21.1/10 仕事の話
手軽に夕飯を済ませようと、ふらりとビュッフェ会場に足を運んだ。
昼の喧騒が少し落ち着き、ほどよく人の流れがある時間帯。
ビュッフェ台の上にはまだ温かい料理が並び、ガラス皿に照明が反射してきらきらと光っている。
会場を見渡すと、ふとセルヒオの姿が目に入った。
向こうも同じタイミングで私を見つけたらしく、驚いた顔のあと、軽く手を振ってくる。
私も自然と手を振り返した。
そのまま別々に食べてもよかったのかもしれない。
けれど、せっかく目が合ってしまったのに知らん顔をするのも少し不自然だ。
「一緒にどう?」と声をかけると、セルヒオも「いいね」と頷いた。
それぞれ皿を手に取り、好きなものを盛りつけながら短い会話を交わす。
「今日はどれにする?」
「うーん、ま、やっぱり肉が美味しそうだな」
「じゃあ私はサラダ多めにしよ」
空いていた窓際のテーブルに並んで腰掛けると、海の外はすでに暗く、ガラスに会場の光が映り込んでいた。
並んだ料理を見ながら、ふと笑いがこみ上げた。
ここで並んでいるのは焼きたてのパンやトマトパスタ、色とりどりのサラダ。
どれも見慣れた、落ち着く料理ばかりだ。
「ふふふ⋯ここはモンスター料理じゃないんだね。」
思わず小声でつぶやく。
向かいでフォークを持ち上げたセルヒオが、くすっと笑った。
「バジリスクは、もう食べたくないだろう?」
その一言に、先日の強烈な味を思い出し、思わず顔をしかめる。
「うん、しばらくはもういいかな⋯」
互いに軽く笑い合いながら、思いがけず一緒の食卓を囲むことになった。
「ねぇ、そういえばさ、『オトランド』って何か見たいものがあるの?」
スープを口に運びながら、私は何気なく切り出した。
「え?」
セルヒオはちょっとだけ驚いたように顔を上げる。
「ほら、前に『一番行きたいのはオトランドだ』ってセルヒオ言ってたじゃない?」
「⋯よく覚えてたな。」
セルヒオはなぜだか苦笑いして、パンをちぎる。
「うん。気になってガイドブック見たもの!白い壁の家が山あいに並ぶきれいな街だったのは確認したよ」
「⋯そう。『セルマーのサントリーニ島』だろ?」
「書いてあった書いてあった!」
私は人さし指を1本上げて揺らしてみせる。
セルヒオは少し肩をすくめてから、言葉を足した。
「仕事で行ったことがあるんだよ。」
「え!? そうなの? みんな初セルマーかと思ってた。」
「俺もオトランド以外はまともに行ったことないぞ。だからセルマー公用語もほぼ話せない。」
「ふーん⋯思い出の地に再び!ってことね」
私は笑顔で納得する。
セルヒオはほんの少しだけ視線を逸らしてから、ぽつりとこぼした。
「⋯あとは、夕陽が見たくてな。」
「そうなの? 私が持ってたガイドブックには朝陽しか載ってなかったな。」
「ま、そっちの方が有名だろうな。」
「そうだよねぇ。ま、寄港時間的に見るのは無理だろうけど。朝起きたら、もう街が見えてるかな?」
「いやぁ⋯午後入港予定だっただろ? 見えないんじゃないか?」
セルヒオは困ったように眉を下げて答える。
「やっぱり? でも、夕陽ね。覚えとく。」
「うん。覚えといて。上から見下ろすと、町並み全部が赤く染まってきれいなんだよ。」
セルヒオの言葉は軽い調子なのに、不思議と真剣さが混じっているように聞こえた。
気づけば料理よりも、彼の伏せた顔に意識が向いてしまう。
「サクラは、地球公用語もセルマー公用語も上手いよな。」
「ん? そう?」
ぱっと顔を上げたセルヒオの顔には、さっきまでの影はもうなく、私はその変化に少し安堵して話題転換に乗ることにした。
「セルマー公用語、聞き取りはねぇ、まぁできるんだけどさ。話すのはめっちゃ難しいと思ってるよ。」
「難なく話してるように思ってたぞ。」
セルヒオが目を丸くして言う。
私は苦笑して眉を下げた。
