1-1 逝原 -Killing Field-
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「今年の夏は暑すぎる。人間が増えすぎたせいだな」
逝原の都では、熱帯夜が続いていた。
もう夜更けだというのに、どこからかセミの鳴き声がしてやかましい。
あまりに気温が高いから、きっと昼だと勘違いしているのだ。
涼しげなのは、空高くに居座る青白い月ぐらいなものだろう。
「戦でも起きて頭数が減れば、きっとまた涼しくなる」
遠くに逝原城と月を眺めながら、侍はぼやいた。
骨に皮を貼って服を着せただけのような、やせ細った侍。
しかし、その目だけは炎のような力強い眼光を放ち、輝いている。
侍は、名を災原禍山といった。
「なあ、そうは思わねえか?」
ぼーっと空を眺めていた禍山は、ふと背後の暗闇へと振り返った。
「出て来いよ。殺気がダダ漏れだぜ?」
「……っ!」
物陰から町人がひとり進み出て、禍山の前に立ちはだかった。
中年の男だ。
目の下には、泣き腫らした後のような深い隈が刻まれていた。
「気焔流剣術道場の主、災原禍山だな」
「おう、何の用だ?」
「とぼけるな。お前たち気焔流が町娘をさらっては乱暴し、証拠隠滅のために殺し棄てているのは知っている」
町人は、鬼の形相で禍山をにらんだ。
「娘を、お菊を返せ……ッ! この、外道め!」
「んぁー? 一般人かよ」
禍山はどうでもよさそうに顎先をかいた。
「女子供なんざ、つまらんから俺は斬らんぞ? そういう悪さは、『気焔流』の名前を貸してやってる甥っ子の仕業だな。文句なら、道場で酒飲んでるロクでなし共に言ってやってくれ」
鬱陶しいと言わんばかりに立ち去ろうとする禍山に、町人は憎悪を強めた。
「ふ、ふざけるな! 『気焔流』のせいで、いままで何人が泣きを見たと思っている! 流派の罪、キサマが死んで詫びろ!」
町人は、背負っていた長物の包みを解いた。
中から現れたのは、黒鉄の筒に引き金の機構を備えた兵器。
逝原の国で、その武器を知らぬ者はいない。
「おっ、鉄砲じゃん」
向けられた銃口を前に、禍山は目を閉じ、思いっきり鼻で息を吸った。
「んー、火薬のいい臭いが香ってくるぜ。懐かしい」
「死ね!」
町人が引き金を引くと、閃光と衝撃が轟いた。
いくつもの金鎚を一斉に振り下ろしたような破裂音が、夜闇に響きわたる。
「あ、当たったか……?」
月光が、ひとときだけ雲の欠片に隠されていた。
暗い闇の中、町人の視界には鉄砲が吐いた煙と、棒立ちの禍山だけがうっすらと映っている。
「当たったはずだ……何度も練習した。奴が避けた様子もない……」
弾は、間違いなく禍山に当たったはずだ。
雲が晴れれば、禍山の身体に風穴が開いているのが見えるに違いない。
「死ね……そのまま倒れて、くたばってしまえ……っ!」
町人は、強く呪った。
しかし。
「……うぅ」
禍山が呻きながら手で押さえたのは、鉄砲で開いた傷口ではなく、後頭部だった。
それもそのはず。
再び月に照らされた禍山は、無傷だった。
「音がわんわん響いて、頭が痛ぇや」
まるで何事も無かったかのように、禍山はぼやく。
町人は、次の弾を装填するのも忘れて、目を見開いた。
「嘘だ……いま、確かに当てたはず……ッ!」
「ばぁか。そこ、見てみろよ」
雲間から差した月光が、禍山の足元に転がる物体を照らし出した。
鉄砲から打ち出されたはずの鉛玉だ。
「ほれ。この通り」
いつの間にか抜き放っていた刀の先で鉛玉をなでると、玉は真っ二つに割れた。
