2-5 稽古 -Training-
『仕掛け屋九平治』にとって、『天下無双の王槐樹』は仕掛け道具の一つに過ぎなかった。
少なくとも、九平治自身は今もそのつもりだ。
「ちっ、威勢だけの雑魚どもが。手間取らせやがって」
それは、今から五年前のこと。
裏の仕事人として名を馳せていた九平治は、とある宿場町を巡る任侠者同士の抗争に介入し、片方の組を壊滅に追いやった。
八岐大蛇と御射軍神、二つの業物を手にしていた九平治にとって、刀を持った程度のチンピラなど相手にもならない。
後になって思い返せば、金のためとは言えつまらない仕事であった。
「なんだ、このデカブツは。こいつも殺っとくか?」
九平治が八岐大蛇を向けると、座敷の隅で巨漢がびくりと身体を震わせた。
「ま、待ってくれ! お、おおお俺は力仕事に雇われただけで、アンタらに恨みはない! 言われた通り働いてただけなんだ、見逃してくれよぅ!」
喚きながら、仲間の血や臓物で真っ赤に汚れた部屋でうずくまっている。
そのあまりのみっともなさに、九平治も、依頼人の門藤一家も呆れている。
「『仕掛け屋』先生、そいつぁ毒にも薬にもなりゃしねぇ雑魚だ。まあ、もう一人死体が増えたところでべつに構いやしねぇんだが……」
「そんなぁ! か、勘弁してくれよぅっ!」
泣きべそをかいての命乞いに、九平治は眉をしかめる。
元々、強者を仕掛けにてハメ殺すことにしか興味がない彼である。
「ちっ……弾の無駄だ。さっさと失せろ」
九平治が八岐大蛇を降ろすと、巨漢は何度も九平治に頭を下げた。
「あ、ありがてぇ! ありがてぇ、ありがてぇ」
たまには仏心を出すのも悪くないか。
そう九平治が思っていると、不意に彼の大きな手が九平治の手をつかんだ。
「アンタぁ、俺の命の恩人だ! 頼む、俺を子分にしてくれ!」
「……は?」
「だってよぅ! 任侠者たちをあっという間にぶっ殺してくあの姿! 《《小っこい》》身体で、本当にすげぇよ!」
「……ちっ」
九平治は舌打ちすると、巨漢の脇腹に八岐大蛇を押し付けた。
肋骨の隙間を縫って、心臓を撃ち抜くための角度だ。
「テメェ、やっぱりここで死んどくか」
「ちょっ、待った待った! 俺ぁ褒めてんですぜ、兄ちゃんよぅ」
「誰が兄ちゃんだ! 口の利き方に気ぃ付けろデクノボウがッ!」
巨漢を怒鳴りつけながらも、九平治はこの時に二つの誤算を犯していた。
一つ目。
それは、すぐに使い捨てるつもりでいた若者『櫂』を、結局は捨てきれなかったこと。
そして、もう一つ。
それは、『櫂』が秘めていた怪物的な武術家の才能についてである。
「カーァッ! カーァッ!」
「カーッ」
「カカァ―ッ!」
色町『花の艶ヶ谷』周辺にて。
鴉たちは互いに何かを知らせ合うように鳴き合った後、一斉に飛び立ってどこかへと逃れていった。
賢く、危機察知能力の高い彼らは感じ取っていた。
『天下無双の王槐樹』対『かまいたち恋次郎』。
今、この場所で戦っている怪物たちには近づくべきではない、と。
「化け物どもめ。通り二つ挟んでも、気配がプンプン薫って来やがる」
九平治は、艶ヶ《が》谷の裏通りを駆けていた。
位置がバレた狙撃手は、速やかに移動すべし。
後に近代狙撃術の基礎として組み込まれることになる基礎概念を、九平治は狩人としての経験から既に体得していた。
とはいえ、裏切りがバレた以上は恋次郎に二度目の狙撃は通用しないだろう。
九平治が走っているのには、別の理由があった。
「動くな」
薄暗い路地裏で、九平治は男の後頭部に八岐大蛇の銃口を突き付けた。
「……どうも、九平治さん。ご遺体が見つからないから、心配してたんですよ」
振り返ろうとするマサの頭に、九平治は銃口を強く押し付けた。
「動くなって言ってんだろうが。その辺でウロチョロしてる忍び共も、こいつの脳みそぶちまけたくなかったら、大人しくしてるんだな」
九平治は、周囲をにらみながら凄んだ。
「バレてねぇとでも思ってんのか? 四人も頭数揃えておいて、ボンクラばかりか、ん?」
「「「「……ッ!」」」」
物陰から、驚きの声が漏れた。
どうやら『四人』という数字は図星だったようだ。
