16.1/5 迷宮の国②
モンスターが倒されるのを連想させる表現があります。
ちょっと生々しいです。
苦手な方はご注意ください。
街の門をくぐったものの、まだセルヒオたちや別グループは戻っていないようだった。
「どこで待ち合わせって決めてたっけ⋯?」
そう首をかしげながらも、まずは体を休めたくて、私たちは近くのカフェにふらりと入ることにした。
小さな店だったけれど、木製の椅子とテーブルは落ち着いた色合いで、窓から差し込む柔らかな光が心をほぐしてくれる。
椅子に腰を下ろした瞬間、足の重みを実感して、思わず「はぁ〜⋯」とため息が漏れた。
少し待って店員が運んできてくれたのは見慣れない形のお菓子だった。
薄い葉っぱのようなものが折り重なった生地が、ミルフィーユのように層になっていて、ところどころに琥珀色のシロップが光っている。
小さな果実のドライフルーツが散らされ、ほんのりと甘酸っぱい香りが漂った。
「⋯これ、どうやって食べるんだろう?」
フォークで端を割ると、パリパリと小気味よい音を立てて崩れ、中からふわりと甘い香りが立ち上った。口に運ぶと、最初はカリッと軽い食感で、次いで舌に絡むシロップの濃厚な甘み。さらに、ドライフルーツの酸味が後味をさっぱりと引き締めてくれる。
「⋯ああ、沁みる⋯」
思わず小さな声が漏れた。
森での緊張感、荒々しい魔物との遭遇、そして必死に息を整えながら街に戻ってきたあとの解放感。
全てが重なって、この一口が胸の奥にじんわりと広がっていく。
マリナやウィリアム、アマンディーヌもそれぞれに違うお菓子を選んでいて、丸い焼き菓子やゼリーのような不思議なデザートを楽しんでいる。
「これ、何でできてるの?」と笑い合いながら、まるで子どもに戻ったような気持ちでフォークを動かした。
窓の外では市場の賑わいが続いているけれど、カフェの中だけは別世界のように静かで甘やかだ。
ひとときの休憩が、ようやく心の底から「無事に帰ってきたんだ」と実感させてくれた。
温かいお茶をひと口すするだけで、張り詰めていた神経がゆるゆると解けていく。
さっきまでの森の緊張感が嘘のように、ここには穏やかな時間が流れていた。
ひと息ついたところで、せっかく街に戻ったのだからと市場へ足を運ぶ。
昼下がりの市場は人でごった返していて、色とりどりのテントや屋台が並び、香辛料の匂いや甘い果物の香りが混ざり合っている。
普段なら目移りするほど楽しい空間なのに、今日はどうにも疲れが勝ってしまい、賑やかさに圧倒されるばかりだ。
ふと目についたのは「角兎の毛皮」を使ったと書かれた手袋や小物。
薄いグリーンのふわふわした毛並みは、可愛らしくて暖かそうに見える。
けれど、さっき森で角兎に遭遇したときの生々しい光景が脳裏をよぎり、思わず手を引っ込めてしまった。
触れれば柔らかいのは予想がついた。
でも、まだ笑って手に取れる気分にはなれなかった。
それでも市場を歩いているうちに、異国風の陶器や、色鮮やかな布地、奇妙な形の装飾品など、見慣れないものに目を奪われる。
冒険の余韻を引きずった心に、それらの品はどこか現実離れして映り、夢と現の境目を漂っているような気分だった。
「あっ!」
本来の到着予定の時刻に合わせて馬車の発着場で待っていたところ、少し離れたところからバイロンの声が聞こえた。
振り返ると、バイロンとセルヒオがゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見える。
だが、その様子はどこか重たげだった。
普段なら大声で冗談を飛ばすか、豪快に手を振るかする2人なのに、今日は妙に静かで元気がない。
「遅かったな。」
ウィリアムが声をかけると、バイロンは肩をすくめて短く答えた。
「ああ⋯モンスターが、いつもよりやけに多く出たらしくて。それで時間を食ったんだ。」
声も表情も沈んでいて、いつもの豪放な調子は感じられない。
横のセルヒオは、さらに難しい顔をして黙ったままだ。
「ちょっと早いけど、戻る時間を考えたらそろそろ夕飯の時間だよ。何か食べる?」
私はあえて明るい声を出して場を和ませようとした。
けれど二人は一度視線を合わせると、同時にゆるく首を振った。
「悪い⋯とりあえず今は、肉は食えそうにない。」
口を開いたのはセルヒオだった。その声は低く、重く沈んでいる。
「俺もだ。さっきの迷宮の出来事⋯まだ頭から離れねぇんだわ。」
バイロンも苦笑いのような、諦めのような顔で付け加える。
「それを言うなら、私もお肉はちょっと⋯特に、うさぎと狐はね。」
