40.1/30 小人の国①
「本船は、現地時刻9時に予定通りミニームトへ下船開始予定です。下船されるお客様は、必ず現地時刻午後2時までに船にお戻りください。」
「整備された道から外れたり、転んだりしないよう、くれぐれもご注意ください。場合によっては、現地の方の命に関わります。それでは、行きましょう」
そう言いながら、ガイドさんはさして広くもない踏み固められた土の道を歩き出した。
人が一列で進むのがやっとの幅しかなく、両脇には柔らかそうに見えて、決して踏み入れてはいけないと無言で主張する草や苔が広がっている。
私たち6人は自然と足を止め、互いの顔を見合わせた。
誰もが同じ緊張を感じているのが、言葉にしなくても伝わってくる。
「これ……怖いね。転けたらどうしよう。」
マリナが小さな声で言いながら、ウィリアムの服の裾を後ろから掴んだ。
指先に力が入っているのが、こちらから見てもわかる。
「その時は僕が助けるよ。」
ウィリアムは軽く笑って答えたが、その歩幅はいつもよりずっと慎重だった。
冗談めかしていても、彼自身も緊張しているのだろう。
私も、マリナと同じ気持ちだ。
足元に視線を落とすと、道の土粒一つ一つがやけにくっきりと見える。
転ばないように、外れないように、と意識すればするほど、身体が強張っていく。
出来ることなら、誰かの腕に掴まっていたい。
そう思って、思わず視線が横に流れた。
セルヒオ。
ほんの一瞬だけ目が合いそうになり、私は慌てて視線を逸らした。
胸の奥が、きゅっと縮む。
彼は何も言わず、ただ前を向いて歩いている。
ガイドさんの背中を先頭に、私たちはゆっくりと歩き出す。
一歩進むたびに、周囲の音が静かになっていく気がした。
「これ、みんな同じグループにしてもらえてよかったよな。いざとなったら掴んでも許されるやつらに囲まれてるのは気楽さが違う。」
そう言いながら、バイロンはその体格に似合わず、やけに慎重な足取りで一歩一歩を確かめて進んでいた。
その様子に、すぐ後ろを歩くアマンディーヌがくすりと笑う。
「そうは言っても、バイロンが転けたら誰も支えきれないと思うわよ?」
「コケるときはアマンディーヌを掴むからな。」
「そうなったら私も倒れて被害拡大決定ね。」
「げぇあり得そう!」
そんな2人の軽いやりとりにみんなが笑った。
私はバイロンの言うこともわかるなと思いながら一緒に笑う。
オプショナルツアーに参加してないとミニームトには入国できない。
そんな中みんな入国するとわかって、セルヒオがどう交渉してくれたのか同じグループにしてもらうことができた。
おかげで、私の前後にはセルヒオとバイロンがいる。
この二人なら、万が一足を滑らせても、私一人分くらいは余裕で支えてくれそうだ。
そう思うだけで、足元に感じていた不安が少しだけ和らぐ。
見知らぬ人に挟まれて、息を詰めながら歩くことにならなくて、本当によかった。
30分ほど歩いただろうか。
足裏にじんわりと疲れが溜まり、呼吸も少しだけ深くなってきた頃、ふいに森に吞み込まれるようにして道が途切れた。
境界線があるわけでも、門が立っているわけでもないのに、「ここから先は違う場所だ」と直感的にわかる空気だった。
「はい、到着いたしました! 引き続き足元にはお気を付けください。」
ガイドさんの声に促され、私たちは小さな広場――いや、広場というには曖昧で、ただ少しだけ木々が間を空けた「空間」のような場所に集まった。
総勢20人ほどしかいないのに、少しぎゅうぎゅうに感じる。
一歩踏み出す余地がほとんどなく、無意識に肩をすくめた。
『〜〜〜〜! 〜〜〜』
そのとき、どこからともなく女性の声が響いた。
森の奥からなのか、頭上からなのか、それとも足元からなのか方向がまったく掴めない。
ざわり、と空気が揺れ、参加者たちは一斉に口を閉じる。
私も思わず息を止め、視線だけで声の主を探した。
「『ようこそ。今日は一緒に頑張りましょう』だそうです。」
ガイドさんが穏やかに訳してくれるけれど、やはり話している姿は見当たらない。
「あ、あそこ……!」
誰かが思わず、という調子で声を上げ、指を差した。
その先に、参加者全員の視線が一気に集まる。
木の枝の上。
人の目線と同じくらいのところに、ちょこんと立っていたのは、住民だろう、小さな人影だった。
あ、小人だ!