「謙遜の国、日本だとね、『ちょっと話せる』くらいのレベルだよ。」
「うわぁ、日本こわっ!」
セルヒオの言い方が妙に大げさで、思わず吹き出してしまう。
フォークを握った手を口元に当てて笑う私に、彼は「いや本当だって」と肩をすくめた。
「これでも翻訳会社に勤めてるからさ、周りが半端なく上手いんだよね。みーんな地球の言語もセルマーの言語も、平気で5、6カ国語とか話すの。」
少し誇張して言ったけれど、実際、会社の人間の語学レベルは化け物じみている。
社内ルールで会議も雑談も地球公用語に統一されているから、自然と地球公用語は磨かれる。
でもセルマー公用語はそうはいかない。
私自身、元々興味があって勉強はしていたけれど、長期出張の社内審査に通過するために、慌てて詰め込んでセルマー公用語準一級を取っただけだ。
リスニングはある程度できても、会話となるとレッスンに通う暇もなく、知識と実力がちぐはぐなまま。
だから、旅行中自然に話しているように見えても、実際は頭の中で翻訳と文法の確認を必死でやっている。
「正直ね、社内審査に通ってこの船に乗れたのは奇跡みたいなものだよ。」
私は肩をすくめて、サラダの上のトマトをフォークでつつく。
「そういえば、仕事で乗ってるって言ってたな。」
「うん。何年かに一回とかかな? 不定期に『セルマー研修』って名目で1人、異世界一周クルーズに乗れるの。会社が費用を全部持ってくれて。」
「へぇ、いい制度だな。」
セルヒオは素直に感心したように頷き、手元のカップを口に運んだ。
私は苦笑しながら続ける。
「その審査に通るためにね、セルマー公用語を必死に勉強したんだよ。あの半年間はほぼ毎日、通勤中も仕事の後も勉強漬け。」
「おお、半年でそれだけ言語が覚えられるのは羨ましいな。」
セルヒオは驚いたように目を開きながらパンをひとかけ口に放り込んだが、すぐに少し真面目な顔をした。
「俺は逆だな。語学はからっきしでさ。単語覚えるだけで精一杯だし、文法なんて頭に入らん。仕事で何度か必要になったけど、正直、毎回苦労してる。」
そう言って、肩をすくめる。
それは意外で、私は思わず瞬きをした。
「へぇ、セルヒオでも苦手なことあるんだ。」
「あるさ。山ほどな。」
そう言いつつ、彼は私を横目で見て、少し照れたように付け加える。
「だから、ちゃんと勉強して喋れるようになってるサクラは、素直にすごいと思うよ。」
私は一瞬、返す言葉を探してしまった。
くすぐったい気持ちを誤魔化すように笑って、グラスの水を口に運んだ。
セルヒオはそのあと少しだけ間を置いて言葉を継いだ。
「⋯まぁ、その代わり得意なこともある。」
「ふむ、なんでしょう?」
私は身を乗り出す。
セルヒオはフォークを皿に置き、グラスの水をひと口飲んでから答えた。
「映像だよ。撮る方な。今回も、それが仕事だ。セルマー各地の風景や街並みを記録して、向こうに持ち帰る。」
「へぇー! すごい、映像関係なんだ!」
驚きと同時に、胸の奥がちょっと弾んだ。
普段あまり多くを語らない彼が、仕事のことを口にするのは珍しい。
「ドキュメンタリーってこと?」
「まぁ近いな。ただ観光用の宣伝映像でもあるし、資料映像の意味合いもある。俺一人じゃなくチームでやるんだが⋯結局カメラ持って現場に入るのは俺の仕事だ。」
彼の声色には、語学の話をしていた時とは違う自信がにじんでいた。
私もつられて頷く。
「だから寄港先では、俺はただ遊んでるわけじゃない。観光地や名所に行っても、気づいたらシャッター押してる。⋯正直、ちょっと職業病だな。」
「なるほどねぇ。ね、セルヒオ。」
「ん?」
私は思わず前のめりになった。
「その⋯実際に撮った写真、見てみたい!」
セルヒオは一瞬、ぽかんとした顔をした。
すぐに苦笑いして首を横に振る。
「仕事のやつは、勝手に見せられないぞ。納品前だし、著作権とか色々ある。」
