03.12/23 フォーマルナイト
今日はフォーマルナイト。
だからなのか、お昼を過ぎたあたりから、人通りがじわじわと減ってきた。
そろそろ準備したほうがいいのかな。
いや、まだ時間には余裕がある。あるはず。でも、なんか落ち着かない。
焦る必要はないってわかってるけど、気持ちだけが先走って、ソワソワしてしまう。
『とりあえず、髪だけでもセットしとこうかな』
そう呟いて、私は鏡の前に座る。
せっかく綺麗にしても、崩れたら台無しだし。とにかく、丁寧に、かっちりと。
その髪のまま部屋でちょっと仕事をして、予定していた時間よりも早めに準備をすることにした。
取り出した着物に皺がないかもう1度確認をする。
洗えるポリの単衣の着物だけど、着物警察はいないよね。
フォーマルなのに半幅帯だけど許して!
いざ着るとなると緊張して色々言い訳が思い浮かぶ。
鏡を見ながら練習通りに着付け、くるりと帯を回した。後ろ姿も写して確認する。
よしよし、うまく着れてるんじゃない?
時計を見るとまだ時間に余裕があった。
ここからは背もたれによりかかれない時間だ。
「オーゥ!ジャパニーズキモォゥノ」て言われてみたい、その一心で私はかさばる着物一式を持ち込んでいた。
ダイニングへ行く道すがら、いろいろな人から声をかけられ、写真を求められたりする。
もう満足です、と思ってもまだまだ話しかけられる。
軽く「素敵な服ね」と声をかけられるのも含めれば、体感30人には話しかけられたんじゃなかろうか。
「さくら!素敵な服ね!」
「ありがとう!マリナもよく似合ってるね。」
鮮やかな青いドレスを来たマリナが、正装のウィリアムにエスコートされている。
「日本のキモノ?だっけ? 初めてみた。エキゾチックできれいだね。」
ウィリアムからも褒めてもらって、本当にもう大満足だ。
連れ立ってダイニング会場に行く。
歩きながらマリナが着物に興味を持ってくれたのが嬉しくて、クルーズ中に着物を着せることを約束した。
ダイニングテーブルでは、昨日はいなかったセルヒオもいた。
みんな思い思いに着飾っていてきれいだしかっこいい。
会場を見渡してみても華やかな衣装が多くで煌びやかだ。
なんだろう、偏見だけど、こういうのって日本人より外国人のほうが決まって見える気がする。
「さくら、それキモノね? 私も京都で着たことがあるわ! 似合ってるわね!」
民俗学者のエリザベスが声をかけてくれ、モーガンも隣で頷いた。
「自分で着たのか? 京都で着た時は長い紐がいくつも必要で大変そうだったんだ。美しいね!」
「ありがとうございます。京都でどのようなものを着たのかわかりませんが、少し簡易な帯をつけているので、自分でも着やすいんですよ。紐はいっぱい使いますけどね。」
帯が崩れないよう椅子に浅く腰掛ける。
来ただけで少し疲れた気がするけど、この後ウェルカムパーティーにも行く予定だから、長丁場になる。
頑張ろう。
今日のメニューはフォーマルナイトにふさわしく、前菜も他のも何もかもがちょっと豪華なメニューのようだ。
調子に乗ってメインは2つ頼んだ。
食べれるのかって?
ふふふ。私には昨日のエマの注文で知った、魔法の言葉「少なめで」があるのよ!
今日の前菜はオマール海老と帆立のタルタル キャビア添え。
オマール海老は思ってたより旨みがすごい!
臭みのない帆立の甘さとバランス良くて、キャビアの塩気がちょうどいいアクセントになっている。
サラダは バッファローモッツァレラとカラフルトマトのカプレーゼだそうだ。
バッファローモッツァレラがよくわからないけど、水牛ってことかな?