……いや、それはダメなんだった。
確かエリザベスが「呼び方が違うから気をつけて」って言っていたはず。
でも正式名称がどうしても思い出せない。
とりあえず、口に出さないように心の中で自制する。
その住民は、リエちゃん人形くらいの大きさだった。
頭身も似たようなバランスだけれど、人形ほど脚は長くなく、全体的にふっくらとした体つき。
どこかアシア人に近い印象を受ける、親しみのあるシルエットだ。
髪型や服装から判断すると男性のように見える。
でも、さっき聞こえた声は確かに女性のものだった気がする。
気のせい?
それとも、この国では声と見た目の印象が一致しないのが普通なのだろうか。
枝の上の住民は、私たちを見下ろしながら、にこりとも、険しくもない、なんとも言えない穏やかな表情で立っていた。
ガイドさんと住民の方が何やら言葉を交わしているのを、私たちは静かに見守っていた。
枝の上の住民は、身振り手振りを交えながら静かに話し、ガイドさんは何度も深く頷いている。
やがて会話が終わり、ガイドさんがこちらを振り向いた。
「これから、村へ案内してくれるそうです。必ず、私が通った道をそのまま通ってください。侵入者よけの魔法がかけられているので、道を誤るとまたこの場所に戻ることになります。もちろん、転けたりもしないように。」
さらりと言われたが、内容はまったくさらりとしていない。
「戻る」という表現が、やけに優しすぎるのも怖かった。
再び一列になり、今度はさっきまでの踏み固められた道とは違い、完全に道なき道を進み始める。
草を避け、木の根を跨ぎ、湿った苔を踏まないように慎重に足を置く。
緊張感は先ほどの比ではなかった。
というか、冷静に考えてみてほしい。
途中の誰かが一歩でも間違えたら、その後ろの人たちは全員どうなるのだろう。
まとめてワープ? まとめてやり直し?
怖いよ!!
参加者全員が同じことを思っているのだろう、さっきまでの小声のおしゃべりすら消え、空気はぴんと張り詰めていた。
足音と、服が葉に擦れるかすかな音だけがやけに大きく響く。
右に曲がったかと思えばすぐ左へ。
「え、そこ通る?」と疑いたくなるような、木と木の間の細い隙間をすり抜け、地面が斜めになった場所では無意識に息を止める。
もちろん、転けたらアウト。
私はセルヒオの踵と地面、ガイドさんの背中だけを見つめ、視線を逸らさないように必死だった。
バイロンやアマンディーヌが後ろにいると分かっていても、心臓の鼓動はまったく落ち着いてくれない。
「はい、到着しました。人数を確認しますので、そのまま一列になっていてください。」
その声に、全員がほっと息をついたのが、はっきりとわかった。
世間話も冗談も一切ない、張り詰めた行進。
実際には10分ほどだったみたいだが、体感ではその何倍にも感じられた。
足元と前の人の背中に縛りつけていた視線を、恐る恐る持ち上げる。
「「わぁぁあ!」」
あちらこちらで、同時に歓声が上がった。
そこに広がっていたのは「村」だった。
木の幹を支えにするように作られた家。
切り株をくり抜いて作ったような家。
根元に寄り添うように、あるいは枝の影に隠れるように、森と一体化した小さな住居が、点々と並んでいる。
どれも「建てた」というより、「最初からそこにあった」かのように自然で、窓や扉が周囲の森に溶け込んでいた。
あちらこちらに、住民たちの姿も見える。
シルバーニャファミリーの人形くらいの大きさの人たちは、きっと子供なのだろう。
草むらに入ればすっかり隠れてしまいそうで、確かに、うっかり転けて下敷きにでもしたら、大変なことになる。
ここは、本当に「小さな人たちの暮らす場所」なのだ。