その断面は鏡のように光沢を放ち、月光を反射していた。
「まさか、鉄砲玉を斬ったのか……!?」
「逆に聞くけどよ、鉛玉も斬れない奴がいまどき剣術家やってると思うか?」
「そ、そんな……」
怒りと憎しみで真っ赤に燃えていた町人の表情が、ぐにゃりと歪んだ。
代わりに現れた感情は、恐怖。
そして、もう一つ。
「た、達人……ッ!」
強者に対する、拭いがたい畏敬の情だった。
天下分け目の大戦が終わり、幕府が開闢してからまだ二十数年。
武術が強いこと、特に武士の心である刀の腕が達者なことは、今でも人々の心を惹きつける。
たとえそれが、憎むべき家族の仇であっても……
町人は、鉄砲を握りしめたままその場に棒立ちしていた。
怒りと絶望、そして、堕落した達人に対する深い失望がないまぜになった顔で、震えている。
「それほどの腕前を、どうして人殺しなんかに……」
「余計なお世話だ。弾切れなら、さっさと死ね」
禍山は町人に迫ると、刀を構えた。
「ひ……っ!」
次の刹那。
禍山の刀が、町人の胸を一突きに貫いた。
「ぐぉ……げぶっ!」
町人の口から、濁った色の血が噴きだした。
火が付いたかのような激痛に、絶望していた町人の心が現実へと引き戻される。
「ま、まだだッ!」
町人とて、戦国の時代を経験した一人だ。
戦にこそ出たことはなかったが、命の使いどころは心得ている。
「こうなれば、キサマごと道連れだッ!」
町人は、懐から短刀を取り出した。
禍山の刀はまだ胸に刺さったまま。
この距離なら、殺れる。
「覚悟しろ、禍山ッ!」
町人は、前進した。
ズブブと刀が深く胸にめり込んでいくのにもかかわらず、前進した。
胸の傷は致命傷だ。
だから、自分が絶命するよりも早く、禍山の首に刃を突き立ててやるのだ。
「死ね……ッ!」
町人は、残った命をふりしぼって短刀を振り上げた。
後は、刃を振り下ろしさえすれば、復讐は果たされる。
しかし。
「お、やっと人殺しの目になったな」
禍山はそんな状況でも笑っていた。
「特別だ。お前さんには、俺の業物を見せてやろう」
禍山は、刀の柄から伸びた引き金を引いた。
引き金は、連動したゼンマイへと力を伝え、回転力となって握りしめられた柄の内側の仕掛けを起動する。
かち、かちかちかちかちかちちちちちちち……
ぼぅッ!
何かが激しく打ち合う音と共に、刀から火炎が巻き起こった。
町人の胸に突き刺さっていた刀が爆発し、爆炎が町人の全身を飲み込んだ。
「グアァッ! あっ、あっ、あ……っ!」
全身の脂を燃料に炎が燃え盛り、傷を焼いて脆い黒炭へと変えていく。
「ぐ、ごげ、ごぉッ……! う、あぉ…………ッ!」
炎に包まれ悶える町人を、禍山はうっとりと眺める。
「色っぽい火だろう? 志螺野の合戦じゃあ城ごと五〇〇人を焼いた、地獄の炎だ。あの世で娘とやらに自慢するといい」
「お菊……すま……な……い……………………」
禍山は刀を引き抜くと、炭クズとなった町人の亡骸を近くの水路へと蹴り捨てた。
「っと、いけねぇいけねぇ。いくらヒマだからって、こんな雑魚をいたぶるようになったら俺もおしまいだ」
禍山は再び空を見上げた。
「お月様は涼しそうでいいなぁ。俺も、久しぶりにゾクッとする斬り合いがしてぇ……」
ぼやきながら、禍山はあてもなくぶらりと町を歩きだそうとした。
その時だった。
「……おぅ?」
暗い道の向こうから、スゥッと人影が歩いてくるのが見える。
明かりも持たず、浪人笠をかぶって顔を隠した侍だ。
「ちっ、見られたか」
禍山は舌打ちした。
