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18/48

14.1/3 プール

昼を過ぎて太陽が昇りきり、暖かな気候も相まって水着とはいえ、少し汗ばむ陽気だ。

冷たい風を求めてメインプールへ向かうと、そこはすでに賑やかな声と水音で満ちていた。


プールサイドのチェアには、日焼け止めの甘い香りを漂わせながら読書をしたり、冷えたカクテルを楽しんでいる人がたくさんいた。

デッキの一角には、売店のようなカウンターがあり、フルーツ盛りのアイスや、いかにもなハンバーガー、色鮮やかなカクテルを片手にした人が行き交っている。冷えたビールの泡が弾ける音まで聞こえてきそうで、ちょっとした「海の家」のようでもある。


私はちょうど日陰になるチェアを見つけて、タオルを敷き、ゆったりと身を沈めた。

張られた布の、背中を包む柔らかさにほっと息が漏れる。視界の先には、太陽を反射してきらめく水面。遠くから寄せては返す海の音が重なり、プールのざわめきが不思議とBGMのように馴染んでいる。


頭上を渡る風はほどよく涼しく、髪を揺らすたびに熱が逃げていく。思わず目を閉じれば、陽光の名残がまぶたの裏を淡く染め、心地よいまどろみへと誘っていった。


『はっ! 今一瞬寝てた!?』


気づけば、時計の針は20分ほど進んでいた。

体の芯にじんわり熱がこもり、汗ばんだ背中がタオルにぺたりと張り付いている。慌てて上体を起こし、眩しさに目を細めながら何度か瞬きをした。

眠気を振り払うように首を回すと、少し火照った頬に潮風が心地よい。


『よし、目を覚まそう。』


そう思ってプールに目をやると、なぜかメインプールは人影がなくて、ぽっかりと水面だけが広がっていた。

波が立たずに静まり返ったその光景は、かえって泳ぎにくそうで気が引ける。

代わりに、視線の先に見えたジャグジーへと足を向けた。小さな階段を上がり、水に足を沈めると──


『温かぁい⋯』


思わず声がもれた。

ほんのり上がる湯気と、ぬるめの温度が、昼下がりの暑さにはぴったりだ。

全身をゆっくり沈めると、ぷくぷくと底から泡が立ちのぼり、脚や腰を柔らかく押し上げる。

まるで小さな手でマッサージされているみたいで、思わず「ふぅ」と深い息が出た。


しばらくぼんやり泡を眺めていた時、不意に弾けたしぶきが唇に触れる。

手で拭った途端、塩気が口に広がった。


『えっ、これ海水!?』


肩をすくめて笑いながら、もう一度唇をなめてみる。

やっぱりほんのりしょっぱい。

なんだか特別な発見をした気分になり、温かな水に包まれながら、遠い海に溶けていくような心地がした。


ジャグジーの縁に腕をかけて、ぷくぷくと立ちのぼる泡を眺めていた。

視線をふとメインプールへ戻す。


『うわぁ、すごっ!』


水面を切り裂くように泳ぐ影が目に入った。

大きなプールの中央を、ひときわ力強いストロークで進む人。

誰もいない水面を独占するかのように、一直線に泳ぐその姿は妙に印象的だった。


数秒後、顔を上げた瞬間に気づく。

セルヒオだ。


真剣な眼差しで呼吸を整え、再び水中に潜っていく。

陽光を反射して濡れた髪がきらりと光り、彼の動きに合わせて水面が大きく揺れる。

普段の雰囲気とは違う、研ぎ澄まされた空気が漂っていた。


『たぶん本気だ。めっちゃ速い。』


思わず口の中で呟く。

その姿を眺めていると、じっとしていられなくなり、私はジャグジーからそっと抜け出した。タオルを軽く羽織って、プールサイドを歩く。


やがてセルヒオがターンをして顔を上げたところで、彼もこちらに気づいた。

私が笑みを浮かべて手を振ると、セルヒオも少し照れたように片手を上げる。


「すごいね、本気モード?」


近寄って声をかけると、水滴を滴らせながらプールの縁に掴まり、息を整えたセルヒオは苦笑いを浮かべて答えた。


「いや、軽く泳いでただけ。ジムには通ってるけど、やっぱりたまにはこうやって思いっきり体を動かしたいんだよな。」


セルヒオが肩で息をしながら笑う。


「へぇ、ジムってどんなことしてるの?」


私はプールの縁にしゃがみ込んで、水面を指でつつきながら聞いた。


「ランニングとか筋トレとか、まあ普通のやつ。でも室内ばっかだとさ、なんかエネルギーが余るんだよ。」

