1-5 気焔 -Mind Flare-
マサと別れた雹右衛門は、人通りの多い町中を経由しながら遠回りで屋敷に戻ろうとしていた。
ぶあつい装束に浪人笠姿の雹右衛門は、薄着で出歩く町人たちの中では少し浮く。
しかし、いちいち奇異の目で見られることはない。
逝原の都は、幕府の開闢に合わせて作られた歴史の浅い都市だ。
様々な職業、事情を持つ人間たちが各地から集まり、肩を寄せ合って暮らしている。
無関心は、この町で生きていくための知恵だった。
「ほら、見てって見てって! 旬モノの七州蜜柑だ」
「夏場所番付が出たよぅ! 大金星の泥王号に注目だ!」
「あぁ暑い暑い。どうなっちまってんだろうね今年は」
「いくぞ、オイラの手作りした業物にかてるか! ザシュっ!」
「そんなヘナチョコ効くもんか! くらえー!」
雹右衛門は、町を飛び交う雑多な声に耳を傾けながら歩く。
「特に変わった様子はない、か」
禍山の仇を探し回っているという気焔流の動きも見ておきたい。
そう思って町の方まで出てきたが、取り越し苦労だったらしい。
「つい最近、家からすぐそこのところで人が斬られたらしいのよ。おっかないわぁ」
「どうせまた、裏仕事のろくでなしよ。ウチらには関係ないっしょ」
災原禍山の死は、川に投げ入れられた石の一つに過ぎなかった。
近頃、武術の達人や盗賊、やくざ者、殺し屋など、裏で悪名高い人間たちがよく死ぬ。
もちろん、雹右衛門もその一部には関わっている。
だが、全体の数から見ればほんの一部だ。
『大仕事』を頼みたいと言っていた、マサの言葉が頭をよぎる。
「何かが、裏の世界で起ころうとしている。いや、もう始まっているのか……?」
「まわれまわれー」
「びゅー!」
心の中でつぶやく雹右衛門の横を、風車を持った子供たちが駆けてゆく。
近くで祭りでもあるようだ。
町を往く人々はどこか楽し気で、浮足立っている。
雹右衛門が一人であれこれ考え事をしている方がどこか場違いに思えるほどに、世間の空気は朗らかで陽気だった。
「……そうだ。裏を這い回る『虫』がどれだけ死のうが、どうでもいい。罪のない人々が、雪路が、笑って暮らせるのならばそれで……」
雹右衛門は、編み笠の奥でフッとほほ笑んだ。
「……何か、雪路に買って帰ろう」
業物関連の仕事が一日に二つも片付いたのだ。
少しぐらい、奮発してもいいだろう。
「雪路もそろそろ年頃だ。仕事道具だけでなく何かこう、女の子らしい、綺麗な物を……」
そう思って手ごろな飾り屋を見つけて、立ち寄ろうとした。
その時だった。
ぞわり。
雹右衛門の背筋を、怖気が走った。
「……!」
雹右衛門は店に向けていた足を返し、再び通りを歩き始める。
肌に虫が止まって足を細々動かして這い回っているかのような不快感。
びりびりと嫌な感覚が身体を駆け巡っていた。
「誰かがおれを尾行し始めた。ヘタだが、複数。隠しきれない殺気も感じる……」
気焔流だ。
どうして目を付けられたのかは分からないが、このままでは町に迷惑がかかる。
「確か、近くに人の近寄らない沼地があったはず」
家へと向いていた足どりを曲げ、雹右衛門は通りを外れた。
追ってくる気配も動き出し、徐々に徐々に、その距離を詰めてくる。
「迷いのない足取り……やる気か、気焔流」
十数ほど歩いた先、生臭い臭いがする沼地で雹右衛門は足を止めた。
周囲には、悪臭と黄色く濁った色の霧が立ち込めていた。
幕府がこの土地を都として改築する際、何度も埋め立て工事に失敗した狭く深い沼地。
毒寺という地名で知られている一帯だ。
「わざわざ人目につかないところまで来てくれて、誘拐する手間が省けるぜ。なぁ、『虫斬り雹右衛門』先生よ」
野太い声に呼びかけられ、雹右衛門は振り返った。
敵は八人。
凶暴な目つきをした浪人たちだ。
臙脂色に柿色に、彼らの纏う服からは、どことなく炎の赤が思い起こされる。
「テメェが禍山さんを斬って加具土盗ったんだってなぁ?」
身体に炎の刺青をした男が、雹右衛門に訊ねる。
「やはり気焔流の門下生か。『虫斬り雹右衛門』という名を、誰から聞いた?」
雹右衛門が問い返すと、刺青の男は舌打ちをした。
「十七のガキが偉そうに、質問に質問で返してんじゃねぇよ」
刺青の男が目で合図すると、浪人たちは腰に差した木刀を抜いた。
なぜ木刀なのか?