「しかし、まさか九平治どのと王槐樹どのが義兄弟であらせられたとは、我々の調べが甘かったようです」
「ふん、しょせんテメェら幕府の目なんて節穴よ」
「……ふふ、そのようですね」
マサは自嘲気味に笑った。
「我々、死んだフリには騙されてばかりでして……」
「あ?」
「こちらの話です」
「ち、余裕ぶりやがって」
銃口を向けたまま、九平治は舌打ちした。
「テメェを殺してわざわざ幕府を敵に回すつもりはねぇ。だが、櫂の稽古の邪魔をするならぶち殺す」
「稽古、ですか」
「そうだとも」
九平治は、口元を笑みに歪めた。
「あれは俺が育てた怪物。あいつは、達人を喰えば喰うほど強くなる化け物だ」
◆
「だらっしゃあッ!」
王槐樹は掛け声を発すると、『かまいたち恋次郎』の胸めがけて直線蹴りを繰り出した。
槍の一突きのような鋭い蹴り。
しかし、恋次郎に言わせてみれば、それはとんでもない悪手だった。
「刃物相手に手足伸ばしちゃいけませんよ」
最小限の動きで蹴りを躱すと、突き出された脚に刀を添える。
このまま刃を押すか引くかすれば、スッパリと足の腱は切断されて使い物にならなくなる。
瞬きほどの時間があればそうなる。
だが、達人たちの時間感覚において、『一瞬』は十分に対処可能な猶予時間だ。
「どらぁッ!」
脚を伸ばしきっていた王槐樹……その上半身が、消えた。
脚を囮に、もう片方の足で回し蹴りの体勢に入ったのだと悟るころには、既に恋次郎の目の前にこん棒のような足先が迫っていた。
「くっ……」
バチッと弾くような音と共に、恋次郎の頭部を王槐樹の足が掠めた。
「あいててて。掠っちゃったか」
九平治に撃たれた左側頭部から、さらに出血が増していた。
トクトクと血の垂れる恋次郎の足元に、赤く濡れた物体が転がっている。
よくよく見れば、それはもがれた恋次郎の左耳だった。
「おいおい。大丈夫かよ恋次郎」
「なに言ってんです。アンタの兄ちゃんに撃たれたせいで、左目が明かないんです。ちったぁ加減してください」
「やなこった」
「ひどい人だなぁ」
軽口をたたきながらも、二人は刹那の交差を幾度も経て、無数の傷を作り合っていた。
互いに致命傷を与える隙が無いから、確実に体力を削る一撃を刻み合っている。
そうせざるを得ないぐらい、二人の実力は拮抗していた。
「へへ、痛い思いをするのは、ずいぶん久しぶりですよ」
「だははっ、そう言うアンタもすげぇよ。久しぶりの『格上』だ」
王槐樹は、刀傷だらけの身体で笑った。
派手に出血している恋次郎と比べても、王槐樹の方が傷は多かった。
生半可な刃を通さない鋼の肉体を基軸に体術を構築している分、『鉄を斬れる』恋次郎とは相性が悪い。
ただでさえ、素手と剣の勝負だ。
その形勢は、火を見るより明らかと見えた。
しかし……
「気味が悪いですよ。何か狙ってるんですか?」
恋次郎の顔からは、いつしか笑みが消えていた。
「なぁに、何事も稽古だよ」
王槐樹は歯を剥いて笑った。
その目だけがギョロギョロと蠢き、恋次郎の一挙一動を捉えている。
まるで、何かを待っているかのような。
そして、それは単純な死角や隙のようなものでもないらしい。
「ほんとうに、気味が悪いなぁ……」
きっと、この展開こそが、九平治が恋次郎に近づいてきてまで仕掛けた罠なのだろう。
九平治ならば、毒を盛るなりその他どんな方法でだって恋次郎を殺せたはずだ。
ただ単純に相手を殺す以上の結果を、この二人は求めている。
「いやだなぁ」
ぼやきながら、恋次郎は薄く目を見開いた。
抜き身の刀のような、細く鋭い眼光だった。
「でもね。刃物ってのは、そういうイヤ~な流れを断ち切るためにあるんですよ」
恋次郎は刀を鞘に納め、足を肩幅よりやや広めに開き、腰を落とした。
そして、逆手に柄を握り、居合抜刀を構えた。
恋次郎の周囲が、シンと静まり返った。
夏のうだる暑さが色褪せ、『死に神』に対峙した薄ら寒さだけが大気の底を漂う。
「一撃で、首を落としてみせますよ」
ひんやりと告げる恋次郎に対し、王槐樹は真っ向から迫る。
「もったいぶらずに見せろや! お前の技、その全てを」
「どうぞ」
チンと恋次郎の刀が鍔鳴りした、その時。
刀を起点に薄い空気の層がふわりと宙を舞い、王槐樹の首筋をスルリと抜けていった。