「なるほど。で、それをプールで爆発させてると。」

「そういうこと。」


セルヒオは軽く背伸びをして、再び水の中に身体を沈めた。肩から背中の筋肉が、水越しでも力強く動いているのがわかる。


「⋯ていうか、これで軽くなんだね。すごすぎない?」


私がそう言うと、セルヒオは一瞬きょとんとした後、少し照れたように片眉を上げた。


「いやぁ、俺より速いやつはたくさんいるだろ。女に比べたらそりゃ速いだろうけど。」

「そうかな? 上から見てたけど、めっちゃきれいなフォームで、すごいかっこよかったよ。」

「⋯うわぁ、めっちゃ褒めてくれるじゃん。」


笑ってそう言いつつも、セルヒオはちょっと顔を赤めて、また水を蹴って泳ぎ出した。

それに続けとプールに身を沈めた瞬間、思っていたよりも深いことに気づく。

つま先で立ってようやく顔が水面に出るほどで、正直言って怖い。


けれど、ここで引き返すのも悔しくて、よたよたと壁を蹴って泳ぎ始めた。

せめて向こう岸まで──。そう思って必死に腕をかく。

頑張っていると、すぐ横に人の足が見えた。


「溺れてるか? 助けるか?」


顔だけを上げて確認すると、セルヒオだった。

けれど、視線を上げたことで残酷な事実に気づく。まだ半分しか進んでいない。


諦めて足をつこうとしたが、やはりつま先立ちで精一杯だ。

見かねたセルヒオが「失礼」と言って、私を片手で小脇に抱え上げる。

それでようやく私は余裕を持って顔を出すことができた。


「⋯泳ぐのは無理じゃないか?」


困惑気味の彼に、私は満面の笑顔を返した。


「奇遇だね! 私もそう思ってた!」


次の瞬間、セルヒオは顔をそらして盛大に吹き出した。


プールサイドに送り届けてもらい、私は不満げに足だけを水に沈める。

高校以来まともに泳いでもいないのに、なぜ泳げると思ったのだろう。

今さらなことを考えていると、スポッと何かが頭にはまった。


見上げると、仕方なさそうに笑うセルヒオがいた。


「な。おとなしく浮き輪で浮かんでろ。引っ張ってやるから」

「うぅぅ⋯セルヒオ〜ありがとう〜⋯!」


お礼を言い、私は早速カラフルなリングに体を預ける。

ぷかぷかと水面に浮かび、まるで小舟に乗っているような心地よさだ。


「よし! 準備オッケー!」

「行くぞ。」


浮き輪にしっかりつかまると、セルヒオは水中で力強く手を動かし、私をゆったりと前へ進める。水の抵抗でスピードは速くないけれど、浮遊感と風の感覚が気持ちいい。


「これ、楽しい⋯!」


思わず笑い声が漏れると、セルヒオも楽しそうに笑った。


「だろ?ジムじゃ味わえないだろ、こういう浮遊感。」

「うん、最高!」


水面に反射する太陽の光がきらきらと揺れ、泡の弾ける音や他の人々の声が混ざって、まるで世界がゆっくり回っているような感覚になる。


ぼんやりと水面を眺めていると、セルヒオがにやりと笑った。


「さぁ、そろそろスピードアップだ!」


そう言うなり、セルヒオは大きく水をかき、浮き輪ごと私を引っ張っていく。

思ったよりスピードがあって、ぷかぷか漂うというより、ちょっとしたアトラクションに乗っている気分だ。


「おおお〜! 速い! 速いって!」

「まだ全然本気じゃないぞ。」

「え、これで!?」


セルヒオが笑いながらさらに腕に力を込めると、浮き輪は水しぶきをあげて進む。水の抵抗でガタガタと揺れて、私は「ひゃーっ!」と声をあげるしかなかった。

それでも不思議と怖くはない。セルヒオが前にいて、しっかり引っ張ってくれているからだろう。


水面に映る光が目の前を流れていく。

周囲には他に誰もいない。広いプールの真ん中を二人占めしているようで、なんだか贅沢な気持ちになる。


セルヒオは時折、わざと方向を変えてみたり、急にスピードを落としたりして、私を揺さぶるように遊んでくる。


「わっ、ちょ、ぐらぐらするーっ!」

「落ちないから安心しろ。」

「そういう問題じゃなくて!」


そんなやりとりをしていると、自然と笑いが止まらなくなった。

浮き輪で揺られながら笑い転げている私を見て、セルヒオも肩を震わせて笑う。


ふと気づくと、プールの真ん中に差し掛かっていた。

水の青さと、天井越しの光、響き渡る自分たちの声。

二人だけの楽しい時間と、プール全体の賑やかさが絶妙に混ざり合い、時間がゆっくりと過ぎていった。



