13.1/2 恐竜の国①
「本船は、予定通り現地時刻9時に、ブロリランド共和国に下船開始予定です。下船されるお客様は、必ず現地時刻午後4時までに船にお戻りください。」
オプショナルツアーを申し込んでいたおかげで、先頭集団での下船ができた。
眼下に広がる景色の中、まず最初に目に飛び込んできたものは、見慣れぬ巨影だった。
『うわっ、大きくない!?』
自分の声が熱気の中に溶けていく。
港の階段を降りる足取りは、期待と驚きで自然と速くなっていた。
まるで図鑑から抜け出してきたかのような存在は、降りていくほどに現実感を増して迫ってきた。
「ブロリランド満喫ツアーをご予約のお客様〜! こちらでございます!」
軽快に呼びかけるガイドさんの声に近づくと、彼女の後ろに堂々と立っていたのは、分厚い鱗に覆われ、エリマキトカゲのような輪郭を持つ巨獣。トリケラトプスそっくりの恐竜だった。
その後ろには、整然と造られた木製の馬車ならぬ「恐竜車」が据え付けられていた。
鼻息だけで土埃を巻き上げる迫力。
だが、その巨体はきちんと手綱に繋がれ、まるで飼い慣らされた馬のように大人しく待機している。
一瞬、夢を見ているのではと疑ったが、獣の吐息の熱や、鼻面の動きに伴う地響きのような音が、紛れもなく「生きている」証拠だった。
待機していた恐竜車に近づくと、その存在感がさらに増してくる。
動物園で見た象がこんな大きさだった気がする。
でも、近くで見るトリケラトプスの瞳は意外にもつぶらで、つややかなボタンのように光っていた。
大きな鼻孔からは「フンッ」と低い息が漏れ、ほんのりと青草の匂いが漂ってきた。
もしかしたら食後だったのかもしれない。
「どうぞ、こちらへ。恐れずにゆっくりとお乗りください。」
ガイドの手振りに促され、恐る恐る木製の階段をのぼる。
車体は厚い木材と革で補強されており、座面にはお気持ち程度のクッションが並べられていた。
『⋯すごい。これ、本当に恐竜に引かれて走るの?』
思わず声が漏れる。
乗り込んで腰を下ろすと、すぐ隣の2人が目を輝かせながら囁いた。
「角がなかったね!」
「そうだな。地球のトリケラトプスとは別物なのかもしれないな。」
会話の端々から、皆がそれぞれの驚きを共有しているのが伝わってきて、胸の高鳴りはますます収まらない。
御者が手綱を軽く引くと、トリケラトプスは地面を踏みしめるようにしてゆっくりと歩み出した。
ドッ⋯ドッ⋯ドッ⋯ドッ⋯
その一歩ごとに重い音を上げ、車体が心地よく揺れる。
ドッドッドッドッドッドッドッドッ⋯!
やがて原付バイク程度のスピードが出る頃には、並木道の揺れをダイレクトに拾う車体によって、クッション性のない軽トラ並みの揺れが伝わってきていた。
「さぁ、これからブロリランドの奥深くへご案内いたします!」
ガイドの高らかな声が響き渡り、恐竜車の行列は冒険の始まりを告げるように進んでいった。
「みなさま、改めまして、ようこそブロリランド共和国へ。」
女性ガイドさんは爽やかな笑みを浮かべながら、恐竜車の前方に立って振り返る。
「こちらが皆さまの足となる『観光恐竜車』です。本日担当してくれるのは、地球のトリケラトプスに似た草食竜。便宜上『トリケラトプスモドキ』と呼ばれています。小型竜に比べますと速さは劣りますが、なんと言ってもその力強さと安定感には自信あり! 観光用として非常に人気があります。」
その言葉を体現するかのようにトリケラトプスモドキが大きな足でしっかりと道を踏みしめ、ドドドドッと進んでいく。
「⋯え、角がない? あ、よくお気づきで!」
乗客のつぶやきをひろったガイドさんは満面の笑みを浮かべて手を叩いた。
「本来は3本の角を持つのですが、観光用に飼育されている個体は安全のため、定期的に角を切り落としています。角自体には神経がなく、切っても痛みはありません。美容院に行くみたいなもので、伸びてきたらチョキンとやるんです。トリケラトプスモドキ本人も『あ〜軽くなった!』って顔してます、ほんとですよ!」
乗客からどっと笑いが起こる。
少し進むと、左右に並ぶ建物がポツポツ見えてくる。屋根はすべて同じ緑色をしている。
