【別視点】スペイサイドとストラス
貴族出身の生徒から高い人気と評価を受け、更に今年から水の上級魔術の授業を主として受け持つ私が、まさかの失敗である。
このままいけば、後一、二年もした時には晴れて上級職員へと辿り着いたはずだった。
だが、今回の失敗は大きい。
学長が怒る場面は見たことがなく、そういった話も聞いたことがなかった。常に冷静であり、大らかな性格。それがグレン学長の印象だ。
だが、今回の経緯を聞いて、学長は明らかに不快そうな目で私を見ていた。
怒りよりも、呆れ。または、つまらないものを見るような目。
それが、私に向けられた。
明らかに悪い印象を植え付けてしまった。せっかく積み上げてきた教員としての功績も水の泡だ。
私は追い返した少女を探しに街に出たが、焦りから足も早くなる。
「くそ、女一人で何処に行く? 宿か……いや、まだ日は落ちていない。田舎者の風体だ。この街を見て回っている可能性は十分ある。ならば、大通りか」
何故、私があんな目つきの悪い平民の女を必死に追いかけねばならないのか。
衛兵に金を握らせ、大通りに面した宿を探させつつ、私も自ら歩き回って見つけようとした。
しかし、足取りは一切掴めない。当たり前だ。敷き詰めたように歩く人集りの中で、地味な平民など誰も記憶しない。
もしかしたら近くをすれ違っているのかもしれない。そう思い、私はまた大通りを練り歩いた。
日も暮れて、結局足取りが掴めなかった私は学院へと戻る。
「くそ……恐らく、裏通りの安宿に泊まったか。最初からそちらを探せばよかった。よく考えれば、大した服は着ていなかったではないか」
気づけなかった自分自身に腹を立てつつ、灯りに照らされた道を歩いていくと、途中で珍しい人物にあった。
同じ学年の教員、ストラスだ。ヴァーテッド王国のクライド男爵家という下級貴族の出だが、なんの悪戯か優れた風の魔術を使うことができる。
まぁ、魔術はともかく、気品と優雅さに欠ける物腰は下級貴族らしいところだ。
普段なら目も合わせない存在だが、平民に近いこの男ならば、もしかしたらあの女の所在を知っているかもしれない。
そういえば、目つきが悪いのも似ているではないか。
「……ストラス殿、少々良いか」
そう声を掛けると、ストラスは眉間に皺を寄せて睨むような目を向けてきた。殺してやりたくなるほど腹が立ったが、このような下賤な者に腹を立てていてはオード侯爵家の一族として恥ずかしい。我慢せねばなるまい。
「……なんだ」
私が拳を握りながら笑みを引き攣らせていると、ストラスは不機嫌そうに口を開いた。
「あ、ああ。今日、黒い髪の女性がこの学院を訪ねてきた。とある事情でその女性を探していてね。勿論、浮ついた感情などは一切無いが、どうしてもその女性を探さねばならない理由があるのだ。単なる一般市民であり、見た目なども地味な女性だが、そういった女性に会ってはいないだろうか」
怒りを我慢しながらそう聞くと、ストラスは短く溜め息を吐き、腕を組んで答える。
「……スペイサイド殿が相手にしなかったアオイという女性なら、俺が学長のところまで案内した。今日から教員の寮に泊まる筈だ。それじゃあ」
と、ストラスは敬意も何もなく、淡々とそれだけ言って私の横を通り過ぎた。
「な、な、何だと!? な、何故貴様が!」
思わず感情を込めて怒鳴ってしまう。すると、振り返った私を横顔で一瞥し、ストラスは鼻から息を吐いた。
「……あんたがアオイを追い返したからだろう」
言われた内容には、流石の私も声が出せなかった。
そんな私を尻目に、ストラスは無言で立ち去る。この学院においてのみ爵位は無関係とされてはいるが、それでもあまりに無礼な態度だ。
だが、それを指摘して怒鳴りつける気力もない。
「……くそ。この失態をどう取り返せば……」
私は片手で自らの頭を押さえながら呻いた。あの女のせいで面倒なことになってしまった。
「……必ず報復してやるぞ」
【ストラス】
不思議な少女……いや、女性だった。
確かに今思えば、幼い見た目に見えて刃物を前に動じない胆力の持ち主ではあった。普通、路地裏で荒くれ者に奴隷にされそうになれば怯えるなり何なりするものだ。
だが、アオイは焦ることも怯えることも無かった。
つまり、あの状況でも対処出来る自信があったのだ。
「……刃物を押し当てられた状況では詠唱も出来ない筈」
呟き、学院内を流れる小川の側に立つ。暗い中、街頭に照らされる川面は波で散り散りになった光が反射し、どこか幻想的な風景を見せていた。
片手を前に出し、手のひらを正面に向ける。
一節、二節の詠唱。
「小精霊灯」
魔術を行使すると微かな魔力が失われ、ふわりと柔らかな灯りが空中に浮かび上がった。
初級魔術の一つであり、学院に入ったばかりの新入生は皆、この魔術から授業は始まる。
それは転入生も同様だ。転入生の場合、通常五節あるライトの詠唱を減らすことが出来るかの授業となる。
学院の魔術師ならば二節以内にまで減らせるし、学長は一節で魔術を行使できるとのことだ。
だが、どうあっても詠唱しないことには魔術は行使できない。
つまり、近接戦の得意な相手の間合い内は魔術師にとって圧倒的に不利な状況となるということだ。密着されている状態など、言わずもがなである。
事実、学長はどうか分からないが、俺はアオイが水の魔術を行使する瞬間を見極めることが出来なかった。
「……一度、魔術について話をしてみたいところだが……」
詠唱工程だけでなく、魔術研究についてもアオイの意見や考えを聞いてみたいところだ。
そこまで考えて、俺はふと、自分が笑っていることに気がつく。
「……思えば初めてだな、これほど他人に興味を抱くのは」
俺はゆらゆらと光を反射させる川の水面を眺めて、肩を揺すって笑った。
【エライザ】
日も落ちた中、酒のつまみが無くなったことに気がつき、私は学院前の酒場に足を伸ばした。
「酒を呑ーめ、呑め呑め呑め酒だ酒ー。朝酒、昼酒、夕酒、夜酒、寝酒といけば毎日しーあわっせー」
ドワーフに伝わる酒の歌を口ずさみながら歩いていると、川の上にほわんと灯りが浮かぶのが目に入る。
そして、光に下方から照らし出された男の顔も……。
「……え、怖っ!? なんですか、あの人! あ、ストラスさんだ! うわ、笑ってます!? なんで一人で笑いながら小精霊灯!?」
まったく意味のわからない光景を見てしまい、私は一人恐怖に慄く。
だが、夜の川辺に立つストラスの姿に、あることに気が付いた。
誰相手にでも仏頂面でズバッと正論をぶつけるストラスは敵も多い。基本的には誰とも話をせず、静かに過ごしているのだ。
だから、今日のアオイと私との会話はかなり楽しかったに違いない。
夜に一人、ストラスは私とアオイのことを想い、笑っていた?
「……ふふふ。流石は私。ドワーフの国の可憐な魔女姫と呼ばれるだけはありますね! あのストラスさんを籠絡してしまうとは!」