2-2 かまいたち -Air Slash-
ここは、俺のいる場所ではない。
青い夏空の下、都の大路を行き交う人々に紛れながら『仕掛け屋九平治』はそんなことを思う。
「いやぁ、暑いな。一つ冷でもやっていきますか」
「呑ろう、呑ろう」
「蠱竜会も佳境ですしな」
「おっ父、あれ見たい、あの芸人さん!」
「また独言髑髏が出たってよ」
「悪人が死ぬ分には万々歳さ」
「ああ、大きなお船だね」
森の囁きすら聞き分ける九平治の聴覚に、無関係の会話がいくつも流れ込んでくる。
そんな中で、ひときわ陽気な声がする。
「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 『かまいたち恋次郎』のアッと驚く『刀芸』が始まるよぅ!」
景気の良い声を張り上げるのは、薄桃色の着物をまとった背の高い侍。
にっこり笑うその目は糸のように細く開かれていて、顔は妙に平たい。
「さあ、夢中になりすぎてあんまり近づきすぎてはいけないよ。押さないで、押さないで」
最前列で食い入るように見ている子供たちの足元に、恋次郎は足で線を引いた。
「ここから一歩でも近づいちゃあ、そこの坊やも、お嬢ちゃんも、おててが切れちまうかもしれないよ。刀はねぇ、恐いんだ」
恋次郎は、そう言って刀を引き抜いた。
白昼堂々《どう》抜き放たれた白刃に、見物人たちはギョッとした。
しかし、騒ぎになることはない。
恋次郎の振る舞いが、どこまでも柔らかで和やかだからだ。
「さあさあ、はじめていこうか」
恋次郎はにっこり微笑むと、近くを通りかかった荷車に声をかけた。
「おうい、ミカン屋さん! 採れたてのミカンを一つ譲っておくれ」
「別に一つぐらい構わんが、宣伝してくれるってのか」
「もちろんだとも」
「見せてみな」
商人は、荷車に積まれたミカンを一つつかみとると、思いっきり恋次郎へと投げつけた。
商人らしからぬ無遠慮な剛速球に、見物人たちはひやっと成り行きを見守る。
「あーらよっと」
刀の切っ先でミカンを撫でると、その橙色の果実が勢いを失い、ポンと恋次郎の頭上に浮かび上がった。
「さあ! ずっしりと重い! こいつは甘みぎっしりだ」
恋次郎は切っ先でつっつくように何度も刀を動かし、ミカンを空中で転がした。
ミカンは観衆たちの視界のあちこちを行ったり来たりしながら回転するが、その身が崩れる様子はない。
「そうら、どうかな」
落ちてきたミカンが刀の背を転がり落ちて、恋次郎の手のひらに収まった。
ぱさり。
布擦れのような音がして、ミカンの皮に幾筋もの切れ目が走った。
橙色の皮が花びらのように広がり、豊かな果肉を衆目にさらした。
刀でミカンを剥いたのだ、と、数秒遅れて人々は理解する。
「ほうら子供たち、喉が渇いたろう。一人一粒、早い者勝ちだ」
綺麗に斬り分けられたミカンに、子供たちが殺到した。
「美味しい!」「ありがとうおじさん」などと喜ぶ子供たちの後ろで、大人たちは目を丸くしている。
「何をどうやって、あんな風に斬ったんだ……?」
町人たちにまぎれていた九平治も、その技に目を明かされた一人だった。
子供たちが受け取ったミカンに、皮が破れて果汁が外に飛び散った様子はない。
まるで手で丁寧に一つ一つ粒をもいだかのように、全ての部品が損傷なく斬り分けられている。
「すごい、これは本物の達人だ……!」
「よっ、芸達者!」「いいぞ!」
手を打って称える周囲の町人たちに、九平治は小さく舌打ちした。
「馬鹿が。お前らは奴の真の恐ろしさを認識すらできていない」
その場で九平治だけが、一歩先の事実に気が付いていた。
「今、奴は刀でちょくせつ触れずに果物を斬っていたんだぞ……」
コイツは、王槐樹よりも強いかもしれない。
それ以降も続く刀芸を、九平治は打算を張り巡らせながらも真剣に見つめていた。
広げた風呂敷には次々と銭が投げ入れられ、恋次郎は何度も頭を下げた。
「はは、こりゃどうも。どうもね。またやるから見に来てくださいよ」
風呂敷を結んで口を閉めながら、そそくさと恋次郎は引き上げていった。
その後を、九平治が町人を装って追う。
「さて、人通りも少なくなってきたし、そろそろ……」
そう思った時、先客が現れた。
「おい、ずいぶんと景気がいいじゃねぇか恋次郎」
柄の悪い男たちが、恋次郎の行く手を阻んだ。
手には木刀を握りしめ、恋次郎をなめ切った眼でにらみ上げている。
「もちろん、ここら一帯を仕切ってる門藤一家へのショバ代は忘れていないだろうな?」
「当たり前じゃないですか。親分がたのおかげで気楽に商売できてるんです。差し上げますよ」