可愛い色合いのトマトはちょっと酸味が強くて爽やかな感じ。
モッツァレラチーズはとてもミルキー。シンプルにオリーブオイルだからこそチーズとトマトがよくわかる味わいだ。
スープはポルチーニ茸のクリームスープ。
ポルチーニ茸もピンとこない食材だけど、香ばしい風味がしっかりしていて、濃厚だけど飲みやすい。
メイン1品目はスズキのソテー サフラン香る白ワインソース。
鮮やかな黄色いソースの上に小ぶりの焼き魚が置かれ、⋯タイム?ローズマリー?松の枝みたいなハーブが色合いを添えている。
表面はナイフでわかるくらいカリッと香ばしく、中はふんわり。
白ワインとサフランの甘味があるソースが上品で魚によく合う。
メイン2品目はフィレ肉のステーキデミグラスソース。
フィレ肉はとても柔らかくて、リクエスト通りミディアムな焼き加減! ⋯いや、カッコつけた。断面に赤みもあってかといって生っぽさがない焼き加減だから、レアでもよく焼きでもない焼き具合だと思う。
口に入れるとすっとほどけるような食感がいいお肉って感じ。
デミグラスソースはコクがあって濃厚だけど重たすぎず、肉の旨みをしっかり引き立てている。
付け合わせの野菜と一緒に食べると味に変化が出て、最後まで飽きずに楽しめた。
ラストを飾るデザートはピスタチオのセミフレッド ベリーソース添え。
ひんやりとした口溶けと濃厚なピスタチオの香ばしさ。甘酸っぱいベリーソースが全体を引き締め、最後にふわっと幸福感が広がる。特別な夜を締めくくるにふさわしいデザート。
正直お振りが邪魔で、たすきがほしいと思いながら丁寧に食事を進める。
「京都ではね、舞妓に出会ったよ。一緒に写真も撮ってもらったんだ!」
モーガンがそう言って写真を見せてくれた。
「あぁ、学校旅行の生徒でしょうね。舞妓体験かな? 写真撮ってもらえてよかったですね!」
さらりと答えてしまったが、モーガンがショックを受けたように目を開いて固まってしまった。
そんなモーガンに代わり口を開いたのはエリザベスだ。
「え、待って、本物じゃないってこと? どうしてこの写真でそんな事がわかるの?」
「あ! あ〜⋯」
余計なことを言ってしまったと気づい時にはもう遅い。
モーガンの写真を回し見していたマリナたちもこちらを向いてしまった。
「余計なことを言ってごめんなさい。」
「そんなことはいいのよ。本物じゃないのに本物なんて言えないでしょう! それより、なぜわかったのか興味深いから教えてちょうだい!」
エリザベスはスマホを出してメモを取る体勢になった。
「あ〜そもそも、殆どの場合お客さんも連れてないのに、昼間着飾って出歩いてないんです。地味な着物でお稽古してるんです。」
「たまたま出歩いていたのかもしれないじゃないかぁ!」
しょんぼりと言い返すモーガンを横目にエリザベスをみれば、ワクワクし続きを待っているようだ。
「それに、この長い髪飾りつけてるのに上唇にも口紅をつけてるし、おでこがくっきり白だから、たぶんかつら。舞妓さんは歯を出して笑わないように教えられるはずだし。何より、髪飾りがさくらなのに着物は菊で時期が違う。」
申し訳ないと思いながら続ければ、うなだれていたモーガンはバッと顔を上げた。
「絶対にもう1度日本に行こう! そして今度こそ本物の舞妓と写真を撮るんだ!」
「それがいいですよ。でも、できればきちんとお仕事として会ってあげてください。仕事の行き帰りに無理やり写真取られるのはきっといい気がしませんから。」
「仕事の行き帰り⋯!」
「踊りを踊って食事の場を盛り上げるのが仕事ですからね。観光で行っても本物の舞妓を呼んでもらえるプランもあるので、日本に来るなら手を貸しますよ。」
「そうか。踊るのが仕事か。うんうん、行くときにはぜひ手を貸してくれ!」
モーガンの隣でエリザベスも頷いている。
ピアソン夫婦は民俗学者なだけあって、とても興味深く聴いてくれたが、意外にも他のテーブルメンバーも興味を持ってくれていたようだ。
「日本には行ったことがないな。件国や長国には行ったんだがね。」
「日本は島国なので、近くても全く別の国ですよ。素敵なものや美味しいもので溢れているのでぜひ来てみてください。」
旅行好きだと言っていたディックとエマがニコニコと頷いてくれた。
「さくらは日本が好きなんだな。日本人は自分の国を馬鹿にする不思議な民族だと思ってたよ。」
「それは確かに否定できないけど、私は日本人の中でも日本が好きな部類だから。美味しいものあるし、美味しいものあるし。」
セルヒオが言うのに笑って冗談を返せば、セルヒオもまた笑ってえくれた。
「美味しいものね。日本に行ったら俺のこともぜひ案内してよ。」
「任せといて。どこに連れて行っても美味しいから。でも、食べ物だけならいっぱい船に持ち込んでるから、みんなで食べようよ!」
「あ、美味しそうな話ししてる〜!」
「もちろんマリナたちも一緒に食べようよ!」
「わ〜い、約束よ! 私たちもお菓子持っていくわ。」
約束が増えていくのを嬉しく思いながら食事を楽しんだあとは、ウェルカムパーティーへ向かった。
