05. 12/25 クリスマス
『ジングルベール ジングルベール 鈴が〜なる〜 昨日で楽しい 仕事納め!ヘイ!』
昨日のうちに年内の仕事を終わらせた私は、心の底から解放された気持ちでクリスマス当日を迎えていた。
昨日もそこかしこがクリスマス仕様で楽しげだったのに、仕事に打ち込んだんだ。
今日からは年明けまでお休みを満喫しよう!
通い慣れつつあるビュッフェ会場は、まだ少し眠そうな顔をした乗客たちで静かに賑わっていた。
大きな窓からは柔らかな冬の光が差し込み、海面に反射した銀色のきらめきが天井を揺らしている。
並ぶビュッフェ台からは、湯気が立ちのぼる温かい卵料理や、焼き立てであろうパンの香りがふわりと漂う。
けれど、そこを素通りして、今日の私が真っ先に向かったのはクリスマス特設コーナーだった。
そんな中でも、パネットーネとパンドーロがいかにもクリスマスらしく目を引いた。
オープンキッチンでスタッフがパンドーロに手際よく粉砂糖を振りかけるたび、白い雪が舞い降りるように見えるのも相まってとても魅力的だ。
私はトングを手に取り、ふんわりと膨らんだパネットーネを一切れ皿に移す。
パネットーネは丸い山型をしていて、切り分けられた生地の中からレーズンやオレンジピールが顔を覗かせる。
ドライフルーツが生地にきらめくその断面に、思わず笑みがこぼれる。
隣に積まれているのは雪化粧が施された星の形をした小さなパンドーロ。
トング越しでもわかるそのふわふわとした柔らかさが期待値をあげる。
星空のように整えられているうちの1つをそっとパネットーネの横に添えた。
最後に、並んでいたドリンクコーナに行くと、ホットチョコレートを見つけた。
いつもはないから、たぶんクリスマスの定番なんだろうと即決した。
銀のポットからとろりと注いだチョコレートは、カップの中で湯気を立てながらゆらゆらと揺れている。
隣に置いてあった小さなマシュマロを浮かべると、甘い香りが一層強く漂った。
トレイを両手で持ち上げ、空いている窓際の席を探す。
少し歩くと、海を真っ直ぐに見渡せる場所がちょうど空いていた。運がいいな。
席に腰を下ろすと、窓の向こうにはどこまでも青い海と、そこに差し込む朝の光が広がっている。
ゆるやかな波にきらめく海は、昨日のショーの名残もあってひょっこりと人魚姫が現れそうだ。
ま、旅の間には本物の人魚に会える予定だけどね!
さて、と小さく手を合わせる。テーブルの上の皿には、黄金色のパネットーネと、雪をまとったパンドーロ。
そして、ほかほかと湯気を立てるホットチョコレート。
それだけで、朝から最高の贅沢を手にしたような気分になる。
まずはパネットーネにフォークを入れた。
ふわりとした生地は驚くほど軽く、刃先がほとんど抵抗なく沈んでいく。
口に運ぶと、バターのやさしい風味とふんわりとした甘みが広がり、後からレーズンの凝縮された甘酸っぱさや、オレンジピールのほろ苦い香りが追いかけてくる。
続けて、パンドーロをひと口。
粉砂糖をまとった生地は驚くほど軽く、舌の上でふわっと溶ける。
シンプルながらも卵のやわらかな甘みが心地よく、口についた粉砂糖をお行儀悪くぺろりと舐め取れば柔らかく溶けていくのがまた幸せだ。
甘さを少し落ち着かせようと、カップに手を伸ばす。
ホットチョコレートをひと口すすると、とろりとした濃厚さが舌を包み込む。
浮かべたマシュマロはもう半分ほど溶け、チョコの甘さをやわらかく膨らませていた。
温かさが喉を通って胃へ落ちていくと、体の芯からじんわりと温もりが広がる。
ちゃんとしたホットチョコレートって美味しんだなぁ。
⋯でも、ちょっと口の中が甘い。後から塩っぽいものつまもう。
朝食を食べ終えると、私はナプキンで口元を軽く拭い、サコッシュから封筒を取り出した。
昨日、船内新聞と一緒に部屋に届けられていたものだ。
艶のある厚紙の封筒には、金色の雪の結晶が型押しされていて、それだけでもクリスマスらしい特別感が漂っている。
