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蠱竜陀 -最凶の四人で『蠱毒』してみた-  作者: 節兌見一
第一章『虫斬り雹右衛門』
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1-3 城銀 -Ag2O-

わざものは、平和な世の中には無い方がいい。

他者を圧倒できる暴力装置は、時として人を残酷な行動へと駆り立てるからだ。


「許してはいけない。あんなことは、二度と……」


帰りの駕籠に揺られながら、雹右衛門は七年前の惨劇を思い出す。



確か、あの夜も蝉が鳴いていた。

十歳になったばかりの雹右衛門は、どこからか聞こえてくる蝉の鳴き声を聞きながら、離れの工房でひとり業物の研究に没頭していた。


城銀家は戦国以前より刀鍛冶を生業としてきた一族だ。

雹右衛門は生まれた時から業物鍛冶として生きることを決定付けられ、先代のこおから徹底的な教育を施されてきた。


十歳となった彼に与えられた課題は、家宝として伝わる業物『々《ば》きり』の分解と再構築。


細かなネジや目釘を含め、合計103個の部品からなる精巧な業物は、分解するのにも組み立てるのにも高度な観察力と思考力、そして技術を必要とする。

あえて家宝を教材とすることで、城銀家の継承者はこれから自分が歩こうとする鍛冶道の長さを早くに思い知るのだ。


「どうしてこんな凄いものが作れるんだろう……? この業物は、きっと神様が作ったにちがいない」


分解した羽々斬の構造を自作の設計図に模写しながら、幼い雹右衛門はつぶやく。


「いつか、おれもこんな業物をつくるんだ。将軍様が使ってくださるような究極の一振りを、おれが……」


そんな夢を見ていたかつての自分を思い出すたび、雹右衛門は苦虫を噛みつぶしたような顔になる。


究極の一振り。

そんなものを作ったところで、その一本を奪い合うための争いが起きるだけだ。

自分がつくろうとしているのは人殺しの道具なのだということを、当時の雹右衛門は理解していなかった。


「ん?」


工房の外、城銀家の母屋で何かが光ったような気がした。

ピカッと一瞬だけの、目が眩むような強い光。


「きゃあッ!?」


ほぼ同時に、夜の闇を裂いて幼い女の子の叫ぶ声が聞こえた。


ゆき!? ゆきなのか!?」


雹右衛門は妹の名を叫んだが、返事はない。

作業用の金槌を手に工房を飛び出した雹右衛門は、勝手口から家に駆け戻った。


異変にはすぐに気がついた。


濃厚な鉄の匂い。

それに、何かが焼け焦げたかような嫌な臭いが混ざって、家の中に充満している。


何か、恐ろしいことが起きている。


ゆき! 父上!」


廊下に残された一人分の足跡を辿って廊下を駆けると、奥の座敷近くに女の子がうずくまっていた。


ゆき!」

「うぅ、にいさま……?」

「よかった、無事だったか!」


雹右衛門は慌てて駆け寄り、八歳になる妹のゆきを庇って周囲を警戒した。


「大丈夫だ、おれが来たから、もう大丈夫だぞ……!」


雹右衛門は金槌を握りしめたまま、座敷の奥を見やった。

そこには血だまりと、頭を吹き飛ばされた男の死体が残されていた。

見慣れた鍛冶装束からして、父、凍理に違いなかった。


「父上……」


父の死に呆然とする雹右衛門の背に、ゆきが問いかける。


「兄さま、父さまはどこ? さっきから呼びかけているのに、へんじしてくれないの」

「なに……?」


父なら、そこで死んでいる。

すぐ近くにいたゆきが、その死体を見ていないはずがない。


「兄さま、おめめが変なの。さっきから何だか暗くて……」

「なっ……!?」


起き上がった雪路の顔を見て、雹右衛門は言葉を失った。

妹の幼い顔に、黒ずんだ一文字が刻まれていた。

雪路の両目を真横に横断するかのような、焼け焦げた傷跡。

特に右目があったはずの場所からは、煙が細くたなびいていた。

眼球が焼け、中身の水分が蒸発しているのだ。


「まさか……」


城銀家が保管していた業物の一つに、そういう焼き傷を人に刻み付けるものがある。

父を殺した犯人は、雪路に向けてそれを使ったに違いない。

恐らくは、目撃者の目を潰すために……


すぎる……雪路が何をしたっていうんだ……ッ!」


こんなことをする奴は、人間ではない。

獰猛で残酷な獣にすら劣る、心や感情、哺乳類の温かみを持たない、別の何かだ。


雹右衛門はそんな外道を、彼がこの世で最も嫌いな存在に例えた。



「心の無い、虫め……ッ!」



雹右衛門の怒りが口から漏れ出した、その時。