同じくウェルカムパーティーへ行くというマリナたちとセルヒオと一緒エントランスホールに到着すれば、1回目を終え去っていく人と今から2回目に参加する人とでごった返していた。
1階での参加は諦め、みんなで2階に上がる。
人にぶつかりそうになって必死に避けていると、セルヒオがすっと腰を支えて庇ってくれた。
こちらを見ずにスマートにそんなことをする様子に30歳にもなって照れる。
それを悟られないように澄ました顔をしてお礼を言い、前を行く2人について行った。
メインステージに当たる場所から斜め右2階という中々見やすい位置を取ると、ようやく一息ついた。
帯が壊れてないか確認したいけど、そんなことをしたら周りに迷惑がかかるくらいにはぎゅうぎゅうだ。
「お集まりの皆様、只今よりウェルカムパーティーを開催いたします。」
船長の挨拶の後、シャンパンタワーからパーティーは始まった。
琥珀色のシャンパンが、グラスを伝いキラキラと煌めいている。
身を乗り出していると、後ろから声をかけられクルーがシャンパンを配ってくれた。
口をつければシュワシュワと喉を通り、豊かな香りが口を満たす。
シャンパンの味なんてわからないけど、たぶん良い物で、幸せの味がした。
船の歴史の説明やクルーの紹介などのあと、楽しみにしていたイベントが始まった。
少しだけ照明が落とされる。
「それは、誰もが知らない世界だった──」
低く響くナレーションの声と同時に、目の前に広がるのはまばゆい光に照らされたお花畑。
それはただの映像ではなかった。
花の色彩が空気を震わせ、風に乗って花弁が舞い散るかのように見える。
立体的な映像は、手を伸ばせば花弁に触れられる気さえするほどで、思わず観客のあちこちから「わぁ⋯」という感嘆の声が漏れた。
私は胸の奥が熱くなるのを感じる。
これまで映像では目にしてきたホログラフィ技術が、ここまで「体験」に近づいているとは思わなかった。
「ヒュリア。それは花香る魅惑の国」
ナレーションが響くと同時に、花畑が一斉にこちらに押し寄せてくる。赤、紫、白、黄色⋯色とりどりの花が川の流れのように視界を満たし、まるで自分が花畑を駆け抜けているかのようだった。
花々はやがて渦を巻き、光の筋をまとって空高く伸びてゆく。一本の巨大な樹へと姿を変え、それをきっかけに周囲に次々と樹々が生まれる。
その場の全員が上を向いているのを感じていると、気づけば他にもたくさんの樹に囲まれていた。
そうかと思えば、いつの間にか自分もいつの間にか樹の上にいて、樹と樹の間に張られた橋をゆっくり歩いているようだ。
「タイリンギア。それは樹で作られた空中迷宮」
ふっと橋が消え、そこそこのスピードで落下し始めた。
結構こわい。落ちないとわかっていても思わず私は手すりを握りしめた。あちらこちらで小さな悲鳴が聞こえる。
そのままトプリと水中へ沈むと、目の前に現れたのはゆらゆらと泳ぐ人魚だった。鯛のような丸みのある鱗が光を反射してきらめき、ふわりと広がる丸みのある太い髪は水の流れをまとって舞う。彼女は微笑みながらこちらに手を振り、観客を水底の国へと誘う。
「セネシャルティ。海の友が治める雄大な国。」
人魚の周りを群れる魚たちが虹色に光り、深海の暗がりへと道を作る。
その幻想的な光景に、エントランスホールはすっかり静まり返り、誰もが息をのんで見入っていた。
そしてまた違う国に変わり、また次の国へ。
やがて映像は再び変化し、場面は徐々に現実へと戻っていく。
揺れる海の中から浮上し、クルーズ船の大きな階段をゆっくりと上がっていく映像。
階段の先に見えるのは、この船のきらびやかなホールだ。
照明がだんだんと明るくなり、現実の光と溶け合うようにして映像は幕を閉じた。
「異世界でのたくさんの出会いと思い出をぜひ、お作り下さい。旅の間、この船が皆様の家となって、いつでもお帰りをお待ちしております。」
司会者のその言葉にほうっと息をついた。
同じように息をついた人たちから、どこに行こう何をしようと小さな話し声が聞こえる。
マリナ夫婦は2人の世界に入っているので、セルヒオに話しかけた。
「セルヒオはどこか楽しみな国ある?」
「ん〜まぁオトランドかな? 特に見るもんのない国だけど。さくらは?」
「アカロキュルトかな? 動物好きだから、アチコリシアも気になってるけど。」
「⋯ミルドック王国じゃないのか?」
「出た食の国!それはもちろん楽しみだけどね!」
完全に食べる人として認識されていると思いながら笑えば、からかうように笑っていたセルヒオも釣られたように笑い出した。
イケメンだと思っていたけど、笑うと目尻が下がって可愛い感じになるなこの人。
目の保養になるわぁ。
そんな話をしているうちにウェルカムパーティーは終わり、船長との記念写真が撮れる時間になった。
興味がないと言ったセルヒオは一足先に帰り、新婚の邪魔をして申し訳ないと思いながらマリナたちと一緒に列に並ぶ。
思ったよりもスムーズに進み、写真を撮って満足した私は、早く着物が脱ぎたくてすぐに部屋に戻った。