39.1/29 花の国②
女の子たちの作業にすっかり見とれてしまい、気づけば思った以上に時間が経っていた。
はっとして我に返り、私は慌てて大きなカゴを手に取り、目についた花を次々と摘んでいく。色や形を選ぶ余裕はなく、とにかく香りのよさそうなものを中心に放り込んだ。
「花シロップの花⋯」
首を傾けた女の子にそう伝えると、女の子たちは顔を見合わせ、何やら楽しそうに話しながら自然と手を貸してくれた。
明るい声が飛び交い、気づけばカゴの中は、赤や黄色、淡い紫や白の花で埋め尽くされていた。ふわりと立ちのぼる香りは、さっきまでの慌ただしさを忘れさせるほど豊かでやさしい。
思いがけず、色とりどりで香りに満ちた花かごが出来上がっていた。
何度もお礼を伝え、私は名残惜しさを感じながらも足早にその場を後にした。
テーブルに戻ったのは、ほぼ一時間きっかり。少し息を切らしながら周囲を見回すと、戻ってきているのはまだ半分ほどだった。
誰も急いでいる様子はなく、花を眺めたり、カゴを抱えたまま談笑したりしている。
みんなのんびりだな。
そんなことをぼんやり思う。
一時間を少し過ぎた頃、ようやく全員が揃い、家主さんが前に立った。
恰幅のいい体を揺らしながら、大きなたらいのようでもあり、鍋のようでもある金属製の器を持ち上げる。その表面は長年使われてきたらしく、小さな傷やへこみが光をやわらかく反射していた。
「まずは、下準備をしますよ。」
落ち着いた低い声が場に響く。
「採ってきた花から、葉っぱや茎を丁寧に取り除いてください。混ざると青い匂いが残ります。花と実だけのほうが、ずっといい香りものになります。シロップの分はこの鍋に入れてくださいね。」
そう言いながら、家主さんはお手本を見せるように、一輪の花を手に取った。
指先でプチ、プチ、と小気味よい音を立てて茎を外し、花弁だけを鍋へ落としていく。
金属に触れる軽い音が、どこか心地よい。
外した茎や葉は、ためらいもなくその場に放り投げられる。
ポイ、ポイ、と無造作な動作なのに、不思議と雑な印象はなく、必要なものと不要なものをはっきり分ける潔さが感じられた。
見よう見まねで作業を始める。
茎をつまんで、花だけをくるりと外す。
最初は力加減が分からず、花弁を散らしてしまったり、茎の先が残ってしまったりして、何度もやり直す。
けれど、2、3房もすれば手が慣れてきて、リズムが生まれる。プチ、プチ、と小さな音が指の中で続く。
少しずつ手つきに慣れてくると、広場のあちこちでおしゃべりに花が咲き始めた。
最初は
「見たことのないお花だわ」
「それ、いい香りね」
と、目の前の花の話ばかりだったのに、いつの間にか、
「その時、夫がね──」
「だから私、言ったのよ──」
と、話題はすっかり日常へと移っていく。
くすくすと笑い声が混じり、相槌が重なり、手は動きながらも口のほうが忙しそうだ。
しばらくすると、
「首が痛くなってきたわ」
「見て、手がすごい色」
と、ふと現実に引き戻される声が上がり、再び作業に意識が戻る。
気づけば、どのテーブルのお鍋も花でこんもりと山盛りになっていた。
私はというと、すでに自分の分は終わっている。
黙々と集中していたおかげだ。
……話し相手がいなかった、とも言えるけれど。
「それでは、水差しのお水をお鍋に入れて、下から掬うように洗いますよ。シロップのお花が終わったら、花茶のお花も洗ってくださいね。」
家主さんの声に、空気が少し引き締まる。
私は水差しからたっぷりと水を注ぎ、ひんやりとした水に両手を沈めた。
指先から手首まで、一気に冷たさが伝わる。
言われた通り、鍋の底から花を掬い上げるように、そっとひっくり返す。
花びらが水の中でふわりと舞い、色が溶け出すように揺れる。
土や埃を落とすため、そして――
「虫なんかが混じらないように、ね。」
そう聞いてからは、みんな表情が一段と真剣になった。
水の音と、花を動かすかすかな音だけが広場に広がる。
しばらく洗ったあと、私は花だけを両手ですくい、絞りながらカゴへと移していく。
濡れた花は少し重く、指の間から水がこぼれ落ちる。
何度か繰り返すうち、鍋の底が見えるようになった。
残りの水に花茶のお花も入れて洗う。
最後に残された水の中には、小さなつぶつぶが沈んでいる。
汚れかもしれないし、虫かもしれない。
⋯あまりじっと見ないほうがよさそうだ。
私はそっと視線を外し、花で満たされたカゴのほうに意識を戻した。
家主さんはテーブルの間をゆっくり回りながら、水差しにそっと手を触れていった。
撫でるというより、軽く確かめるような仕草だ。
何をしているのだろう、と不思議に思っていると、順番が回ってきて理由がわかった。
先ほどまで洗い水に使い、すっかり空っぽだったはずの水差しが、いつの間にか縁までなみなみと水で満たされている。
うーん、ファンタジー!!