「見えてまいりましたね。この街並みの特徴のひとつが、低く作られた建物と緑色の屋根です。これは翼竜対策でして、空から目立たないよう工夫されています。昔は肉食恐竜による被害もあったのですが、現在ではほとんどの肉食種は保護区に隔離されており、市街地を歩いているのは草食恐竜だけです。観光客の皆さまも安心して散策をお楽しみいただけます。」
視線を少し上げれば、遠くに首の長い竜がのんびりと葉を食んでいる姿が見える。
「このように街の中で恐竜と人が共存している様子は、ブロリランドならではの光景です。恐竜アトラクションが終わりましたら、市場や広場の方へご案内いたしますので、ぜひ恐竜たちの暮らしぶりを間近でご覧ください。」
恐竜車はガタゴトと揺れながら、緑に覆われた街並みを抜けていく。
両脇に見える家々の屋根は苔や草でしっとりと覆われ、まるで森と同化するように作られていた。
坂道をゆっくりと登っていくにつれ、遠くから「ギィィアアア!」と耳をつんざく叫び声が響き、車内の空気が一瞬凍りつく。
冗談みたいな声量に、思わず「気のせいだ」と自分に言い聞かせるが、胸の奥では妙に重い音が鳴り続けていた。
やがて視界がひらけ、小高い丘の上に出る。
そこには、木で作られた鳥居のようなものが何本も並び、その上空を翼竜たちが何匹も旋回していた。
プテラノドンモドキと呼ばれる恐竜達は、鋭いクチバシに尖った頭をしている。
青空を裂くようにバサバサと羽ばたき、時折影が地面を横切るたび、背筋がぞくりとする。
──そういえば、乗車前にサインさせられた誓約書。
「事故があっても訴えないこと」なんて書いてあったのに軽い気持ちサインしたが、今になってじわじわ効いてくる。
胸の奥で、緊張と恐怖がカチカチと音を立てるようだ。
そんな中、ガイドさんが場違いなくらい明るい声を響かせた。
「それでは! これより順番に恐竜アトラクションにご案内いたします。各グループごとに、あちらの止まり木にてお待ちください。お名前を呼ばれましたら、そちらへご移動をお願いします!」
スタッフが案内板を掲げると、参加者たちはわいわいと声を上げながらグループに分かれていく。
笑顔でカメラを構える人もいれば、緊張して口をへの字にしている人もいる。
そして、運の悪いことに。
「では第3グループ、1番、サクラ・アオヤマ様!」
呼ばれた名前に反射的に手を挙げた瞬間、周囲の視線が一斉にこちらへ集まる。
グループの中で、私が先頭になってしまった。
心臓がドクンと跳ねる。
まだ誰も体験していない、未知のアトラクション。
一歩前へ踏み出す足が、異様に重たかった。
私は列の視線を背中に感じながら、迷惑にならないようにと重い足を引きずり、指定された止まり木の前へ向かった。
木の根元には縄が巻かれ、太さはあるもののどこか頼りない。
自分の足音すらやけに大きく響いて聞こえる。
係員さんが腰にぶら下げた笛を取り出し、独特な音を鳴らす。
その瞬間、空を旋回していた影がふっと大きく動いた。
──来た。
両腕を広げても5〜6人は必要そうな大きな体で、一匹のプテラノドンモドキが滑空して降りてくる。
空気を切るような風が頬をかすめ、止まり木に「ドスン」と軽やかに着地した⋯かに思えたが、同時に「ギシギシギシィッ!」と木が悲鳴のように軋む。
軽やかさと不安の音の落差に、膝が笑いそうになる。
鋭い目つきの翼竜の、細まった──細いわけではない。胴体と頭に比べて細まってるだけ──の首に、背もたれ付きの大きなブランコのような器具が吊り下げられていて、ゆらゆらと不気味に揺れていた。
係員さんは慣れた手つきでその揺れを止め、プテラノドンモドキの前側にブランコを移動させる。
そして業務的な口調で「はい、最初の方〜」と声をかけてきた。
妙にドライな言い方が逆に怖い。
『あっ⋯』
声が漏れるも、すでに後戻りはできない。
心の準備も出来ないまま、ぐいっと腕を取られ、革でできたライフジャケットのようなものを着せられる。
さすがに安全装置はあるようで安心したが、この服ずっしりとした重みはあるが、体にフィットする感覚はなく、脇腹のあたりがスカスカして心もとない。
係員さんは金具を一つ留めると、「大丈夫ですよ〜」とマニュアルのように微笑む。
⋯⋯大丈夫、なのか?