「若旦那、お宅に着きましたぜ」


駕籠の運び手から声がかかり、雹右衛門の意識は現実へと引き戻された。



「どうも、ご苦労様でした」


運び手たちを帰すと、雹右衛門は住み慣れた屋敷の門をくぐった。

業物鍛冶屋として城銀家が都に移り住んできた時からの住まい。

小さいながらも、本格的な鍛冶工房を持つ立派な邸宅だ。


「ただいま、雪路」

「あら、兄さま。お帰りなさい」


仕事場に顔を出すと、作業に没頭していた少女がパッと顔をあげ、雹右衛門の方へと振り向いた。

城銀雪路は、今年で十五歳になる。


「お仕事、どうだった?」

「喜んでもらえたよ。雪路の研ぎ仕事にも、大変満足しておられた」

「よかったぁ……兄さまの仕事を台無しにしてしまったら、どうしようかと」

「馬鹿なことを言うな」


雹右衛門は、雪路が研いでいた包丁を手に取って、その刃先を見つめた。


「まるで、今にも凍り付こうとしている冬の湖みたいに、静かで美しい面だ。並みの研ぎ師なら、同じ刃物を十年研いだってこうはならない」

「兄さま、褒め過ぎ」

「事実だ。もう一流の研ぎ職人だな、雪路」

「もう、急にどうしたの? 変な兄さま」


雹右衛門が告げると、雪路は照れくさそうにはにかんだ。

その右目には、やや青みがかった瞳をした義眼がはまっている。


七年前、業物の一撃によって雪路は右眼球を喪失し、左目の視力も大幅に低下した。

顔を横切る大きな黒火傷は今でも残り、その痛みで時々、雪路は熱を出して寝込む。

今こうして一人前以上の仕事ができているのは、七年もの間に喪ったものを埋めるべく血の滲む努力をした成果なのだ。


「おれは、雪路を一職人として尊敬している」


雹右衛門は口にこそ出さなかったが、心の中でそう思った。


腕が良いからだけではない。

雪路の仕事は、人々の生活を支えているからだ。


鋭利で乱れの無い包丁は切った食材の味を損なうことがない。

ハサミやノミなどの仕事道具を手入れすれば、それを使ってより良い品物が人々に振舞われる。


研ぎ師の仕事は、業物づくりとは違う、正しく善良な仕事だ。

本当は、そんな雪路を人の血に濡れた業物に触れさせたくはなかった。


しかし、それはできない。

なぜなら、雪路が研ぎ作業を仕上げることこそが城銀家が行う最善の仕事であり、一度引き受けた仕事に手を抜くことは許されないからだ。


「? どうしたの兄さま? 何だか難しい顔してない?」

「……そうか?」

「絶対そう。お仕事で何かあったんでしょ」

「いや、そんなことは……」


雹右衛門が返す言葉に困っていると、仕上げた包丁をしまい込みながら雪路が「あ」と声をあげた。


「そうだ。『何かあった』と言えば、兄さまが出かけている間に人が来ていたの」

「お客か」

「ううん。『えんりゅう』っていう、剣術道場の人たち」

「なにっ!?」


雹右衛門は声を荒らげた。

気焔流と言えば、さいばらざんの流派だ。


「何かされたのか! どこにも怪我はないか!?」

「う、ううん。話をしただけだから、大丈夫」


雹右衛門の剣幕に、雪路はびっくりした様子で首を横に振った。


「あのね、その人たちのお師匠さん、禍山さんって人が、闇討ちされて業物を取られちゃったんですって。だから、もし犯人がここに『炎の業物』の手入れを依頼してくるようなことがあれば、すぐに知らせるようにって」

「そ、そうか……」


どうやら、尻尾を掴まれたわけではないらしい。

雹右衛門は、ホッと胸を撫でおろした。


「いいか、雪路。『えんりゅう』は剣術道場とは名ばかりの犯罪集団だ。暴力で町の人を脅し、言えないような悪事ばかりをやっている。また奴らが来るようなことがあれば、いつでも隠れられるようにしておくんだ」

「う、うん……」


雪路に、過保護だと思われただろうか。

うなずく雪路に向けてほほ笑みながら、雹右衛門は思う。


いや、過保護に思われるくらいでちょうどいい。

雪路が再び心無い悪意にさらされる可能性を思えば、多少煙たがられるぐらいでいい。


雹右衛門は、雪路の仕事場に隣接した自分の工房を見やる。


「それにしても、危なかった……!」


心の中で、雹右衛門は声を漏らす。


雹右衛門の視線の先、工房の片隅。

無数の工具やからくり部品に混じって、一本の刀が無造作に立てかけてあった。


業物狩り『虫斬り雹右衛門』がさいばらざんを斬って奪ったつち

気焔流の探している『炎の業物』は、まさにそこにあったのだ。


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