誰かが驚きの声を上げる前に、家主さんはこともなげに言った。
「はい、では場所を変えますよ。鍋を軽くゆすいだら、鍋と花と水差しを順番にこちらへ持ってきてください」
案内された先には、バーベキューコンロのような低い台が並び、その中には理科室で見た三脚を思わせる金属の足が据えられていた。
足の下には、きちんと割られた薪が組まれ、すでに火を待っている。
「台に鍋を置いたら、花と水を入れますよ。」
言われた通り、私は鍋を三脚の上に置き、さきほど洗った花をそっと移す。
色とりどりの花が鍋の中に山を作り、水を注ぐと、水を反射してキラキラと光っている。
準備が整ったところで、家主さんが一人ひとり回り、マッチのような細い棒で薪に火をつけていった。
私の番も、カチリと小さな音がして、すぐに赤い火が立ち上る。
炎は静かで、せわしなく揺れない。まるで鍋の中身を急かさないように配慮しているみたいだ。
全員分の火をつけ終えると、家主さんは満足そうにうなずいた。
「さて、待つ間に、花茶を作りますよ。」
そう言って、何事もなかったかのように、またテーブルのほうへ戻っていく。
鍋の下で薪がぱちりと音を立て、花の香りが少しずつ温まっていくのを、私はじっと眺めていたい気持ちを抑えてテーブルへ戻った。
「花茶の花は欲張って採ってこなかったですか? 欲張るとうまく作れませんよ。」
そう言って、家主さんは丸い型が三つ並んだ金属製の器を掲げた。
あちこちからくすくすと笑い声がこぼれる。
「色や香りを見ながら、この器に分けて入れてくださいね。カゴ半分で、3つほど作れるはずです。詰め込んではダメですよ。」
注意されても、採ってきたものは全て入れてしまいたい。
けれど皆、言葉を胸に留めたまま、器と花かごを交互に見つめて考え込む。
テーブルの上には、さっきまでのおしゃべりが嘘のような静けさが戻っていた。
もちろん、私もその一人だ。
同じ色の花だけを集めて、すっきりとした一杯にするか。
それとも、あえてばらして、見た目も香りも賑やかにするか。
赤い実がいくつか転がっている。
白い花の間に少しだけ混ぜたら、きっと映える。
でも香りはどうだろう。主張しすぎないだろうか。
……うーん。
考えながら、まず一つ目の型に、淡い色の花をそっと置いていく。
重ならないよう、指先で位置を整えながら、隙間を空ける。
二つ目は少し冒険して、黄色や紫を混ぜてみる。
最後の一つには、赤い実を主役にして、控えめな花を添えることにした。
隣では、誰かが「こっちのほうが香りが柔らかいわよ」と囁き、別のところでは「それ入れすぎじゃない?」と小さな笑いが起きている。
出来上がった3つの器を並べてみると、それぞれまったく違う顔をしていた。
同じ花かごから取ったとは思えないほどだ。
『……正解、なんてないんだろうな』
呟いてみても、飲んでみるまで味はわからない。
全部食用花らしいけれど、お花なんて、食べたことがあるのはお刺身に添えられた菊くらいだ。
それも「お刺身に添えられたお花」程度の認識で、お花としての味を楽しんだ記憶はほとんどない。
「そろそろできた人もいますかね? 出来たら手を挙げてください。」
家主さんの声に、私は少しだけ迷ってから、そっと手を挙げた。
すると、いつの間にか増えていた助手さんらしき女性が、静かな足取りでこちらへ来てくれる。
「いい色になりましたね。こちらで仕上げてよいですか?」
器を覗き込みながら言われて、思わず背筋が伸びる。
「はい!」
返事をすると、助手さんは軽くうなずき、器の上に手をかざした。
その瞬間、パチパチ、と小さな音が弾ける。
前にも聞いた、炭酸の泡がはじけるような音だ。
目を凝らしているうちに、花がみるみる乾いていく。
しおれる気配はなく、色だけがきゅっと定着していく感じ。
ドライフラワーとも違う、けれど生花とも違う、不思議な質感。
プリザーブドフラワーに近いのに、もっと透明感があった。
『わぁぁ……!』
思わず声が漏れると、助手さんがくすっと笑ってくれた。
その笑顔に、緊張が少し溶ける。
