フィディック学院に投げ込まれた爆弾
グレンに紹介された教員の後に続き、私は高等部の授業を見学にきた。
授業は高等部中級の火の魔術だ。
火の魔術を担当する教員のフェイマス・グラウスは、学院内でも貴族主義に寄った考え方の教員らしい。短い金髪の上品な雰囲気を纏う四十歳ほどの男性だが、そう言われると貴族然とした見た目や態度に見えてしまう。
最初にこの教員に同行させることは、もしかしたらグレンの挑戦とみて良いのかもしれない。
貴族優位の世界とそれから脱却出来ない学院の姿を最初に肌で感じさせようということか。
そんなことを思っていると、教室に先に入ったフェイマスが一言二言何か話し、私の方を一瞥してから口を開いた。
「では、今日は特別にもう一人教員が来ているので紹介しよう。なんと、今日初めて教員となったというのに、上級教員となったアオイ・コーノミナト氏だ。皆、注目」
フェイマスは随分と含みのある言い方で私を紹介した。それに溜め息を吐き、教室へと足を踏み入れる。
これまでは木と石、布の匂いばかりだったが、教室は香木やハーブに似た匂いなどが混ざり合った複雑な香りが充満していた。
教壇まで移動し、フェイマスの隣に立って横を向くと、階段状になった教室と、席を埋める生徒達の姿が目に入る。
二十人ほどだろうか。殆どが貴族ということもあり、男女ともに落ち着いた様子を見せていた。
その生徒の顔を順番に見ていきながら、私は口を開く。
「……本日から教員として教えることになったアオイ・コーノミナトです。得意な魔術は水です。気軽に声をかけてください」
初日である。無難な挨拶をして様子を見ようと思ったのだが、何を思ったのか、フェイマスが私に手のひらを向けて、こう言った。
「名誉あるフィディック学院において、非常に稀な最初から上級教員という立場のコーノミナト氏だが、なんと平民の出である。きっと、血の滲むような努力の末に今の地位を獲得したのだろう。皆、拍手を!」
敵意を隠す気も無い補足説明に、生徒達からは疎らな拍手が送られた。ただ一人盛大に拍手するフェイマスに、最上段にいる生徒の一人が口を開く。
小柄だが、太々しい雰囲気の金髪の少年だ。見た目は童顔だが、高等部なのだから十五歳前後だろう。
少年は私の顔を一瞬値踏みするように見て、フェイマスに向き直った。
「……何かの間違いでは? 上級教員とは学院の学年主任や各魔術の最も優秀な教員の方のみが選ばれる特別なものの筈です。まさか、平民出の教員が就くことは出来ないと思いますが」
嘲り笑うような声で、少年は言う。すると、予期していたのか、フェイマスは大仰に肩を竦めて顔を左右に振った。
「確かに、優秀な魔術師を輩出してきた上級貴族の者の中から最も優秀な魔術師に贈られるのが上級教員だ」
そこで言葉を切ると、生徒の半数ほどが大きく頷く。それに口の端を上げてから、フェイマスは私を見た。
「つまり、彼女は優秀な上級貴族を押し退けて上級教員になれるほどの実力の持ち主ということだ。素晴らしい! 私は是非ともその力を見たいと思うが、皆はどうだろうか?」
フェイマスがそう言うと、生徒達の何人かが面白そうに手を叩き、歓声を上げる。
国の内外から才能を血族に取り入れてきた貴族は、確かに魔術の才能豊かな者が多い。逆に代々で平民だった家は魔術の才能豊かな者はあまり輩出されない。
それは貴族の選民思想と無駄な尊厳を増長させることに繋がったのだろう。
故に、平民出で要職に就く私という存在が面白いわけもなく、人によっては能力を詐称していると疑う者もいるかもしれない。
私は深く溜め息を吐き、顔を上げた。
「まず、言っておくべきことがあります。私は、学院において貴族だの王族だのといった肩書きは不要と考えています。もちろん、人種の違いで上下を作ることも嫌います」
ざわざわと騒つく教室を見回し、私は声を張る。
「なので、そういった理由から不当な扱いを行う者は、平等に叱るつもりです」
最初に重要な方針を告げてみた。途端、先程の金髪の少年が露骨に舌打ちをし、フェイマスを見る。
「……勘違い女が何か言ってますが、フェイマス先生はどうお考えですか」
苛々した様子でそう告げる彼を子供だと思っていると、隣に立つ中年男性も多少苛々した様子で引き攣った笑みを浮かべていた。
「……バレル君。いくら事実だとしても相手は教師です。そのような言い方は品位を疑われてしまうでしょう。ただ、コーノミナト氏には、私からきちんと立場というものを教えておきましょう」
顔は笑っているが、目は怒りの炎を宿している。
私は真顔でフェイマスを見て、尋ねた。
「立場とは、一般教員であるフェイマスさんと私の、ですか?」
そう聞いた瞬間、フェイマスの顔からは感情が消えた。
腰から杖を取り出し、先を私の顔に突き付けて魔術の詠唱を開始する。
火の魔術だ。それも攻撃用である。
「学院の中で、生徒の前で、更に同じ教員相手に攻撃用の魔術……普通の学院なら解雇されても文句は言えませんよ。行動封印」
フェイマスの詠唱が終わる寸前で、私は自分の魔術を行使した。
直後、フェイマスは見えないロープで簀巻きにされたように拘束された。頭の先から足の先まで真っ直ぐに固定され、まるで一本の棒のような格好になったフェイマスは、驚愕の目を私に向ける。
固まったままのフェイマスを横目に、私は生徒達に向き直った。
生徒達は何が起きたのか分からないといった様子で顔を見合わせたり、私に対して敵意を含んだ視線を向けたりしている。
それを真っ直ぐに見返し、口を開いた。
「魔術の実力で全ての評価が決まるわけではありません。肩書きも魔術師としての能力も比べずに、生徒同士で協力してより立派な魔術師を目指してください。勿論、教員同士も肩書きや立場など無く、真摯に皆さんの勉強を助けます。相談があれば是非教員を頼ってください。一人で悩むよりも良い結果に辿り着けるはずです」
しんと静まり返る教室に私の声が響いた。
生徒達はどう反応して良いか分からない様子だったが、一先ず私の言いたいことは伝わったと思う。
「封印解除」
魔術を解除すると、フェイマスの拘束が解かれた。
「ぐっ!? い、いま、何を……!」
戸惑いつつ杖の先をこちらに向けてくるフェイマスを油断無く睨みながら、口を開く。
「では、火の魔術の授業をお願いします。誰が聞いても分かりやすい授業をしてくれるのだと期待していますから。当たり前ですが、ついていけない生徒が出た場合は教員の実力不足ですよ」
階級や種族による偏見、差別を無くす為にもフェイマスに念押しをしておいた。
だが、フェイマスは舌打ちを返して私から視線を外す。
「……ここは世界最高峰の魔術学院、フィディック学院だ。私の授業についてこれないような者はそもそも相応しく無い」
それだけ言って、フェイマスは魔術の講義を始めた。
どんな授業をするのかと思ったが、比較的分かりやすい授業だった。
いや、中級の火の魔術と言いながら初歩から教えているからだろうか。私の言葉をしっかり聞いてくれたのかもしれない。
私はフェイマスの後ろで腕を組んで一人頷いたのだった。
 




