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36.1/26 ランタン祭り

ふむ。

と私は、一枚の大きな白い紙の前で腕を組んでいた。


クルーズ船のメインダイニングは一時的にイベント会場に模様替えされ、テーブルには色とりどりのペンが用意されている。

夜に行われるランタン祭りで飛ばすランタンにお願いごとを書くのに、みんなで集まっていた。


「健康第一」……うん、大事。

「恋人が欲しい」……切実。

「お金持ちになりたい」……それはもう、みんな書くよね。


うーん、と背もたれに寄りかかっては紙に向き合うのを繰り返す。

ふと、堪えきれずに口を開いた。


「ね、ね。みんな、何書く?」


6人そろってテーブルを囲んでいるのに、誰一人書き始めていない。

みんな紙の前で固まっていて、それがまた妙におかしい。


「何書こう? もう、なんか無難なお願いしか思い浮かばないよね〜」


マリナがペンを回しながら嘆く。

その横で、アマンディーヌが「わかる〜」と頷いた。


「もしくは実現不可能な、お金持ちになりたい、とか」

「それ、私も考えた」


同じことで悩んでたんだ、とちょっと嬉しくなる。

3人でふふっと笑い合った。


一方で男性陣は──静かだ。


バイロンは腕を組み、眉間に深いしわを寄せて紙とにらめっこ。

セルヒオは紙を斜めにしたり裏返したりして、何かのインスピレーションを必死に探しているようだ。

ウィリアムにいたっては、ペンを持ったまま固まり、彫像モードに入っている。


「ねぇ男子、何か案浮かんだ?」


マリナが聞く。

3人とも、揃ったタイミングかのように「むーん……」と低い声を漏らす。


「むーんって何よ」


私は思わず笑ってしまう。

バイロンが一番初めに動いた。


「……俺、でかく書こうと思ってたんだけど」


「なにを?」マリナが食いつく。


バイロンは少し迷ったあと、ぼそっと言った。


「『平穏無事』」


一瞬、静寂。


次の瞬間──


「真面目〜〜〜っ!!」

「え、急に大人じゃん!」

「いやでも大事だよ、それ!」


テーブルがぱっと明るくなる。


セルヒオは頭をかきながら、

「俺も似たようなもんだな……『いい仕事が舞い込む』とか」

と言い、

ウィリアムは「ボクも……『家族が元気で』かな……」と照れくさそうに視線をそらした。


私たち3人は思わず顔を見合わせる。


なにこの3人……かわいい……。


アマンディーヌがくすっと笑った。


「なんだかんだで、みんな実現しそうなお願いに寄っちゃうのね。」

「うん……大それた願いを書くつもりだったのにね。」


私も笑う。


「で、サクラは結局どうするの?」


マリナの問いかけに、私は紙へ視線を落とし、指先に力を込めてペンを握り直した。


「さて……何を書こう? 『健康に暮らせますように』とか、『恋人が欲しい』とか、そんなのしか思い浮かばなくてさ。」


「いいじゃない! 『恋人が欲しい』! それにしなよ!」


「え、なになに? 恋人が欲しいの? いいことじゃない! そうしなさい、そうしなさい!」


アマンディーヌまで乗ってきて、2人が身を乗り出してくる勢いに私は仰け反りそうになった。


「え、ちょっと…そんな押される感じなの……?」


「だってさぁ〜、いいじゃん! 願い事ってそういう時に書くんだよ!」

「うんうん、素直になりなさい!」


なぜか妙に楽しそうな2人に押し流されるように、私は小さくため息をついて、紙に向き直った。


──まぁ、いっか。


ちょっと照れ隠しのように小さめの字で、私は書いた。


『恋人ができますように』


書き終わると同時に、隣から派手な音がした。


バッ!