恋次郎は手に提げていた風呂敷を開いて、やくざ者たちに示した。
「確か、半分お渡しすればよかったんですよね」
「いいや、近頃物入りでな。七割取ることになった」
やくざ者はそう言うと、銭の山の五分の一から四分の一ほどを握りしめ、恋次郎の足元へとバラまいた。
「ほら、これがテメェの取り分だ」
そう言いながら、残った銭を風呂敷で包み直した。
恋次郎は、言いにくそうに切り出した。
「あのぅ……申し訳ないんですけど……」
「あ? 何か文句でもあるのか」
「……いえ。どうぞ、お持ちになってくだせぇ」
「けっ、分かればいいんだよ、分かれば」
去っていくやくざ者たちを、恋次郎は残念そうに眼で追うのみだった。
「あの風呂敷、気に入ってたんだけどなぁ……」
ぼやきながら、恋次郎はため息を吐いた。
「まあ、最近は気焔流が消えて、親分がたも縄張り争いで忙しいって言うし。こんなものかな」
「んなワケあるか。ナメられてるんだよ、お前は」
散らばった銭を拾い上げ、九平治は恋次郎に手渡した。
「ああ、どうもね」
「構うこたねぇ。いい技を見せてくれた礼だ」
九平治はそう言うと、懐から金の小判を取り出して恋次郎の手に置いた。
これ一枚で、半年は暮らせるほどの額だ。
「ああ、こりゃ本物じゃないですか。いいんですか、こんなに」
「言っただろう。いい技を見せてくれた礼だ。俺ぁ、アンタの技に惚れた」
間髪を入れず、九平治は懐の八岐大蛇を抜いた。
同じく八岐大蛇所有者、災原厄海のそれよりもはるかに速い抜き技で、両手で銭を抱える恋次郎の胸に銃口を突きつける。
「……なぜ反応しねぇ?」
「だって、殺気がしませんから」
恋次郎は、相変わらずのっぺりとした顔にニコニコ笑顔を浮かべている。
「……この程度の悪戯じゃあ、ビビりもしないか。流石は元・首斬り執行人、『死に神』と畏れられた夢路斬鉄だ」
「……その名を知ってるとは通ですな、お客さん。お名前は?」
「仕掛け屋九平治」
「あー、聞いた名だ。アンタも『マサ』さんに誘われたクチですか」
「奴を知っているのか」
「もちろんですよ。あの人には、前の仕事でだいぶお世話になったから」
恋次郎は、すぐそこのあばら家の戸を指さした。
山中にあった王槐樹の棲み家に負けず劣らないぼろ屋だ。
「まあ、立ち話もアレですから。上がっていってください。何もありませんけど」
「……本当に何もないな」
「でしょう? 親分たちも、もう少し取り分を増やしてくれたらいいのに」
笑みを張り付けたままの恋次郎の言葉は、本気なのか冗談なのか分からない。
軋む床に腰を下ろしながら、九平治は鼻を鳴らした。
「お前の腕なら、あんなチンピラどもの首なんざ三秒で落とせるだろ?」
「ははは、流石にそんなにもたつきませんよ」
「だったら、なぜそうしない」
「良くないですよ、人殺しは。人が死ぬぐらいだったら、ちょっとやそっと貧乏でもいいじゃあありませんか」
恋次郎は、朽ちるのに任せたままのボロ屋にごろりと寝転がった。
「それが、首斬り役人の職を辞して、この生活を選んだ理由か」
「ええ。性に合うんでしょうな。ここなら、隙間風のおかげで血の匂いもこもらない」
「血? 人を斬っているのか?」
「いやいや。手が汚れているんですよ。ほら、匂うしょう?」
恋次郎は手の甲を九平治に向けて突き出した。
嗅いでみても、ただの手だ。
だが、恋次郎は自らの手が臭くて臭くて仕方がないらしい。
「うぇ、洗っても洗っても匂ってきやがる。まったく、嫌になる」
恋次郎は忌々し気に手を拭ってはぼやいた。
「なるほど……人懐っこいツラして、なかなか狂ってやがる」
「不都合ですか」
「いや、そうでなくては困る」
九平治はニヤリと笑むと、声を潜めた。
「かまいたち恋次郎、お前もマサの野郎が推し進める殺し合いに巻き込まれてるんだろう」
恋次郎の返事を待たず、九平治はずいと詰め寄った。
「勝たせてやる。俺は影からお前に協力し、お前は俺を見逃し、褒賞の分け前を寄こす。どうだ、悪い話じゃなかろう?」
「ふぅん、協力なぁ。具体的には、どうしてくれるってんだい?」
「……次、お前と殺し合うことになる相手を、俺は知っている」
「誰だい、そいつは」
「『天下無双の王槐樹』。普通にやっても敵わねぇ化け物だ。だから……」
「だから?」
「闇討ちして、殺す。俺が御膳立てしてやる」
九平治は低く静かに、だが確かな声でそう告げた。
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