次に言われるまま、とろりとした透明な液体を、器の縁ぎりぎりまで注ぐ。
光を受けて、表面がゆっくり揺れた。
もう一度、助手さんが手をかざす。
パチパチ、パチパチ。
またあの楽しい音がして、今度は中身が少しずつ縮んでいく。
体積が減り、器の中に小さな隙間が生まれるたび、完成に近づいているのがわかる。
そして出来上がったのは、まるで大きな飴の中に花を閉じ込めたような、きらきらした塊だった。
光を受けると、色が内側から滲むように浮かび上がる。
「きれいです!」
思わずセルマー公用語で言うと、助手さんはまたにっこり微笑んで、「きれいですね」と同じ言葉を返してくれた。
あちらこちらで、ガイドさんが忙しそうに翻訳している。
その様子を横目で見ながら、私は出来上がった花茶を瓶に入れてもらい、太陽に透かしてみたり、そっと振ってみたりした。
中で花が静かに揺れる。
同じものは、たぶん二つとない。
世界に一つだけのお茶。
どんな香りがして、どんな味がするのだろう。
胸の奥がワクワクしていた。
「そろそろ花シロップを見に行きますよ。」
家主さんの声に促されて、みんなが一斉に立ち上がる。
どうやら大体の人の準備が整ったらしい。
鍋の並ぶ火の方へ近づくにつれて、空気が変わっていくのがわかった。
『いい香り。』
さっきまでテーブルにいた時にも漂ってきていたけれど、近くで嗅ぐと全然違う。
生花の青さや瑞々しさはすっかり影を潜めて、丸みのある、甘くて深い芳醇な香りに変わっている。
花なのに、お菓子屋さんの奥から漂ってくる匂いみたいだ。
自分のお鍋を覗き込んで、思わず目を丸くする。
あんなに山盛りだったお花は、しんなりと沈み込んで、体積はせいぜい三分の一ほど。
たっぷり入れたはずのお水も、今では花の下でひたひたと揺れる程度しか残っていない。
それでも、立ちのぼる湯気からは、しっかりと甘い香りが立っていた。
家主さんが分厚い鍋つかみをはめて、次々と鍋を火から下ろしていく。
その後を追うように、助手さんが鍋の上に手をかざした。
……と思った瞬間。
ふわり、と湯気が一気に引いていく。
さっきまであんなにもくもくしていたのに、まるで嘘みたいだ。
「熱くないか確認して、自分のテーブルに持っていきますよ。」
言われるまま、ちょんちょんと鍋の縁に触れてみる。
さっきまで火にかかっていたとは思えないほど、ほどよく温かいだけの温度。
びっくりして変な声が出そうになるのをこらえながら、こぼさないよう慎重にテーブルまで運ぶ。
「カゴで漉して、お花を絞りますよ。香りが移ったお水は、さらに煮詰めますから、お鍋に戻してくださいね。」
家主さんは器やカゴを実際に使いながら、ゆっくり説明してくれる。
見ているだけで、なんとなく手順が頭に入ってくる。
私も言われた通り、カゴをセットして中身を注ぐ。
花を受け止めた下に、さらさらと落ちてきた液体は、赤みがかった紫色。
光にかざすと、少しだけ透けて、宝石みたいだ。
周りを見渡すと、鮮やかな赤の人、黄金色に近い人もいる。
でも、私と同じような、赤紫系の色の人が一番多いみたいだった。
ぎゅ~っ。
花を両手で絞ると、ポタポタ……と最後の一滴まで落ちてくる。
香りが、さらに濃くなる気がした。
そこへ、次の指示が飛ぶ。
砂糖。
しかも、「これでもか!」という量。
ひーっ! 多くない!?
心の中でだけ叫びながら、口元は何事もないふりをする。
カロリーなんて、今は見えない。見ない。気づかない。
鍋に砂糖を入れて、くるくるとかき混ぜると、驚くほどあっさり溶けてしまった。
さっきまであんなに白かったのに、跡形もない。
……うん。
使うときは、少しずつにしよう。
未来の自分に、そう誓う。
再び火のある場所へ移動し、残り火のような小さな炎の上に鍋を戻す。
今度は強火じゃない。
焦げないように、ゆっくり、じっくり、水分を飛ばしていくらしい。
鍋の中で、とろりとした液体が静かに揺れていた。
花茶か花シロップどちらかにすればよかったです。詰め込みすぎたため、すみませんが③に続きます。




