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25.1/14 雪の国2日目

朝寝坊をした。

昨日、遅くまでオーロラを待っていたせいだ。

目を開けると、まだ薄明るい光がカーテンの隙間から差し込んでいる。


時計を見ると、思ったより遅くはない。

けれど、居間に下りると、すでに家主のご夫婦は朝の仕事をひと段落つけた後のようで、テーブルには湯気の立つポットと、食べ終えた皿が並んでいた。

少し申し訳ない気持ちになって、私は小さく会釈をする。


「おはようございます⋯遅くなってすみません。」

「いい〜。昨日、遅かった〜〜?」


奥さんが笑いながらマグを差し出してくれる。

中には、甘いトルメ・ティー。手に持つだけで、指先がじんわり温まる。


外は一面の白。

窓の向こうでは、夜のあいだに降った雪が静かに積もっていて、屋根や道がすべて柔らかな輪郭をしていた。

時折、屋根から雪のかたまりが落ちて「ドサッ」と鈍い音を立てるたび、部屋の中の暖かさがいっそう際立つ。


「おはよう⋯」


少し遅れてアリーヤが現れた。

彼女も眠たげに髪をまとめながら、欠伸をこらえている。


「眠れましたか?」

「うん⋯でもお布団がまだ呼んでた。ベッドから出たくなかった。」

「私も⋯」


2人で顔を見合わせて、くすっと笑う。

昨夜、雪の上で転んだときの痛みがまだほんの少し胸に残っていて、それが妙に可笑しかった。


家主の奥さんが、焼き立てのサパとベリーのジャムを並べてくれる。

ストーブの上ではスープの鍋がことことと音を立て、バターの香りが部屋いっぱいに広がる。

遅めの朝食は、旅先の朝にしては穏やかで、ゆっくりと時間が流れていた。


朝食を終えると、家主のご主人が外で雪かきをしているのが窓から見えた。

分厚い手袋にモコモコのフード。息を吐くたびに、白い煙のような吐息がふわりと上がる。

その姿を見て、私は飲み終わったマグを置いた。


「手伝ってもいいですか?」

『助かる〜〜!家〜〜〜大変。』


外に出ると、頬に触れる空気が鋭く冷たい。

でも、スコップを持って体を動かし始めると、すぐに体の内側がじんわりと熱を持ちはじめる。

雪は軽く、すくえばサラサラと音を立てて舞い上がる。


「サクラ、私も手伝う!」


声をかけてきたのはアリーヤだった。

寝起きの眠そうな顔はどこへやら、フードの下で瞳が楽しげに輝いている。


『屋根〜〜〜〜危ない〜〜〜〜。』

「屋根の雪を降ろすから、危ないから下がってなさいって。」


アリーヤが訳してくれ、私たちは顔を見合わせて後ろに下がる。

ご主人は長い棒を持ってきた。先にはコの字の金具、そして長い布のようなものが取り付けられている。

それを屋根の上に押し込み、ぐいと押し出すと⋯。


シュルルルルッ。


白い雪が、まるで滝のように屋根を滑り落ちてきた。

陽の光を浴びてキラキラと光る。

雪が地面に積もるたび、ドサッ、ドサッと重たい音が響いた。


『すごい!屋根に登るわけじゃないんだ!』


私が興奮気味に言う。

なんと言ったのか分かってくれたように、アリーヤが頷いてくれる。

彼女の頬にかかった白い息がすぐに風に溶ける。


また2人でせっせと落ちた雪を集めているうちに、雪山がどんどん大きくなっていく。

それを見て、私はふとかまくらが出来ないかとひらめいた。


「ねえ、この雪、家、作れないですか?」

「家? 〜〜のこと?」


通じない。私は雪の上にしゃがみこみ、指で図を描いたり、小さなかまくらを作ったりして、「雪」「積む」「掘る」「中」「人」「温かい」と単語を繋げながら、まるでジェスチャーゲームのように説明する。


