金髪が赤く染まっていて、幻想的だった。それで、私は今が夕方だと気づいた。そうか、さっきのフローラの顔が赤く見えたのも、夕日のせいだったのか。
「無理におっしゃる必要はないですよ」
「あ、ありがとう」
「よく分からないですが、寝ぼけてらしてたのですね、ふふ。まだ呼吸が荒いので、袋をつけてください」
「うん」
私はすっかり安堵してしまっていた。過呼吸もすぐ落ち着いた。