それは、現代において暴力関係者が刃物よりもバットや鉄パイプなどの打撲武器を好むのと理屈が似ている。
骨を折って皮膚を潰し痛めつけ、それでいて殺さない。
痛みや恐怖を交渉に使う人々にとって、そういう道具の方が都合が良いのだ。
「痛い目を見たくなかったら、加具土の場所を言え」
「教えてやる義理はない。『虫』どもに、業物を持つ資格はない」
「お、言うねぇ? だがよ、早めに白状した方が楽に殺してもらえるぜ?」
「誰に」
「災原厄海さんだ。禍山さんの甥御さんで、生きたまま人間を『的』にするのが趣味の恐ろしい人さ。流石の禍山さんも、厄海さんの業物には一目を置いていたんだぜ?」
「……そうか」
刺青男の言葉に、雹右衛門はフッと息を吐く。
笠の奥で、笑みを漏らしたのだ。
「? 何がおかしい」
「いや、なに。禍山が『一目を置いていた』程度なら、楽に斬れるだろうと思ってな」
答えながら、雹右衛門は羽々《ば》斬に手を伸ばした。
スゥッと、透明な液体に濡れた小太刀を引き抜き、下向きに構える。
「来い。木の枝を振り回す悪童どもに、業物の恐ろしさを教えてやる」
「あ˝ぁッ!?」
年下の少年にこれだけ言われて、怒らずにいられる剣士はいない。
剣を脅しに使うならず者であっても、最低限の自尊心がある。
それが、剣というものだ。
「かかれ! 手足全部ぶち折って泣かせてやれ!」
「オォォォッッ!」
号令と同時に、木刀を抜いた浪人たちが雹右衛門に向けて飛び掛かった。
「死ねぃ!」
先頭の一人が雹右衛門にまさに斬りかかろうとした。
刀の長さでは、小太刀使いの雹右衛門よりも木刀の方が有利。
しかし雹右衛門は慌てない。
刃物の専門家が、木の棒を恐れていては話にならない。
「禍山の斬撃は、その数倍は疾かった」
相手が木刀を振り下ろすよりも早く、小太刀で目の前の空間を斬る。
ピッと音を立て、小太刀を濡らしていた液体が雫となって宙を舞う。
「ぐあああああ!」
雹右衛門に飛びかかっていた浪人が、顔を押さえてその場に倒れた。
「目が、目がァ……ッ」
その両目が落ちくぼみ、白い煙が噴きだしている。
氷煙と呼ばれる現象だ。
急激に冷やされた物体が空気に触れ、水蒸気を雲のように凝固させたのだ。
「なっ、何をやってやがる⁉」
先頭が思わぬ形で倒れたことで、門弟たちは勢いを失う。
「だ、誰か行けよ!」
「お前こそ!」
言い合っている気焔流たちを冷ややかな目で見つめ、雹右衛門はつぶやく。
「お前たち、本当に禍山の弟子なのか? 奴は斬られても、笑って死んでいったぞ?」
今度は、雹右衛門の方から気焔流へと飛びかかった。
「ぐっ!」
「げぇえッ」
「ご……ッ!」
頸動脈、心臓、わきの下を走る大動脈。
白い刃が次々と浪人たちの急所を通過し、重要な血管を凍結していく。
極低温の斬撃は、痛みも苦しみもなく、ただ眠くなるような寒気の中で人を死に誘う。
「なっ……七人を、一瞬で……」
その場に立っているのは、雹右衛門と刺青男だけだった。
「己のことを誰から聞いた」
雹右衛門の問いに後ずさりながら、刺青男は答える。
怯えと笑いが混ざった顔で、刺青男は言う。
「け……っ! ニヤニヤしたおっさんが道場にチクりに来たのさ。今頃は、お前の屋敷に厄海さんが向かってる。テメェの妹とやらは、厄海さんのオモチャ確定だぜ」
「問題ない」
「は、はぁッ!?」
刺青男は目を剥いた。
「厄海さんの恐ろしさを知らねぇから言えるのさ! あの人ァ、女子供の悲鳴を聞くのが趣味で、音が出なくなるまで遊ぶんだ。何人……いや、何十人分の死体を棄てに行ったか、俺ぁもう数えきれなかった! 中には、赤ん坊の……」
「『虫』め」
雹右衛門は、刺青男の首筋を突いた。
「かはっ……ひゅ……ぅ…………!」
喉を凍結された刺青男をはじめ、気焔流門下生たちの身体が、ずぶずぶと沼に沈んでいく。
「日頃から備えはしてある。それに、お前たちごときに捕まる雪路ではない。あの子の気配を感じ取る力は、おれよりずっと上だ」
沼地に呑み込まれていく亡骸たちには目もくれず、雹右衛門はもと来た道を早足で戻り始めた。
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