「〜〜みたいなものね。楽しそう!」


アリーヤはにやりと笑い、スコップを構えた。


雪を捨てる場所を変え、私たちは無心に雪を積み上げていく。

踏んで、押して、崩れて、また笑って。

雪はサラサラで、掘るたびに乾いた音がした。

けれど、側面を掘ろうとすると、上の雪がサラサラと崩れてくる。


「なんで〜?」

「どうして〜?」


私たちはお腹を抱えて笑った。

その笑い声に誘われるように、近くの家から他のツアー客が顔を出した。


「何してるの?」

「楽しそうね、雪遊び?」


私は雪に絵を描いて説明した。


「中に入れる雪の家を作ってます! 雪山を作って、側面から掘って中を空洞にするんです。寒くなくて、楽しいんですよ!」


理解が早い人たちはすぐにピンと来たようで、

「じゃあ作ろう!」とスコップを取りに戻る人もいた。


そして、いつの間にか小さなかまくらチームができあがっていた。

誰かが雪を運び、誰かが押し固め、誰かが形を整える。

雪を踏む音、笑い声、吐く息──全部が白い空気の中に溶け合う。


「この雪質じゃ中を空洞にするのは無理なんじゃないか?」

「少し水分を足してやったら固まるだろう。」

「でも氷みたいになったら掘れないぞ?」

「そこは様子を見てだな⋯。」


雪の上で苦戦しているアリーヤに申し訳ない気持ちで私は言った。


「雪の中、お水が少ないです。作るのは難しいと言っています。」

「そうなの? 残念だわ。でも楽しかったわね!」


笑い合っていたその時、別の参加者が顔を輝かせた。


「水なら、頼んでこられるんじゃない?」

「そうだ、うちのホームステイ先の人に聞いてくる!」


その勢いに圧倒されていると、やがて白い毛並みの立った犬耳を持つ近人種のリアムという男性が現れた。

青みを帯びた瞳が雪の光を受けて柔らかく光る。


「お水がいるってどういうことだい?」


セルマーの公用語で話しかけられた瞬間、チーム全員の視線が私に突き刺さる。


「あ、えっと⋯時間もらう、すみません。」


私はぺこりと頭を下げ、また雪に図を描きはじめた。

アリーヤも横でフォローを入れてくれて、リアムの顔がみるみる理解に変わっていく。


「なるほどね。じゃあ、積み上げたら水をかけて、層を固める感じか。」

リアムは軽く笑い、打ち水をするように手を振った。


すると──パシャッ、パシャッ。

空中に水滴が現れ、雪の上に降り注いだ。

まるで空気そのものが水に変わるようだった。


魔法だ。

私は心臓がドキンと跳ねた。

火の魔法に続き、水の魔法。

でも、周りは慣れた様子で淡々と作業を続けている。

私だけが、ひとり胸の中で子供のように騒いでいた。


水を撒いたところを踏み固めるように言われる。

靴の底から「ジャリ、ザク、ジャリ」と音がして、さっきまでの雪とまるで違う感触になっていた。

踏むたびに、足元の雪が少しずつ締まっていく。

私たちがどくと、また雪がかけられ、また水がまかれ、また踏み固められる。


みんなの笑い声と息づかいが白く混ざり合い、太陽の光が反射して目が開けられないほどまぶしい。


気づけば雪山は人の背丈を超えるほどになっていた。

上に登るのが危なくなってきたころ、みんながスコップで表面を強く叩いた。

鈍い音がして、形が締まっていく。


「少し固まるまで待とうか。その間にお昼ごはんにしよう。」


言われて初めて気づいた。

息が白く途切れ途切れに出ていて、体はぽかぽかに温まっている。

手袋を外した指先がじんじんと痛い。



お昼ごはんを早々に終わらせると、ぽつぽつとチームの面々が雪山のまわりに集まってきた。


「お! 隊長が来たぞ!」


誰かが茶化すように言い、みんなが笑う。

すっかり「隊長」呼ばわりされている自分に苦笑しながら、私はスコップを雪に突き立てた。