そう実感した瞬間、さっきまでの緊張が、高揚に変わって、胸の奥にじわりと広がっていった。
ガイドさんが人数を確認し終えると、先ほど枝の上にいた住民――やっぱり住民代表らしい――が軽く手を挙げた。
『〜〜〜。〜〜!〜〜〜〜〜。』
高い声が森に響く。
「これから料理体験を行います。まずは食材集めからだそうです。今日は住民の方と一緒に行動しますので、必ず指示に従ってください。」
ざわ、と空気が揺れた。
いよいよ料理体験だ。
しかも食材集めからさせてもらえるとは思わなかった。
「なお、こちらで用意した食材は、お礼として村に渡す分ですので、自分たちで集めた分が今日の料理になります。カゴはこちらでお貸しします。」
その一言で、参加者の表情が一斉に引き締まる。
楽しそう、というよりも、責任重大、という顔だ。
住民の方が指を鳴らすと、家々の影や木の根元から、何人もの小さな住民たちが現れた。
代表さんと同じくらいの大きさで、大人なのだろう。
腰に小さな籠を下げていたり、葉で編まれた袋を肩にかけていたりする。
ガイドさんが手早く説明を加える。
「4〜5人の参加者につき、住民の方が1人ついてくれます。危険なもの、触ってはいけないものははっきり教えてくれますので、勝手に採らないこと。それと、踏まないこと。」
最後の一言が、やけに重い。
私はセルヒオとバイロン、それからアマンディーヌと同じ班になった。
私たちの担当になったのは、丸顔で短い髪の住民さん。
胸元に赤い糸で刺繍の入った服を着ていて、ぱっと見ただけで朗らかな印象の男性だ。
『ネイ!』
住民さんがにこっと笑い、自分の胸を軽く叩く。
『ネイ!』
それから私たちを一人ずつ指さした。
おそらく名前を名乗ってくれているのだろうと頷き、私も指さされた時に「さくら」と名乗る。
ネイさんはコクコクと頷き、『シャクラ!』と繰り返してくれた。
全員が名乗り終えるとネイさんは私たちを見上げ、両手を広げてくるくると回した。
ついてこい、ということらしい。
走るような──私たちにとってはのんびりした速さで村の奥へ進むと、森の中でも特に手入れされた一角に出た。
背の低い草が一定の間隔で生え、木の根元には色の違う印が刻まれている。
『〜〜〜』
ネイさんが1つの葉をちぎり、嗅ぐ真似をした後、自分の鼻を指で軽く叩く。
渡された葉を順番に嗅いでみると、ふわっと甘い香りがする。
「これ、なんだろう? 甘い匂いがするよね?」
「でも爽やかだな。」
セルヒオがしゃがみ込み、そっと似た葉を指でつまむ。
ネイさんがすぐに頷いた。
『〜!』
OKらしい。
セルヒオが持っていたカゴにみんなでせっせと葉を摘んでいく。
たまに首を振られながら、半分程貯まったところでネイさんがまた声をかけてくれる。
『〜〜〜!』
腕をくるりと回し、また移動が始まるようだ。
次は、低木に実る小さな赤い果実。
見た目はリンゴに近いが、表面が少しざらついている。
木には縄ばしごが上からかけられ、楽に登れるようになっている。
と言っても、私の胸ほどの高さだ。
足元に気をつけながらしゃがみ込むと、ネイさんが鎌のようなものでヘタを叩き実を落とそうとしている。
ようやく実が落ちると、両腕で抱えるようにして持ち上げ、バイロンが持っていたカゴにようやく1つを入れる。
『〜〜〜。』
そこまでした後、木に残った赤い実とカゴを交互に指差した。
同じように採れということだろう。
私たちはヘタをひねってその実を採っていく。
見た目と違っていちごのような柔らかさと大きさだ。
潰してしまわないように注意していると、バイロンが大きな体をできるだけ小さく折りたたみながら、慎重に実を摘んでいた。
「俺、今人生で一番『繊細』かもしれない」
その一言に、アマンディーヌが吹き出した。