セルヒオが勢いよくペンを走らせ、大きく、いや巨大に書いていた。


『恋人が欲しい!!』


「ちょっ……でかっ! いや、強い!!」

「え、待って、なにその主張!」


バイロンとマリナが腹を抱えて笑いだす。

セルヒオは堂々と腕を組んで、


「願い事ってのはデカく書いたほうが叶いそうじゃん?」


と涼しい顔をしている。


その隣では、ウィリアムが静かに、丁寧にペンを走らせていた。


『家族と幸せに暮らせますように』


「うわぁ……いいやつかよ……」

「ちょっと感動しちゃうね」


セルヒオと私が言う横で、マリナはその紙を覗き込み、「私もそれ系にしよっかな……」と呟いた。

数秒熟考したあと書いたのは、


『2人でたくさん思い出が作りたい』


紙を見せ合うマリナとウィリアム。

2人の視線が自然に絡み合い、ほわっと空気が甘くなる。


セルヒオがその紙を交互に指さしてこちらを見てきたので、私は目を細めて返しておいた。


アマンディーヌは落ち着いた字体で『健康に過ごしたい』、そしてバイロンは本当にそのまま、『平穏無事』。


「ブレないねぇ、バイロン。」

「うるせえ、叶ってほしいんだよこれで十分だろ。」


なんだかんだで、みんなの願いがその人らしくて、どれも微笑ましかった。



全員が書き終え、紙を軽く乾かしてから受付へ持っていく。

並んだ私たちの紙をスタッフが丁寧に並べ、確認しながら番号札を渡してくれた。


「4枚ずつまとめてランタンに貼りますので、同じ番号同士でグループになりますね」


その説明に、自然とみんなで自分たちの番号を見比べる。


どうやら私はアマンディーヌと同じ番号札らしい。

そして残りの4人──マリナ、ウィリアム、バイロン、セルヒオ──が次の連番だった。


「へぇ〜、じゃあアマンディーヌと私の願いは同じランタンになるんだね」

「そうねぇ……なんだか縁を感じるわ」


アマンディーヌはくすっと笑って、札をひらひらと見せてくれた。


一方で4人組はというと、


「お、俺たち同じか!」

「4枚全部同じランタン入ったら、すごい重そうだな……」

「届け、我らの願い……!」

「やめて儀式っぽい!」


と、賑やかに盛り上がっている。


ランタンが灯されるのは、夜のイベント。

願いが風に乗って空へ昇っていくのを見られるらしい。


みんなの紙がスタッフの手に渡り、テーブルが片づけられていくのを眺めながら、お茶をしていこうという話になった。

私は飲み物だけにしてケーキは我慢しておこう、と決めながらそれに頷く。

今日はいい夜になりそうだ。




夜になり、船はランタン祭りを迎えるためか、ゆっくりと速度を落とし、静かにその時を待っていた。


私たちは指定された時間に甲板へ上がった。

昼間は鮮やかに光っていた海が、夜の深い藍色に沈み、そこへぽつぽつと船の灯りが揺れて映っている。

甲板にはすでに人が集まり始めていて、すでにランタンを持った人もたくさんいた。


空気は少しひんやり。

だけど潮風は優しくて、頬に触れるたびに胸がすっとする。


スタッフの人がランタンを順番に配り始めた。


「番号札を確認させてくださーい」


番号札を見せると、ふわりとした薄紙で作られた四角いランタンが手渡された。

その表面には、昼間私たちが書いた願い事の紙が貼られている。

知らない人と一緒に飛ばすのかと思っていたが、受け取りに来た2人は、「すみませんが、飛ばしてもらえないですか? ちょっと怖くて」と私とアマンディーヌに任せて端のほうへ行ってしまった。


「おお……これが俺たちの願いセットか……」


大げさにいうバイロンの隣で、セルヒオはやけに神妙な顔で、豪快に『恋人が欲しい!!』と書かれたランタンを見つめている。


「だから儀式みたいに言わないでって言ったでしょ。」

アマンディーヌが笑いながらバイロンを肘で突いた。


マリナとウィリアムは手をつなぎ、同じランタンを一緒に持ちながら嬉しそうに見ている。



やがて、スタッフの一人が甲板の中央に立ち、マイク越しに声が響く。


「皆さま、本日のランタン祭りinアース・イテリアにご参加いただきありがとうございます。お手元のランタンにお間違いはないでしょうか。

只今よりクルーが火を灯して回りますが、火事の危険がございます。周囲へのご注意をくれぐれもお忘れないよう、お願いします。

どの願いも、どうか星に届きますように。」


甲板の照明がぐっと落とされ、周囲は残された淡い光だけに照らされた。


胸が、ドキドキする。

みんなで視線を合わせ、少し笑って、少し照れながら、自分のランタンを持ち上げる。


スタッフが火を灯し、紙を広げるようにパタパタと動かしてくれると、ランタンの底がわずかに暖かくなり、ふわりと軽くなる。

ランタンの枠を持って支える手が少し熱く感じる。


「それでは、一斉にお離しください! 3……2……1!」


合図とともに手を離すと、花が咲くように、百を超えるランタンがいっせいに空へと浮かび上がった。


夜空に、静かに、淡く、揺れながら。


「あ……」


誰ともなく、短い吐息が漏れた。


星のない夜なのに、ランタン自体が天の川になっていくみたいだった。

海の黒さに反射して、空と海の境界すらわからなくなる。


私たちののランタンもゆっくりと浮かび上がり、ふわりと揺れて、空へ昇っていく。


「すご……綺麗……」

「ね、本当に……」


セルヒオもバイロンも、いつになく静かで、その横顔も甲板の僅かな灯りに照らされて柔らかかった。

マリナとウィリアムは、指を絡めたまま見つめている。


無数の光が風に乗り、誰かの願いを抱いたまま遠くへ、遠くへ。

その光景にみんなが言葉を失っていると、隣に立つセルヒオがぽつりと呟いた。


「……願いってさ、書くより先に叶う準備ができてる人のところに、先に落ちてくるもんだと思うんだよな。」

「え?」


私は横を向いた。

ランタンの光で照らされたセルヒオの横顔は、いつもよりずっと穏やかで、どこか遠くを見ていた。


「ほら、願いなんて…ただ空に投げるだけだろ? でもさ、掴む準備できてる奴は、空から落ちてきたチャンスをちゃんと拾えるんだよ。逆に準備できてなきゃ、目の前まで来てても気づきもしない。」

「……何その、急に哲学みたいなこと言い出すの。」


私は冗談っぽく返したつもりだったのに、セルヒオの視線は外れないままで、妙に真剣だった。


「だって……サクラ、気づいてないこと多いから。」

「え、ちょ、どういう──」


そこまで言いかけて、セルヒオはふっと笑った。

ランタンが風に流されて、彼の髪が揺れる。


「ほら。見てろって。サクラの願い『恋人が欲しい』……案外すぐ叶うんじゃねぇの?」

「な、なんで断言するの……」

「んー。勘。」


肩をすくめて笑ってみせるけれど、その声は妙に柔らかくて、普段のふざけた感じとは違う。


少し胸がざわつく。


「ほら、俺…『人を見る目ある』って言われるし?」

「誰に?」

「……自分に。」

「自分って!!」


思わず突っ込むと、セルヒオが楽しそうに声を立てて笑う。

でもその笑いの奥に、ほんの少しだけ本気が混ざっている気がして、私はランタンの光から顔を背けた。





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