表面はすっかり固まり、ところどころ氷のように光沢を帯びている。

太陽の光が反射してまぶしく、白い山がまるでガラス細工のように輝いていた。


「ここを入口にしましょう。丸く広げてほしいです!」

「了解〜!」


スコップがザクッザクッと音を立てる。

さっきまでの柔らかい雪とは違い、しっかり締まっていて手応えがある。

ちゃんと崩れずに掘り進められるのは、午前の作業の甲斐だろう。


だんだん中が空いていくにつれ、みんなで顔を見合わせた。


「これ、どこまで掘って大丈夫なんだ?」

「あんまり薄くしたら潰れそうだぞ。」

「隊長、どうする?」

「えっ、私に聞くんですか?」


思わず笑ってしまう。けれど、誰も真剣な顔をしているから余計に可笑しかった。


結局、「これくらいでやめよう」ということになったのは、思っていたよりも小さな空洞ができたときだった。

それでも、中を覗けば、ちゃんとした「かまくら」になっている。

意外に雪が固くて掘るのが大変だった、というのも理由のひとつだ。


「できた〜!」

『〜〜〜!』


歓声が上がる。

みんな額の汗を拭い、息を白くしながら笑っている。達成感の匂いが漂っていた。


「ほら、隊長、アリーヤちゃん。入ってみなよ!」


促されて、膝をついてやっと入れるくらいの入口をくぐる。

アリーヤが先に身体を滑り込ませ、私も続く。

中は思っていたよりもずっと狭かった。


2人で座ると、肩と肩がぴったりとくっつく。

雪の壁が目の前に迫り、少しでも動けば頭が天井に当たる。


『ぎゅうぎゅうだな⋯』

「ギュウギュウ⋯うん。」


私の言葉を真似して、アリーヤがくすっと笑う。


中は不思議な静けさに包まれていた。

外の笑い声も風の音も、雪の壁がすべて吸い込んでしまう。

声を出すと、少しだけ反響して、ふたりだけの世界になったみたいだった。


「ねえ、あったかいです。」

「うん。あったかいね。」


外よりもほんのり暖かいのは、狭い空間にふたりの体温がこもっているからだろう。

吐く息が白く漂い、雪の壁に触れるとすぐに消える。


気づけば、最初はただの雪かきだったのに、いつの間にかみんな夢中になっていた。

指先はかじかんでいるのに、心の奥は妙に温かい。

まるで、子どものころに戻ったような、そんな冬の午後だった。



疲れ切って少しお昼寝をさせてもらい、夜ごはんも済ませた私たちは、再び「オーロラチャレンジ」のために雪道を歩いていた。

昨日は寒さに震えるだけで終わってしまったから、今日は万全の準備をして臨む。


白い息を吐きながら、私は背負っている荷物を少し持ち直す。

中には、今日の秘密兵器「オーロラこたつ」が入っている。

1人用の全身こたつの様なものだ。


家主さんの家にも同じものがあった。

けれどひとつしかなく、迷わずアリーヤに譲った。

「あなたも、昨日すごく寒そうでした」と言うと、彼女は嬉しそうに笑っていた。

私の分は現地でレンタル制のものを、オプショナルツアーのオプションとして追加で借りることにした。

値段を見たときはちょっと高いと思ったけれど、昨日の寒さを思い出すと背に腹は代えられなかった。

元はといえば泡銭の旅なのだから、こういう時こそ使うべきだろう。

⋯でも、初めからツアー料金に含めておいてほしかった、なんて少しだけ思う。



雪道は相変わらず静かだった。

ヘラジカモドキ車の轍だけが淡く光を反射し、踏みしめるたびにキュッキュッと心地よい音を立てる。

見学場所までは少し距離があり、風が強くなるにつれて、吐く息がどんどん濃く白くなっていった。


やがて、昨日と同じ場所にたどり着いた。

そこには、まるで世界の音がすべて止まってしまったかのような、静かな夜空が広がっていた。


「わあ⋯今日も星がきれいね。」