軽くシャワーを浴び、プールサイドのチェアに沈み込むように腰を下ろすと、青く透き通った水面がキラキラと陽を反射して眩しかった。

泳ぎ疲れた体を、ようやく日陰の涼しさが包み込む。


「お腹すいたねぇ〜。」


私がぽつりと言うと、セルヒオは腕を伸ばしてプールの向こう側を指差した。

その指の先には小さな売店が見える。


「なんか取ってきてやろうか?」

「うーん⋯あ! 思い出した! 食べ物を運んでくれるサービスがあるんだよ。無料で。えーっと⋯ほら!」


セルヒオの言葉に一瞬心が揺れるけれど、私はハッとスマホを取り出した。

操作した画面をセルヒオに見せると、彼は片眉を上げる。


「こんなに近いのに?」

「単純に使ってみたかったんだよね。」

「なるほど、そういうことね。じゃあ俺は⋯ん〜ハンバーガーで!」

「えーっと⋯私はチーズバーガーかな!」


指先でポチポチと注文を確定すると、画面には「この画面をクルーにお見せください」と注文番号が大きく表示された。わくわくしながら、私はプールの向こうの店を見やる。


⋯待てど暮らせど、誰も来ない。

プールでは船の揺れに合わせて水を跳ね散らし、他の乗客たちはカクテル片手に談笑している。なのに、私たちの元には影ひとつ現れない。


「取りに行った方が早かったんじゃないか?」


セルヒオが肩を揺らして笑う。

申し訳なさで顔が熱くなり、私は「そうかも。ごめんね」と小さく頭を下げた。


少し経つと、ようやくクルーがキョロキョロしながらこちらへやって来た。

けれど、その人が歩いてきたのは売店の方向とはまるで逆。

まさか、と思いながらスマホを見せると、「お待たせしました」と爽やかな笑顔でトレーを差し出された。


ハンバーガーとチーズバーガー、そして山盛りのポテト。

受け取った瞬間、胸の奥がチクリと痛む。

やっぱりあのお店から持ってきてもらうんだった。


「たぶんあれ、中の店から持ってきたぞ。」


セルヒオが低い声で囁く。


「そうだよね? やっぱりそうだよね!? うわぁ~申し訳ない〜!」


両手で顔を覆うと、彼はおかしそうに笑った。


「ま、そういうこともあるさ。」


そう言ってセルヒオはハンバーガーを手に取り、バクリとかぶりつく。

パリッとしたレタスとジューシーな肉の香りが、あたりにふわっと広がった。


セルヒオが豪快にかぶりつくのを見て、私もチーズバーガーを手に取った。パンのふわふわとした温かさと、チーズの濃厚な香りが鼻をくすぐる。かじれば、肉の旨みと塩気が口いっぱいに広がって、思わず「ん〜!」と声が漏れた。


「美味しいね!」

「わかる。こういう場所のジャンクフードって妙にうまいんだよな。」


セルヒオは口の端のソースを舐め取った。

ふたりしてポテトをつまみながらプールを眺めていると、少し離れた場所にある売店から甘い香りが漂ってきた。

バニラとチョコ、それに少し焦げたような香ばしさが混じっている。


「ねぇ、あっちの売店からすごくいい匂いしない?」

「する。あれ、絶対アイスとかワッフルとかだろ」

「ちょっと見に行ってみようよ!」


今度はサービスに頼らず、私たちは自分たちの足で立ち上がった。プールサイドを歩けば、足元の石畳は陽に熱されてじんわりと温かい。


「いらっしゃいませ〜! 本日のおすすめは恐竜クッキー付きアイスクリームです!」


元気な店員さんのおすすめに、即決した。


「じゃあ俺はバニラ。恐竜クッキーもつけて」

「私はチョコレート!恐竜クッキもお願いします。 」


受け取ったアイスクリームは想像以上に大きく、コーンの上に恐竜の形をしたクッキーがちょこんと刺さっている。思わず写真を撮りたくなる可愛さだ。


「ほら、セルヒオ。こっち見て!」

「え、また写真? ⋯しょうがないな。」


わざとらしくポーズを取る彼の横顔に笑ってしまい、手元のソフトが少し溶けて指先に垂れた。


「わっ! 早く食べなきゃ!」


慌てて舐めると、ひんやりとした甘さが体にしみわたる。


ふたりでまたチェアに腰掛け、ソフトクリームを味わいながら、ゆっくりと午後の時間を過ごした。

プールの喧騒が少し遠のいて、ほんの少しだけ、夏休みのような穏やかな空気に包まれていた。


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