人殺しなど何とも思わない禍山だが、意味の無い面倒に巻き込まれるのも癪だ。
「おい、今見たモンは忘れな。でないと、次はお前さんが水浴びすることになるぜ?」
禍山は低い声で脅した。
並みの人間なら、恐ろしくてそそくさと立ち去るだろう。
突っかかってくるようならば、その時は斬ればいい。
「さあ、どう反応する?」
禍山は心の中でそう問いかけ、舌なめずりをした。
「……」
しかし、侍は答えない。
まるで禍山など存在しないかのように、横をすり抜けていく。
「ほぅ?」
すれ違って初めて、禍山は相手の異様さに気が付いた。
笠だけではない。襟の立った羽織を着込んで顔を隠し、手には絹の長手袋をはめている。
まるで、肌が外気に触れることすら嫌がっているかのような厚着だ。
「クソ暑いってのに、変わった格好してるじゃねぇの」
目だけでその背を追い、禍山は口元に笑みを浮かべた。
「斬ってやったら、どんな顔をして死んでくんだろうなぁ……?」
心の中でつぶやくと、禍山は静かに刀へと手を伸ばした。
好奇心。
禍山にとって、人を斬るのにそれ以上の理由は要らなかった。
音も無く抜刀し、侍の背に向かって飛び掛かる。
「両断ッッッ!!!」
心の中で念じながら、侍の背に向けて刀を振り下ろした。
「ぬ?」
禍山の一撃は、予想に反して空を切った。
まるで背中に目が付いていたかのように、侍がすばやく身をかわしたのだ。
「っとと。気配は消してたんだが、よくかわしたな」
禍山は奇襲の失敗に身を退きながらも、悪びれもせずに笑った。
対して、侍は静かに振り返り、自らの刀へと手を伸ばした。
編み笠の奥で、月のように涼やかな目が光を放っていた。
「災原禍山だな?」
訊ねられて、禍山はおやと目を丸くした。
相手が自分の名を知っていたから……ではない。
動きから想像したよりもずっと、声が若かったのだ。
恐らくは二十歳にもまだなっていない、青臭さの混じった声。
「手合わせ願おう」
侍は短く告げると、腰に差した小太刀を引き抜いた。
その短い刀身の刃先から液体が垂れ、地面に滴る。
ぽたっ。
……じゅっ。
液体は地面を跳ねると、白い煙を生じて空気に溶けていく。
「んぁ? 毒でも塗ってんのか? 面白ぇ」
禍山は残火が燻っている刀を構え直すと、再び刀の引き金に指をかけた。
柄の中のゼンマイが巻かれ、連動した歯車が火打石を打ち合わせる。
その火花が刃の溝に染み渡った油分に飛び火し、点火した。
「災原禍山サマの業物『加具土』と、どっちがヤバい殺人兵器か競い合おうじゃねぇか!」
刃に火炎が燃え盛り、夜の闇を赤く染め上げた。
ジメジメとした夏の湿気すら燃やし尽くす、乾いた熱気が辺りを包み込んでいる。
「オラ、テメェも名乗れや!」
燃え盛る加具土を侍に向け、禍山は啖呵を切った。
「……死に逝く『虫』に名乗ってやる名などない」
「あ?」
侍は静かに告げると、小太刀の切っ先を下に向けて低く構えた。
刀身を濡らす液体が、手元に滴ってこないようにするための、独特の構え。
「俺が虫だと? だったらテメェは何様だ!?」
燃え盛る刀を高く振りかざし、禍山は侍に斬ってかかる。
それに合わせて、侍もまた剣で応じた。
ひゆん、ひゅ。
ひゅっ、ひゅひゅっ。
ひゅひゅん。
ひゅっ。
常人がようやく刀を一度振れるような短い時間に、いくつもの風切り音が刻まれた。
二つの影がすれ違って立ち位置を入れ替わるまでに、赤と白の剣閃が幾筋にもわたって宙を走る。
「いまどきの剣士にしては、なかなか動けるじゃねぇか」
禍山は、相手の方へと振り返りながら笑みを強めた。