アリーヤが小さく息をのむ。

空には、昨日と同じく澄みきった星々が散らばっていた。

風は少し強く、顔に当たる空気は痛いほど冷たい。

私たちは慌てて荷物を開け、オーロラこたつの組み立てを始めた。


四角すいの形をしたそれは、内側がふわふわの断熱布でできていて、底には座布団のようなものが敷けるようになっている。

中に魔石をはめ込む所があり、電池のようにカチリとはめてスイッチを入れる。


じんわり──。


『⋯あ、あったかい!』


体の芯から、ふわっと熱が広がっていく。

こたつの上の小さな開口部から顔だけを出すと、冷たい空気と温もりの対比が心地よかった。

アリーヤのこたつは色違いで、遠くから見ると二つの小さなテントが雪の上に並んでいるように見えるだろう。

周りにも昨日よりも多い数のオーロラこたつが並んでいる。商売上手なものだ。


「これ、すごいです。私は出たくないです。」

「わかる⋯人間を駄目にするやつだね、これ。」


顔のまわりの空気はキンと冷たく、まつ毛にはすぐに白い霜がついた。

瞬きをすると、シャリ⋯と小さな音がする。


それでも、体はぬくぬくと温かく、

空には静かな星の海が広がっていた。


──あとは、オーロラが来るのを待つだけだった。



アリーヤと話をしながら、私たちはいつ来るともわからないその瞬間を待っていた。

こたつの中は心地よく、頬だけがひんやりと冷たい。

頭上では、無数の星が瞬いている。

まるで夜空そのものが凍った宝石箱のようだった。


「ねえ、カマクラ、楽しかったね」


アリーヤが思い出したように笑った。


「はい、とても。私はたくさんの人、集まる、思いませんでした。」


私もにっこり笑う。


「でも、もう作りたくないわ。今も腕が痛いもの。」

「わかります。私もです。」


目を合わせ、2人は笑い合う。



そんな風に、他愛のない話をしていたとき──

ふと、空の端がゆらめいた。


『あれ⋯?』


最初は目の錯覚かと思った。

でも違う。

夜空の一点が、ゆっくりと、緑がかった光を滲ませている。


「出たよ⋯!」


アリーヤが息を呑んで、声を上げた。


淡い光はだんだんと広がり、空の高みへと吸い上げられていく。

最初は一本の糸のようだったそれが、やがて風に揺れる薄布のように形を変え、

緑、青、紫、そして金のような光が重なり合った。



星々の間を漂うようにして、光のカーテンが天頂へと広がる。

ゆらめきながら、たなびきながら、まるで誰かが空に絵筆を走らせているようだった。


『きれい⋯』


自分の口から自然に言葉がこぼれた。

息すら白く凍る空気の中、声が震える。


アリーヤは黙って頷いた。

彼女の瞳にもオーロラの光が映り、淡い緑の揺らぎを宿している。


風がやさしく吹くたびに、光が波のように揺れる。

見上げていると、自分が空に吸い込まれていくような感覚になる。

寒さも、疲れも、時間の感覚さえも、すべてが遠ざかっていった。


「⋯これが、本物のオーロラ、ですね。」

「ええ。きれいでしょう? サクラに見せられてよかった。」


オーロラは次第に形を変えながら、いくつもの層を重ねていく。

光が重なり、広がり、消え、また現れる。


その変化に目を奪われながら、私はただ息を呑んで見上げていた。

どんな写真でも、どんな映像でも伝わらない。

その光は、生きているようだった。


こたつの中で、アリーヤが小さく笑った。


「昨日、見られなくてよかったね。」

「え?」

「だって、今日が最高だから。」


その言葉に、私はうなずいた。

たしかに、今日でよかった。

この空、この光、この静けさ──すべてが、今この瞬間だけのものだった。



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