アマンディーヌが小さく手を上げて言った。あの角兎や二股狐の姿が、まだ脳裏に焼き付いているのだろう。
一瞬、沈黙が降りた。
それでも「みんな無事に戻ってこれた」ことだけは確かで、その安堵が私の胸に静かに広がっていった。
「じゃあ⋯肉以外を探そうか。」
私はみんなに提案した。全員が同意して小さくうなずく。
再び市場へと足を向けると、昼間の賑わいそのままに、屋台の呼び込みや香ばしい匂いがあちこちから漂ってきた。
だが、肉を焼く匂いが鼻をくすぐるたびに、セルヒオやバイロンはわずかに顔をしかめる。
「うわ⋯まだちょっと、きついな。」
バイロンがぼやくと、アマンディーヌも「分かるわ」と小さく頷いた。
それでもせっかくの市場だからと、私たちは肉以外の屋台を探しながら歩いた。焼きとうもろこしのような野菜串、見たことのない紫色の果実のスライス、もちもちした穀物の揚げ団子など、肉を使わない料理も思いのほか多い。
「これなら⋯食べられるかな。」
マリナが恐る恐る果実の串を手に取り、口に運ぶ。甘酸っぱい香りが広がったのか、ほっとしたように目を細めた。
一方で、セルヒオとバイロンはまだ警戒するように食べ物を見ているだけ。
「なんか、腹に入れるとあの光景を思い出しそうでさ。」
セルヒオが苦笑混じりに言うと、バイロンも「俺もだ」と力なく笑った。
私はといえば、すでに団子を手に持っていて、ぱくりと頬張る。
香ばしさとほんのりした甘みが口に広がり、思わず「美味しい!」と声を漏らしてしまった。
その声にみんなが一瞬こちらを見る。
「⋯サクラは元気だな。」
ウィリアムが苦笑し、アマンディーヌも「羨ましいわ」と肩をすくめる。
どうやら、平気で食べられそうなのは私くらいらしい。
それでも少しずつ、みんなも匂いに慣れ、気を紛らわせるように果物や軽い食べ物を手に取っていった。
私たちは少し早めに馬車へ乗り込み、船へ戻ることにした。
「ねぇ、迷宮で何があったの?」
気になっていたことを、恐る恐る口にする。
バイロンとセルヒオは目を合わせ、押し付け合うように視線を交わした。
ため息をひとつ吐き、先に折れたのはバイロンだった。
「あ〜⋯ゴブリンが出たんだよ。耳が尖って、肌が緑色で、膝より少し高いくらいのやつ。しかも大量に、な。」
それだけで話を終わらせようとするバイロンに、私たちはさらに続きを促す視線を向ける。
重い口を開いたのはセルヒオだった。
「⋯なぁ、想像してみろよ。あれは俺の目には、どうしても『子ども』に見えたんだ。まだ一歳か二歳くらいの、よちよち歩きの子どもと同じ大きさの生き物が、冒険者によってバッサバッサ切り捨てられていく。冒険者たちは慌てもせず、当たり前のように処理してた⋯。きっと彼らにとっては日常なんだろう。でも、俺たちにはそうじゃなかった。」
私は思わず想像してしまう。小さな子どもがわらわらと駆け寄ってきて、次々と斬り倒されていく光景を。
ブルリと肩が震え、自然と眉が寄る。
周りのみんなもまた、同じように顔をしかめていた。
馬車の中に、重たい沈黙が落ちた。
ガタゴトと車輪の音だけが規則正しく響き、誰も口を開けようとしない。
「⋯だから、食欲がなくなったのか。」
ウィリアムが小さくつぶやくと、隣にいたバイロンが力なく頷いた。
「目の前の皿に肉があったら、どうしても重なっちまってな。」
バイロンは窓の外を見つめ、唇をかすかに噛んでいる。
セルヒオは腕を組み、居心地悪そうに頭をかいていた。
馬車の外では、街並みが近づいてきていた。
けれど、心の中にはまだ迷宮の影が残っていた。
船に戻った瞬間、空気ががらりと変わった。
大きな船体を取り巻く波の音と、甲板を行き交う人々のざわめき。そこには、迷宮の薄暗さや湿った空気はひと欠片もなく、潮の香りと明るい灯りが迎えてくれる。
「⋯戻ってきたんだな。」
セルヒオが小さく呟く。その声にはまだ影が残っていたけれど、確かな安堵も混じっていた。
私は頷いて、深く息を吸う。
閉ざされた森の匂いが鼻先から抜けていき、代わりに潮風が胸を満たす。
重たい感情はまだ完全には消えないけれど、ここが自分たちの『日常の場所』だと思うだけで、少しずつ心がほぐれていくのがわかる。
「夕飯、なんか軽く食おうかな。甘いものなら⋯食べられそうだな。」
バイロンがぽつりと言うと、みんなも小さく笑った。
さっきまでしかめっ面だった顔に、ようやく人心地の色が戻る。
ビュッフェ会場に向かう廊下を歩きながら、私はふと気づく。
船に戻ってきたというだけで、これほど安心できるのか。
「船を家のように思って」と言っていた船長さんの言葉が思い出された。