「だが、疾さは俺の方が上だったなァ?」
「く……ッ!」
侍のかぶっていた笠が、禍山の一撃を受けて時間差で爆ぜた。
その中から現れたのは、鋭い目つきをしながらも、どこか幼さを残した若者の顔だった。
「ほう、思ったより若いな。なかなか末恐ろしい奴……」
禍山は燃える加具土を構え直しながら、うっとりと若者を眺めた。
無意識に尻の筋肉がきゅっと締まり、背筋をゾクリと寒気が走る。
良い斬り合いをした時にだけ感じられる、独特の寒気。
禍山は、どんな快楽よりもこの寒気を好んだ。
「まだだ、まだへばるなよ。久々の強敵、もっとじっくり、一晩中ゾクゾクさせてくれよぉ……ッ!」
禍山は、次の斬り合いに備えて集中力を高めた。
しかし。
「……んあ?」
対して、若者は小太刀を構え直さない。
「どうした? もう、斬り合いはお終いかよ?」
「そうだ」
がち、がち、がち……
「ん?」
何か、石のようなもの同士を打ち合わせたかのような音が、禍山の耳に響いた。
「あ? 何の音だよ、おい」
がち、がちがちがち、がち。
がちがちがち、がちがちがちがちがちがちがちがちがち。
がちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがちがち!
「あぁ? こりゃあ、俺の歯の音か!?」
禍山の顎が上下に震え、上と下の歯同士がぶつかり合っている。
「おいおいおい! 武者震いにしちゃ、ちと震え過ぎじゃねぇか……ッ!?」
身体の震えが止まらない。
むしろ、大きくなっていく。
小刻みだった震動がどんどん大きくなっていき、肩が上下し、膝までもが笑い始めた。
「な、何だ、こりゃあ……ッ⁉」
胸が固く強張り、息が思うようにできない。
辛うじて口からもれる息が、まるで冬のように白い。
「何を、何をされた!?」
薄暗闇の中、空いた手で胸を探る。
すると、雪に触れたかのようなヒンヤリした感触と共に、手が濡れた。
それは、冷え切った血液だった。
「き、斬られてたってのか! この俺が……ッ!?」
痛みを感じないのは、胸の傷を中心に身体が凍っていたからだ。
その代わりに、激痛を上回る寒気が禍山の全身を苛んでいる。
「うわ、あ、さ、寒い……ッ! 冷てぇっ! 冷てぇよぅ!」
禍山はその場に膝をついて、うずくまった。
まるで、猛吹雪の中に放り出された旅人が、寒さに負けて雪にうもれていくかのようだ。
そんな禍山を、若者が見下ろしていた。
「斬り合いは、楽しむものじゃない。可能な限り疾く終わらせるべき苦行だ。斬り合いの快楽を目的としてしまった時点で、お前は剣士として終わってしまっていたのだ」
若者が小太刀を振るうと、刃にこびりついていた赤い塊が、雪のように宙を舞った。
凍り付いた、禍山の血だ。
「ま、まさか……この俺が、疾さで、負け……」
禍山はブルっと痙攣すると、その体勢のまま横に倒れた。
そして、そのまま二度と動くことはなかった。
「……死んだか」
その死に顔は、獰猛な笑みのまま固まっていた。
目だけが残り火のように光を放っていて「面白くなってきた」「次は負けない」と、殺意に滾っているようにも見える。
だが、やがてその灯も消えるだろう。
「そんなに斬り合いが楽しかったのか。はた迷惑な『虫』め」
禍山の刀を拾いあげると、若者は踵を返した。
「業物『加具土』は、返してもらうぞ」
若者はそのまま闇の中へと消えていった。
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