この封筒は、船内の「クリスマスプレゼント交換イベント」に参加している証だ。
決められた予算で用意したプレゼントを初日に預けると、代わりにこうして封筒が配られる。
てっきりプレゼントが直接部屋に届くのかと思っていたが、実際にはカードが一枚入っているだけ。
昨日の夜船内新聞と共に届いていたその封筒をすぐに開きたくてうずうずしたけれど、お利口な私はちゃんと我慢して、今このタイミングまで楽しみを取っておいたのだ。
封を切り、中から取り出したのは掌に収まるほどの小さな紙。
そこに書かれていたのは、ただ一文だけ。
「メインダイニングのトナカイのベルを見て」
それだけ。
差出人の名前も、装飾も、何もない。
けれどその素っ気なさが、逆に胸を高鳴らせる。
『⋯宝探し、第二弾ってことね!』
にやりと笑って私はつぶやいた。
プレゼントが何かなんて、今はどうでもいい。
この瞬間からもう、イベントの仕掛けにすっかり巻き込まれてテンションが上がっていた。
椅子から勢いよく立ち上がり、トレイを返却台に戻すと、胸をわくわくさせながらメインダイニングへ向かうことにした。
メインダイニングを一回りして、大きなトナカイを見つけた。
その首にかかるベルを覗き込むと、そこには次の指示が書かれていた。
「エントランスホールにあるクリスマスツリーに掛かっている天使の飾りを見て」
なるほど、次の舞台はあそこか。
胸を高鳴らせながら、私は足早にエントランスホールへと向かった。
ホールには、吹き抜けいっぱいにそびえ立つ巨大なクリスマスツリーがある。
金色の星や真っ赤なボール、色とりどりのリボンに飾られたその姿は圧巻だ。
天使のオーナメントを探すのに少し時間はかかったが、羽を広げた小さな人形の裏側に、また次のヒントが忍ばせてあった。
そして、そこから始まった宝探しは止まらなかった。
リースの裏、階段の手すり、デッキに飾られた小さなランタン⋯。
船内の至るところに散りばめられた手掛かりを辿るたび、子供のようにワクワクするのが止められない。
気づけば、もう5つほどのヒントを追いかけていた。
最後にたどり着いた紙にはこう書かれていた。
「チョコレートショップの店員に声をかけてね」
⋯チョコレートショップ? どこだったっけ。
記憶をたどりつつ、サコッシュから船内図を取り出す。
マップに小さく描かれたチョコレートの看板を見つけ、急ぎ足でそちらへと向かった。
香ばしいカカオの香りに包まれながら、ショップに到着する。
カウンターに立つ店員さんに声をかけると、にこやかに問いかけられた。
「最初のカードをお持ちですか?」
私は慌てて封筒を差し出す。
店員さんは中身を確認すると、別の一枚のカードと交換してくれた。
「そちらのクリスマスツリーをご覧ください」
促されて視線を向けると、店の中央に飾られた中型のクリスマスツリーがきらめいている。
新しいカードにはこう記されていた。
「赤い袋に金のリボンが、あなたへのプレゼントです」
私はツリーに近づき、たくさんのプレゼントボックスに目を凝らした。
青い箱、銀の袋、緑のラッピング、色とりどりのプレゼントの中から、見つけた!
赤い布に包まれ、金色のリボンで丁寧に結ばれた小さな袋。
これ、かな?
少し不安になりながら店員さんに見せると、優しくうなずいてくれた。
達成感に胸の奥が一気に熱くなる。
私は大切な宝物を抱きしめるように赤い袋を腕に抱え、来た道を戻っていった。
プロムナードカフェへ戻った私は、空いていた席に腰を下ろした。
周囲のテーブルでは、誰かがカプチーノを楽しみ、また別の席では友人同士が声を潜めてカードを開封している。
そのクリスマスらしい空気に自分も包まれると、どうにも浮かれた気分になる。
『さぁ、中身は何でしょう』
袋の口をほどくと、金色のリボンがすっとほどけ、赤い布がふわりと開いた。
中から現れたのは、丁寧に畳まれた布の感触。
あ、マフラーだ!
