12.1/1 船上のお正月
甲板でのカウントダウンが終わり、花火とシャンパンの熱気が少しずつ落ち着いてくると、私たちは「まだ寝るには惜しいよね」と顔を見合わせた。
「ビュッフェ、今日は朝までやってるんじゃない?」
「そりゃいい! 俺は腹ごしらえが必要だ!」
マリナが言い出すと、すぐにバイロンが笑いながら肩をすくめた。
会場に戻ると、夜中にもかかわらず多くの人でにぎわっていた。
軽食やスイーツのコーナーには、夜更かし組やお祭り気分が冷めない客が次々と集まっている。
私たちも皿を手に取り、パンやフルーツ、そして甘いケーキを少しずつ盛ってテーブルを囲んだ。
「この時間に食べるケーキって、なんでこんなに美味しいのかしらね」
アマンディーヌが幸せそうに微笑んだ。
「罪悪感込みで食うからだな!」とバイロンが冗談を飛ばす。
セルヒオはコーヒーを飲みながら、ぼそりとつぶやいた。
「ここから寝たら絶対起きられないな。」
「それなら、このまま朝まで話しでもしとく?」
私がそう提案すると、みんなが賛成の声を上げた。
もういい歳して徹夜は辛いと思いながらも、テンションが上がって眠れそうにないのは確かだ。
テーブルを囲んで、旅行の話や船でのイベントの感想をあれこれ語り合う。
気づけば時間はあっという間に過ぎていく。
そして、外が少し紫がかって来た頃、「話足りない」と言いながら、私たちはデッキへ行くために立ち上がった。
外に出ると、海風は少しひんやりしていて、夜空はまだ深い藍色だった。
臨時のカウンターからキンダープンシュという、スパイスとフルーツの風味がする温かなぶどうジュースをもらい、息を吹きかけながら飲む。
「まだ飲むのかよ。初日の出の頃にはトイレの中だぜ。」とバイロンに言われたが、女性3人だけは使い捨てカップを握りしめて離さなかった。
「わぁ⋯」
水平線の端が、ほんのりと淡い橙色に染まり始め、アマンディーヌが感嘆の声をもらす。
私たちは自然と肩を並べ、静かにその瞬間を待った。
やがて、太陽がゆっくりと海から顔を出し、まばゆい光が水平線を黄金色に染め上げる。
その光に照らされて、みんなの顔もほんのり輝いて見えた。
「新しい年の始まりだな。」
ウィリアムがしみじみと呟く。
私たちは頷き合い、朝日を浴びながら新しい年の始まりに心を弾ませた。
水平線から太陽が完全に顔を出したとき、海も空も一瞬で光に包まれた。夜の名残を押しのけるように、黄金色がじわじわと広がっていく。
しばし無言でその景色を眺めていた私たちだったが、最初に口を開いたのはマリナだった。
「ねぇ、すっごくきれい! こんなの見たら、何か良いことがありそうって思っちゃうわ。」
隣でウィリアムがうなずき、「その『良いこと』をちゃんと一緒に掴めるようにしようね。」と手を重ねる。
「やっぱり新しい年の始まりには朝日が似合うね。」
私は思わずそう呟いた。
普段初日の出なんて見ないくせに、ちょっとかっこつけてみたかった。
アマンディーヌは、両手でカップを包み込みながら微笑む。
「私ね、こうやって旅先で友達と新年を迎えられるなんて想像もしてなかったの。すごく贅沢だわ⋯。今年は、もっと肩の力を抜いて楽しみたいな」
セルヒオは真面目な顔で空を見上げていた。
「去年までは逃げてたから、今年は⋯もう少し勇気を出したい。そんで落ち着いて、ひとつひとつの瞬間をちゃんと楽しめるようになりたい。」
「いいこと言うじゃん!」とバイロンが笑って肩を叩いた。
そのバイロンは、手すりを掴んで声を張る。
「俺は決めたぞ! 今年も笑いまくって、美味いもん食いまくる! それで最高の年にするんだ!」
豪快な宣言にみんなが吹き出し、甲板の空気が一気に和んだ。
「じゃあ私も⋯」私は小さく深呼吸して言った。
「去年は慌てすぎて大変だったから、今年は、もっとしっかり考えて過ごしたい。いろんな国を見て、いろんな人と話して、ちゃんと自分の思い出を増やしたいな。」
朝日に照らされながら一人ひとりの声が重なり、ちょっとした誓いの場のようになった。
太陽はもうすっかり昇り、私たちの影を長く甲板に落としていた。
久々な気分で部屋に戻ると、整えられた部屋に今日の船内新聞が置かれていた。
眠たいしもうイベントもお腹いっぱいだなと一応目を通すと、あるイベントを発見した。
時計をみると、もう間もなくのイベントのようだ。
私は寝てしまう前にと、慌ててバイロンに連絡を取った。
エントランスホールに足を踏み入れると、すでに人だかりができていた。中央には立派な樽酒が置かれ、紅白の布で飾られている。ステージには船員たちが羽織姿で並び、船長まで正装に羽織を羽織ってマイクを握っていた。
「皆さま、新しい年の始まりを、この船で迎えてくださりありがとうございます!」
船長の挨拶とともに、会場は拍手に包まれる。
「うわぁ、あれ、日本スタイルだろう?」
隣のバイロンが目を輝かせる。
「あの中に入ってるのがニホンシュか?なんだかワクワクするぜ。」
「そうそう、あの樽の蓋を木槌で割るの。鏡開きっていうんだよ。」
説明するとバイロンは「へぇ~!」と声をあげ、樽を指差して子どものように楽しそうに身を乗り出した。