「そ、そういうのじゃなくて! 個人的に撮ったやつとかはないの?」
「⋯個人的に?」
「そうそう! ほら、船の中で撮った写真とか、寄港地に行ったときの街並みとか。私たちのことも撮ってたじゃない? きっと素敵に撮ってるんだろうなぁって思って!」
自分でも少し図々しいことを言っている気がしたが、好奇心には勝てなかった。
セルヒオは水の入ったグラスをいじりながら少し考え込む。
「⋯まぁ、なくはない。趣味で撮ったやつならな。」
「ほんと!? 見たい見たい!」
私が身を乗り出すと、セルヒオは一度肩をすくめ、ポケットからスマホを取り出した。
「じゃあ⋯仕事のやつじゃなくて、俺の記録用。画質もそんなに良くないけど。」
画面をスワイプすると、見覚えのある景色が広がった。
青く透き通る海に浮かぶクルーズ船の船体。
風に吹かれながら笑っているマリナ、片手を上げるバイロン。
⋯そして、その後ろでアマンディーヌが真顔でジェラートを食べている姿。
「わ、なにこれ! アマンディーヌ、完全に無防備じゃん!」
私は思わず笑い声をあげる。
セルヒオはにやりと口角を上げ、次の写真へ。
寄港地の石畳の市場。夕焼けが差し込んで、影が長く伸びる。
その中で、少しよそ見をしている私と、なぜか後ろで変顔をしているマリナ。
「ちょっと! これ削除してよ!」
「いやいや、これは傑作だろ。旅の雰囲気、よく出てる。」
セルヒオの指が次の写真に移ると、迷宮の入り口と思われる森で、バイロンがカッコつけてサムズアップしていた。
「⋯このときのバイロンはまだ元気そうだね。」
「帰りはこれ。」
うなだれて馬車に向かうバイロンの丸い背中が映し出された。
「失礼だけど、すごい違いだね」
ふふふ、っと私は笑った。
「こうして見ると、なんだかんだで楽しい瞬間ばっかだな。」
セルヒオがぽつりと呟く。
画面に映るのは、旅の一瞬の断片。
それを覗き込みながら、私の胸の奥にもじんわりと温かいものが広がっていった。
セルヒオはさらに何枚かスワイプし、ふと指を止めた。
「⋯これは、たぶんサクラは覚えてないだろ。」
画面には、夕暮れのデッキで、遠くを見つめている私の横顔が映っていた。
逆光で髪が淡く光って、どこか儚げに見える。
「えっ⋯いつ撮ったの、これ?」
「みんなでアイス食べてるとき。サクラだけ、ちょっとぼーっとしてたんだ。」
私は顔が熱くなるのを感じて、慌ててスマホを指さした。
「こ、こんなの勝手に撮らないでよ!」
「仕事柄かな。『いい画』だと思った瞬間、つい指が動く。」
セルヒオはいたずらっぽく笑う。
次の写真に移ると、夜の街角のシルエットが映っていた。
街灯の下を歩く5人の影。私が先頭を歩き、その後ろにマリナとアマンディーヌ。
さらに少し離れて、バイロンとウィリアムが並んでいる。
「これは⋯」
「みんなの影。なんか映画のワンシーンっぽくて、気に入ってるんだ。」
私はじっと画面を見つめる。
影だけなのに、確かにそこに私たちの旅が刻まれている気がして。
セルヒオは、こうやって「何気ない幸せの瞬間」を残していくのだ。
正直な感想は、やっぱりプロってすごい。
私は自分の目で見たものをそのまま写真に収めているつもりだった。
でもセルヒオのカメラは、私が気づかない瞬間さえ切り取って、「こんな風に見えていたんだ」と教えてくる。
画面に映る自分の姿が、ほんの少しだけ他人みたいで、でも確かに「ここにいた自分」なんだと気づかされる。
胸の奥がじんわり温かくなって、同時にくすぐったい。
気恥ずかしくて、でも⋯少し、嬉しい。
私はわざとそっけなく言った。
「⋯あんまり変な顔してるときは撮らないでよね。」
「変な顔も含めて、いい画になるんだよ。」
セルヒオはあっけらかんと笑った。
その笑顔に、また胸の奥がざわついてしまうのに、見て見ぬふりをした。