明らかに緩いんだけど。
心の中で何度も繰り返す「大丈夫?」が、まるで呪文のように頭の中をぐるぐると回り続けた。
係員さんに軽く背中を押され、私はおそるおそるブランコに腰を下ろした。
ぎし、と革のベルトが食い込み、金具がカチャリカチャリと音を立てて留められる。
足元がぶらりと宙に浮き、もう地面には届かない。
「それでは、いってらっしゃ〜い!」
軽い調子の声と同時に、プテラノドンモドキがぐんと首を伸ばし、翼を大きく広げた。
バサァッと空気を打ちつける音が耳に響き、次の瞬間──
ふわり。
体が浮いた。
胃が一気に持ち上がり、声を上げる暇もなく景色がすべり落ちていく。
止まり木も、係員さんも、下で見上げている人々も、あっという間に遠ざかる。
『〜〜〜〜〜っ!⋯⋯⋯っ!!』
喉の奥から声を絞り出そうとするのに、固まった体は言うことを聞かない。
握った革の手すりに汗が滲む。
風が横殴りに顔を叩き、目を開けるのすら恐ろしい。
下を見てはいけない。
そう思えば思うほど、視線は勝手に吸い寄せられ、遥か下に広がる緑の街並みが目に飛び込んでくる。
遠くに小さな恐竜車がアリのように見えて、頭がくらくらした。
翼竜は気持ちよさそうに空を切っているのに、私はただの荷物。
固まったままの体を必死で縮め、目をぎゅっとつぶった。
心臓が胸を突き破りそうなほど暴れている。
本当に、落ちないんだろうか⋯!?
プテラノドンモドキの動きに合わせ、前後だけじゃなく、右にも左にも、なんなら斜めにも、自由気ままにブランコは揺れる。身体は勝手に傾き、内臓ごと持っていかれるような感覚に襲われる。
『ひゃっ⋯!』
喉から洩れた情けない声は、風にかき消されて誰にも届かない。
しかも、次の瞬間。
プテラノドンモドキはぐんと急上昇し、空気が一気に薄くなったような錯覚を覚える。
そして、嘘みたいに動きを止めた。
ふらふら揺れていたブランコが、やがて規則的なカタカタに変わる。
呼吸を必死に整えながら、ギギギギと硬い動きで首を上げる。
目に飛び込んできたのは、後ろ足で首のあたりをぼりぼりとかいているプテラノドンモドキの姿。
耳のような突起を猫みたいにかきむしり、まるで今が昼下がりのお昼寝タイムかのようにリラックスしている。
なんで今!? なんで今なの!!
声にならない叫びを上げていると、気が済んだのかピタリとまた動きが止まった。
一瞬の間のあと、プテラノドンモドキは「フーン」と確かにため息をついた。
その瞬間、私の中に不満とツッコミが同時に爆発したが、言葉にする暇すら与えられない。
急降下。
視界が一気に傾き、胃袋が浮き上がる。
叫ぼうと喉の準備を始めた時、今度はくるりと旋回を始めた。
風を切る音と共に、下へ下へとさがりながら、規則的にくるくると同じ角度で回転する。
「⋯あれ、なんか⋯」
先程までのどう動くかわからない恐怖が少しずつ薄れ、遊園地の空中ブランコに乗っているような感覚が蘇る。
怖さでぎゅっとつぶっていた目をそっと開けると、眼下にはどこまでも広がる深い森。
その隙間に、屋根の緑色で偽装された街並みが見え隠れしている。
まるでジオラマのような美しさに、思わず見入ってしまう。
旋回が徐々に小さくなり、地面が近づいてくる。
『は、はぁ⋯』
緊張で強ばっていた肩の力が抜ける。
そして、止まり木にふわりと戻ると同時に、ブランコは係員さんの手に受け止められた。
足が地面についた瞬間、へなへなと膝が笑いそうになる。
どうにか止まり木から離れると、どしゃりと四つん這いにへたり込んでしまった。
慌てた様子で他の参加者さん達が声をかけてくれるのに「大丈夫です」と返事をする。
どうにか普通の体勢にもどり、次の人が空で凄まじい叫び声を上げているのを、落ち着いた気持ちで見守る。
⋯誰だ「スリル満点の空中散歩が味わえます☆」なんてポップな感じで旅行雑誌に書いた人〜!!
最後の最後で、ちょっとだけ楽しいって思えたのが救いだ。
それでも、しばらくは⋯いや二度と乗りたくない。