刃によって起こされた、細く鋭い『風』。
それが、『かまいたち』の正体だった。
「……かはぁッ!」
ゴボリと血を吐き、王槐樹はよろめいた。
首筋にパックリと傷が口を広げ、そこからとめどなく血を吐き出す。
「あらら。筋肉が太いものだから、一刀両断とはいきませんでしたか」
恋次郎は、首を押さえて悶える王槐樹を憐みの目で見下ろした。
「処刑人をやってて一番辛いのは、下手を打って相手を苦しませてしまうことです。死罪人に情状酌量の余地はありませんが、これだけは本当に申し訳なく思います」
ぶつぶつとつぶやきながら、恋次郎はチャキッと刀を構えた。
「どうぞ、気を楽に。今度こそ、スパッと逝けますから」
「余計なお世話だ!」
王槐樹は、恋次郎の胴めがけて渾身の手刀を打ち出した。
しかし、手刀は文字通り、『空を切った』。
鉄砲すら避ける恋次郎の身のこなしの前では、当たるはずもない。
「へへ、無駄ですよ、王槐樹さん。さあ、また邪魔が入らないうちに首を……」
言いかけて、恋次郎は足を止めた。
「あれ?」
恋次郎が濡れた感触に足元を見やると、そこには流れ出たばかりの新鮮な血だまり。
血は、まだホカホカと温かい。
視線を少しずつ自分に向けると、恋次郎の脇腹が裂け、そこから臓物と血がドロリと流れ出している。
「あれ? あれれ? あれっ、あれぇ……ッ!」
むせかえるような生温かさと痛みに、恋次郎は声を漏らした。
「覚えた……覚えたぞ、『かまいたち』」
王槐樹はよろよろと立ち上がり、血塗れの顔に壮絶な笑みを浮かべた。
その手には何も握られていない。
仕込み刃を隠していたわけでも、九平治が何かしたわけでもない。
手刀で、『触れずに斬った』のだ。
「『覚えた』ですって……? 俺の『かまいたち』を……ッ!?」
これまでずっとにこやかだった恋次郎の顔に、初めて嫌悪感の影が差した。
「俺は、こいつを物にするまでに、何百何千って人間の首を斬ってるんですよ!? それを、見ただけで……」
「見ただけじゃねぇよ。喰らってみねぇと、技の味は分からねぇもんさ」
王槐樹は、ハラワタを押さえてうずくまる恋次郎の肩に手を置いた。
「だははは、そう落ち込むなって。どういう理屈で『かまいたち』が出るのかは全然分からん。ただの真似、兄ちゃんには『猿真似』って呼ばれてる」
「だ、だからって……」
狼狽する恋次郎の言葉を遮るように、九平治の声が響いた。
「でかしたぞ、王槐樹。これでお前は間合いの弱点を克服した。また一つ真の『天下無双』に近づいたぞ」
「もう殺しちまっていいよな、兄貴?」
「ああ、もう用済みだ」
「おう!」
陽気に答えると、王槐樹は手刀を構えた。
「技を盗んだ相手をぶっ殺す時は、ちゃんとそいつの技でとどめを刺すって決めてんだ」
「……へへ、なるほどな」
恋次郎は、血まみれの手で刀を構え直した。
「だがよ、本家本元に勝てると思うかよ!」
声を張り上げる恋次郎だが、その構えは明らかに精彩を欠いていた。
自身の剣、生き方の体現をいとも容易く模写されてしまった時、信念が強ければ強いほど、脆く崩れ落ちる。
達人たちの努力を、知識を、才能を、その上澄みだけを掠め取って我が物顔で振るう、技の盗賊。
それが、『天下無双の王槐樹』の武芸者としての本質だった。
「俺は馬鹿だからよぉ。地道に他人様の真似をして強くなるしかねぇ。兄ちゃんの言う通りに、コツコツとなあ」
「抜かせ!」
恋次郎は、再び抜刀し、王槐樹の首を狙った。
しかし。
「そう首ばっかり狙ってたらよ、流石にアンタの速さでも見切れちまうぜ」
パキンと、金属の折れる音がした。
白刃取りで手折られた刃の音だと気付く間も、恋次郎には残されていない。
「ありがとよ『かまいたち恋次郎』。おかげで、俺はまた強くなれた」
ひゅっと風が吹く音と共に、恋次郎の首が肩からごろりと転げ落ちた。
「へへ、へ……お見事です、九平治さん……」
首だけで小さく笑ったかと思うと、恋次郎は動かなくなった。
傷の断面は滑らかで、血が一滴も流れ出ることは無かった。
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