やがて船長と数名のスタッフがイントネーションが入った掛け声を合わせる。
「ヨイショウ!ヨイショウ!」
何度か木槌が振り下ろされ、パァン!と小気味よい音が響いた瞬間、会場から歓声が上がった。
華やかな酒の香りがふわりと漂ってきて、空気が一気に盛り上がる。
「おぉ~、香りからして美味そう!」
「うん、ふだん日本酒ってあまり飲まないけど、なんか特別な感じするね!」
スタッフが手際よく小さなカップに酒を注ぎ、参加者一人ひとりに配り始めた。スタッフたちが慣れた手つきで木杓子を動かし、ふわりと立ちのぼる酒の香りが広がっていく。
列に並ぶ参加者の顔も、どこか浮き立っている。
私とバイロンも列に並び、やがて二人の手にカップが渡される。
じゃまにならないよう2階に移動すると「よし!」とバイロンはカップを掲げてにやりと笑う。
「新年と、このクルーズと、君に乾杯!」
「大げさだなぁ。」
笑って軽くカップを合わせると、かすかな音とともに酒の香りが鼻をくすぐった。
口に含むと、やや甘口の、雑味のないすっきりとした風味が舌の上で広がっていく。
米の優しい香りと、芯のある澄んだ後味が心地よい。
「おお、いい香り⋯。」
「本当だな! モットカット以上だ!」
「そうでしょう?」
ドヤ顔で私が微笑むと、バイロンは一気に半分ほど飲み干し、嬉しそうに頷いた。
会場のあちこちから笑い声があがり、手を取り合って写真を撮る人たちもいる。
「いい雰囲気だね。」
私が呟くと、バイロンはにかっと笑い、カップを掲げたまま天井の装飾を見上げた。
「こういうのは、旅じゃなきゃ味わえないな。陸で飲む酒と、まったく違う気がする。」
バイロンの言葉に私も頷き、写真を撮るためにスマホを取り出した。
お酒を味わったあとバイロンと別れ、部屋に戻った私は今度こそ爆睡した。
夕方のビュッフェ会場は、今朝の喧騒が嘘のように落ち着いていた。
カウントダウンや初日の出、鏡開きと、行事が立て続けにあったせいか、人の数もまばらで、どこかのんびりとした空気が流れている。
私は一人、窓際の席に腰を下ろし、静かな夕飯を楽しむことにした。
トレイの上には、各国のお正月料理が少しずつ並んでいる。
まずはアメリカ南部の「ホッピンジョン」。
一口食べると、ベーコンや玉ねぎのコクがしっかりと効いていて、洋風の炊き込みご飯のような味わいだ。
黒い色がついた大豆のような豆──ブラックアイドピーというらしい──がほくほくとしていて、米の柔らかさとよく合っている。
久しぶりに口にするお米が嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。
次に韓国の「トックク」。
透き通ったスープを口に含むと、牛の出汁が深く染み渡り、あっさりとしていながら滋味深い味わい。
上には錦糸卵や海苔、ネギが浮かんでいて、彩りも豊かだ。
日本の餅に比べると弾力は控えめで、ムチムチとした食感が面白い。
箸で切りやすく、するりと口に収まる優しい食べ心地だった。
そしてイタリアからは太いソーセージ風の「コテキーノ」。
ナイフを入れると柔らかくほどける。
口に入れるとジューシーで、しっかりとした塩味にスパイスの香りが重なり、豚肉の旨味がぎゅっと詰まっていた。
実は隣にザンポーネがあったけど、豚足らしいビジュアルにコテキーノを選んでしまった。豚足は好きだけど、なんとなく今じゃない。
その代わりクルーのお兄さんが「金運に恵まれるよ!」と勧めてくれたレンズ豆はちょっと多めに入れたし、しっかり完食した。
食事を終えて、デザートコーナーへ足を運んだ。
色とりどりのスイーツが並んでいて、どれも手招きしてくるように輝いている。
迷って、迷って⋯結局、選んだのは二つ。
明日も同じメニューが並んでいるだろうかと心配になりながら、トレイを席へと運んだ。
デザートプレートの上には、オリボルンとセムラ。
フォークを持つ手を眺めながら、「こんなに豪華にひとりで食べていいんだろうか」と、ちょっとした背徳感にくすぐられる。
丸いドーナツのようなオリボルンを頬張ると、表面のサクッとした食感のあとに広がる、もちもちの生地の温かみ。
レーズンの甘酸っぱさ、りんごのジューシーさ、そしてシナモンの香りが重なり合い、口いっぱいに幸せが広がる。
揚げ菓子のほんのりとした油のコクが、ちょうどいい温かさを添えていた。
シュークリームのようなセムラはその隣で、まるで「まだ私が残っているよ」と主張している。
フォークでふんわりすくい、生クリームごと口に運ぶと、カルダモンの香りがすぐに鼻をくすぐった。
アーモンドペーストの濃厚さと、軽やかな生クリームのバランス。
甘すぎず、だけど確かな満足感がある。
パンのやわらかな生地も相まって、ひと口ごとに「贅沢」を噛みしめているような気分になる。
ふと周りを見れば、同じようにデザートを頬張る人、コーヒー片手に談笑する人。
でも私のテーブルは、甘い香りと幸せなひとときだけが静かに満ちていた。
「どっちも選んで正解だったな」
小さく呟いて、残りの一口を味わいながら、心の中で明日も他のデザートに会えますようにと願った。