取り出して広げると、そこには黒とグレーとベージュ、三色が柔らかく重なり合った一本のマフラーが姿を現した。
派手すぎず、少し男性向けな気はするけど、女性がつけていても違和感はない。
シンプルで、どんな服装にも合いそうな絶妙な色合いだった。
思わず頬を寄せてみると、ふんわりとした温かさが伝わってきて、心まで包み込まれるようだ。
『わぁ。当たりのものなんじゃない?』
声に出した瞬間、にやけた笑みが止まらなくなった。
このマフラーを贈ってくれた人は、どんな思いで選んだのだろう。
自分が用意した扇も、誰かの手に渡って、同じように小さな喜びを生んでくれただろうか。
私のには一工夫、お手紙を添えたから、誰か話しかけてきたりしないかなぁ。
午後になり、私は気になっていたクリスマスマーケットを覗いていた。
会場はリドデッキに設けられていて、プールサイドの一角に小さな屋台が並んでいる。
船は静かに南下を続け、空気は次第に暖かさを含んでいる。
数日前まで厚手のコートを羽織っていたのが嘘のように、今は薄手の羽織を羽織るか迷うくらいだ。
メインプールの周りに小さな木の屋台が並び、テントの下には赤と緑の飾り付け。
きらめくガーランドに照らされて、ガラス細工や手作りオーナメント、チョコレート菓子まで、所狭しと並んでいる。
寒い国でのクリスマスマーケットは身を寄せ合って温かいドリンクをすするイメージだけれど、ここではTシャツ姿の人までいて、開放的な空気の中で笑い声が響いていた。
なんか、不思議だなあ⋯。
寒い中にこそ活きるような甘いカカオやシナモンの香り。なのに、寒さで頬を赤らめる代わりに、潮風が髪をさらっていく。
屋台をひとつずつ覗き込みながら歩いていると、ふと視線を奪われるものがあった。
屋台の一角に並べられていたガラス細工や燭台になったようなキャンドルホルダー。
赤や青、琥珀色。色とりどりの光を受けてきらめくその姿は、小さな宝石箱のようで、見ているだけで胸がときめいた。
『ええ! 可愛い!』
思わず手に取ったのは、蓋には小さな星、器には冬の木々や雪の模様が透かし彫りになっているホルダーだった。
シルバーから光を透かした模様が自分の指先に映し出された。
けれどすぐに現実的な声が頭をよぎる。
日本に帰ったら、絶対に使わないだろう。
普段はアロマキャンドルも焚かないし、テーブルに飾る習慣もない。
買ったところで、押し入れの奥に眠るのが目に見えている。
でも⋯でもでも。
ここでしか出会えない、旅の一瞬を閉じ込めたような光。
それを手放してしまうのは、あまりに惜しい気がした。
どうしよう、と自分の中で何度も天秤が揺れる。
そして気がつけば、支払うために船内キーを差し出していた。
会計を済ませると、店員さんが「キャンドルはさすがに船では危ないからね」と笑いながら、小さなキャンドル型のLEDライトをセットにして手渡してくれた。
きっと、これはただのキャンドルホルダーじゃない。
帰国してから使うかどうかなんて、どうでもいいじゃないか。
この南の海で過ごしたクリスマスの記憶を、形にして持ち帰るための宝物なのだ。
袋の中でカランと鳴るホルダーとライトの重みが、ちょっとした宝石箱を手に入れたようで嬉しかった。
私は部屋に戻ると、外の眩しい陽光を遮るようにカーテンをそっと引いた。
途端に、船室は昼間とは思えないほどの暗さに包まれる。
淡い影に沈む空間で、私は買ったばかりのキャンドルホルダーをローテーブルに置いた。
LEDライトのスイッチを入れると、小さな光がふっと息を吹き返すように灯る。
ホルダーにライトを戻せばシルバーを透かして柔らかな光が広がっていく。
壁には冬の木々につもる雪が、天井には細かな星の粒が瞬き始める。
光は本物のろうそくのようにゆらゆらと揺れ、まるで星が瞬いているようだ。
思わずため息が漏れる。
南の海を行く船の中で、こんな風に雪と星の世界に包まれるなんて。
小さな星や雪の結晶が広がる光景は、今だけ部屋を雪が降る星空に変えていた。
ベッドに腰を下ろし、ぼんやりと光の模様を眺めていると、子どもの頃にこっそりサンタを待っていた夜の気分が蘇ってくすぐったい気持ちになった。
夜になり、日中手に入れた宝物2つの余韻を抱えたまま、私はメインダイニングへ足を運んだ。
そこはすでにクリスマス一色で、天井から吊るされたガーランドや、キャンドルの灯るテーブルクロスがきらめき、心を自然と浮き立たせる。
クルー達もサンタのコスチュームを着た人が多くてクリスマス仕様だ。
ドレスコードがエレガント・カジュアルだったからか、いつもよりもおめかしをして、8人みんな集まっていた。
そんな私も今日は結婚式に行くようなロングドレスだ。着物は苦しいから避けてしまった。
クリスマス特別ディナーをおいしく食べるためには仕方なかったのだ。
楽しみにしていたクリスマスディナー最初の一品は、スモークサーモンとクリームチーズのツリー仕立て。
小さなクリスマスツリーのように立体的に盛り付けられたサーモンのオレンジ色と、雪を思わせる白いチーズが鮮やかで、見ているだけで心が躍る。
「わぁ、かわいい! 食べるのがもったいないわね。」
マリナが笑いながらフォークを入れるのを合図に、私もひと口。燻製の香りとクリームチーズのまろやかさが広がり、思わず頬がゆるむ。
次に運ばれてきた熱々のロブスタービスクを食べながら、自然と話はクリスマスプレゼントの話題へと移っていった。
「私はね、革の手帳カバーだったの。いい色でしょ?」
早速使い始めたのか、向かいに座ったエマが得意げに見せると、隣のディックは「僕はちょっと変わってて、ジンジャークッキーの詰め合わせさ」と笑いながら答えた。
「あら、可愛い缶に入っててよかったじゃない。」
エマがクスクスと笑うと、ディックはわざとらしく肩をすくめてみせた。
「私も食べ物とか消耗品とかにしようか迷ったわ!」
マリナがそう言うのを聞きながら、私はスープを口にした。
カップの中で濃厚な香りが立ちのぼり、甲殻類の旨味がぎゅっと凝縮された深い味わいが広がる。
はぁ、贅沢な味⋯!
メインのローストチキン・ハーブ香るグレービーソースが運ばれて来ると、クルー達によるたぶん賛美歌の合唱が始まった。
黄金色に焼き上げられたチキンを頬張りながら合唱に聴き入る。
清々しいハーブの香りを感じるソースと合わせて、王道の美味しさと歌声を堪能していると「クリスマスといえば、やっぱりこれだよね。」とウィリアムが目を細めた。
そして、最後の楽しみ、デザートのプレート。
苺のブッシュ・ド・ノエルとピスタチオとホワイトチョコのムースが並んで運ばれてきた瞬間、テーブルが一気に華やいだ。
ブッシュ・ド・ノエルの表面には粉雪のような粉糖が舞い、真っ赤な苺がまるでオーナメントのように輝いている。
ムースは淡い緑と白のコントラストが美しく、ひと口食べるとピスタチオの香ばしさとホワイトチョコの甘やかさが舌の上でとろけた。
「トゥロンやポルボロンがないと、クリスマスデザートって感じはしないな。」
「え、何その美味しそうなお菓子。」
「食いつきが早いな。」
セルヒオのつぶやきに聞き返せば、くつくつと笑いが返ってきた。
「美味しそうなものは把握しておかなきゃね!」
「そうか。あ~トゥロンは⋯アーモンドと蜂蜜とかを焼いたやつで、柔らかいのはヌガーみたいなお菓子だな。ポルボロンは、口の中ですぐ崩れるクッキーだ。口に入れてから崩れるまでに3回ポルボロンとと唱えられたら幸せが訪れるんだよ。」
「え〜! 両方美味しそうだね!」
食事が進むごとに会話も弾み、テーブルの上には笑い声が絶えなかった。
「同じ船に乗らなかったら、こうして一緒に食卓を囲むこともなかったね。とてもいい夜になったよ。」
そう言ったモーガンの言葉に、みんなが微笑んで頷いた。




